ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。

ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。



ゲスト:中野誠子
九州出身。精神科の病院で5年勤務後、重症心身障害児施設に8年ほど勤務。その後、認定看護師の資格を取得し、看護学校の教員として7年間教鞭をとった。その経験を活かし、現在は精神科特化型の訪問看護ステーション『くるみ』を共同経営している。ミスチル好きの友人3人との共同起業で、現在は事務を含めて計35名のスタッフを率いる。ミスチルで個人的に一番好きな曲は『星になれたら』。ステーション名も3人の思い入れが強いミスチルの曲名からとっている。

インタビュアー:白石弓夏
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。

困難に立ち向かう楽しさ、あえて難しい患者さんを選んで

白石:
中野さん、今日はどうぞよろしくお願いします。共通の知り合いから中野さんのことをご紹介されまして、お話しできるのを楽しみにしておりました!まずは、看護師としての経歴について教えていただけますか。

中野:
私は高校と専攻科が一緒になった5年間の学校に行っていました。学費が高かったので奨学金を受けることになり、その縁で最初に勤めたのが精神科の病院です。実習は楽しかったので、楽しく仕事ができるかなと思っていたんですけど、なかなか最初の5年間は大変でしたね。なぜそこを選んだかというと、元々私は九州の出身で、病院は「神戸市」って書いてあったから、港町の綺麗なところで働けると思ったんです。でも、実際は神戸市北区で山の中だったんですよ。こういったちょっと安易な理由で精神科を選んだというオチです(笑)。

白石:
そうだったんですね(笑)。実習は楽しかったとのことでしたが、当時どういった場面を楽しいと感じていたのか、実際に働き始めてからはどんなことが大変だったんですか。

中野:
実は私、インタビューで話している姿からは想像できないかもしれませんが、元々コミュニケーションがあまり得意ではないんです。今も一生懸命「看護師のスイッチを入れて陽キャに見せよう」と思って話しています。でも、学生時代はとくにコミュニケーションに困っていなかったんですよ。学生のときは患者さんと楽しく話せていて、コミュニケーションが武器になると思っていました。ところが、実際に国家試験に受かって看護師として働き始めたら、びっくりするほどコミュニケーションが取れなくなったんです。

教科書に載っていないことばかり起こって、「私、看護師できるのかな」と思いながら過ごしていました。言葉の壁もあって、九州と関西とでは方言が全然違うんです。まず患者さんの言うことがよくわからなくて。「アホちゃう」とか冗談で言われても、20歳のときの私はまだかわいい感じだったので、そういう言葉をかけられて驚いていました。

考えてみたら、学生のときは患者さんが優しくて、学生さんと話をしてあげようと思ってコミュニケーションを取ってくれていたんですね。精神科の患者さんは本当に優しい方が多いんです。学生の私はただ話をしていただけで、意図的なコミュニケーションではなかった。看護師になってからは、自分から意図的にコミュニケーションを取らないといけないことに気づいたんです。これに気づいたときには「しまった」と思いました。実習のときの患者さんに「ごめんなさい」と謝りに行きたいくらいです。

白石:
そういった気づきがあってからは、どのように患者さんとかかわるようになったんですか。

中野:
私、困難に立ち向かうのがわりと好きなんです。すぐに突破できることはあまり好きじゃなくて。だから、コミュニケーションが難しそうな患者さんの担当を自分からお願いするようになりました。患者さんには「来るな」と言われたり、物を投げられたりしても、話したいと思って意図的にコミュニケーションを取るための方法を考え続けました。すると、ちゃんと取れるようになったんです。学生時代はただの「お話」だったけど、看護師として意図的にコミュニケーションするのはこれだけ環境を整えても難しいんだと実感して、精神科看護師ってすごい仕事だなと思いましたね。

患者さんから教わった人との関係づくり、コミュニケーション

白石:
看護師として働き出してから、患者さんから学んだことも多かったんでしょうか。

中野:
本当にたくさんあります。あるとき、患者さんとの会話で気づいたのは、私が話した言葉と患者さんが受け取った意味がまったく違っていたことです。「私はこういう意味で言いました」と伝えたら、「それは知らんやん。あんたはそう言ってるかもしれんけど、僕はそう思ってんねん」と言われたんです。

