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認知症の人の受診は、たいていの場合、誰かが付き添ってきます。このため、私の診察室には椅子が3つあります。患者さんの座る椅子1つと付き添いの人が座る椅子2つです。

話が長くなることもあるので、丸椅子ではなく、背もたれのある座り心地の良い椅子を置いています。そのせいか、私の診療はついつい長くなってしまいがちです。

本人に関する話をして長くなるのはよくあることと思いますが、そうでない理由で診察が長引いてしまうこともあります。

それは、付き添いの人の具合が悪いときです。付き添いの人の体調は、介護している本人の状態と連動しています。具合が悪そうにしていたら、介護に原因があることもあるのです。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 043
85才女性

認知症で通院中の人が、いつものように娘に付き添われて入室してきました。

「最近の体調はいかがですか?」
本人に尋ねると「大丈夫です」と答えます。

「もの忘れはどうですか」
「ありません」

症状がわかりません。認知症の診療ではよくあることです。病識がないので自分の症状を説明できないのです。このため、正しく症状を理解するためには、必ず家族や介護者に話を聞かなければなりません。

付き添ってきた娘に最近の様子について聞こうと思いました。

「お母様の、様子はいかがですか」

なかなか返事をしません。私は電子カルテのタイピングをする手を休めて、娘が座っているほうに向き直りました。よく見ると、娘は診察室の椅子に座ったままうなだれています。寝息を立てています。

「あの、大丈夫ですか?」

もう一度声をかけましたが目が覚めません。これでは診察になりません。どうしたらいいのでしょう。

これまでの経過

もとの性格は几帳面で頑固できつい母親だったとのことです。年を取ってだいぶ丸くはなってきたとのことでした。

この人には娘がいます。娘は頑固で融通のきかない母親から厳しく育てられ、長じてうつ病を発症しました。精神科のクリニックに通って、薬を飲みながらなんとか社会生活を送っていました。

記銘力障害の出現

X-6年、記銘力障害が出現し、娘との電話の内容を忘れるようになりました。

X-5年、「自分の右上のほうから、ときどき何かが回転するような音がする」と訴えるようになりました。耳鼻科を受診しましたが異常ありませんでした。幻聴と考えられました。同時期より小刻みすり足歩行になり、背中が丸くなってきました。

X-4年、急速に肥満してきました。食生活が変わったためでした。なんでも濃い味つけが好きになったのです。麦茶にみりんや醤油を混ぜるなど、いままでやらなかったことをします。

肥満したことを娘に指摘されて、本人なりに気にするようになりました。しかし、食生活を改善することはありませんでした。その代わりにダイエットしようとして、ドラッグストアでいろいろな薬品を買ってきてしまうようになりました。「痩せる」という謳い文句に釣られて買ってきますが、飲み続けられません。家に溜まっていきます。

脳神経外科を受診

異変を感じた娘は、最初に近所の脳神経外科に連れていきました。画像検査をすると脳は萎縮していましたが、特異的な所見はありませんでした。縮んでいるだけで、脳梗塞も、脳出血も、脳腫瘍も、何もないということです。

初診時にHDS-R23点、MMSE26点と言われました。HDS-Rは「改定長谷川式簡易知能評価スケール」の略です。日本人の精神科医、長谷川和夫医師が開発した簡易な認知機能検査です。外来診療中に短時間でできます。記銘力、時間や場所の見当識、集中力や注意力、言語機能などをチェックできます。

30点満点で、カットオフ値は20点です。カットオフ値というのは、認知症か、そうでないかを判断する大まかな基準です。しかしながら、私自身の経験では30点を取れる認知症の人もいますし、10点台でも認知症でない場合もありました。検査時の条件や学歴、意識レベル、病気の種類が違うなど、もろもろの要因で検査の成績が左右されるのです。

アルツハイマー型認知症以外の認知症では、見当識や記銘力が低下しないで、他の能力が低下するので、この検査では検出できません。どんな能力が低下するのかというと、感情をコントロールする、やる気を出す、人に配慮する、我慢する、などです。

もう一つの検査、MMSEはMini-Mental State Examinationの略です。この検査は、認知症の薬の治験でも使われるような、世界中で使われている検査です。HDS-Rとの大きな違いは図形を模写する項目があることです。失行や空間認識能力を見るためです。

