ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。
ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。
衛生看護科、専門学校を卒業後、20歳で看護師になる。最初は地域の小規模病院で勤務し、3年目に総合病院へ転職(産婦人科、HCU配属)。5年目に元の病院に戻り、認知症看護認定看護師資格を取得。精神科リエゾンチームを立ち上げ、その後は老人看護専門看護師を目指して大学院進学。コロナ禍で看護師育成のため新設された育成担当の師長に就任。現在は認定看護師活動と院内看護師育成に携わっている。
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。
私の人生、今行かないと私が後悔します
白石:
福島さん、はじめまして。以前からこちらの企画の感想を書いていただいたのを目にしていまして、お話ししたいな~と思っていました!さっそくなんですが、福島さんの看護師としてのこれまでのご経歴について教えていただけますか。
福島:
私は高校の衛生看護科を卒業後に、2年の専門学校を卒業して、20歳で看護師になりました。最初は110床ほどの地域の病院に就職して、一般病棟で勤務しました。3年目のころ、次の年にプリセプターをやらなくちゃいけないなと思ったとき、これまで経験してきたことはたくさんあるけれど、その経験で私が指導できるのか不安になり、総合病院に転職したんです。総合病院では産婦人科に配属されて、その後HCUに異動になりました。
産婦人科に配属されていきなり「モニターつけて」と言われたときは、私の中でモニターというと12誘導や心電図モニターのことだったんですが、産科では赤ちゃんの心音や子宮収縮をモニタリングする機械(NST)だったのでいろんなことの違いに驚きました。その後HCUに異動になって、看護師5年目のときに最初に就職した病院に戻りました。
白石:
最初に転職するとき、戻ってくるつもりだったんですか。
福島:
そうですよ。私はちゃんと「戻ります」と言ったんですけど、それでもけっこう揉めました。病院からしたら新卒で入って、それなりに大切にしてもらったなかで「なんで辞めるんだ」となったんですが、どうしても不安だったんです。看護学校では「大きい病院に行きなさい」と言われてきました。今なら、私は地域の病院に就職して良かったと思えるんですけどね。今の若い子たちにも「うちだからやれることがあるから来てほしい」と思っています。そうは言っても、当時の自分自身はすごく不安で、「自分がしっかり教えられるようになっていないのに、どうやって教えよう」と思って転職を決めたんです。病院からは「今じゃなきゃダメなの?」と言われましたが、「私の人生、今行かないと私が後悔します」と言って辞めました。
白石:
かっこよすぎますね……!それで、戻ってきてからの福島さんはどのように働かれていたんですか。
福島:
戻ってからは病棟で働いていました。地域の高齢化もあって、認知症患者さんへの組織全体のケアを向上させるにはどうしたらいいかと考えていたときに、認定看護師の話をいただいたんです。そして、認知症看護認定看護師の教育課程に進み、認定看護師になってすぐに院内で精神科リエゾンチームを立ち上げました。リエゾンチームの事例は複雑なことが多く、倫理調整やチームメンバーの教育も必要だと思い、大学院の老人看護専門看護師コースに進学しました。2024年度末で修了です。それから、コロナ禍で病棟の看護師の離職が急増し、看護師の育成を整えるために、新しく育成担当の部署を立ち上げることになりました。私はその師長になって、今は院内外の認定看護師の活動をしながら、院内の看護師育成に携わって2年経ちます。
「こういう先輩になりたい」 新人時代の経験と理想の看護師像
白石:
最初の後輩指導への不安もありながら、転職の決断は大きかったと思います。なにか自分のなかで目標とする先輩像があったんですか。
福島:
新人のときの先輩がとにかくすごくて。私がこの病院に就職してここで良かったなと思えたのは、当時のチームの主任さんがいたからなんです。「こういう先輩になりたい」と思える先輩でした。その先輩は新人の私がやりたいことを受け止めてくれて、大事なことはちゃんと教えてくれました。
白石:
その先輩は、たとえばどういうところで「受け止めてくれた」と感じたんですか。
福島:
新人のときって理想はあるけど、できないこともやっぱりありますよね。たとえば、患者さんの希望を叶えたいと思っても、先生との調整や家族との話し合いなど、スキルが全然なくて。でも先輩は、私が患者さんから拾った言葉を大切にしてくれて、「福ちゃんならやれるから、一緒にやるよ」と言って、先生や家族に一緒に相談してくれました。先輩がぐいぐい進めるわけじゃなくて、私がそれを進められるよういつも相談に乗ってくれて、後押ししてくれました。「担当の看護師が言っているんだから、先生もちょっと協力してください」と言ってくれるような先輩でした。本当に自己肯定感を上げてくれる先輩だったんです。
白石:
うわぁ、素敵な先輩。その先輩は今もいらっしゃるんですか。
福島:
その先輩は今、同じ系列の施設で働いています。たまに連絡を取って相談しています。一緒には働いていないけれど、関連施設なので「今こういうことしているんだってね」と温かく見守ってくれる感じです。
