ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。

ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。



ゲスト:坂本貴紀
神奈川県の大学病院で膠原病内科に勤務した後、地域医療の格差に問題意識を持ち大学院へ進学。福岡の療養型病院で働きながら学び、現在は京都大学医学部附属病院の免疫内科・泌尿器科混合病棟に所属。慢性疾患看護専門看護師。『先輩ナースのアセスメントと実践は事前準備が9割』分担執筆。

インタビュアー:白石弓夏
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。

はじまりは涙と、恩返しの覚悟

白石:
坂本さん、はじめまして!マイナー科で働く看護師さんにインタビューしたいという私の発信に反応くださって、ありがとうございます。実はわりと昔から相互フォロワーさんだったということもあり、今日お話しできるのを楽しみにしていました!

坂本:
ありがとうございます。実は、弓夏さんの著書『Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~』でインタビューされた小浜先生、大学院でたいへんお世話になった先生でもあるので、ご縁を感じていました。

白石:
えぇーそうだったんですね!うれしいです! さっそくですが、坂本さんのこれまでのご経歴についてお聞きしたいです。学校を卒業されてから、どのようなところで働かれていましたか。

坂本:
最初に働き始めたのは神奈川の大学病院です。入職時に希望を出すんですけど、内科系でやっていきたいなと思っていました。外科系は向かないんじゃないかと思っていて。糖尿病内科や腎臓内科の内科系の希望を出して、第3希望の膠原病内科に配属されたという感じですね。そこで7~8年ほど働いて、慢性疾患看護の専門看護師になろうと思ったんです。

白石:
内科系をやっていきたい、外科系は向いていないと思った理由はなんだったんですか。

坂本:
シンプルに器用じゃなくて、テキパキ仕事ができないなと思っていたからです。ただ、特別な気持ちで内科を望んだというより、外科やユニット系、救急あたりはちょっと難しいんじゃないかみたいな消極的な選択肢のなかで、内科だったらどこでもよかったんだと思います。学生のころの妄想みたいな気持ちで、なんとなくの理由ですね。そもそも大学病院を選んだのも、学校の先生に勧められたからという流れでしたから。

白石:
じゃあ最初は消極的な面と、勧められるがままみたいな……面もありつつ。でも長く勤められたというのは膠原病内科が合っていたんでしょうか。

坂本:
実は全然想像と違っていて。内科は内科でめちゃめちゃ忙しいんですよ。膠原病内科ってそもそも患者数が少ないというのもあって、重症の患者さんが県内・県外のいろんなところから集まってきたりするんですよね。全身をみなきゃいけないし、人工呼吸器をつけている患者さんをみることも多かったし、すごくしんどかったんです。そこでの自分は、要領が悪くて、できない看護師だったのでめちゃめちゃ病棟で泣いていたんですよね。

そんなときに、患者さんの病室に入れてもらって、カーテンを閉めてもらって、慰めてもらうみたいなことをずっとしていて。そこがたぶん今の自分のルーツにもなるんですけど、結局は恩返しをし続けているという感じなんですよ。そのとき、新人看護師で臨床能力が低い私を慰めてくれる患者さんたちに恩返しをしているというのが、今15年目の私のなかでの一番大きな根幹にあるところなんです。

白石:
毎日泣いていたというのは、たとえばどんな場面で涙していたんですか。

坂本:
基本的にはまだ自分のことしか見えない時期だったので、業務が回せないとか、インシデントが起こったり、先輩にきつく言われたり、できない自分が悔しい、悲しい思いをして涙してしまう。しんどくて、死にたいと思っていたこともあった。男性って人前では泣けないみたいなところもあるじゃないですか。だから、患者さんのところに行ったときにふと涙が流れてしまって、招き入れてもらうみたいなことがあったんです。

