ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。

ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。



ゲスト:田中亜利砂
専業主婦を経て看護師に転身。がん専門病院、美容皮膚科、大学病院の混合病棟、総合病院の外来などで勤務。看護学修士課程、医学研究科博士課程で研究に従事し、研究員として活動。一般企業の新規事業開発部でも勤務経験あり。2024年9月に株式会社Picto Care設立、代表取締役として介護施設向けピクトグラムのアプリ開発、コンサルティング、DX研修を行う。

インタビュアー:白石弓夏
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。

看護師として働く前と、肌に合わなかった看護師1年目

白石:
亜利砂さん、お久しぶりです!実は昨年から1年間、社会課題の解決を目指して起業する医療介護福祉従事者のコミュニティ(HEAP)でご一緒していて。今日は研究と起業と、ちょうど今頑張っている亜利砂さんとお話しできればと思ってお声かけしました!まずはこれまでのご経歴からお聞かせください。

田中:
私は看護師になる前、早くに結婚をしてずっと専業主婦で子どもを育てていたんですけど、そこでキャリアは一旦ストップしていました。子どもが小学校に上がるタイミングで、手に職をつけたいと思って。母も看護師だったので、そのときに一般受験をして当時の短期大学に入って、3年間看護学を学びました。

白石:
看護師になる前には別のところで働かれていたこともあるんですか。

田中:
いえ、まったく働いたことがなくて。ずっと子育てに専念していました。高校を出て結婚して、その後子どもができて。離婚して一旦実家に戻ったというのもあって、「仕事でもしようかな」と考えました。親は看護師の仕事が大好きで、仕事の話はずっと小さいときから聞いていました。あと、自治体の制度でひとり親の子どもが進学するときに、看護師という資格だと給付金がもらえるのも後押しになりましたね。

白石:
それから看護師として最初はどのようなところで働かれていたんですか。

田中:
最初に入った病院は、がんの専門病院です。胃がんと肺がんと眼科の混合病棟でした。最初は大手に就職したほうがいいよと言われたので、その選択を取ったんですけど、私の肌に合わなくて……。今日、「肌に合わなくて」って言葉が何度も出ると思うんですけど(笑)。1年で辞めて、その後は美容皮膚科に行きました。

白石:
「肌に合わなかった」というのは、どんな場面でそう感じたんですか。

田中:
もうたくさんありますね。よくSNSで言われているように、人間関係の悪さをフルコースで経験しました。先輩がめちゃくちゃ怖いし、そうなってくると同期もギスギスしていて。観察をミスすると「あなたがこの人を死なせたら何億かかると思ってるの」と脅されて夜勤中ずっと詰められたり、看護系の本に載っていないような、専門的すぎることを逐一聞いてくる教育担当がいたり。年齢が上で入ってきているので「生意気だ」みたいなことを言われることもありました。だから、途中からリエゾン看護師さんに間に入ってもらったり、外部の人にどんどん職場の状況を見に来てもらったりしましたね。外部の人が来ると、先輩が詰めなくなるんですよ。

白石:
なんでそのような状況がまかり通ってしまっていたんでしょうかね。

田中:
正直、教育者がちゃんと教育を受けないまま教育者になっている現状が横行していて。当時の私は、情報の非対称性で「私がわかんないのがいけないんだ」と思って、ずっと泣きながら勉強していたんですけど。あるときからちゃんと見てくれている先輩も現れて、「田中さんはたぶん目をつけられているから」とフォローしてくれることもあって。本当に外見とかそういういわれのないところですごくいろいろ言われる、つらい1年でしたね。今考えるとパワハラだったんだなと思います。

現場での気づき、「これって看護師じゃなくてもいい」タスクの問題

白石:
その後はどのような場所で働かれていたんですか。

田中:
美容皮膚科は半年ぐらい働いて、肌に合わなくて「病棟に戻ろうかな」と思いました。一通り施術もできるようになったし、もうやりきった感もあったので。その後に大学病院の緩和医療科と脳神経外科と消化器外科の混合病棟に勤めました。ここは2年半ぐらいいたのかな。途中ちょっと腰を痛めたりして休んだ時期もありましたが。