白石:
福島さんが今の自分では不安だと、経験を積みたいと思って転職した総合病院では、自分が目標としていたプリセプターや教育に関することの経験は積めたんでしょうか。
福島:
自信を持って教えられるようになりたいという目的で転職したので、そういう意味では視野が広がりました。とくにHCUのときは、本当にみんなのモチベーションが高くて、みんな当たり前に勉強していました。常に勉強する癖がついたというか、楽しく学びました。病棟とは違って医師も常にいるので、医師も含めてみんなで勉強したり教えてもらったりする環境があったと思います。
白石:
そこを2年ほどで戻られたのはなにか理由があったんですか。もしくはこれができたら戻ろうと思って決めていたこととか。
福島:
最初の予定では4~5年ぐらい経験を積んで戻ろうと思っていました。でも主任さんや、良くしてくださった先輩から「育てたいと思っていた後輩たちが、あなたが戻るころにはもう辞めちゃうかもしれない」と言われたんです。「のんびりしてられない、戻るしかない」と思って2年で戻りました。
認定看護師から大学院進学へ、葛藤と成長の道のり
白石:
戻られてからは、実際にプリセプターや教育に携わる立場になられたと。
福島:
そうですね。プリセプターもそうだし、HCUにいた経験があったので、看護に限らず、同世代の看護師や医師、事務などの他職種で自主的に集まって事例検討会のようなこともやっていました。患者さんから学べることは多いと思っているので、目の前にいる患者さんのことでうまくいかなかった事例、うまく消化できなくてもやもやっとした事例など、わりと若手の医師はよく話をしてくれて、「あのときこういう風に声かけできたらよかったかも」「こう動いていれば……」と、答えがはっきりないなかでも振り返りをしていました。
白石:
すでに育成担当のような役割をそのときから担っていたんですね。そういうこともあって認定看護師の推薦もあったんでしょうか。
福島:
おそらく突き進む力みたいなものはあったのかなと思うんですけど、その一方で思いが強すぎてぶつかることもそれなりにあったと思うんです。認定看護師になってからとくに最初の2、3年は本当に葛藤がありました。自分が知識や技術を得たことで、簡単に変えられない現実をより感じることもあって。小さい病院で認定看護師は私ともう1人の先輩だけだったんです。なにかを作り上げなきゃいけない、切り開かなきゃいけないという勝手な使命感があって、すごく苦しかったです。そんな思いもあって大学院に進学しました。
白石:
その葛藤から、大学院に進学したことでなにか考え方が変わるきっかけがありましたか。
福島:
大学院に進学したことと、翌年に育成担当の立場になったことは自分にとって大きな転機でした。大学院では教育のこと、管理のこと、看護学について勉強し、学んだことをすぐに実践して、それをまた先生にフィードバックしてもらえる環境がありました。ちょうど1年間実践しながら学んでいるときに、育成担当師長という立場をもらって、研修プログラムなど新しく作ることになりました。大学院での学びがあったからこそ、それを評価してもらい、自分自身も学んだことが生かせていると実感できました。
育成担当師長として、新たな教育プログラムの挑戦
白石:
育成担当として、今はどのような取り組みをされているんですか。
福島:
今の若い看護師さんは社会的な経験が少ないと感じています。だからとにかく『場』をいっぱい作るようにしています。私たちの病院では、2年前から新人さん全員を外来部門に配属するようにしました。あえてすぐに病棟には行かないという方針です。うちは小さな病院で、新人は5人と決めているのですが、5人全員を違う部署に配属しています。これには理由があって。同期は大切だけど、一緒にいると比べ合ってしまったり、先輩が無意識に比較してしまったりするんです。みんな大切だから「その部署みんなで1人を大切にしてください」と言っています。
1年目の4月には集合研修で、多職種研修として、全職種のシャドーイングをしてもらいます。医事課や医師の診察・往診について、検査や放射線部門など、まずは知るところから始めます。学校で勉強してきたことを実践としてちゃんと理解してほしいという思いからです。気づく場をいっぱい作り、気づいたことを振り返り研修で共有することで学びを深めています。
5月からは外来、透析、訪問看護、診療所などの部署に配属して、いろんな経験をしてもらっています。ただ、同期がいないと寂しいものなので、毎月2回は必ず集合研修をやっています。2年目になるまで毎月必ず実施していて、そこはピアサポート的な意味も込めています。話す場を公式に作って、そこでの会話から気づきや学びが生まれると思っています。
白石:
なぜそのような新人教育の方法を選んだのですか。
福島:
正直、研修で学べることってニーズと合わないと本当に少ないと思っています。その子たちのモチベーションにすべて合うとも限らないから。だから機会を作ることを大事にしています。その機会を自分のものにしてほしいということを、いつも新人さんたちに伝えています。教育方法については看護部長と話し合って決めました。看護部長も在宅や訪問看護、デイサービスの経験が長い方で、「生活」をすごく大事にされていました。私たちの地域の病院ではプライマリ・ケアを進めているので「患者さんが生活している人だということを理解できているだろうか」というところから始まったんです。
