みなさん。こんにちは。
少しずつ春めいてはきましたが、でもまだ寒いですね。三重県も寒いので、3月初旬、1人で奄美大島へ旅行に行きました! その日は特に暖かい日で、なんと24℃! みなさん半袖で過ごしていました。そんな奄美ブルーの海を見て、あー素敵だなあ、気持ちいいなーと浸っているときに、今回書きたい内容を思いつきました。

精神科病院で長年勤務していたときの気持ちと、今、訪問看護師としてどんな気持ちでお伺いしているか、また多くのゴミが散乱してそれでも捨てられない、整理整頓ができない(私たちから見たら)利用者さん宅へ行くときにどう考えているかを書いていきます。

「畑を耕す」

精神科病院で病棟看護師として長く勤務してきました。約20年くらいでしょうか。

検温やシーツ交換、環境整備で担当の部屋を回るのですが、独特の空気感がありました。希望のないような暗い空気でした。今思えば、新人のときはその空気感に慣れようとして、飲み込まれていたように思います。暗いほうへ引っ張られるのを感じつつも、日々の業務に必死でした。

ある日、精神科医の中井久雄先生の本1)を読んでいたとき、「病棟回診のときは、畑を耕す気持ちで回っている」という一文が、すっと私のなかに入ってきました。畑を耕す! あの暗く留まっている空気を耕すように歩く! 目からうろこでした。精神科看護師として、病棟を回るときは、ざくざくと土を耕すようなイメージでいこうと思ったのでした(どんどんと大きな音をたてて歩くとかではないですよ。イメージです)。

畑を耕してみたら

そのイメージで仕事をしていると、自分自身が空気感に飲み込まれていないことに気がつきました。空気をかき分けて歩く、病室へさっと空気を切って入っていくようなイメージです。患者さんと一緒に空気を動かすイメージをしていました。そのあたりからずいぶん気持ちが楽になっていった気がします。

在宅に入ってみると

訪問看護師になって4年が経ちました。在宅での精神疾患の方は、それぞれ生活スタイルがあるし、自分の好きな空間で暮らしています。もうすでにご自身で自分の畑を耕されていました。柔らかい土のおうちもあれば、乾いた土や水の多い土もあります。そこにそっと入らせていただいています。価値観はいろいろで、私たち看護師の心地よさが、必ずしも利用者さんの快適とはいっしょではないことに気づかされます。

いわゆるゴミ屋敷に遭遇することもある

みなさんも訪問看護で、いわゆる「ゴミ屋敷」に行くことあると思います。入ると「……ああ、ゴミが多いな」「いっしょに片づけられたらいいな」「でもしんどそうだし、看護師(自分)が捨てておこうか」など、いろいろなことが頭をめぐりますよね。ヘンダーソンの基本的欲求でのアセスメントの「清潔の保持」に当たりますし、清潔を保持しないと!と看護師魂が燃えます(笑)。

初回訪問でこうした足の踏み場もない「ゴミ屋敷」に行ったとき、私はその利用者さんの生活環境を見て「たいへんだ!」と思いました。ペットボトルやお菓子の袋が、床に山ほど落ちています。「いっしょに掃除しますか?」と声をかけると、利用者さんは「ああ、そうですね、お願いします」とおっしゃいました。「こちらをお願いします」と言われて行くと、そこはキッチンでした。冷蔵庫のいちばん下の段の中身を、いっしょに分けてほしいというご希望でした。

私は冷蔵庫の整理をしながら、これが終わったら床のペットボトルとお菓子の袋も捨てようと考えていました。冷蔵庫の整理が終わると利用者さんはとても喜ばれました。その流れで、気になっていたペットボトルと菓子袋を手に取り、「これも捨てましょうか」とお伝えすると、さっと様子が変わって困惑した表情になりました。その表情は今でも忘れられません。そして、「……それは私の好きなキャラクターのパッケージなので、大事に置いているんです」とおっしゃったのです。

私はすぐさま謝罪しました。よくみると、私がゴミだと思っていたペットボトルにも菓子袋にも、そのとき流行していたアニメのキャラクターが載っていました。そのキャラクターをお好きだったんですね。なので、どういうところが好きですか? とお聞きすると、その利用者さんは嬉しそうにお話してくださいました。それで盛り上がりました。

このとき、「畑」はすでに利用者さんが自分の好きなように耕していました。そんなときでも、ご希望の場所があればいっしょに整えることが大事だと思った経験でした。耕すのではなく、整える。整える作業をいっしょにするのは向かい合って話すより話が弾みますしね! それをきっかけに信頼関係が構築できました。でも整えなくてよいと言われたら、整える必要はありません。

ゴミ屋敷に嫌悪感を持ち、入れない看護師もいる

精神科の訪問看護をしていても、こうしたゴミ(?)の多い家に、「汚くて入れません」という看護師もいます。でも実は生活のすべてにその利用者さんへの理解のヒントがあって、アセスメントできる材料が山盛りです。相手のことを知りたいし、わかりたいという気持ちがあって、私は今までは入れなかった家はありません。軸を自分に合わせると、精神科看護はできないと思います。いったん、思い込みをすべて取り払ってみてください。目の前のゴミ(?)も、すべてが全人的な看護の理解の対象となってきます。

作業中、手袋を使ってもよいと思いますし(その場合は、ひとことお断りをしてから使用します。皮膚が弱いのでなどの説明をしてから使うとさらにgoodです)、お邪魔したあとに靴下が汚れたら取り替えてもよいでしょう。でも「行きたくない」「入れない」「理解できない」という場合は、本当に精神科看護をしていきたいか、自分で問いかけてみてくださいね。

まとめ

〇在宅では畑をいっしょに整えるイメージを持つ。

〇「ゴミ」をゴミととらえない。その利用者さんにとって価値があるものもある。取り扱いには注意。

〇看護師は価値観をいったん捨てる。その人を理解しようとゴミ(?)も含め環境から知るアンテナを張る。

【参考文献】
1)中井久雄.こんなとき私はどうしてきたか.東京,医学書院,2007,240p.





社本昌美
訪問看護ステーションふく・ふく代表・管理者/精神科認定看護師
精神科看護に長年魅了されています。地域で水が流れるように精神科看護を浸透させたい!そんな思いで2023年8月に訪問看護事業所を立ち上げました。 訪問看護につながる手前の方にも、よくお話をしに伺います。人生をどのように過ごしたいか、希望はなにか?そんなことを会話のなかから探り、ストレングスの視点でかかわることが大好きです。精神科看護に魅了され、わくわく働ける看護師を多く育成したいと思っています。
時間があると登山をしながら日本中を旅しています。四季折々の日本の山々に包まれて至福のときを過ごしています。