そのころにちょうど子どもの中学受験と重なったのと、病棟もすごく忙しくて、子どもの教育にフォーカスしたいと思って辞めて、夜勤のない病院の一般外来と化学療法室に転職しました。ここも2年ぐらい。お給料はめちゃくちゃ少ないけど、働き方も柔軟で、病院の給与制度の関係で1カ月丸々休む月を年に2回取らなきゃいけなくて。私にとっては、子どもが受験で塾の送り迎えとお弁当を作らなきゃいけなかったので、すごく助かりました。

でも、外来は本当に忙しすぎて、患者さんにきちんと向き合えていない状況でした。とくに一般外来ではがんの告知が毎日当たり前のようにされていて、なんだか事務的になっている自分がすごく嫌だったんです。

白石:
事務的になっていたとは、たとえば。

田中:
外来に行ったときはある程度私も看護師として経験があったので、「これは看護師じゃなくてもできるよね」と思うことが多かったんです。電話を受ける、予約外の時間変更、検査を受ける人への説明と、これって看護師じゃなくてもいいですよね。でも、がんの告知後の衝撃で立ち上がれない患者さんがいて、この人のケアは私がやらなきゃダメなのに、なんで私は予約外の電話を受けているんだろうってすごく疑問に思って。このシステムおかしいって。

虐待事例などもあったんですよ。看護師なら説明していて「あ、この人虐待されているかも」とわかるじゃないですか。そういう人にこそ時間をかけなきゃいけないのに、「田中さんは1人の患者さんに時間をかけすぎる」とレッテルを貼られちゃって。「こっちのほうが重要じゃないですか」と言っても、「胃カメラの患者さんの説明、こんなに溜まってるんだから」と言われて。そこがつらかったです。師長さんとか認定看護師さんは理解してくれていたんですけどね。

そんな経験から、「私は本来、このケアを、この人を支えるために看護師になったんだ」と、今でいうタスクシェアの部分が私の中でだんだんとクリアになってきて、大学院に入ろうと思って受験勉強を始めました。

白石:
なるほど。亜利砂さんは、なんでこんな状況になってしまっていたんだと思いますか。

田中:
業務として仕事している人が多いというのが問題だと思っています。でも構造上仕方ないというか、医療のヒエラルキーの中で看護師という仕事を見ると、医師の指示の下に動くというのが前提条件としてあります。その教育をされてきているので、上から言われたことに従うというのが、そもそも教育として刷り込まれていると思うんです。私も起業してから、いまだにイノベーティブじゃないなって思うことがすごく多いです。

3~4年間、みっちり国家試験まで受けてプロフェッショナルとしてやってきた人間が、事務仕事に時間をいっぱい割いているというのはおかしいなと思っています。看護師長レベルとかの中間管理職レベルはそれをわかっていても、忙しいなかで人も少なくて。スタッフも、看護師の仕事とはなにかがよくわからないまま働いてしまっている人がすごく多いなと思います。「忙しすぎて」ということで片付けてしまいがちですが、その「忙しい」をつくり出しているのも一因は看護師にあるかもしれない。なんのために看護師になって、なんのために一生懸命、国家試験を通ってきたんだというところを、考えながら働ける職場にしたいなと思いましたね。

大学院進学を決めた理由、現場の課題を解決したい

白石:
それで、現場での課題感から大学院に進むことを決めたんですね。

田中:
そうですね。総合病院の一般外来と救急外来で働きつつ、子どもの受験もフォローしながら、大学院の勉強も始めました。子どもの中学受験と私の大学院の入試がちょうど同じタイミングで、2人で入学という感じになりました。修士は2年間通って、そのときは看護師のキャリアとしては採血バイトだけをしていました。朝起きて近くのカフェで勉強して、採血バイトに行って、午後から大学で休みなくがっつり研究するみたいな生活で、一番生活が苦しかったけど、すごく充実した2年間を過ごしました。