MMSEのカットオフ値は24点です。23点以下が認知症の疑いがあるということです。こちらも私の経験では、30点満点取れる認知症の人もいましたし、15点ぐらいでも認知症ではない人がいました。HDS-Rと同じことですね。

結論から言うと、この人は「HDS-R23点、MMSE26点」だったので、脳神経外科では「認知症ではない」と言われたのでした。

睡眠リズム障害

X-3年、夜間頻尿が出現し、睡眠障害のため日中傾眠状態となりました。夜間頻尿は自律神経の障害です。睡眠覚醒リズムと関係があります。

娘が本人にもの忘れを指摘すると怒り出すようになりました。精神症状です。今度は近所の精神科に連れていきました。

HDS-R22点でMMSEは26点でした。前の年とあまり変わりません。精神科ではアリセプト®︎を投与されました。

徐々に生活障害が顕著になりました。生活障害の原因は、見当識障害や記銘力障害ではなく、意欲の低下、睡眠リズム障害でした。意欲の低下は「アパシー」という症状です。主に前頭葉機能の低下で起こる症状です。意欲、モチベーション、何かをやり始めようとする意志が低下しています。

家事をしない、食事をしない、風呂に入らない、買い物に行かないなど、無為な状態となり、生活が破綻しました。

自宅で一人暮らしが難しくなったため、娘が自分の家の近くに転居させました。転居後、娘が病院や銀行の場所を何度も教えましたが覚えられませんでした。どうしても一人で行けるようにはなりませんでした。

転居のため前に通っていた精神科に通えなくなり、娘の付き添いで当院に転院してきました。当院のことは、娘がインターネットで調べたとのことでした。

初診時の様子

本人に病識はなく、物忘れについては「度忘れしただけ」と主張します。診察中、数分おきに同じ話の繰り返しです。

娘の話では日付や曜日がわからなくなっており服薬管理ができません。飲み忘れた薬がたくさんあるので、本人いわく「薬がまだあるから通院しなくてよい」と主張します。娘が服薬カレンダーを買ってきてセットしましたが、そこから服用せずに、ストックしてある薬から勝手に出して適当に飲んでいます。

家事能力の低下

以前はいろいろな料理を作っていましたがレパートリーがだんだん減りました。冷蔵庫の管理はできなくなり賞味期限切れの物が入っています。買物に行くと同じ食材を重複して買ってきます。

娘が掃除や洗濯などをやるように促しても面倒がってやりません。掃除や洗濯は、娘が訪問してやってあげるようになりました。

ときどき腐った食材を食べてしまうせいか下痢をします。両便失禁があり、特に下痢をしたときにはトイレに間に合わないようです。臭いので娘が入浴するように促しても面倒がって風呂に入りません。病識が欠如していて、いろいろな指示が入らないので娘が対応に苦慮していました。

当院初診時のMMSEは25点でした。脳神経外科、精神科では26点でした。少し低下したようです。MMSEの内容を検討しました。記銘力を見るための項目、遅延再生は0点でした。3つの言葉を覚えて、その後で引き算を5回してもらい、計算が終わったら3つの言葉を思い出してもらう項目です。この項目は、アルツハイマー型認知症や軽度認知障害では真っ先にできなくなります。

そのほかには、当院の病院名と市町村名が誤答でした。この失点については、記銘力障害の症状の一つと考えました。引っ越してきたばかりだったので、新しく覚えなければならないものでした。

単なるアルツハイマー型認知症ではない

まとめると、記銘力障害があり、病識がなく、入浴を嫌がり、幻聴があり、パーキンソン症候群がみられるということです。頭部MRIでは大脳全体の血流障害を認め、びまん性萎縮が軽度みられました。アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症を合併しているような印象でした。

鑑別診断のために、MIBG心筋シンチやDATスキャンを検討しましたが、経済的に苦しいとのことで見送りました。まずは、前医からのアリセプト®︎をしっかり服用してもらうことを目指しました。

「みなし」サービス導入

薬の管理をするために介護認定申請してもらいました。娘の家の近くに住んでいるとはいえ、一人でのアパート暮らしです。早急にサービスが必要と思われました。

このため、私は地域包括支援センターに連絡を取り、「みなし」でサービスを開始するように依頼しました。薬剤師による居宅療養管理指導と訪問看護を導入してもらいました。経済的に苦しいということでしたので自立支援医療も申請しました。

