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認知症の人が交通事故に遭ったり、交通事故を起こす確率は高いといわれています。

自動車運転中に迷子になり、長時間あてもなくさまよい続けた挙句に人身事故を起こしてしまうなど深刻なケースもあります。また、注意力の低下により車に接触し、事故の被害者になることもあります。

事故はなるべく避けたいものですが、事故のおかげで事態が好転したケースがありました。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 049
79才女性

いつも歩いて入ってくる人が、杖をついて介助歩行で入室してきました。付き添っているのは夫です。つい前月に虐待ケア会議を行った当事者夫婦でした。認知症の妻への過干渉気味な夫が、1年ぐらい前から妻に暴力を振るっていたことが判明し、問題になっていました。

夫の暴力で大怪我をさせられたのではないのかと、まず疑いました。

「その怪我は、どうしたのですか?」

何があったのか聞かなくてはなりません。

これまでの経過

夫と娘一家と同居です。娘は共働きで、孫の世話はもっぱら本人の仕事でした。孫が大きくなるとパート勤務を始めました。

X-15年、歯痛を訴えるようになりました。歯科でいろいろ調べましたが異常がなく「精神的なもの」と言われました。口腔セネストパチーという体感幻覚の始まりでした。

X-8年、夜中に過呼吸発作を起こし、救急搬送されました。
これをきっかけにパート勤務を辞めました。気持ちが落ち込み、家に閉じこもりがちになりました。うつ状態です。以後も、ときどきパニック障害による過呼吸発作を起こすようになりました。

記銘力障害

X-7年、記銘力障害が出現しました。

X-6年、膝痛が出現しましたが、整形外科でいろいろ調べても異常がなく、「精神的なもの」と言われました。後にこれも体感幻覚と判明します。

X-4年、うつ状態やもの忘れが悪化し、大きな病院を受診しました。MMSE25点でした。病院の医師は「認知症ではない」との診断で、「老年期うつ病」と診断され、抗うつ薬のドグマチール®︎が処方されました。

半年後、同じ大きな病院を受診するとMMSE22点に低下していました。「認知症になった」と言われ、抗認知症薬のアリセプト®︎が処方されました。アリセプト®︎の服用開始後すぐに副作用が出現しました。活動が亢進したのです。家族が不在にしていた日に一人で外出し、いままでに行ったこともない競馬場に行って馬券を買い、散財して帰宅しました。10日後にはひどい下痢をするようになり、何日経っても治らないのでアリセプト®︎の服用をやめたところ治りました。

家事能力の喪失

X-3年、それまではなんとか行っていた買い物や料理をまったくしなくなり、夫が自分の仕事を辞めて家事を行うようになりました。料理のレシピを見せてやらせようとしても、どうしたらできるのかわからなくなり、そのうちまったくできなくなりました。

歩きにくくなり、買い物カートにつかまって歩くようになりました。もの忘れが悪化してきたので、今度はイクセロンパッチ®︎が処方されましたが、こちらも副作用で湿疹が出てすぐに中止になりました。

MMSE18点でした。大きな病院に通院させるのがたいへんになり、当院を紹介され初診しました。

初診時の状態

物忘れがひどく、同じことを何度も聞きます。少し自覚があり、「頭がパーになった」などと言います。調理や家電製品の操作がわからなくなりました。このため家事ができません。

整形外科的な異常がないのに、膝などあちらこちらの関節痛があります。デパス®︎を服用すると改善するとのことですが、服用するとぼんやりしてボケた感じになるとのことでした。気分が沈んで「死にたい」と言うことがあります。

斜視があり、「ものが二重に見える」と訴えます。複視です。眼球運動障害を来す進行性核上性麻痺にときどき見られる症状です。眼球運動を見ると、上下方向の動きに軽度の制限があります。

夫がもっとも困っていたのは「歯が痛い」と言ってお粥しか食べられなくなり、歯科などいくつも受診して何も異常が見つからないということでした。時には、痛みの訴えがひどく興奮して救急車を呼んでしまいます。その都度「異常がない」といわれて帰されてしまいます。食事が取れなくなり、体重は30kg台まで減ってしまいました。

口腔セネストパチー

このように、歯科的に異常がないのに歯痛や口腔内の異常をしつこく訴え、何をやっても改善しない症状は、口腔セネストパチーといいます。体感幻覚の一種です。いろいろな認知症疾患にみられます。いままで経験したなかでも、レビー小体型認知症、アルツハイマー型認知症、大脳皮質基底核変性症など、さまざまな病気の人が口腔セネストパチーを訴えていました。

