CASE006:幸せとは限らない|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

CASE 006 
97才女性

高齢社会になり、90代でも元気に生活している人が増えました。認知症専門のクリニックを始めて18年になりますが、開院したばかりの頃は認知症の新患さんは70代がほとんどでした。その後徐々に、初診時の平均年齢が上がってきて、最近では、90代の方が珍しくありません。

大正生まれの方もよくいらっしゃいます。認知症の知識が一般の方々に広く伝わり、90代でも「年だから」ではなく「病気になった」と認識してもらえるようになりました。90代でも元気な人が増え、人生100年時代となり、「あと10年生きるのであれば、生活の質を保ってあげたい」と、治療のモチベーションに繋がっているのでしょう。

生活の質を保ち、なるべく長く幸せな生活を送ってもらいたい。それがご家族の願いであり、家族にとっても幸せ・・・なのでしょうか?

仲の悪い姉妹

X年、この患者には娘が2人いました。長女と次女が、本人宅に交互に通って介護していました。長女はスパルタ式です。次女は優しく、母親ができないところを手伝う方式です。

診察室で、長女は「次女が介護すると認知機能が下がる」と訴えます。次女は、引き継ぎの際、毎回のように長女から文句を言われるようになりました。姉妹は徐々に不仲になりました。

これまでの経過

本人は元々、自宅で一人暮らしをしていました。長女、次女がそれぞれ家庭を持って、別々のところに住んでいます。

X-7年、前の日の出来事を忘れるようになりました。お金や、もらった物をしまい込んで、なくしてしまいます。

X-5年、言葉に詰まってしまうようになり、言いたいことがうまく言えなくなりました。

X-4年、得意だったミシンが使えなくなりました。近所で迷子になり、タクシーを拾って住所を言って、何とか自宅に帰れました。リモコン、携帯電話、給湯器、洗濯機など、いろいろなものが使えなくなりました。銀行のATMも操作できなくなり、お金がおろせなくなりました。料理ができなくなり、「ごった煮」しか作られなくなりました。お稽古事に行かなくなりました。朝9時に、突然、次女の家を訪問し、どうして訪問したのか説明できませんでした。

X-3年、言われたことが理解できなくなり、口頭指示が入りません。本人の金銭管理をしている長女に対し、もの盗られ妄想が出現しました。心配した次女に連れられ、当院初診されました。

初診時には、特に長女に対するもの盗られ妄想が激しく、妄想に基づいて「長女がお金を使い込んだ!」と騒いで、興奮し、泣いたり怒ったりして、「死にたい」と言うなど、精神症状が激しい状態でした。長女が金銭管理していますが、お金を使い込んだりはしていません。

元の性格を聞いてみると、次女の話では「若い頃から気性が激しい人でした。特に姉(長女)に対してはしつけが厳しく、叩くこともありました」とのことでした。

精神症状の治療をお勧めしましたが、次女は「私といる時は穏やかなので、必要ありません。姉(長女)には今まで通り金銭管理してもらいますが、接しないようにしてもらっていれば大丈夫」ということでした。本人と次女との関係は良好なようでした。

アルツハイマー型認知症と診断しました。このため認知症の進行予防のため、抗認知症薬イクセロンパッチ®を開始しました。この薬の貼付を開始すると、2、3カ月後からイライラが治まり、頭がはっきりしてきたということでした。

X-2年、貼付薬でかぶれるようになったので、内服薬のレミニール®に変更しました。この頃、次女と一緒の時間が長かったせいか、次女に対する被害妄想や攻撃性が出るようになり、しばらく離れていた長女と交互に介護するようになりました。

飲み薬に変えたことが攻撃性の原因になっている可能性もあるので、再びイクセロンパッチ®に戻しました。それでも機嫌は治りませんでした。長女に対しても暴言を吐いたり、被害妄想も出て、介護が大変になりました。このため、メマリー®を併用することにしました。すると幸いにも効果があり、情緒が安定して、興奮しなくなりました。もの盗られ妄想もなくなりました。

本人のプライド、介護方針の違いが鮮明に

X-1年、もの盗られ妄想はなくなり、情緒も以前より安定しました。しかしながら診察の際に、本人が医師に対して「娘に世話になることは、屈辱だ」と強い言葉で言いました。病識がないからということもありますが、元々、人の世話になるのがとても嫌いな性格だったのです。

この発言を機に、長女の接し方が変化しました。長女は、本人に対して一切手出しせず、すべて口頭指示でやらせるようになりました。できなくても手伝わず、できるまで、スパルタ式にやらせます。逆に、次女は今まで通り、できないところを援助する方式での介護です。

長女と次女は交代で本人の介護をしていましたが、長女がスパルタで介護している時には、本人は常に緊張状態で、意固地になり、拒薬したり、「長女は信用できない」などと言うようになりました。