自立支援医療は、精神保健福祉法に規定する精神疾患の人で、通院による精神医療を継続的に要する人が受けられる医療費の助成制度です。私が診断書を書いて、娘に申請してもらいました。

通所系サービスを嫌がる

薬剤師と訪問看護師は何とか導入できましたが、進行予防のため勧めたデイケアやデイサービスの通所については本人の拒絶が強く、開始できませんでした。

X-2年、薬を飲み忘れても「飲んだ」と主張します。残薬を確認し、もの忘れを指摘すると「薬剤師が間違えて処方した」と主張します。

娘のストレス

娘はイライラしてしまい、「嘘をつくな」と怒ってしまいます。私は娘に「本人は嘘をついているのではなく、忘れていることを取り繕っているので指摘しないほうがよい」と指導しました。

銀行の暗証番号を忘れてお金が下せなくなりました。娘のアドバイスで手帳に暗証番号を書いて持ち歩きました。銀行に着くと手帳を開いて暗証番号を大声で読みながら入力します。暗証番号を人に知られ、カードを盗まれたらたいへんだと思い、娘は「暗証番号を言ってはダメ」と注意しましたが読み上げることをやめませんでした。

タクシーに乗ると、運転手に向かって「私は東京に引っ越してきたばかりなの。道は全然わからない」と毎回言います。そのためか、ときどき遠回りされて高額なタクシー代を請求されるということでした。

また、電車に乗ると隣に座った見ず知らずの人に「貧乏で、風呂のないアパートに住んでいる」など、普通なら恥ずかしくて人に言えないような話を平気でするので、付き添っている娘は恥ずかしくて仕方ありませんでした。

人格変化

人格が変わり、抑制が取れている状態です。このような人格変化は前頭葉機能の低下によって起こることが多いです。

ヤカンの空焚きや鍋焦がしが増えました。注意力や集中力の低下が悪化したのです。

テレビの内容がわからなくなりました。ストーリーが追えなくなり、ドラマが見られなくなりました。記銘力障害による理解力の低下です。

失語

「補聴器」を「携帯」と言うなど錯語が出現しました。失語の症状の一種です。書類の記載など手続きができなくなりました。字がうまく書けなくなったので娘に書いてもらうようになりました。生活に必要なことをなんでも億劫がります。

介護認定申請の結果が来ました。介護認定は要介護2になりました。

薬剤師の援助

薬局からの居宅療養管理指導報告書では、薬のコンプライアンス不良で残薬が大量にある旨連絡がきました。短いスパンで薬を配達してもらうことになり、声かけの回数を増やしたところ、何とか内服できるようになってきました。

1年ぶりにMMSEを施行したところ26点でした。アリセプト®︎をきちんと飲めるようになったので認知機能が保たれているのかもしれません。もちろんMMSEで汲み取れない能力の低下があるのかもしれません。

自律神経発作

てんかん発作が出現しました。急に吐き気がして倒れる発作です。1回目は様子を見ましたが、2回あったので抗てんかん薬のイーケプラ®︎を開始しました。発作は起こらなくなりました。

このようなてんかん発作は、アルツハイマー型認知症よりもレビー小体型認知症に伴うことが多いです。

めまい

X-1年、「天井の木目がグルグル回る。白蛇が動いている。湯沸しポットが浮かび上がる」などと言います。幻視あるいは錯視と考えられました。

「息子が手紙をくれた」
「親戚が古い着物を浴衣に作り変えてくれることになった」
「親戚が干物を送ってくれるそうだから、あなたにも分けてあげる」

などと事実無根の話をするようになりました。作話です。

脱抑制、環境依存性

放っておくと1人のときに歌を歌うようになりました。娘と2人で出かけると目に入ってくる看板や標識の文字を読み上げるようになりました。環境依存性という症状です。前頭葉機能の低下によって起こります。

尿失禁が増悪しました。切迫性尿失禁のようで、トイレに駆け込むが間に合わないということでした。過活動膀胱を疑い、ベタニスを開始したところ尿失禁は消失しました。以前からあった便失禁だけが残りました。便失禁は徐々に増悪し、出ている感覚がないままに下着の中に排便してしまうようになりました。