ひとりの患者さんがというよりは、病棟では患者さんたちがよく看護師のことを見ていて、患者さん同士で「あの子大丈夫かな」みたいに噂をしてくれていて。病室を訪れるたびに、向こうから招き入れてくれて、話を聞いてくれて、よく気にかけてくれたんですよね。私たちが患者さんをみていると同時に、患者さんも私のことをよく見ていて、なんだかファミリーみたいな感覚がすごくありました。

地域と患者さんの医療格差に向き合う

白石:
その後、慢性疾患看護専門看護師を目指したきっかけについて、もう少し詳しく教えていただけますか。

坂本:
当時いた大学病院や周辺地域は、膠原病の専門医の先生がすごく多くて、診療に長けている地域でもありました。だから、標準的な医療が普通に行われているのが当たり前だったんです。でも、診療所やクリニックから搬送されてくる患者さんのなかには、ガイドラインに沿った治療が正しく受けられていなかった方もけっこういて。膠原病治療に長けている地域でもそういうことが起きるのであれば、離島や過疎地で膠原病の専門医がいない地域の治療や看護はどうなっているんだろう……という疑問や危機感を強く持ちました。

それをなんとかしなければならないと思ったことが、進学しようと考えたきっかけです。あとは、当時の大学病院がラダーを上げないと進学してはいけない風潮があって、なんだか自分の人生を人に決められるのが気に食わなかったという気持ちもありましたね(笑)。

そこから大学院をいろいろ探してみても、膠原病を専門にしている先生はあまりいなくて。基礎系の先生のところで学ぼうと思って福岡の大学院に進学しました。ずっと神奈川でリウマチ・膠原病治療に長けているところにいたので、関東以外の地方に移住して、その土地の患者さんと一緒に暮らしながら、地域の診療をしっかりみたいとも思ったんです。

白石:
福岡ではどんなことを学ばれて、過ごされていたんですか。

坂本:
福岡では脳卒中や骨折、廃用症候群の患者さんがいる療養型病院で働きながら、夜間や休日を利用して3年大学院に通っていました。大学院の実習で地域支援病院に行ったんですが、そこは膠原病の病床がそもそもなくて。膠原病内科はあるけど、いろんな科に患者さんが点々と入院するという医療提供体制をみたいと思ったのがひとつありました。

現地で感じたのは、専門じゃない領域の看護師さんが対応することが地域だとわりとあるということ。何カ月かに1人入ってくるか入ってこないかの膠原病患者さんに対して、正直なところ勉強会をして学ぶニーズもあまりありませんよね。でも患者さんの目線からすると、適切な医療や看護を受ける権利は絶対にあるわけです。このバランスをどう取るのか。そういった場面を、自分の目でしっかりみることができたのは重要なことだったと思います。そのときの問題、課題を埋めていくのは、現在の私にとってミッションのひとつでもありますね。それで京都の大学病院に来ました。

物事を「徹底的に考え尽くす」思考スタイル

白石:
坂本さんの話を聞いていると、キャリアに関してかなり計画的に目標を立てて考えられていますね。でも、新卒で入職したてのころはなんとなく、流されてしまうようなこともあったと。この考えがガラっと変わったきっかけってなんだったのでしょうか。

坂本:
ベースはやっぱり恩返しなんです。恩返しをすごくしなくちゃいけないと思っているのに、私に力がまったくなかったんです。知識も技術も全然なくて。そのためには知識と技術が圧倒的に必要だった。そこで主体的になにかをしなくちゃいけないと思ったんです。

当時は認定看護師とかの話題がわりとホットになってきた時期だったんですけど、膠原病の領域では良いジャンルがなかったので、専門看護師を取ろうかなと思ったんです。患者さんに恩返しをしたいと思っていて、勉強や技術を高めていこうと思っているのに、それを邪魔されるのが本当に嫌だった。軸を誰かによってぶらされるのがすごく嫌だったという気持ちがありますね。