逆に、次女が接しているときは、母親に対して優しく受容的であるため、本人は緊張が緩み、認知機能が低下して、長女が一緒にいるときにできているような身の回りのことが何もできなくなり、お任せ人の状態となりました。

長女と次女はお互いに、自分がやっている介護の方針が正しいと考えており、不仲になっていきました。本人の発言も、スパルタの長女に対しては「優しい娘がいるはずなのに、どうしてあなたに面倒をみてもらわないといけないのか」と、文句を言うようになりました。ついには、長女に対して「あんた、私に死んで欲しいと思っているでしょう?」と言うようになりました。

それでも長女は、介護の方針を変えようとはしませんでした。以前に次女が話していた「若い頃から気性が激しい人でした。特に姉(長女)に対してはしつけが厳しく、叩くこともありました」という言葉を思い出しました。長女は無意識のうちに、母親に復讐しているのではないかと、ふと思いました。

認知症の進行と、姉妹の不仲、介護うつ

X年、長女と介護方針が合わないので、著しく仲が悪くなり、次女の抑うつ状態が徐々に悪化しました。次女にも、ときどき通院してもらうことにしました。本人の認知症は進行し、近所で頻繁に迷子になるようになりました。目が離せなくなり介護が大変になりました。

抗認知症薬を、イクセロンパッチ®からアリセプト®に変更しました。しかし、むしろ悪化速度が速まったので、イクセロンパッチ®に戻しました。

X+1年、次女のうつ状態が遷延し、このままの状況では改善しないと思われたため、母親の介護をいったん休むようにアドバイスしました。しかしながら、すぐには医師のアドバイスを受け入れず、次女は関わりを続けていました。

次女は何かと世話を焼くタイプなので、今まで通り、いろいろと母親に対して援助していました。今まで本人は、援助してあげると素直に受け入れていたのですが、「私はどこも悪くない」と言って、次女の介護を拒絶するようになりました。

X+2年、ついに次女の援助をまったく受け入れなくなりました。介護者は長女1人になりました。長女1人では大変なので、ショートステイを利用するようになりました。このときも長女は「ショートステイに行って帰ってくると、認知機能が下がっている」と文句を言っていました。なかなか、自分以外の人が介護することを受け入れられない人です。頑固で、こだわりが強いといえるでしょう。

そしてまた次女が登場しました。しかし、次女のうつ状態は治っていません。上手に介護できなくなっています。イライラしてしまいます。以前は温厚で優しい娘だったのに、姉である長女に対しても、母親に対しても、怒ってしまいます。

次女が援助しなくなって、長女が引き取る

X+3年、家族の顔がわからなくなっていたので「ヘルパーのふりをして介護してみたら?」とアドバイスしたところ、次女が介護できるようになりました。ヘルパーのふりをして介護したところ、本人がすべて素直に受け入れたのです。これをきっかけに、「娘である自分が介護する必要性を感じない」「ヘルパーが介護したほうがうまくいく」ということに気がつき、次女は自分のうつ病を癒すため介護から手を引きました。また介護者が長女1人になりました。

長女が介護するため本人を自宅に引きとり、ショートステイと長女宅を行き来するようになりました。長女には、同居している夫と娘がいますが、本人が自宅にいる間は常に監視や介護が必要で、夜間も寝ないで家の中で徘徊するようになり、長女の家族が疲弊してきました。

X+4年、長女の娘は、徘徊する祖母と一緒にいられなくなり、家を出てしまいました。長女の夫も、自身の実家のほうに頻繁に行くようになりました。長女の生活は、すべて母親の介護に費やされるようになりました。

気づいたときには、孤独に

そんな生活が1年ほど続いたある日、長女の自宅で介護が始まってから家を出た娘と、すでに嫁いでいた上の娘(2人とも本人の孫にあたります)が、長女の誕生日に食事に招待してくれました。

母親がショートステイに入っているので久々の団欒でした。「お母さんも、もう年なんだから、おばあちゃんの介護は卒業して、自分の人生を生きてほしい。今、お母さんの介護は自己満足になっている」。娘たちにそう言われました。長女は、ハッとしたと言います。

施設に預けようかどうしようか、次女に相談しようと思いました。そして次女に電話して、「もう介護を卒業して、施設に入れようと思っているのだけれども」と、相談しようとしました。すると「何も相談しないで。母が亡くなってから電話して」と、拒絶されてしまいました。

診察室で、長女に「人生でやりたいことはありますか?」と私が尋ねると、「田舎でのんびり暮らしたい。それが夢だった。今まで介護に夢中で忘れていた」と答えました。

「そういえば、先日も介護をしながら母に『施設に入らないで、娘の世話を受けながら生活できて、お母さんは本当に幸せね』と話しかけたら、母が私の顔をまじまじと見て、『幸せとは限らない』と言ったんです。私の顔に何か出ていたんでしょうか」

妹と仲違いし、娘や夫が家を出て行ってしまい、孤独になった女性の疲れた顔がそこにありました。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。