ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。

ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。



ゲスト:あひるのマーチ
新卒でこども病院に就職、NICUで5年勤務。途中、保育士の国家資格を取得した後、血液腫瘍科に異動し、緩和ケア認定看護師の課程に進む。資格取得後に同じ病院に戻り、血液腫瘍科2年、循環器病棟で3年ほど勤務。2023年にこども病院を退職し、地域の子どもの療育や訪問看護の現場に携わっている。

インタビュアー:白石弓夏
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。

限られた入院生活のなかで、子どもらしさってどう支えていったらいいんだろう

白石:
お久しぶりです。以前看護師向けのイベントでお会いしてから、いろいろと状況が変わりましたね。まず、あひるさんが新卒で総合病院の小児科ではなく、こども病院に就職した理由をお聞きしたいです。

あひるのマーチ:
元々、大学の看護学部に入ったときは、漠然と急性期で働きたいと思っていたんですよ。だけど、大学の先輩の誘いで子どものボランティア活動に参加したことがきっかけで、子どもが子どもらしく過ごせる環境ってすごく大事だなとあらためて思いました。病院の限られた入院生活のなかで、子どもらしさってどう支えていったらいいんだろう、そもそも子どもらしさってなんだろうと考えるようになって、小児科で働きたいと興味を持ちはじめました。

一度興味を持つと、もう子ども以外はみたくないと思うようになって。総合病院に行くと、配属の都合でどこに行くかわからなかったし、こども病院ならどこの病棟でも子どもが対象なので、それで就職活動をしていました。

白石:
私も新卒のときは小児科希望で配属されたんですけど、学校の先生や周りから「小児科は技術が身につかないからやめとけ」みたいなことは言われなかったですか。

あひるのマーチ:
うちの大学の小児科の先生が教員の経歴もある先生だったので、反対されることなく、「それだけやりたいんだったらやってみたらいいんじゃない。もしそれが間違っていたと思ったら他の病院に行けばいいんじゃない」と応援してくれていましたね。僕自身も一度決めたらもう小児科の看護師になるつもりでいたし、学年でも同じように小児科希望でこども病院に行きたいと言っていた人がいたので、よく情報交換していました。

白石:
そうだったんですね。あひるさんって、保育士の資格もあるんですよね。それはいつごろ取られたんですか。

あひるのマーチ:
当時は小児がんとか緩和ケアにかかわりたいという気持ちがあったので、NICUで働いて3年目くらいのころに一般病棟に異動したいという希望を出したタイミングで、保育士の勉強もはじめました。看護師で大学を出ていると保育士の資格は実習に行かなくても取れるので。

白石:
看護師と保育士と、なにか資格を取ったあとに考えや行動の変化などはありましたか。

あひるのマーチ:
やっぱり看護師と保育士の視点は違うと思っていて、そもそも看護師として医療や看護のなかだけで子どもをみていくのに不安があったんですよね。絶対に足りない部分があるなって。たとえば、看護師って病気や治療ベースで考えがちなんですよね……。子どもの発達段階に合わせて言葉や身体の使い方が異なること、しかも入院してくる子は発達が遅れている子もいるので、その子にどんな遊びをすることでどういう効果があるか、どれだけ充実した時間が過ごせるかというのは、保育士の視点が大きいなと感じました。

資格を取ってからは、実際に院内にいる保育士さんと意見交換がしやすくなりました。保育士さんの気持ちもすごくよくわかるし、円滑にコミュニケーションがとれるようになって、同じ土俵で話し合いができるようになったのはよかったですね。

白石:
あひるさんはNICUと一般の小児科と両方経験されていますけど、同じく“子ども”をみるなかでもなにか関わり方の違いとかあったりしましたか。

あひるのマーチ:
一番大きな違いだと感じるのは、家族になっていく過程の場所がNICUで、家族があるところからはじまるのが一般の小児科ということですね。NICUでは赤ちゃんがこの世に生まれてきてすべてがはじめての経験なわけで、僕たち看護師がその子にとってはじめての抱っこや授乳、お風呂などを1つひとつ担うわけです。この世界に生まれてきてよかったと、自分のしたことがその子にとっていいものになってほしいと思うので、看護師としてすごく大事な役割だと感じていたところでした。