白石:
それで今は京都の大学病院で働いて、過去いた神奈川の大学病院や福岡の療養型病院と比べて、なにか気づくことはありましたか。

坂本:
現在は大学病院なので、神奈川の大学病院と医療体制としては大きく変わらないと思います。ただ、当時から10年ほど経っているので、早期診断・早期治療が進み、ADLの低い患者さんはだいぶ減った印象はありますね。それよりも、自分自身が物事の見方や考え方が変わったのが一番かな……。

白石:
ぜひその点をお聞きしたいです。自分が大きく変わったと感じたタイミングや出来事とか。

坂本:
先ほども少しお話ししましたけど、膠原病の領域のエキスパートな看護師さんって少ないんですよね。なので、ロールモデルにしたい先輩があまりいないのもあって、自分のなかで徹底的に自問自答を繰り返すわけです。ひとつの事象に対して、何度も何度も考えて、振り返って、搾れる最後の一滴まで考え尽くすようなことを。その最後の一滴でしか気づかない事象というものもあって、そういうものが積み重なってだんだんと自分の軸が固まっていくイメージです。

今は京都に来て4年ほど経ちますけど、使えるものはなんでも使おうと思って、「京都の大学病院の看護師です。専門看護師で、膠原病を専門にしています」と、自分のすべきことに勇気をもって踏み込めるようになったのは大きいかもしれないです。これは年齢的なものもあるんでしょうけどね。なので、大学病院で病棟看護師として働きながら、大学院の非常勤講師をしたり、学会の委員会活動をしたり、看護研究の発表や交流会の企画、書籍の執筆、患者会とのコラボなど多岐にわたって活動しています。

白石:
その自問自答のやり方っていうのは、大学院で学ばれた影響もあるんでしょうか。

坂本:
そうそう。それもありますけど、気質もあると思います。1年目のころから、仕事のできる同期や先輩、できない自己像と比べて、できない、悔しい、なんでダメなんだろうってずっとずっと考え続けて。やってみて、それでもまだできなくて、また考えて考えて、仕事中もご飯を食べていても、帰り道でもずっとずっと考え続けているんです。たぶんそれが人よりも考えるループの回数がめちゃくちゃ多いんでしょうね。それで、なにかあっと驚くような答えが出るわけじゃないんですけど、まるで牛みたいですよね。草食動物が草を食べて飲み込んだものを吐き戻して噛み直して、また飲み込む(反芻:はんすう)ような(笑)。

あとは、外からの刺激が加わったことも大きかったんでしょうね。看護師3~4年目のころだったか、早稲田大学のオープンカレッジに通ったことがありました。そこで教育学の名誉教授だった先生のデスエデュケーションのオープン講座に参加して、すごくよかったんです。参加者は僧侶や元がんサバイバーの方、身内を自殺で亡くした方、いじめに関するNPO団体の方、主婦やMRさんとか本当にいろんな人がいて。医療や看護の世界でしか生と死をみてこなかった私が、医療だけじゃなくて、もっと大きな括りのなかでお葬式とはなにか、縄文時代と弥生時代の死生観について、宗教学的な死とか、ペットロスについてなども学んで、フラットに語る機会があったんです。そういう場で「ここにはいろんな考えを持った人がいるんだ、これは面白いな」と。自問自答のループの幅がどんどん広がっていったんだと思います。

怒りと恩返しの0%

白石:
それでは、こちらで質問のカードを準備したので、選んでほしいです。

坂本:
右から7番目で。

白石:
あなたが今怒っていること、なにも気にせず怒っていいと言われたらなにに怒りますか」ですね。初めて出た質問だ。

坂本:
結局のところは私、もう軸が固まりすぎて同じ結論になっちゃうんですよ。常に今もできてない自分にずっと怒っていて。基本的にはポジティブに考えているんですよ。離島や過疎地などで標準的な医療や看護が提供できていないけど、これから私がやっていくことで波及していくんじゃないかというポジティブなほうに置換して考えるようにしているんです。

