利き腕を骨折してしまったら?

想像してみてください。もしも今、利き腕を骨折してしまったら? 骨が折れた激しい「痛み」。箸を使った食事、カバンからの荷物の出し入れ、パソコン操作や車の運転などができなくなる「機能障害」。どれくらいで治るのか、仕事は続けられるのか、手術にならないか、そもそも完治するのかなど、将来への様々な「不安」。「痛み」「機能障害」「不安」と一気に三重苦に襲われるのではないでしょうか。

では、もしろう者が自身の利き腕を骨折してしまったら? 手話ができなくてかわいそう? それどころの話ではありません。手を動かせなければ、どこが痛いのかも言えません。問診に答えようにもできません。不安を表そうにも話せません。
ろう者にとって利き腕の骨折は、聴者にとって喉をつぶされたようなもの。情報発信がまったくできなくなります。先ほどの三重苦に「言語障害(発語障害)」が加わり、四重苦に陥ります。生活が、生存が、一気に困難となります。

手の骨折で言語障害(発語障害)

ここで、私にとって非常に興味深かった、とある交通事故の事例をご紹介します。ある聴覚障害者が横断歩道を歩行中に普通自動車と接触し、橈骨遠位端骨折、鎖骨骨折、肋骨骨折を受傷しました。この方は残念ながら、肩や手に後遺障害が残り、手話によるコミュニケーションを満足に取れなくなってしまったそうです。そして、手話による言語能力が著しく低下したとして、裁判で損害賠償を請求しました。

判決では、「聴覚障害者において、手話は相手方と意思を疎通する伝達手段であり、健常者の口話による意思疎通の伝達手段に相当するものであって、手、肩に傷害を負って後遺障害が残り、手話に影響が及んだ場合には、その程度によって後遺障害と扱うのが相当である」1)と言い渡されました。つまり、「手の骨折」=「言語障害(発語障害)」であると裁判で結論づけられたのです。

みなさんは手の骨折が機能障害、変形障害、神経障害だけでなく、言語障害(発語障害)であるという発想をお持ちだったでしょうか。私はそこまで考えが及びませんでした。ろう者が上肢を受傷した場合、奪われる自由は聴者が受傷したときの比ではないのです。

手の安静が「安静」の大獄に

外傷でなくても、私たちは入院中に様々な場面で患者さんの上肢の動きに制限をかけています。たとえば、心臓カテーテル検査後は橈骨動脈の圧迫止血のため、みぎ手に安静を強いています。
ほかには入院中、ベッドからの転落やチューブ類の抜去事故を予防するため、身体拘束として手首をベッド柵に縛るリムホルダーやミトン型手袋を一時的に使うこともあるかもしれません。

止血や身体拘束などの特殊状況下に限りません。よく行うただの点滴でさえ、手の動きを制限しています。点滴なら多少は手を動かせるから大丈夫だろうと考えるかもしれません。しかし、腕に点滴があれば、患者さんは普通、その手の動きを控えようとします。

安静、身体拘束、点滴など、もちろんいずれも治療や安全のために必要なことでしょう。しかし、ろう者の場合、これらの医療行為が発語にまで強い制限をかけている、言語障害(発語障害)を引き起こしていると意識したことがあるでしょうか。安静が必要とはいえ、その間のコミュニケーションをどうするのか、代替案を考えていたでしょうか。

治療のために強いた上肢の安静が「安静」の大獄と呼ばれないよう、医原的な言語障害(発語障害)は最低限になるよう心がけましょう。点滴確保の位置を考えたり、病室をこまめに訪室したり、安静中に困っていることはないか、なにか工夫できないか、普段以上に気にかけるようにしましょう。

まとめ

〇ろう者が利き手を骨折してしまったら、それは言語障害(発語障害)の合併を意味する。
〇点滴、身体拘束、圧迫止血など上肢の安静を強いる場合、それが治療や安全のためとはいえ、医原的な言語障害(発語障害)を引き起こしていることを忘れない。

第3回は以上です。
次回以降も「手話と医療、ろう者に関するハッとするような常識・非常識」「日常では気づきにくいが、気づかなければいけなかったこと」などを取り上げていきたいと思います。

明日からとは言わず、必ず今日から誰かの役に立つ内容です。是非シリーズを最後までご覧になってください。

※本内容はすべてのろう者、聴覚障害者やそのご関係者にあてはまるものではありません。

参考文献
1)平成20(ワ)40  (交通)損害賠償請求事件 判決 平成21年11月25日  名古屋地方裁判所
https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-38321.pdf




山本基佳
相澤病院 救急科 医長
中高生の頃にマンガ『ブラックジャック』と海外ドラマ『ER緊急救命室』に影響され医学部を受験するも不合格。1浪して東京慈恵会医科大学へ。その後は松本市の相澤病院で初期研修をして救急医になる。書籍『無名の医療者が医学書を出版するまでの道(メディカ出版)』『季節の救急 第2版(日本医事新報社)』などの単著を出版後、京都大学大学院で専門職学位課程(社会健康医学修士)を修了。コロナ禍に筆談でろう者を診療していたが、実はまるで通じていなかったとあとでわかり衝撃を受ける。今は手話と医療に関する本を出版したい。

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