あとは、赤ちゃんが生まれたからといって自然に母親や父親になれるわけではなくて、家族になっていく過程を支えていくことがNICUでの難しさであり、やりがいでした。最初は抱っこや声かけもぎこちなかったところから、だんだんお母さんやお父さんの顔つきが変わっていくのが目に見えるんですよね。

一般の小児科は、子どもや家族のスタイルができあがっているなかで、病気がわかって治療していく、その病気とどう向き合っていくかという話になるので、全然アプローチの方向が違うんです。家族のスタイルによっては、こだわりや譲れないものがあったり、価値観が固まっていたりして、そこを汲み取りながらこれからどう生活していくかと一緒に考えて支えていくところでやりがいがありました。

「新生児の看護も緩和ケアだよね」という後押し

白石:
あひるさんは、緩和ケアの認定看護師でもありますよね。小児科の看護師では珍しいようにも思うのですが、なにがきっかけだったんですか。

あひるのマーチ:
上司から小児がんや緩和ケアに興味があるんだったら、認定を取ってみたらどうかと話があって。だけど、自分はがん看護の経験がないので、緩和ケアの認定が取れるのかと不安に思っていたんです。そんなときに看護部長さんから、「新生児の看護も緩和ケアだよね」と後押ししてもらって、自分のなかでもすごく腹落ちしたんですよね。自分自身が緩和ケア=がんだって捉えていたんだと。それで、緩和ケアの認定課程に申し込みました。

そもそも子どもは自分で訴えができないところ、どんな症状があってどう苦しいのか、どうしてほしいか言語化ができなかったりすることが大きな特徴なんですよね。また、子ども本人の意思よりも、お母さんやご家族の意思が強く反映されるという現状に課題を感じていました。小児の場合は告知がされないことも多いですし、使える薬の選択肢が少ないこともあって、社会的なリソースの確保が難しいなかでどう支えるか、自分でもしっかりと勉強したいと思っていました。

白石:
実際に緩和ケアの教育課程では小児のことも勉強するんですか。

あひるのマーチ:
いえいえ、それがほとんど学びません。成人ベースのなかでまれに小児……といっても19歳の白血病のぺーパーペイシェント事例くらいだったので、教育課程から実践につなげる部分は試行錯誤しながら苦労しました。そのため、教育課程にいるときから、小児の場合だったらどうするか、どう活かすかと自分のなかの根底にずっとありながら学んでいましたね。実習先の指導者にも小児科の看護師であることは伝えていたので、子どもに応用が効くような道筋を一緒に立ててくれていました。ただ、成人であっても小児であっても、症状マネジメントに関するところは大きく違いはなかったですね。

当時はまだ緩和ケアといったら高齢者のがんベースの内容に偏っていましたし、最近になって心不全が緩和ケアの診療報酬に加わったこともあって、がんだけじゃない動きが広がってきましたけどね。小児の緩和ケアの動きはまだもうちょっと先かなという感覚です。小児緩和という概念自体がまだこども病院でもあまり知られていなかったので。

白石:
実際に認定を取られてからは、病院ではどのような活動をされていたんですか。

あひるのマーチ:
当時は院内の緩和ケアチームがあったんですけど、がんに偏っているチームだったので、自分とは馬が合わなかったというか、最初の2年くらいはチームには入らずに活動していましたね。幸いなことに、看護部長さんや師長さんの理解はあったので、個人活動で別病棟のデスカンファレンスに参加させてもらうなど、小さな依頼はありました。そうした活動をしていくなかで、緩和ケアチームのほうからあらためて一緒にやっていこうと誘われて、チームで活動していくようになりました。