でも、やっぱりそれができてない現状にはすごく怒ってもいるんですよね。恩返しをしたいと言っているのに、1分1秒先がわからない患者さんたちがそこにいるのに、私がこのインタビューを受けているこの1分1秒がいいのか、みたいな。もっともっとハードに働いて、もっともっと考えを回して、もっともっと貢献する必要があるんじゃないのって思ってはいます。だけど、怒っていることに割くリソース、エネルギーがあるんだったら、もっと自分を前向きに、活動に注力するためのエネルギーにしたいなとも思います。

あとは、めちゃくちゃ個人的なことで、今の自分の役割や経済的な事情もありますが、本当は博士も取りにいきたい。修士取ったのはいいけど、取っただけなんですよね。まだまだスタートラインに立てていない感覚があって。博士を取らないと話にならないこともすごくあって。それは怒っているというよりは、悔しいって感覚なのかな。

白石:
坂本さんのその恩返しのための行動力、貪欲さってどこからきているんでしょうか。

坂本:
劣等感ですよね。もっと本音を言えば、出自の話になっちゃうんですけど、私は茨城県の田舎の生まれで、長男なんです。長男はしっかりしなくちゃいけない、家を継ぐんだみたいな、男尊女卑みたいなところもけっこうあって。そういった環境で育ってきたのが根っこにあるんです。だから、看護師を目指すとなったときも、医師や薬剤師のような職業に就いてほしかったという気持ちを家族は持っていたけど、結局は偏差値が届かなくて看護師の道に来て。看護学生のときは、わりとマイノリティのなかでまあまあな成績で頑張って資格勉強もしていたんですけど、看護師になったらそんなものは関係なくなって。まったくできない自分に直面して。

あとは、学生のころ、実はDJをしていたこともあって。そのときは、プレイヤーとして活発に活動したり、クラブとの契約を結んだり、わりともてはやされるような立場にいたんです。そういう時期もあったなかで、看護師になってあまりにもできなくて、できるはずなのにできなくてみたいな場面もあって。それまで、そういう場面にあまりぶち当たったことがなかったのかな。追い詰められて、悔しかった。だから、新人のころは恩返しというよりも、患者さんに対して申し訳ないという気持ち……さらに言えば、できない自分に直面したことによるリアリティショックのほうが気持ちとしては大きかったかもしれないですね。そこをかくまってくれた患者さんに感謝しているっていうところが、やっぱりスタートなんじゃないかな。

そうそう。そこで勉強って一番手っ取り早い方法なんですよね。要領のよさとか、人格を直すのは無理じゃないですか。でも、勉強は自分の時間が消費されて、お金が消費されるだけでいい。患者さんに貢献できる方法として、自分のなかで一番手っ取り早かったのが徹底的に勉強し始めるってことだったんだと思います。

白石:
なるほど。坂本さんにとっては、勉強することが一番簡単な方法だったんですね。坂本さんは今、看護師15年目くらいになるじゃないですか。その恩返しって、どのくらいの割合まで到達したとか、ご自身のなかで感じているんですか。

坂本:
いや全然、0%です。でも悪い意味じゃなくて、私の後ろには私を支えてくれた患者さんがすごくいっぱいいるイメージがあって。自分がしんどいなと思うときは「いったほうがいいよ」とみんなが背中を押してくれて、自分に追い風が吹いてどんどん行けるときは「もっといけ」と応援してくれている感じが私のなかであるんですよ。だから0%でいいんです。まだまだできるから、のびしろがあるから。最後、私が死ぬときに自己採点ができるんじゃないですかね。どのぐらいできたかなって。だから今はとにかく頑張れるみたいなところはありますよね。

半歩先を照らす看護の実践

白石:
現在の話もお聞きしたいんですが、坂本さんは今、病棟に所属して働いているとのことですよね。

坂本:
そうです。昨年の12月から編成が変わって、免疫内科と泌尿器科の混合病棟で働いています。専門看護師として特別な活動はしていないですが、恩返しの一環として学んだことはどんどん還元していきたいと思っています。私は患者さんの人生を俯瞰して考えたとき、先が見えない不安のなかで半歩先を照らせるような看護をしたいんです。たとえば肺炎で入院し、抗菌薬でよくなっている途中でも、明日の保証はなく不安を抱えている。そういった場面で、よくなるならそれでいいし、悪化する可能性も含めて先を照らす看護がしたいと思っています。