歩行障害もありました。家の中では小刻み歩行ですり足ですが、外に出ると比較的スタスタ歩きます。パーキンソン症候群です。パーキンソン症候群による歩行障害は、狭いところを歩くときには小刻み歩行が顕著になります。広いところを歩くときには目立たなくなります。このため、家の中で歩行障害が目立つという現象が起きます。パーキンソン症候群の症状としては、アキネジア、手の震えもありました。

また、以前はなかったのですが、自宅近くの猫、近所の飼い猫や野良猫に餌付けをするようになったということでした。行動障害です。「猫が好きなんですか?」と尋ねると、「動物が好きです」とのことでした。

競馬についても尋ねると「馬が好きだから行きました。馬を見ていたら、隣のおじさんが馬券を買っているのを見て、急に自分も買いたくなりました」と言いました。衝動性が高まっているようです。衝動性は前頭葉機能の低下による脱抑制を反映している可能性があります。

パーキンソン病では、病的賭博といって、損をするとわかっていても何度も賭け事を繰り返してしまう傾向が出てきます。この人の場合には、一度馬券を買いましたが、その後ギャンブルにハマるようなことはなかったので、病的賭博の症状というよりは衝動性が高まっていると考えたほうがよさそうでした。

いままでになかった行動が次々と出てくるので、夫は戸惑っていました。

パーキンソン症候群を伴う認知症

認知症にパーキンソン症候群を伴う病気で、よくあるのはレビー小体型認知症ですが、この人にはレム睡眠行動異常症や幻視・錯視はありません。そのほかには、大脳皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺、嗜銀顆粒性認知症などが比較的多く見られます。

これらの病気を鑑別するために、まずはMIBG心筋シンチを施行しました。心臓交感神経機能を見る検査で、レビー小体型認知症の診断ができます。この検査は正常でした。レビー小体型認知症ではありません。そのほかのどのような病気なのかはまだわかりません。衝動性が高まるなど前頭側頭型認知症の症状が出現しています。大脳皮質基底核変性症のような症状も、進行性核上性麻痺のような症状もあります。

薬剤性パーキンソン症候群

薬剤性パーキンソン症候群の鑑別も重要です。「老年期うつ病」といわれてドグマチール®︎を約1年間服用していたので中止しました。

ドグマチール®︎は抗うつ薬ですが、胃腸薬としても使用される薬です。食欲が改善し吐き気が止まるので、内科でも神経性胃炎などに処方されることが多いようです。よく使用される薬なのですが、薬剤性パーキンソン症候群が出現しやすいので注意が必要です。薬によって脳のドパミン系が抑制されて、運動機能障害すなわちパーキンソン症候群が起こります。

ドグマチール®︎の中止によってパーキンソン症候群が改善すれば薬剤性と判断できます。

ドグマチール®︎などの薬剤性パーキンソン症候群を来す薬剤は、どの薬剤ももともとあるパーキンソン症状を増悪させるという性質があります。パーキンソン病になっているけれども症状がごく軽い初期の場合には、自分も周りの人も異常を感じていないことがあります。そのような時期に薬剤性パーキンソン症候群を来す薬を服用することによって、もともとあるパーキンソン症状が顕在化し、病気になっていることが判明することがあります。

この人では、ドグマチール®︎中止後に手の震えが少し減ったものの、全般にパーキンソン症候群は改善しませんでした。ドグマチール®︎によって抑制されていた吐き気が再燃し、抑うつや不安感も再燃しました。薬剤性パーキンソン症候群ではありませんでした。

ドグマチール®︎の代わりにペリアクチン®︎を処方してみました。ペリアクチン®︎は抗アレルギー薬です。この薬は副作用として食欲増加があります。副作用を利用して食欲不振の治療に使うのです。幸いペリアクチン®︎の服用で食欲は改善しました。抑うつや不安に対しては抑肝散を処方しました。こちらも効果があり気持ちが落ち着いてきました。

身体表現性障害と言われる

X-2年、歯の痛みをしつこく訴えるので、夫が大きな病院の歯科に連れて行きました。そこでは「身体表現性障害」と診断されました。身体表現性障害とは、ストレスなどが原因で原因不明の痛みや痺れなどが持続する症状のことです。身体症状症ともいいます。

口腔セネストパチーは体感幻覚です。身体表現性障害のような精神的ストレスによる症状とは違います。大脳の器質的あるいは機能的障害によって引き起こされる症状です。精神的なものではありません。

大きな病院の歯科では「精神科に行くように」と言われました。

本人が歯痛を訴え度々医療機関を受診したり、救急車を呼んでしまうので、日々の健康不安を解消してもらうことを目的に、訪問看護を導入しようと考え介護認定申請してもらいました。