だけど、2年間じゃ研究が終わらないなと思ったので、今度は別の大学の博士課程に進みました。修士のときは看護学研究科だったんですけど、看護学だけだとすごくやることが狭いなと思ったので、医学研究科に行って、もっと広い視点で地域医療とかを支えられる仕組みづくりをしたいなと思ったんです。

白石:
大学院ではどのような研究をされていたのですか。

田中:
修士の2年間は、まさに私が現場で感じていた課題を解決したいと思って研究していました。外来のがん患者さんを支援する看護師の取り組みのシステムがおかしいのでは、というのが私の研究仮説としてあったので、全国のがん拠点病院の外来看護師にアンケートを取りました。「主観でいいので、がん患者さんの支援をきちんとできていると思いますか」というような内容です。

身体のケアと治療方針のケアは7~8割できていると思っているスタッフが多かったんですけど、心と社会参加に関しては6割程度低かったというデータが出ました。自由記述では「プライバシーの保たれていない個室で告知が行われている」とか「忙しいなかで、本来ならこの患者さんにきちんとケアすべきなのにできていない」というのが多くて、私と同じことを考えている人がいたことに救われました。

それを学会で発表して。さらに、私が着目したのが、アメリカで始まっているキャンサーナビゲーター(日本ではがんナビともいわれている)というシステムです。患者さんや地域の住民の方が教育を受けて、リテラシーを上げた段階でテストを受けて合格すると、その人は有償ボランティアとして病院に入り、患者さんの困りごとや外来の予約などを全部サポートしてくれます。看護師が本当に看護師らしい仕事ができる、そういうタスクシフト・タスクシェアが起きているんですね。これを日本に持ち込みたいなと思って研究していました。今もがん治療学会やキャンサーネットジャパン(CNJ)はその制度を作って継続してやっているので、もっと広がればいいなと思っています。

起業の道へ、研究だけでは変えられない

白石:
そこから大学院を経て、今度は起業を決めたきっかけはなんだったんですか。

田中:
会社を起こしたのが2024年の9月です。研究だけやっていても、私が病院で感じていた事務仕事の多さは変えられないなと思ったので。ちゃんと会社を作って、それを専門で自分がやろうと一昨年ぐらいから考えていました。博士課程のときはわりと研究がゆったりできたので、社会人経験みたいなものもやろうと思い立って。最初はボスの研究室の研究員として2年ぐらい働いていたんですけど、一般企業でも勤めてみたいなと思い、ある会社の新規事業開発部で10カ月働きました。医療分野を任せてもらって、新規事業を立ち上げたり、エンジニアとしてC言語を学んだりしていました。

あとは、修士の研究をやっていたときに、ピクトグラムで現場の検査説明などを簡略化できないかというのを何人かの研究者と一緒に考えていました。ディスカッションするなかで「これは介護に使えるな」と思ったんです。博士課程の指導教授がやっている分野が介護だったので、研究員をしながら、現場の課題感をもっと深掘りしていきました。

2018年から厚労省がLIFE(科学的介護情報システム)という大規模データベースを作って、利用者さんの数値データを入力すると加算が取れる仕組みができていました。そのなかの1つに、ADL(日常生活動作)の尺度であるバーセルインデックス(BI)を入力すると報酬が入る「ADL維持等加算」というものがあります。これはすごくいい取り組みだと思いました。利用者さんの状態を介護士さんたちがデータで評価しながら、そのデータを基にケアを組み立てていくというのは、今まで介護業界であまりなされていなかったことです。ただ、この加算自体も全国の申請できる施設の4%ぐらいしか取っていませんでした。