そこで、コミュニケーションの基本って、私が今喋った時点でもう私の所有権はなくて、自分の言葉が相手にどう伝わるかは自分ではコントロールできないと気づきました。世紀の大発見のようでしたね。でも、患者さんにそのことを話したら「当たり前やん」って言われて(笑)。「あんたは周りに優しい人ばっかりで生きてきたんやね。普通そうや。自分が言ったことと相手がどうとらえたかって違うからね」とも教えてもらいました。

人生の大先輩である患者さんから教えてもらったことが、今でも大事な信念になっています。私はあまり患者・看護師という関係は好きじゃないんですよ。これは精神科や教育の領域に長くいるからかもしれないですけど、まず人を人としてみること、人と人との関係をどう築いていくのかが大切だと思っています。たまたま病院にいるのは病気の治療のためであって、たまたまその人は患者さんなだけであって。病気だけを見るのではなく、その人自身をみることが大切なんです。こういう考えができるようになってから、人のとらえ方は少しずつ上手にできるようになっていったのかなと思います。

白石:
精神科の患者さんに助けられることも多かったんですね。

中野:
そうなんです。あるとき、患者さんに「ちょっとおいで」と呼ばれて。「なんですか」と言って座ったら、「しんどいことあるんか」と聞かれて。自分としてはそこまでとは思っていなかったんですけど、でも本当にしんどかったので患者さんの前でぶわーって号泣してしまったんです。すると患者さんが「わかるよ。あんたが生まれる前からうつのベテランやで。しんどいことぐらいわかるやん」と言ってくれて。だけど、「私、もう看護師できないかもしれません」みたいな話をしたら、「いやいや、あんたはちゃんと患者さんに向き合ってるから、絶対に立派な看護師になれる」と太鼓判を押してくれました。

自分が看護しているつもりでも、毎回いろんな患者さんに教えてもらって今の私があるんです。本当に患者さんにはかなわない、すごいなと思います。

「喋れない子とどうコミュニケーションを取るか」施設での8年間

白石:
中野さんは精神科で働かれた後はどこで働いていたんですか。

中野:
重症心身障害児の施設で8年ほど働いていました。そこが一番長かったですね。精神科の病院で奨学金の返済が終わった後、次の道を考えたときに、中学生のころの体験が頭に浮かびました。たしか看護の日のイベントで保健委員として障害のある方の施設を訪問したとき、想像していた暗いイメージと違って、みなさんがすごく笑顔で楽しそうだったんです。それが印象に残っていたので、重症心身障害児の施設に行ってみようと思いました。

精神科でコミュニケーションをバッチリ学んだつもりで行ったのですが、実際には医療度が一番高いところで。人工呼吸器をつけていて寝たきり、喋れない子が多くて、これまで積み上げてきた5年間が一気に崩れた感じでした。「私、なにもできない」と思いましたね。なので、一から医療・看護技術を学びながら、非言語的なコミュニケーションの取り方も学ばなければいけませんでした。喋れない子とどうコミュニケーションを取るか、最初は本当に難しかったです。

白石:
ご家族とのかかわりは難しくなかったですか。とくに若い看護師さんは重心の施設で家族とのかかわりに悩む話をよく聞きます。

中野:
たしかに、最初は「入ってくるな」という雰囲気を感じました。「(いつもの看護師)○○さんに言うから大丈夫よ」と、新しい看護師を受け入れないような空気もありましたね。バイタルだけ測って帰ってみたいな。でも、私はお母さんたちにも支えられました。お母さんとのコミュニケーションでは、直接お母さんに話しかけてもスルーされてしまうのを感じたので、かかわり方を変えました。「お母さん、今日髪切ってるみたいね。かわいいな、なぁ」と子どもに話しかけるようにしたんです。そうしたら、お母さんが「中野さん」と呼んでくれるようになって。お母さんが大切にしていることはなにかを理解して、「そこを理解するために教えてほしい」と伝えると、お母さんの受け入れはすごくよくなって、うれしそうに教えてくれるようになった印象があります。精神科で培ったコミュニケーション能力が、重心の施設でも生きたと思います。

