はじめまして
私は急性期病院で看護科長をしています。脳神経外科病棟での勤務を経て現在、救命救急病棟で働いています。施設内外で看護師の育成に取り組むと同時に、看護師の対人関係能力向上に貢献するため、独自に面談活動・セミナーを行っています。
本連載は、対人関係に悩みを抱える看護師が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的として始まりました。
第1回目のテーマは「ほめないこと・しからないこと」です。このテーマを通じ、後輩の教育を担当した際に大切にしたいことを考えていきます。
ほめるほうがいい? しかるほうがいい?
看護師の教育について語るとき、「ほめて育てる・しかって育てる」ことがよく議論されます。多くの人がほめろと言う反面、しかることが必要と言う人もいます。ベテランナースのなかには、「昔はしかって伸びる子が多かったけど、最近の若い子はほめて育てないと無理だよ」とか、「最近はしかることができないから、やりづらくなったよね」と話す人もいます。
どちらが適切か、おそらく自分が受けた教育を基準に考えるでしょう。自分が実践してきたことを思い出されるかもしれません。「ほめる・しかる」は、看護師教育だけでなく子育てでもよく話題になります。
ほめられるためには期待に応えないといけない
私自身が子どものときは、しかられるのは嫌でした。しかし、周囲の大人からはどちらかというとほめられることは少なく、しかられることが多かったように思います。だから私は、ほめられたいと思っていました。ほめられるためにどうすればいいか考えたとき、大人にとっての「良い子」になることを目指しました。大人の顔色をうかがい、勉強やスポーツを頑張り、良い成績が残せたときにはほめられました。そのときはうれしかったです。反対に、大人たちの期待に沿えないとしかられていたように記憶しています。「ほめられるためには、期待に応えないといけない」と、強く思いました。
ほめられてもどこか心から喜べない
その後成人して看護師になってからも、ほめられることはたしかにうれしかったです。ほめてくる人には、「ありがとうございます!これからも頑張ります」と言っていました。そう言えば相手も満足そうでしたし、私はそれが期待に応えることだと思っていました。私はその後も上司や先輩、そして患者さんにほめられるような仕事がしたい一心でした。
それが社会人として当然だと信じていました。
ほめられたい・認められたいという気持ちはますます強くなり、仕事を頑張る原動力になっていました。その一方、キャリアを積むにつれ、ほめられてもどこか心から喜べない気持ちが強くなりました。それがなぜなのか、当時はわかりませんでした。
ただ「ほめてくる人にはなにか違和感がある。信頼できない」と感じていました。
「上手にほめろ、上手にしかれ」は本当か
年齢を重ねて、指導者としての研修を受けることが多くなりました。良い指導者になりたいと思い、教育の本もたくさん読みました。そこでは多くの場合、「上手にほめろ、上手にしかれ」と、くり返し語られます。「部下をコントロールするためには、とにかくほめなさい」とか、「上手にしかって部下を動かしなさい」と教えられます。
私は納得していませんでした。それは「人をコントロールする」という部分に、傲慢さを感じていたからです。
ある教育者育成研修の講師は、「ほめる・しかる」ことを勧める人でした。私は講師に「ほめる・しかる」ことへの疑問として、その弊害はないか質問しました。その講師は、怒りをあらわに私を糾弾しました。私は大勢の受講生の前で、個人指導を受けることになりました。「ほめる・しかる」ことに疑問を感じるのは、勉強が足りないからと言います。
「ほめる・しかる」こと以外は考えてはいけない?