早速ケアマネジャーから連絡が入り、週1回の訪問を開始してもらいました。

両膝の痛みについても、整形外科でいろいろな検査を行い、異常がありませんでした。このため整形外科医から「精神的なもの」と言われました。こちらも訪問看護師に症状を観察してもらうことになりました。

不随意運動

舌打ちするようになりました。食事の支度など何かに集中しているときに激しくなります。不随意運動です。オーラルジスキネジアという症状です。パーキンソン症候群に伴って出現したり、抗精神病薬の副作用で出現することがあります。

歩行障害が徐々に悪化しました。介護保険の福祉用具貸与を利用して、徒歩で遠出をするときには車椅子を使用するようになりました。

訪問看護ステーションから理学療法士の派遣を受け、訪問リハビリテーションも併用開始しました。理学療法士の報告で、徐々に頸部の固縮が増悪しているということでした。頸部の固縮といえば進行性核上性麻痺です。

ペインクリニック

歯痛、膝痛などがあり、夫の判断でペインクリニックに通い始めました。ペインクリニックでは、カロナール®︎、セレコックス®︎が処方されました。しかし、痛みはまったく改善しませんでした。

このころに眼球運動障害について診察すると、上下方向はほぼ動きが見られず、左右は動きますが衝動性が見られました。スムーズな動きが見られないということです。進行性核上性麻痺の症状です。

午前中は臥床がちで、トイレ歩行もおぼつかなくなりました。起こそうとすると過呼吸発作を来し、全身を震わせるということでした。パニック発作かミオクローヌスのような不随意運動の可能性があります。ケアマネジャーに依頼し、トイレ歩行しないで済むように、ポータブルトイレを設置してもらいました。

マイナートランキライザーの功罪

いままで「痛い痛い」というので種々の鎮痛薬を処方されてきましたが、過呼吸発作を起こしているので、試みにマイナートランキライザーを服用させました。メイラックス®︎という薬です。すると発作が治まり、穏やかになり、全身を震わせるようなこともなくなりました。

ところが、マイナートランキライザーは認知機能を低下させることがあります。この人も例外ではなく、メイラックス®︎服用後からときどき夫の顔がわからないことが出てきました。家の中でトイレの方向もわからず、うろうろします。眠気も強く、日中も寝たり起きたりです。活動量は全般に低下しました。

そしてマイナートランキライザーの副作用、筋弛緩作用も出ました。外出中に車から降りた際、腰砕けになって転倒しました。もう一つ、舌根沈下も起きました。夜間睡眠中に舌根沈下して、大きないびきをかき、ときどき呼吸も止まります。睡眠時無呼吸症候群です。

このためメイラックス®︎を中止してサインバルタ®︎を処方しました。サインバルタ®︎は抗うつ薬の一種ですが、鎮痛薬としても使える薬剤です。すると歯痛の訴えが減って食事が取れるようになり、なんとなく元気な感じになってきました。過呼吸発作も起こらなくなりました。

もの忘れの悪化

もの忘れがひどくなったというのでMMSEを行いました。MMSEは簡易な認知機能検査でついつい多用してしまいがちですが、頻繁に行うと学習効果が出て点数が上がってしまうことがあります。このため半年以上は間隔を開けるのが望ましいのです。前回からちょうど1年ほど経ったので行いました。30点満点で22点でした。できなかった項目は、時間的見当識(年月日曜日時間)と遅延再生(3つの言葉を覚えてもらい、暗算の後で思い出してもらう)の項目でした。1年前には23点でしたので、1点の低下です。

通常、アルツハイマー型認知症では1年間で2〜3点の低下が見られます。1点は低下しているとはいえ進行が早いとはいえません。様子を見ることにしました。

転倒

X-1年、転倒が増えました。パーキンソン症候群の悪化です。このため、ネオドパストン®︎を開始しました。ネオドパストン®︎はパーキンソン病の治療薬です。脳内のドパミンを補う薬です。訪問リハビリテーションの担当者の話では、ネオドパストン®︎を服用し始めてから歩行障害が改善してきたということでした。

夫の病気

X年、夫が心筋梗塞になりました。以前から胸痛があったようですが、介護が忙しく自分の健康管理がおろそかになっていました。夫は緊急入院で冠動脈バイパス術を行いました。

夫が入院中に薬の管理が疎かになり服用できなかったので、精神症状が増悪して「歯が痛い!」と騒ぎ、しょっちゅう119番通報してしまいました。同居している娘も孫も働いており日中独居です。その都度ケアマネジャーが呼び出され、ケアマネジャーから私に連絡が入りました。