そもそも看護学校のとき、苦手な教科のなかに母性と小児があったんです。だけど、障害があるお子さんをみるときに、おそらく苦手だからこそある程度一歩引いて、客観的にみられたのは大きかったですね。苦手だからこそちゃんとみる。「この子はうれしいときに小指が動くんだよ」「嫌なときはここがピクっと動くんだよ」と自分でできる力をちゃんと発揮しながら、コミュニケーションを取ろうとする努力があって。お母さんにもいろいろ教えてもらいながら、子どもたちのサインを見逃さないよう気をつけるようになりました。

「私、主任はしません」看護学校の教員の道へ

白石:
その後、看護学校の教員もされていた時期があったと。

中野:
そうなんです。施設で働いているとき、上司に「重症心身障害の認定看護師、受けない?」と言われて、子どものためだからと受けました。一生懸命頑張って通ったんですけど、認定を取ると管理職になることが期待されていて。私は「子どもに看護を提供するために認定を取ったのであって、主任になるためではない」と部長に伝えたんです。すると「主任をするか辞めるかの2択」と言われて。部長はまさか辞めるとは思っていなかったでしょうが、私は「わかりました」と言って辞めることにしましたね。

その後、認定看護師で勉強しているなかで教育について考えるようになりました。過去に臨床指導や新人指導をやっていましたが、うまくできていなかったと感じていて。先輩に相談したら「教育を学んだら?看護学校行ったらいいじゃん」と。学校で看護を教えるというキャリアもあるのかと目から鱗で、それで猪突猛進のように退職して、すぐに看護学校の教員試験を受けて、看護学校の教員になりました。

白石:
すごく大きなキャリアの転換でしたね。学校で学生に教える側になってからはどうでしたか。

中野:
精神科の先生が少なかったので、精神科の領域責任者として、1~3年生全部を教えていました。とくに1年生を担当することが多くて、「看護はこんなに楽しいのよ」と厳しくも楽しく伝えていました。でも、学生に看護の楽しさを教えているうちに「こんなに楽しいのに、なんで私、看護してないんだろう」と思うようになったんです。

たぶん、一度臨床から離れたからこそいろんな部分がみえてきたんでしょうね。振り返ると、やっぱり患者さんって優しかったんだと思います。コミュニケーションを取るなかで私に気を遣ってお話ししてもらっていたんだと、再認識させられたんです。学生はある意味、ストレートになんでもいろんなことを聞いてきますから。「先生が言っていることがわからない」「それはなんでそうしたんですか」と、暗黙知みたいなところをズバズバ聞いてくる。そんなこと、看護師として働くなかにずっといたら考えたこともなかったようなことです。それをどう学生に伝えて教えていくか、暗黙知を言語化して、ある程度形にできるようになっていったのは大きかったと思います。そういうコミュニケーションの厳しさに学生とかかわるなかで気づかされましたね。

そうして7年ほど教員を務めた後、やっぱり臨床に戻りたいと思いました。ただ、病院ではなく訪問看護に興味を持ちました。病院は治療する場で、患者さんは医療者の言うことを仕方なく聞いている印象があって。患者さんは自分の思いも言えていないし、そんな状況で看護をしている気になっているのは違うんじゃないかと思ったんです。本当の看護ができるのは地域だと思いました。

「なんでこんなこともできひんのかな」訪問看護への転職と起業

白石:
それで訪問看護師として働き出したんですね。そこからどのようにして起業につながったのですか。

中野:
大手の精神科特化の訪問看護ステーションに行きました。でも、40代の転職って大変なんですよ。若いときの転職は謙虚な気持ちでその場に合わせていけますが、40代になると自分の経験から「こうしたほうがいいんじゃないか」と思うことをはっきり言ってしまうんです。会議でおかしいなと思ったら、上司にゴマをすらずに「これってどういうことですか?こうしたほうがよくないですか?」と言ってしまう。上司からしたら目障りだったと思います。

じつは今の『訪問看護ステーションくるみ』の共同代表である濱脇もまったく同じ時期に訪問看護に転職していて、もう1人の経営者石森と3人でよく食事をしていました。濱脇と私が「なんでこんなこともできひんのかな、会社って」と愚痴をこぼしていたら、石森が「そんなんやったら、もう自分たちでやったら?」と言ったんです。最初は「私、無理」と思ったけど、「僕が手伝うよ」と言われて、気づいたら今に至ります。2022年11月に開業して、今は4年目に入るところです。スタッフも事務を含めて計35名にまで成長しています。