国の制度としても、医療介護費がひっ迫していて、健康で長く生き続けてほしいという自立支援の方針があり、そのためにはアウトカムの視点も含めた評価の流れがあります。ここは伸びるぞと思って、人の動きを評価するならピクトグラムが一番親和性高いんじゃないかということに気づきました。そこで特許の出願をして、研究計画も立てながら、研究費も取りました。賛同してくださる方や支援してくださる介護施設が出てきて、資金的にもなんとかなりそうだなとなってきたので、起業することにしたんです。

白石:
なぜ研究ではなく、事業としてやろうと思ったんですか。

田中:
研究だと売れないんですよね。売らないと意味がないと思っていて。お金をいただいて価値を提供するという等価交換はビジネスの基本だし、そこはボランティアじゃないので。いつまでも実証をやっているつもりもないし、現場にちゃんと価値を届けたい。そのためにお金もかかります。ちゃんとお金をいただくエコシステムを作りながらやっていきたいなと思ったら、起業という道が一番だと思って、ボランティアではなくビジネスでやることに決めました。

「〇〇〇〇」から解放されたい、本質的な仕事へのこだわり

白石:
それでは本題の質問に移りましょう、こちらのカードから好きなものを選んでください。

田中:
真ん中のカードで。

白石:
自分がこれだけはやりたくないことはなんですか」ですね。亜利砂さんは、はっきりとありそう。

田中:
私がやりたくないこと、今は経費精算です(笑)。あれほど無駄なことはないと思っています。研究でも企業でも、経理担当とよく喧嘩しますね。「これは私の仕事ですか?」って。企業が大きくなればなるほど、経理の申請システムが複雑になるんですよ。出張に行く前に出張申請書を作って、その後出張報告書を作って、新幹線の切符も領収書じゃなきゃいけないとか、もう面倒で。一番怖いのは、経費精算をやると「仕事した気になる」ことです。でも本質の仕事はなにも進んでいない。本当に無駄だと思います。これは経理課の仕事でしょ!みたいな(笑)。

白石:
計算や書類が苦手だからという気持ちではなく、本質の仕事が進まないのが嫌なんですね(笑)。でも起業されたばかりのタイミングって、そういうところは最後まで自分でやらないといけない、お金がかけられないイメージがありますね。

田中:
そうですね。でも、今は起業したので自分で決められますし、どの会社のどのアプリを使うかも選べるので、パシャパシャと領収書の写真を撮って終了という感じで済ませられるようになりました。顧問税理士とも相談しながら、「これは経費になるね、オッケー」とサクッと確認して進められるのでだいぶ楽になりましたね。本当なら家事も全部やりたくないです(笑)。洗濯物を干すとか、「なんでやらなきゃいけないの?」っていつも思います。乾燥機あるじゃんって。母とも衝突しますね。家事=女性の仕事で、時間をかければいいものみたいな考えなので、「太陽の光に当てたほうがいい」とか言われますけど、「そんなエビデンスないから」って言い返します(笑)。

白石:
めちゃくちゃわかります。私はただのめんどくさがりですけど、それで昨年は新しい洗濯機(乾燥機付き)を買いましたし、食洗器も買おうかなって悩んでいるところです(笑)。

「自分の感覚を信じる」看護師と起業家、共通の大切なこと

白石:
それでは、最後の質問です。「あなたが後輩の看護師に伝えたいことはなんですか」ですね。

田中:
いろんな先輩たちから、それぞれいろいろなアドバイスを聞くことはすごく賛成です。ただし、そこにお金が絡んでいない前提で。「お金を払って相談に乗ります」って営業してくる、妙なビジネスには絶対引っかからないでほしいですね。本当に今増えているので。

あとは、最初に「大手の病院がいいよ」と言われて私も入りましたが、やっぱり肌に合わなくて、病棟によって全然違うんですよね。進路を選ぶときは情報をもっと集めてから決めたほうがいいと思います。「一般企業に就職したい」という看護師さんも多いですけど、それも主語が大きすぎるなって。システム開発部に行きたいのか、新規事業をやりたいのか、産業保健師になりたいのかで全然違いますからね。