同様の経験は一度ではありません。
ほかの講師にも質問しましたが、納得のいく答えは得られませんでした。「ほめる・しかる」ことについて意見を述べるのは、どうやら良くないようです。私の出会った講師は、苦虫をかみ潰すような顔を見せるか、質問をはぐらかすかのいずれかでした。もちろんこれは限定的なケースだとは思います。ただ、教育を専門にされている人のなかにも「ほめる・しかる」ことだけが正しいと信じているひとは多いように感じます。まるで、それ以外は考えてはいけないと強要されているようです。
「管理職として締め付けが足りない」と言われて
「ほめる・しかる」ことが、私自身に向けられているときはまだ良かったのです。管理職の立場になり、それを他人に実施することを強要されたとき、強烈な不快感を覚えました。例えば職場では小さな諍いが起こる、超過勤務が増えるなど、上司の望むような成果が得られないことがあります。
そのとき、私の上司の1人は「もっとしっかりしかりなさい。管理職として締め付けが足りない」と言いました。これを聞き、私は精神的にすり減っていく気持ちになりました。このままでは「心が死ぬ」と思いました。
私はこの経験から、「ほめる・しかる」ことを深く考えるようになりました。ほかに、もっと違ったやり方があるはずだと思ったのです。
「ほめなくて良い・しからなくて良い」
いま、私は「ほめなくて良い・しからなくて良い」と考えます。
これをほかのスタッフに伝えると、「じゃあ教育なんてできません」「どうしたらいいんですか」と反論されます。そこで「あなたは後輩をしかりたいのですか?」と問うと、「しかる教育が正しい」と答える人はあまりいません。
多くの人は、「しかる」ことがパワハラだと理解しており、しかる教育は良くないと肌で感じています。しかることがパワハラであることはもちろんです。
さらに私は、しかることで対人関係が破綻すると考えています。きわめて稚拙なコミュニケーション手段だからです。私は「しかる」ことは、対人関係を上下でとらえている人がする行為だと考えます。「しかる」ことは上から目線で、相手を攻撃することです。「あなたはダメだ。何もできない」と言っているのと同じです。だから、しかられた人は見下された気持ちになり、不快になります。
その一方で、ほめればよいわけでもありません。一般的に奨励されている「ほめる」ことにも、しかると同じ意味があります。
「ほめる」ことも、対人関係を上下でとらえている人がする行為です。自分は他者より優れていると思いたい人が、他者を貶めるためにする行為です。上から目線で、相手を評価することです。「あなたは劣っているから、私がほめて喜ばせてあげる」状態です。
そして、「ほめる・しかる」いずれもその目的は「相手に言うことを聞かせる」ことです。言い換えると、「相手を操作する・支配する」ことです。
対照的に見える「ほめる・しかる」ですが、やっていることは同じです。
この事実に気づいているひとは、ほめられても、しかられても同じように不快に感じます。
「昔はしかって良かった」のではありません。
当時しかられていた多くの人が、我慢していただけです。
これを聞いて、あなたはどう考えますか。
【参考文献】岸見一郎:ほめるのをやめよう-リーダーシップの誤解.2020.7.29.日経BP
看護師。1979年広島県生まれ。脳卒中リハビリテーション看護認定看護師。
【本連載著者の書籍紹介】
看護師失格?
認知機能が低下した患者をめぐる看護師の面談録
https://store.medica.co.jp/item/301090390登場人物は「患者の役に立ちたい、優しくしたい」と思い一生懸命仕事をしている看護師ばかり。けれど、認知機能が低下した患者の問題行動を前にして、叱責し、咎め、罰を与え、時には無視し、患者に抵抗するという「不毛な戦い」をしてしまう……。面談・対話をとおして「患者さんの問題行動」にうまく対応できない看護師と向き合い続けた著者渾身の1冊!
【オンラインセミナーのお知らせ】
毎回ゲストの講師をお迎えして、学びかたや実践的なテーマをお届けするメディカLIBRARYのオンラインセミナー。
第12回は本連載著者の小林雄一さんに「あやうくキレるとこだった……ナースにおくる対人関係がちょっとラクになる60分」をテーマに講演いただきます。
患者さん対応で、ちょっとしたトラブルは誰しも経験したことがあると思います。
ただ、そうしたトラブルをすこしでも未然に防げるのであれば、防ぎたいですよね。それは、患者さんに限った話ではなく、スタッフ同士のトラブルにも通じることではないでしょうか。
たとえば、患者さんへの対応を振り返ったとき、「私は間違っていない」と口にしてしまうことはありませんか? もし心当たりがある方、すでに対人関係はこじれているようです。「私は間違っていない」というのは「私は正しい」「相手が間違っている」と言っていることと同じではないでしょうか。はたして患者さんとのトラブルは「正しい」「間違っている」という考えだけで解決するのでしょうか。
今回は、認知機能が低下した患者さんとの事例を通じて、こうした対人関係についてすこし考えるオンラインセミナーにしたいと思います。
日時:2021年9月1日(水) 18時~19時
対象:医療従事者
定員:500名
参加費:無料
※当日はZoomウェビナーを使用します。インターネットに接続可能なスマートフォン、パソコン、タブレットをご用意ください。
※インターネット接続にかかる通信費は、参加者負担となります。
お申し込みはこちらから↓
https://ml.medica.co.jp/nurse/565/