新人さんは学校で地域包括ケアを習ってきていても、病棟に配属されると病棟にいる人だけを見てしまいがちで。その人がどんな生活をしていたか、どうやって病院に通っていたか、どうやって病気と付き合ってきたかが見えないまま退院支援をするのはハードルが高いと思ったんです。だから1年目でちゃんと学校で習ってきた地域包括ケアを実践の中で理解してもらうこと。また、ベテランの看護師さんたちが、長く病院で働いている理由や病院の良いところを語ってもらって、それを感じてもらえたらいいなと思ったんです。だからあえてベテランの人が多い外来部門に配属することにしました。
頑張ってるねと思えるようになった
白石:
ご経歴のところ気になるところがたくさんあるのですが、一旦ここで本題に。こちらの質問のカードから好きなものを選んでください。
福島:
右から2番目で。
白石:
「今の自分に声をかけるとしたら、なんと言葉をかけますか」ですね。あれ、久しぶりに出たカードかな。
福島:
なんだろう~。あ、でも「頑張ってるね」と言いたいです。「頑張ってるね」とやっと思えるようになりました。あんまり思えなかったんですよ。やってもやってもうまくいってない感じがずっとあって。それが認定に進んだり、大学院に進学したりして、学び方がちゃんと身についてきて、学んだことの生かし方もわかってきて。ただ自分を励ますためだけの「頑張ってるね」じゃなくて、本当に心の底から「頑張ってるね」って言えるようになりました。
白石:
それは大きな変化ですね。大学院でのどんな経験がどういう風に影響して、自分のことを認められるようになったんでしょう。
福島:
大学院に進学して、育成担当になって気づいたのは、1人じゃできないことが多いということです。私の役割はあくまで実践する人たちをどうやって支援するかということだと思っています。その仲間を増やす。もちろん、思いだけではできないことも多いですけど、思いは大事です。思いが伝わるからやってくれることもあるし、かといって思いが強すぎると相手が引いてしまうこともあります。大事なことはちゃんと言うけど、やる人たちのペースに合わせながら、こちらがやってもらいたいこと、組織の方針とかをどうやって実現するかを考えるようになりました。
患者さんに対する医療だけじゃなくて、組織や病院全体の運営も含めてみんなでやっていくための自分の知識の広げ方とか、伝え方がうまくできていなかったと思うんです。とくに看護部長は私が学んで実践していることに対して、フィードバックしてくれるのもあって。その繰り返しのなかで自分ができていると思っていたことが実はできていなかったと気づくことがありました。大学院進学前に比べたら、うまくできるようになってきたんじゃないかって思います。
白石:
それは確かに頑張ってる!先ほど、育成担当の取り組みのお話もありましたが、看護師のみならず多職種も含めてシャドーイングなどの準備は大変そうですよね。
福島:
そうなんですよ。今のポジションのパワーを使って、師長会議や課長会議で必ず提案して、「看護部でこういう研修をやります。こういう意図があるので、ぜひ担当になった人は自分のことを語ってください」とお願いしています。なにが大変でなにがうれしくて、どんなことに気をつけて患者さんと接しているかなど、どんどん語ってもらうようにしています。フィードバックも大事にしていて、研修の感想はすぐにその部署に返すようにしています。「医事課の人たちがこんなに患者さんのことをよく見ているんだと、すごく感動していました」などと伝えると、受け入れてくれた側もすごく喜んでくれるんです。新人さんを受け入れてもらう土台づくりを意識しています。
白石:
新人教育のみならず、多職種連携の一歩としてもいろいろないいことがありそうですね。そうすると、ベテラン看護師の方たちにもなにか反応や変化はありますか。
福島:
特に外来部門のベテランさんたちは「今の子たちにそんな教えられない」「若い子が来ても、私たちのころとは全然違うから無理」と最初は言っていました。でもいざ受け入れると、教えるために自分も勉強しなければいけないことに気づくんです。新人さんに質問されたら答えなければならない、そのために勉強しなければと思うようになります。そこで「思考発話」や「臨床判断ティーチング」など教育方法をこちらからも伝えて、「こういう方法がありますよ」と研修もしています。
ただ、師長さんたちの壁はまだ難しいですね。私は師長2年目で一番年下なので、ベテランの師長さんたちにどうやって「思考発話」のようなことを伝えていくかが課題です。現場の若手のほうがもしかしたら新しいことへの反応も早いかもしれないですね。
答えがすぐに出ない、教育に通ずること
白石:
福島さん、育成担当の師長もそうですけど、リエゾンチームの活動もあるんですよね。その経験は教育活動にもつながるものってあるんですか。
福島:
そうですね。リエゾンチームの活動は難しいことが多いです。たとえば、患者さんの精神状態が不安定だと病棟から相談があるんですが、実際には環境要因、とくにスタッフとの関係が影響していたりします。夜勤の時によく聞く「このスタッフのときは穏やかなのに、別のスタッフのときは荒れる」といった状況ですね。じつは、こういった複雑な問題を、すぐに解決しようとしていた時期がありました。大学院進学前の葛藤の時期ですね。でも今は「変えられないこともある」「すぐに答えは出ない」ということをだんだんと受け入れられるようになってきました。それでも話を聞いて、「ちょっとこれを試してみて、また来週一緒に評価しよう」と伴走することが大切だと言えるようになりました。
これは教育も同じだと思います。すぐに変わらないし、すぐに成果が出るものではない。今の教育プログラムも成果が出るのに、5年くらいは時間がかかるだろうと思っています。5年後に今の子たちが定着していて、やりたいことをやれているかどうかで初めて評価できるのかなと。そういう意味で、育成担当師長として頑張るとリエゾンチームの活動にも効果があるし相互的なものがありますね。
白石:
そういった「待つ」「耐える」姿勢というのは難しそうですね。ネガティブケイパビリティを思い出しました。私なんかはとくにせっかちなので。
福島:
私自身もせっかちなタイプなので、すごくわかります。ネガティブケイパビリティも勉強しました。私の場合は活動が分散していることも大きいと思います。リエゾンチームの活動、育成担当、認定看護師としての活動など、いろいろなことをやっているから、ひとつのことに対して100%の思いをぶつけないでいられるのかもしれません。「100%リエゾン」「100%育成担当」という感じでそれぞれに全力を注げないから、むしろ良いのだと思います。ひとつのことにとらわれすぎないで、切り替えながらやっていくことも大事かもしれませんね。
すべての経験がつながる、後輩に伝えたいこと
白石:
まだまだいろいろお聞きしたいことはあるのですが、ここで最後の質問になります。「後輩の看護師さんに伝えたいことはなんですか」です。
福島:
経験とつながりを大切にしてほしいなと思います。今の自分は自分が作ったものだけじゃなくて、いろんな人の影響や経験があるからだと思っています。患者さんや家族、病院や友だちなど、いろんな人がいてくれて今の自分があると思うと、1つひとつの経験や機会は全部大事にしたいと思っています。
私は30歳になるころに師長の話をいただいて、正直引き受けたくない気持ちもありました。自分には荷が重すぎると感じたんです。でもそれでも受けたのは、選んでもらえたことへの感謝と、この機会がありがたいと思えたから。この機会を大切にするにはどうしたらいいだろう?と考えたときに、まずは自分ができることをやってみようと思えました。経験や機会を大切にすると、その先には知らない間に自分が目指すものとか、自分に合う場所が見つかると思います。そのときは苦しくても、経験やつながりの先にはきっとなにかがあると思っています。
白石:
福島さん自身も多くの出会いや経験で今があるんですね。
福島:
じつは今の病院に就職する予定ではなかったんです。学生時代に医療系学生のサークル活動をしていて、そこで「どんな医療がいいんだろう」と話し合ってきたことが自分のベースになっています。そこで一緒にやってきた先生たち(医学生)との出会いがあって看護師になれたし、今の病院に就職したし、人に教えることに興味を持ったし、認定看護師になりました。認定看護師になったから今のままじゃ足りないと思って大学院に進学した。その時の自分の選択や経験があったからこそ、今の自分があると思っています。
白石:
福島さんが語ると説得力が増しますね。ちなみに、育成担当としてなにか今後の目標はありますか。
福島:
一番の目標は入職した子たちがネガティブな感情で辞めないことです。結婚や出産、引っ越し、キャリアアップなどで辞めるのは背中を押したいですが、「やりたいことが違った」といった理由で辞めてほしくないんです。私たちの病院ではプライマリ・ケアを推進していて、小児も高齢者も精神科も在宅も透析もある。だから今の社会的問題になるようなことを割と網羅できていて、どこに行ってもベースとなる力がつけられると思っています。
そういう意味では、新卒で採用した子たちが2年間、誰も休むこともなくステップアップしてくれているので、目標を達成できそうな手応えを感じています。これからもやりがいをもって働き続けられる環境づくりを大切にしていきたいですね。
白石:
福島さんの育成担当の取り組みについては、ワクワクするようなお話がたくさんでした。今日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。
インタビュアー・白石弓夏さんの著書

私もエールをもらった10人のストーリー
今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。
さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。
目次
◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏
発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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