自分からアクションを取って、その職場にいる人に話を聞きに行くとか、実際にその職場を見に行くところまでやって決めたほうがいいと思います。最後は本当に自分の感覚を信じながら選択していけば、後悔はないはずです。私も「職場は3年間はいるものだ」とよく言われましたけど、3年いた職場ないんですよ(笑)。でも困っていないし、むしろいろんな経験ができて良かったと思っています。変な「一般常識」に惑わされすぎずに、進路選択してほしいなと思います。

白石:
起業すると、いろいろな情報収集や判断とか、誰と一緒に仕事をするのか、パートナー探しも重要になってきそうですよね。

田中:
大変なこともたくさんあります。たとえば、先日も顧問弁理士が懲戒処分になったんですよ。めちゃくちゃ大手の弁理士で、私も信頼していたのに。特許庁に電話したら、私が払っていた特許料を弁理士が払っていなかったことがわかったんです。幸い出願日は守られていましたが、こんなトラブルもあります。エンジニアとの仕事でも失敗したことがあります。お金を払って依頼したのに、「なんじゃこりゃ」という出来のものを作られたこともあって。今は大手の安心できる人に頼んでいます。看護師として働いていると経験しないような問題にも直面しますね。

白石:
看護師として働いていると、どんな患者さんでも基本的に受け入れる立場なので、「この人とは付き合わない」というような判断はしないですよね。人を見極めるコツというか、亜利砂さんなりの基準みたいなものがあるんでしょうか。

田中:
そうですね。付き合う人はかなり選んでいると思います。でも正直、今の私のようにお金も予算も決まっていて、人もリソースも足りないっていう場面では、苦手な人に構っている時間とか悩んでいる時間が無駄なので、そこはもう割り切っています。私の場合、情報の非対称性があるなかで、「わからないこと」を聞いたときの相手の対応をよく見ていますね。たとえば、エンジニアや弁理士など、私より知識のある人に「これはどういうことですか?」と聞いたときに、「そんなことも知らないの?」とか「それダメでしょ」というような反応をする人とは距離を置くようにしています。

病棟の先輩も同じですよね。ただその場をやり過ごせるような答え方をする人と、「ここにマニュアルがあって、あなたのその場合だとここを見ればいいんだよ」と一緒に考えて教えてくれる人がいる。後者のほうが、他のわからないことがあっても自分で解決できるようになるし、お互いのコミュニケーションコストも下がります。そういう教え方をする人かどうかは、パートナー選びではとても大事なポイントだと思います。でも正直、ロジカルに考えられないこともあって、感覚的な部分も多いです。なんとなくやばそうだなとか、匂いがダメだなぁとか(笑)。

白石:
今の事業や会社の方針みたいなものもあると思うんですけど、亜利砂さん自身が、起業家として大切にしていることってなんですか。

田中:
圧倒的に現場に行く時間です。現場の困りごとはなにかを知り、実際に私たちが作ったアプリを試してもらってフィードバックを得るという時間が今は圧倒的に必要だし、やらなければいけないことだと思っています。それ以外の時間はできれば予算を取って他の人にお任せするようにしています。

あとは、もう“楽しい”とか“ワクワク”するかどうかですね。そうじゃないことはやりません。やらなきゃいけないことももちろんありますが、事業のベースとなるところは私自身がピクトグラムを作るのが楽しいからやっています。現場でピクトグラムを持っていって「これすごくいいね」と言われたら、それでもう10年生きられるぐらいうれしい。自分がこれ楽しいなと思うことは絶対に進めていこうと思うし、逆にワクワクしない事業はやりません。ある程度割り切っています。

白石:
これまで亜利砂さんのお話はロジカルな感じが多かったなかで、最後は楽しい、ワクワクする気持ちがあるかどうかっていう言葉がちょっと意外でもありました。今後のご活躍を応援しています。本日はありがとうございました!

インタビュアー・白石弓夏さんの著書



Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~

Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~
私もエールをもらった10人のストーリー


今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。 さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。

目次


◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏

発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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