緩和ケアチームの特色によって活動のしやすさってあるんだなと思いましたね。どうしても大きな病院になると、診療報酬や患者数の兼ね合いでがんがベースになってしまうので。もちろんそれが間違っているとは思っていないんですけど、僕としては、がんでもがん以外でも子どもの緩和ケアに携わりたいという気持ちがずっとあったので、がんの患者さんばかり活動するのは、自分のなかの軸がぶれると思ったんですよね。

また、僕が循環器病棟に異動したタイミングでは、緩和ケアに熱い先生がいたので、院内の緩和ケアチームとは別に循環器の緩和ケアチームを立ち上げさせてもらって、そこでも活動していました。最終的には循環器の緩和ケアをメインにやっていましたね。

いつかは地域に出たいという気持ち

白石:
それで今は地域の療育や訪問看護の現場で働かれているんですね。

あひるのマーチ:
そうですね。いつかは地域に出たいという気持ちがあったので、それこそ病院でできる緩和ケアの方向性の違いや限界があって、もっと幅広く横断的に活動したいと思っていたんですけど、そこがかみ合わず……。自分のしたいことは譲れないというか、どっちも大事なので、どこに重きを置くかということで、転職活動をはじめてみたら、偶然にもいいところを見つけたのでトントンと転職した流れです。最初は訪問看護を中心に探していたんですけど、結局当時いた病院とつながりがあるところばかりだったので、そこに行ってもあまり見ている世界は変わらないなというモヤモヤはあったんですよ。なので、ダメ元でいくつかエージェントに登録して、いろいろと自分では見つけられない情報を教えてもらいながら、ここだ!というところを見つけましたね。

白石:
最終的な決め手はなんだったんですか。

あひるのマーチ:
重症心身障害児の受け入れをしている児童発達支援と放課後等デイサービスがメインで、ショートステイも週末だけやっているような施設で、同じグループ内で訪問看護もやっていて、なんだか楽しそうだなというのが一番の理由ですね。実は、訪問看護ステーションでいろいろ調べたときに、小児だけの訪問っていうところでは、男性やからという理由で断られたことがあったんですよ。NICUにいたときも、お母さんの授乳場面などではそもそも男性がかかわることはなかったので。でも今のところは男性もOKで、現場に行ったときのファーストインプレッション、ここで働きたいと直感で決めました。

白石:
10年以上病院で働いていたところから地域に出て、ギャップや仕事をするうえで難しいと感じたことはありましたか。

あひるのマーチ:
医療制度のことは難しいと感じることがあります。スタッフ1人ひとりがわかっていないと、どのような加算が取れるのか、記録なども書けないので、今もまだ勉強中ですね。また、看護師の役割が違うので、慣れるまでは少し時間がかかりました。たとえば、療育施設のなかでも人工呼吸器や吸引、薬など医療ケアが必要な子も多いんですが、主治医や訪問看護ステーションの看護師が指示出しや調整を行っているので、僕らの判断で調整はできないんです。そこは病院と違って難しいところかもしれないですね。自分の施設の役割、看護師としての役割ではないところがありつつ、それでも介入できるところは介入していきたいジレンマもあります。

あとは、もともと病院にいたときも部署を異動していたので、あまり自分のやり方に固執していなくて、郷に入っては郷に従えじゃないですけど、順応しやすいタイプだと思うので、そこは大きなギャップはなくおおむねイメージどおりで地域の活動ができていると思います。元々は重心の子に対する看護も、そこまで興味関心があったわけではないんですけど、いざ地域に出てかかわることが増えてくると、その子たちなりの発信力、表情や動きに驚いて、今ではすごく興味関心があってハマっていますね。

目の前の大人は自分にとって安心できる人だと思ってもらえるように

白石:
それでは質問のカードを準備したので、こちらから選んでください。

あひるのマーチ:
じゃあ右から3番目でお願いします。

白石:
「人とのかかわりのなかで大切にしていることはなんですか」ですね。

あひるのマーチ:
僕の場合は、普段子どもとの関わりが多いんですけど、まずは名前を呼ぶことを意識していますね。当然のことなんですけど、しつこいぐらい「○○ちゃん、○○くん」って呼びます。自分の名前を呼ばれるって子どもにとってすごくいい経験だと思っているので。名前を呼んで、子どもの視界に入って目線を合わせる。そして、目の前の大人は自分にとって安心できる人なんやと思ってもらえるように。そこを一番気にしていると思います。まぁ、これは大人に対してもそんなに変わらないかもしれないですね。対人関係の基本やと思っているので。