薬の管理のためにサービスが必要です。調剤薬局の薬剤師による居宅療養管理指導を導入してもらいました。

夫が退院

夫が退院して久しぶりに付き添って来ました。「物忘れがひどくなりました」と言います。MMSEを施行しました。今度は18点でした。前回22点ですのでだいぶ下がっています。

抗認知症薬を開始しました。レミニール®︎です。認知症に処方する薬剤は現在4種類が発売されています。アセチルコリンを増やす薬が3種類あります。レミニール®︎の特徴はアセチルコリンだけでなくGABA、セロトニンなどほかの神経伝達物質も増加させる作用があります。このため、抗うつ作用、意欲改善作用などを期待して処方してみました。

ミオクローヌス

同時期から体がピクピク震える発作が出現しました。夫の話によれば、体が前屈みになり、全身をピク、ピクと振るわせるのがしばらく続き、眠りにつくと治るということでした。ミオクローヌスと思われました。ミオクローヌスは大脳皮質基底核変性症に見られる症状です。

進行性核上性麻痺のような症状と、大脳皮質基底核変性症のような症状の両方が見られます。この2つの病気は両方とも溜まるタンパク質が同じです。病気の原因となるのは4リピートタウというタンパク質です。

最近では、大脳皮質基底核症候群といって大脳皮質基底核変性症の症状を呈する症候群という考え方があります。大脳皮質基底核変性症の症状を呈した病気の人が、病理解剖で大脳皮質基底核変性症ではなく進行性核上性麻痺やアルツハイマー型認知症と判明することが稀ではないのです。

進行性核上性麻痺(PSP)と大脳皮質基底核変性症(CBD)は原因となるタンパク質が同じで、両方の症状をいくつかずつ併せ持つ人が多いので、PSP/CBD 4リピートタウオパチーと呼ばれることがあります。

この4リピートタウオパチーは精神症状が現れることが多く、精神症状が活発な前頭側頭型認知症の症状を呈します。両者とも抑うつ症状を伴い、特に絶望感を来しやすいといわれています。

そのためか、高齢者の自殺や事故での死亡例で司法解剖を行うと、4リピートタウオパチーが見つかる割合が多いのです。精神的に絶望感が多いことや、認知機能低下のうち特に前頭葉機能低下による注意力の低下で事故に遭う確率も高いものと思われます。

薬代が高い

このころには、歯痛に対してサインバルタ®︎、歩行障害に対してネオドパストン®︎、認知機能低下に対してレミニール®︎と、高価な薬をたくさん飲むようになっており、経済的に厳しくなっていました。治療を継続するために、経済的な援助が必要です。治る見込みのない病気、特定疾患といって国で難病に指定されている病気では医療費の助成が受けられます。進行性核上性麻痺も、大脳皮質基底核変性症も、どちらも難病に指定されています。

進行性核上性麻痺の診断基準は以下のとおりです。

・40歳以降で発症することが多く、また緩徐進行性である。
・垂直性核上性眼球運動障害、発症早期からの姿勢の不安定さや易転倒性、無動や筋強剛が体幹や頸部に目立つ、のいずれか2つがある。
・他のパーキンソン症候群を来す疾患が鑑別できる。

この人は、垂直性核上性眼球運動障害、頸部の筋強剛が目だっており、診断基準を満たしています。大脳皮質基底核変性症の症状はいろいろ出ていましたが、診断基準を満たしていません。このため、進行性核上性麻痺として難病申請をしました。

難病申請したことにより難病の医療券が発行され、医療費助成が受けられるようになりました。

暴力

あるとき孫が付き添ってきました。初めてのことです。本人が通院を嫌がり、夫が連れ出そうとすると怒って引っ掻いたり罵ったりするので、孫に手伝ってもらったということでした。通院を嫌がる症状は以前からありましたが徐々に悪化してきており、最近では毎回大げんかになってしまうということでした。

夫のほうは融通がきかない性格のようで、「こうでなければならない」と思い込むと本人が嫌がっても無理にあれこれやらせようとしてうまくいかないことを繰り返しているようでした。孫の後ろから入室してきた夫はソワソワしており、落ち着きがない様子でした。よくよく話を聞くと、本人が杖を振り回して夫に殴りかかり、夫も応戦して本人を叩いてしまったということでした。暴力の応酬です。

孫は「おじいさんとおばあさんが毎日大声で怒鳴り合っているけど、家族の言うことを聞かなくてどうにもならないので困っています。なんとかなりませんか」と言いました。サインバルタ®︎やレミニール®︎は、活動性が亢進することがあるのでいったん中止しました。