排泄の中枢は前頭葉です。前頭葉の障害で膀胱直腸障害が起きます。種々の症状は前頭葉機能が徐々に低下していることを示しています。

知能検査の急激な悪化

MMSEを施行したところ20点でした。1年前は26点でしたので急激な低下です。アルツハイマー型認知症の場合、MMSEの点数は平均で年間2~3点の低下を示します。1年間で6点というのは異常です。アルツハイマー型認知症の経過とは思えません。他の変性疾患またはその合併なのでしょう。

頭部MRIでも大脳のびまん性萎縮が進行していました。メマリー®︎を開始しました。

介護のための治療

X年、娘が本人に対して、うっかり、もの忘れを指摘すると本人は大声でわめきます。私が「もの忘れを指摘しないように」と何度指導しても、「どうしても言ってしまう」と言うのです。

子どものころから頑固で融通の効かない母親に厳しく育てられました。幼いころから「家族は厳しく指導する」という価値観を刷り込まれています。それが抜けないのです。自分の子どもだけでなく、認知症になった自分の母親に対しても同じように厳しく接します。間違いをいちいち正してしまいます。どうしても変えられません。

「寛容に、受容的に接する」という私の指導と、「間違いを許さない」という刷り込まれた価値観との板挟みになり疲弊しています。介護に支障があるというので抗精神病薬を併用することにしました。

このような治療は、直接的には本人のための治療ではありません。介護者が本人に接しやすくすることでケアの介入ができるようになり、最終的には本人のためになるという治療です。本人にとっては、薬の副作用で認知機能や身体機能が低下するので、できれば行わないほうがよい治療です。

抗精神病薬

処方したのはレキサルティ®︎という非定型抗精神病薬です。
この薬は、高齢者に投与しても副作用である薬剤性パーキンソン症候群が出現しにくいのです。このため最近使うことが多くなっています。

処方後、怒ることは減りましたが認知機能が若干低下しました。本人が銀行にお金を下ろしに行き、カードをATMに残したまま帰宅してしまいます。何度か続いたので銀行から娘に連絡が入り注意されました。

副作用が少ない薬であっても、これだけの影響があるのです。

娘の異変

このころから娘に異変が起こりました。娘が診察室で居眠りするようになりました。うまく接することができなくて怒らせてしまう自分を責めています。ストレスを感じることによりうつ病が悪化しています。夜は眠れなくなりました。昼間に眠くなってしまいます。

看護師の話では、診察前に待合室でも眠っていたようです。診察室に入ってきて椅子に座ったらまた眠ってしまったのです。本人は認知症で話がかみ合いませんし、娘も眠り込んでおり診察になりません。

「もしもーし」

私は何度か声かけをして娘を起こし、診察を継続しました。娘は目を開けましたが、ぼーっとしていて受け答えも満足にできない状態でした。

娘の状態の悪化による生活障害

このころから娘が処方箋を紛失するようになりました。うつ病による注意力の低下によるものと思われました。うつ病による認知機能の低下を「仮性認知症」といいます。娘も認知症のような状態に陥っています。睡眠不足でぼんやりしているのかもしれません。

母親の自立支援医療の受給者証も娘が管理していましたが紛失してしまいました。そのうち時間を間違えてか、朝起きられなくてか、どちらかの理由で本来の診療時間内に間に合わなくなりました。

受診時に本人が尿失禁していることもありました。ズボンが濡れた状態で待合室の椅子に座っていました。娘は気がつかないで隣りに座っていました。

抗精神病薬の投与により幻視や作話などは減りましたが、認知機能は低下して娘を親戚の誰かだと思っている様子です。認知機能の低下だけが原因ではなく、厳しく接してくる娘に対して「こんな厳しいことを言うのは娘ではない」と思い込む、心因反応を来していたのかもしれません。

娘の不調の理由

母親である本人に抗精神病薬を使用することにより本人の易怒性は治まりました。一方、認知機能は低下し、娘を親戚の他の人物と誤認します。自分が娘であることを毎回いちいち説明して、疲れてしまいます。

いままでできていた身の回りのことができなくなりました。介護量は増えました。朝から晩まで手助けが必要です。娘は本人に対して失敗を指摘してしまいますが反応がなくなりました。何を言っても反応がなく、ぼんやりしてなすがままです。失禁やできないことの介護が増え、娘がイライラして一人で空回りしています。へとへとになってしまいました。