あと子どもの場合は、一緒に遊びますね。子どもの好きな遊びを観察して、その子の生活環境を見て、なにが好きなんかなと調べながら、「お邪魔します」って相手の土俵に入っていく感じ。入院中だととくに人見知りしたり、医療者が怖くて目も合わせられなかったりが多いですけど、意外に「横で見ていてもいい?」と聞くと拒否されなかったりして。最初はしゃべりもせえへん、かかわりもせえへんけど、同じ空間で過ごすとか、そういう時間もいいものだと僕は思っていました。すると、あるとき、子どもから声をかけてくれたりするんですよ。それで一緒に遊んで、仲良くなる。そういうかかわりが楽しかった思い出ですね。

白石:
子どもとのかかわり方、打ち解け方って難しいですよね。私も後輩に相談されたらなんとアドバイスしたらいいか悩みそうです。

あひるのマーチ:
そうですよね。僕も感覚でやってしまっているからアドバイスは難しいなと思います。でも、子どもとのかかわりで悩んでいる人は、「○○の話をしてから○○しよう」とか、すごく理屈っぽく考えている人が多いイメージなので、もっと気楽に、子どもに興味を持ったらいい、好きになったらええやんという話はしますね。たぶんこちらが緊張している間はなかなか踏み込めないかなって。その子のことを好きになったら、きっといっぱい聞きたいことが出てくるよって。

白石:
なるほど。たしかに子どもには緊張が伝わってしまいますよね。看護師としての自分と、そうじゃない自分も出さないといけない感覚というか。

あひるのマーチ:
すごくわかります。僕の場合、最初はNICUだったので、お母さんやお父さんと「今日はこんな感じでしたよ」と様子を伝えて、安心してもらうところから自分の役割がスタートしたように思います。それを徹底していくと、やっぱり子どものためを想う言葉って、親にはすごく届きやすいということもあって、一般の小児科に異動したあとも、子どもと仲良くなれば親とも自然と関係性ができあがっていくし、それが結果的にいい医療につながると思っていましたね。

とくに用事がなくとも、忙しい合間にも顔だけ見に行くとか、廊下で通りかかったときに「元気?」「今日はなにしてるん?」というちょっとした声かけとか。それだけでも子どもにとってはうれしかったのかなと、自分としてはそういう小さな工夫もしていましたね。子どもって素直なので、こちらも素直に誠心誠意向き合うのが一番かなって思います。

迷ったり、戻ったり遠回りになっても、やりたいことはやったらいい

白石:
それでは最後の質問です。「後輩の看護師に伝えたいことはなんですか」です。

あひるのマーチ:
個人的にはやっぱりやりたいことはやったらいいって一番思っていて。僕の場合は、新卒からそもそも小児という狭い世界に進んでいき、かつ小児の緩和ケアというニッチな分野に進んで病院から地域に出てきたんですけど。活動するフィールドは変わっても、自分のなかの軸になる子どもを支えたいというところがあったので大きくブレずにやってこられたなと思います。

やりたいことが明確にあれば、それを周りにも知ってもらうことで、サポートしてくれる味方も増えてくると思います。進んだ先で迷っても、戻ったり遠回りしたりしても全然構わないと思うので、不安があるかもしれませんが、やりたいことをやったらいいと積極的に伝えていきたいです。