白石:
3人での起業は難しいと言われることも多いと思いますが、うまくいっている秘訣はなんでしょうか。

中野:
3人の中心にミスチルがいるんです。中学高校ぐらいからミスチルをずっと聴いてきて、同じ音楽に感動してきた仲間なんです。濱脇とは20年以上友だちで、石森とも10年以上一緒にライブに行って、同じ曲を聞いて同じように泣いてきた関係性があります。私が3人でやれると思った理由は、「この2人が言うことなら、批判されても受け入れられる」と思ったからです。どんなに言い合いになっても仲直りできるんです。

3人それぞれ役割があって、精神科看護の考え方については私の意見が大きく採用されていると思いますが、経営に関しては石森が。とくに私と石森は猪突猛進タイプで、濱脇は石橋を叩いて渡らないぐらいのタイプ。「ちょっと待って」「これどういうこと?」と止めてくれる存在です。3人がバランスを取りながら、お互いを尊敬し合っているのが大きいと思います。

じつは、会社を立ち上げるということには大きな覚悟も必要でした。たしかに勢いで始めた部分はありますが、それだけではありません。会社の責任者になるということは、自分のことだけではなく、従業員とその家族の生活がかかっているという重責があります。「社長だから半年給料がなくても文句を言わない」という覚悟は今でもあります。以前は会社の悪口を言っていればよかったけれど、自分が決断する立場になると、その決断の後ろには人の命と生活がかかっているというプレッシャーは今でも毎日感じています。

白石:
現在、訪問看護ステーションは4年目に入るとのことですが、将来的なビジョンはありますか。

中野:
壮大な話になりますけど、訪問看護師になりたいと思う人が通える学校を作れたらいいなと思っています。訪問看護は教育に差があると感じていて、大手はまだ研修の時間が取れますが、小さなステーションだと教育が不十分です。必要なことだけバンバン言われて「もう同行に行って」みたいな感じで、なにも知らないまま始まることも多いんです。看護師になって訪問看護に行く前に3カ月くらいしっかり学んで、算定要件の研修サポート、マナーや法律的なところなどを学んだうえで各ステーションに行けるようになったら、ステーションも楽だし訪問看護の質も上がると思います。

また、予防の観点も増やしたいと思っています。病気になってからではなく、なる前にどうするかが大切です。企業などで訪問看護師が話を聞くことで、病気になる前の手助け、トータルで精神的なフォローができればと考えています。私たちの会社が考えている大きなこととして、社会保障費の削減にもつながるはずです。

最終的には大阪で2,000人の利用者さんをみられるようになりたいですし、東京など首都圏にもステーションを展開したいと思っています。できればアリーナツアーがありそうなところで(笑)。5年、10年先を見据えて、法律の変化も含めて今を考えないとステーション経営はうまくいかないと思います。

人とのかかわり方、病気を見ずにまずその人を知りたいと思う

白石:
それでは質問カードから1枚選んでいただけますか。

中野:
右から4番目でお願いします。

白石:
「人とのかかわりのなかで大切にしていることはなんですか」ですね。

中野:
言い方が難しいんですけど、看護師さんって病気を見てアセスメントする傾向がありますが、まず病気を見ずに、その人のことを知りたいと思って空間を共有することが大事です。あくまで手段のひとつとしてコミュニケーション、言葉を使っているだけ。先ほども話に出ましたが、患者さんだってたまたま患者さんなだけで、基本的には人を人としてみないといけないと思います。あなたのことをみに来ているんであって、病気のことを見に来ているんじゃないという姿勢が大切です。

白石:
私、これまでずっと急性期の身体科の経験が長いので、まず患者さんの情報を取りますとなったときに、名前と年齢、病名をまず見ると思うんですよね。もう無意識です。

中野:
そうですよね。でもそれってレッテルを貼ってしまうじゃないですか。高血圧で入院している○○さんって。とくに学生さんは喋ることが目的になっていて。それで最初に血圧の話をして嫌われても、そらそうやって思うんです。言われたくないですもん、患者さんは。でも病院だと治療に来ているわけだし、看護師だから必要な情報ではあるんですけど、まずみるのはそこじゃないって。あなたのことをみに来ているってことを大事にしてコミュニケーションをとっていかないと信頼関係は築けないと思うんです。