薬剤コンプライアンスの低下

当初導入した薬剤師の居宅療養管理指導により薬が飲めるようになっていましたが、このころから再び服用のコンプライアンスが悪化しました。娘がきちんと薬を飲ませられなくなったためです。娘の管理能力が低下したのです。なんとか管理できるように1日2回の薬をやめ、1回投与に変更しすべてまとめました。

レキサルティ®︎の効果は絶大で、娘に対する攻撃や興奮は一切なくなり、妄想もまったく話さなくなっていました。

食事が十分に摂れなくなり、体重が急速に減少し、5カ月間で15kg減りました。診察時には息苦しいのか鼻息が荒く、尿臭がします。どう考えても効き過ぎ、過鎮静です。レキサルティ®︎を中止しました。

抗精神病薬中止後

薬を中止してからも症状は徐々に悪化しました。急激に歩けなくなり転倒を繰り返します。パーキンソン症候群の増悪でした。薬剤性パーキンソン症候群を来す代表的な薬である抗精神病薬は中止していますが、徐々に悪化しています。認知症の進行なのでしょうか。それともほかに原因があるのでしょうか。

ある日、ケアマネジャーが付き添って来院しました。ケアマネジャーの話では、急激に食事摂取不良になったということでした。嚥下障害の出現です。こちらも原疾患だけでなく、薬の副作用でも見られる症状です。

パーキンソン症候群も、嚥下障害も、認知症が進行すると徐々に現れる症状ですが、この人の場合、急激に出現しています。薬剤性かもしれません。この時点で飲んでいる薬は、抗認知症薬のアリセプト®︎とメマリー®︎、抗てんかん薬のイーケプラ®︎です。

訪問介護の導入

身の回りの世話が増えて娘が疲弊していたので、訪問看護だけでなく訪問介護も導入しました。また、経口接種不良に対してはエンシュア・リキッド®︎を開始しました。

X+1年、自発語がなくなりました。体の動きが著しく悪く、入浴はまったくできないので訪問看護師やヘルパーが入った際に清拭するようになりました。トイレまでも歩行できなくなり、テープ式のオムツを使用開始しました。1日に2回、ヘルパーが取り替えるようになりました。寝たきりです。

施設入所や入院について意向を聞くと、娘は「在宅で介護を継続したい」と言いました。介護保険の点数がオーバーして自費が出るようになり、区分変更申請することになりました。

抗認知症薬の中止

アリセプト®︎の副作用で食欲が低下したり、メマリー®︎の副作用で過鎮静になることがあります。両剤は抗認知症薬であり、進行予防に寄与している可能性がありましたが、生活障害の原因になるような副作用の可能性もあるため、いったん中止してみました。

すると翌月になり様子が一変しました。自ら調理しようとして台所に行き、炊飯器をコンロに乗せて火を付けました。炊飯器は溶けて、溶け落ちたプラスチックがコンロにこびりつき、コンロは使えなくなりました。ガスの元栓を閉めて利用できないようにしました。

自発語が戻ってきました。娘に「あの子はどうしたの」と何度も尋ねます。「誰のこと?」と聞き返しても誰のことかは言えません。

抗てんかん薬の中止

しばらくてんかん発作と思われる症状もなかったため、イーケプラ®︎も中止しました。すると歩行障害が改善し、歩き回るようになりました。発作の再発はありませんでした。

テレビを観るようになりました。部屋の片付けと称して物の出し入れを繰り返すようになりました。洋服や書道の道具など、昔使っていたものを出しては散らかして、落ちつきません。

「さっき抱っこしていた子はどこにいたの」「子どものご飯を作らないと」などと言います。また、一人にしておくと家から出てしまい、警察に保護されるようになりました。

種々の生活能力が戻ってきましたが、正常な能力が戻ってきたわけではありません。中途半端です。でも、元気です。

娘に元気が戻る

母親が元気になるにつれ娘も元気になってきました。

「お母さん、それは違うでしょ! 保険証はこれでしょ!」

待合室で喧嘩をしている様子です。診察室まで聞こえてきます。診察室に入ってくると、娘の意識ははっきりしていて笑顔さえ見られます。

「徘徊して、また警察に保護されたんです。先生、なんとかしてください。精神安定剤、出してください」

レキサルティ®︎を出してほしいようです。出せば同じことの繰り返しになるのは目に見えています。処方を断るべきでしょうか。それとも……。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。