大局には大きく影響を及ぼさないかもしれないけれど、小さな悩みっていろいろあるじゃないですか。今は薬で一時的にどうにかなるかもしれないけど、そこにある思いとか、その人の人生にとってどういう影響をおよぼしているのか、みたいなところを丁寧に紐解いていったほうが、後々の患者さんの人生においていい影響があるんじゃないかって。そこに対してどうアプローチしていくかも大事ですよね。

白石:
なるほど。院内の活動以外でも、先ほど患者会とのコラボの話もありましたが、そちらは具体的にはどのようなことをされているんですか。

坂本:
院内活動以外では患者会とも連携しています。京都に来たとき、膠原病友の会京都支部に自ら飛び込み、勉強会での質疑応答の手伝いやグループディスカッションのファシリテーターをしています。京都は市内と地方で医療格差があり、特に過疎地域では週1回の非常勤医師が多数の患者を診る状況です。また患者さんは病棟でも点在し孤独感を抱えやすく、地方ではスティグマから病気を公表できない悩みもあります。

そこで、助成金はあるがマンパワー不足な患者会とマンパワーはあるが予算不足な保健所の保健師さんたちをマッチングし、専門家として橋渡し役を担っています。北部では定期開催が決まり、今後は南部にも展開する予定です。

後輩に伝えたい「内なる答え」

白石:
それでは最後の質問に移ります。あなたが後輩の看護師に伝えたいことはなんですか。

坂本:
やっぱり自問自答かな。きっと答えは自分のなかにあるので、なにか誰かに憧れてもいいけれど、自分が本当にしたいこととか、自分がやるべきことみたいなところは必ず自分の心のなかにあるので、できたら徹底的に自問自答して、最後の一滴まで搾り出して、その雫のなかに見えるものを探し出してもらえたらいいんじゃないかなって思いますね。

白石:
私なんかもそうなんですけど、なかなか内省することが難しく感じる人もいるんじゃないかなと思うんです。小さなステップとしてはじめられそうなことって、たとえばどういうことがありますか。

坂本:
小さなステップは、好きなことをするのがいいんじゃないかな。私、中学生のころに理科と社会が得意で、社会のときに好きな資料集があったんですよね。源氏物語とか、関ヶ原の戦いとか、鳥獣戯画の屏風とか、ミロのビーナスとか、そういうのが集まっていたやつ。それを見るのがすごく好きだったんです。

それで、大学生とか新卒のころにめちゃめちゃ美術館に行っていたんですよね。絵って、要は全部写実で描けばいいじゃないですか。ありのまま描いたら別にいいわけですよ。でも、宗教画を描いたり、現実じゃないものをたくさん描いたりする人もいるわけで、現実じゃないものを描く意味ってなんなんだろうって思うんです。そこには、描いた人のメッセージがなにか隠されているんじゃないかと考え始めた。そういう好きなことに対しての見方が、まわりまわって今につながっているのかなと思いました。だから、たぶん若い看護師さんたちもなにか推し活があると思うから、推しを徹底的に推すのがいいんじゃないですかね(笑)。

白石:
おおお、ここで推し活につながるわけですね(笑)。なんか今の話も、患者さんと看護との向き合い方みたいな話にも聞こえてきて、不思議な気持ちになりました。

坂本:
だからずっとつながっているんですよね。軸がブレずにずっとぐるぐる回っているので。

白石:
そうですね、めちゃくちゃしっくりきます。院内外でさまざまな活動をされている坂本さん、今後も陰ながら応援しております。今日はありがとうございました!

インタビュアー・白石弓夏さんの著書



Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~

Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~
私もエールをもらった10人のストーリー


今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。 さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。

目次


◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏

発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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