白石:
それは中野さん自身、その目的と手段がごっちゃになっちゃうことはないんですか。

中野:
もし私がスタッフから陰口を言われるとしたら、「目的おばさん」と呼ばれているかもしれないぐらい(笑)、私は常に「目的はなに?」と問いかけています。看護学校のときから5年間それを言われていたのと、最初の精神科でのプリセプターさんがすごく厳しくて「それ、なんでしたの?」と常に聞かれていたんです。最初はその先輩が怖くて、いじめられていると思っていましたが、後から考えるとそうじゃなかった。自分が辞めるときに「ありがとうございました」と、これまでのお礼を言ったら「あなたはしっかり考えてやれてると思うから頑張ってね」と言われて。あれは目的を考えさせてくれていたんだと気づきました。

白石:
まず病気を見ないというのは、ずっと病院で働いてきた看護師にとってはちょっと衝撃かもしれませんね。

中野:
学生さんにも「病気がわからないとその人と喋れない?」って言うと、「この先生、なに言ってるんだろう」という顔をされます(笑)。病気を見て問題点を挙げて、看護計画を立てるという流れに慣れているからでしょうね。だから、私は患者さんの病名も聞かずにまず病室に行くんですよ。学生から「先生、カルテ見てないですよね」と言われても「見る必要ある?名前と何号室かだけ教えて」と言って、そのまま挨拶に行きます。30分ほど患者さんと話して戻ってくると、学生は驚きます。「情報はベッドサイドにいっぱいあるし、喋っていればいろんな情報がもらえるで」ということを直に伝えていましたね。

とくに訪問看護では、病気ばかり見ていると利用者さんはしんどいです。病院ではそれでいいかもしれませんが、訪問看護ではそれだけではダメなんだと思います。

しんどいこともあるけど、看護って本当に楽しいから「みなさんいらっしゃい」

白石:
それでは最後、みなさんにお聞きしている質問です。「あなたが後輩の看護師に伝えたいことはありますか」です。

中野:
いろんな情報が世の中にはあって、SNSではとくに看護師のネガティブな情報もたくさん出ていますよね。夜勤がしんどいとか、最近だと訪問看護師が刺されたニュースとか。そういう情報だけが出てくるのを危惧しています。でも、看護って本当に楽しいから。いっぱい学んで、しんどい思いもするけど、ちゃんと患者さんや利用者さんと向き合えば向き合うほど学びもたくさんあります。

私たちがなにかをするだけの職業じゃなくて、お互いの関係のなかでできる空間があって、そこから学ぶこともたくさんある。患者さんに成長させていただける職業だから楽しいですよ。しんどいこともありますが、だからこそ「みなさんいらっしゃい」と思います。

白石:
中野さんが今の訪問看護で現場に出られることもありますか。そのなかで看護が楽しいと感じる瞬間ってどんな場面ですか。

中野:
昨日は訪問に4件行きました。臨床を辞める気はまったくなく、看護師として患者さんとかかわるからこそわかることってあるので、月に1件2件になったとしても現場に行きたいですね。楽しいと感じる場面は、苦難に立ち向かうのが好きだからか、考えても答えが出ないことが好きなんです。答えがない状況のなかで考える、この人のためにどうしたらいいんだろうと思って考え続ける。一緒に考えて、こうかなと思ってやってみる。うまくいかなくても、また考える。そのプロセスが楽しいです。結果よりもプロセスを利用者さんと一緒に踏めることが楽しいなと思います。

白石:
それは精神科ならではかもしれませんね。なかなか答えがないというところで。今日の話のなかで、困難に立ち向かうのが好きという話が何度かありましたが、それって学生時代になにか起点となる出来事があったりするんですか。

中野:
どうでしょう。たぶん小さなときからずっとこんな感じだったと思います。簡単に終わると面白くないなと思っていて。しんどいしんどい、なんでやろうって思いながら笑っていたような、ちょっと変わった子だったかもしれないですね……今思うと。

白石:
そうだったんですね。中野さん、今日はたくさんのお話をありがとうございました。SNSではネガティブな情報も多いなか、「看護って楽しい」という前向きなメッセージをいただき、私も元気をもらいました!

インタビュアー・白石弓夏さんの著書



Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~

Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~
私もエールをもらった10人のストーリー


今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。 さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。

目次


◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏

発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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