白石:
あひるさんのなかでも、迷ったり、戻ったり遠回りしたタイミングってあったんですか。

あひるのマーチ:
1度迷ったタイミングはありましたね。それはNICUから血液腫瘍科に異動するときかな。異動したいとずっと言い続けていたんですけど、「もう1年おってほしい」と言われてなかなか異動できずにいて、結局5年目でプリセプターやリーダー業務とかを一通りやるまでいました。最終的には、3月20日ごろまで異動の辞令が出なかったので、「さすがにこのままであれば僕はもう来ません、辞めます」って話を上司にして、人事を変えてもらいました。

もしそのときに辞めていたら、保育士の資格があったので保育園の看護師になるか、あるいは小学校の教員になるといった道を選んでいたかもしれないですね。子どもの教育の基礎となるところだし、そうしたところから子どもにアプローチしていくのも面白いと思っていたので、当時はそういうことも考えていた時期でもありました。

白石:
あひるさんの場合、子どもにかかわるところを広く考えていますけど、今後将来的にこういうアプローチを考えているとか、なにかあったりするんですか。

あひるのマーチ:
今は地域にいるので、小児の緩和ケアの地盤を整えたいですね。がんや看取りの緩和ケアに限らず、子どもたちが感じる苦痛を少しでも減らしたいです。まずは、小児の緩和ケアという言葉自体がまだまだ知られていないので、いきなり地域でというよりは、病院や医療施設からはじまって地域に推していくという流れをどこかで作りたいですね。そうした活動を学会などで報告して全国に広げてつながっていけたらと思います。

元々、小児の専門看護師になって緩和ケアをメインの分野にするか、緩和ケアの認定看護師を取って小児を専門にするか、自分のなかで迷っていたんですが、専門看護師は研究ベースになっていって、小児専門で緩和ケアだと先行研究が少なすぎてそもそも研究にならへんと思ってしまい……。そこで、緩和ケアの認定を取って小児を専門にしたほうがデータが集まりやすいのではないかと考えたんです。その1つひとつのピースを実践で集めるところからやっていきたいです。これが今考えている今後の方針ですね。

白石:
なるほど。緩和ケアの認定で小児を専門にする、まずは実践で。

あひるのマーチ:
そうですね。どうしても病院にいるときよりは症例数などは減ってしまうと思うんですけど、地域では心不全の子も多いし、心不全が緩和ケアの枠に入ったこともすごく大きいですね。循環器の病棟で経験を積んでいてよかったなと思います。先天性の心疾患で、もう少し体重が増えて成長したら手術をするとか、年単位でフォローしている子どもが多くて。その手術を待つ合間の期間を僕らがみているので、地域でどう支えるかというのは、地域の医療者の役割だと思いますね。

白石:
そうだったんですね。ちなみに、あひるさんはなんで看護師になろうと思ったんですか。

あひるのマーチ:
僕は5歳のときに阪神淡路大震災を経験していて。震源地の近くだったので、家も全壊して道端で怪我をしている人がいっぱいいる光景が記憶に残っているなかで、人の命って儚いものだと幼いながらに感じていました。当時は医者になりたかったんですよね。だけど、中学生くらいのときに、なにがきっかけだったか……。病気を治すだけでなく、病気があっても自分らしく生きていくことを支えるという発想に変わって。その後の生活を支えるほうがいいじゃんって、それで親に反対されながらも看護大学に行きました。看護って幅広い概念の言葉だから、なんでもできる、面白いなって思ったんですよ。それがきっかけです。

白石:
え、中学生のころ、なにがきっかけだったんでしょうね。

あひるのマーチ:
もしかしたらあれかな、当時読んでいた漫画『ONE PIECE』でチョッパーが「おれが万能薬になるんだ!」って叫ぶシーンがあるんですよね。あの言葉は当時すごく響いたんですよね。僕の医療者人生のなかで根源にあるすごく好きな言葉です。

白石:
あ~~~私も世代ですね。まさかONE PIECEのチョッパーからだったとは。今日は小児の緩和ケアのお話など、普段あまり聞けないお話をありがとうございました!

インタビュアー・白石弓夏さんの著書



Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~

Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~
私もエールをもらった10人のストーリー


今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。 さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。

目次


◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏

発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
▼詳しくはこちらから