私は高齢者虐待防止法に則って保健所に連絡をしました。

担当者が来院

すぐに虐待ケア会議が開催されました。保健所の担当者、ケアマネジャー、訪問看護師、地域包括支援センターの担当者などが当院に集まりました。

訪問看護師は夫に聞き取りをしてきました。1年ほど前から夫が本人を叩いていることを打ち明けたということでした。

結論として、「虐待は存在するので、夫と離れる時間を増やすためにデイサービスを手厚く入れる」ということになりました。また、訪問看護師には訪問の際、身体の傷やアザなどができていないかの観察、夫の精神状態の把握なども行なってもらうことになりました。

交通事故

その会議の直後の診察日のことです。大怪我をした本人は介助歩行の状態になっていました。暴力を振るっているという夫が本人を支えています。

「その怪我は、どうしたのですか?」

私は、夫が本人を突き飛ばして大怪我をさせたのではないかと危惧していました。もしそうなら虐待ケア会議の担当者に通報して措置入所を手配しなければなりません。ところが意外な答えが返ってきました。

夫婦で外出中に本人が車に接触して足に大怪我をしました。夫が目を離した隙に車道に出てしまい、足を轢かれてしまったのでした。夫は「私が目を離したばっかりに……」とうなだれて、いたく反省している様子です。

怪我の功名?

いままで以上にリハビリが必要になり、夫といっしょの時間が減り、他人と接することが増えて情緒が改善し、筋肉もついて顔色が良くなってきました。結果的に虐待対策になりました。

X+1年、交通事故の傷が癒えるころには本人に笑顔が増え、歯痛をほとんど訴えなくなりました。夫の気持ちも穏やかになりました。

第2回目の虐待ケア会議を開催しました。訪問看護師の話では、夫は訪問看護師といろいろ話すうちに、怒りの感情をコントロールできるようになってきたとのことでした。また、交通事故のリハビリで本人の状態も改善して笑顔が出るようになっており、夫は妻の笑顔を見ると「嬉しい」と思えるようになったと語っていたとのことでした。

夫の気持ちが変わる

そして「自分では抱え込んでいるつもりはない。妻をどこかに預けて映画でも観に行きたい」と言うようになりました。

当初の関わりからケアマネジャーはデイサービスを勧めていましたが、長らく夫が乗り気でなく頓挫していました。ここにきて夫はようやくデイサービスの導入に同意し、見学をすることになりました。

歩けなくなってくる

X+2年、パーキンソン症候群は徐々に進行し、歩けなくなってきました。抗パーキンソン病薬のネオドパストン®︎を増量してもなかなか改善しません。なんとか杖歩行を保っています。すると、家の中から薬が見つかったとのことで、100錠以上出てきました。飲んだり飲まなかったりだったのです。

MMSEは17点に下がりました。認知機能も緩徐に悪化しています。

1年前に攻撃的になった際、サインバルタ®︎を中止してから鎮痛薬は何も使っていませんでした。ときどき激しく痛みを訴えるというのでノイロトロピン®︎を使ってみました。

てんかん

X+2年、訪問看護師が電話をかけてきました。訪問中、椅子に腰掛けて話をしていると、突然意識がなくなり2分間ほどで元に戻ったということでした。低血圧発作かと思いましたが、収縮期血圧が120以上あり、正常です。

何度か発作がありましたが、救急搬送しても何も異常が見つからず返されることを繰り返しました。てんかん発作と考えられました。抗てんかん薬のイーケプラ®︎を開始したところ発作は起こらなくなりました。てんかんの第一選択薬でよく効きます。

抗てんかん薬の副作用

ところが、一人で出掛け、寿司屋で無銭飲食して警察に保護されました。あちこち歩き回るようになり、外出時に転倒して肩を骨折しました。せん妄になり、暴言を吐いたり、夜中に失禁して服を全部脱いでしまうなど、急に精神症状が増悪しました。イーケプラ®︎の副作用でした。同じく抗てんかん薬のビムパット®︎に変更しました。こちらの薬でもてんかん発作は起こらず、精神症状の副作用はありませんでした。

てんかん騒ぎが落ち着いて「そういえば歯痛はどうなりましたか?」と尋ねると「訴えなくなり、食事がよく摂れるようになりました」とのことでした。ノイロトロピン®︎が効いているのでしょうか。それとも歯痛もてんかんの症状だったのでしょうか。

血圧の乱高下

小康状態が数カ月あり、今度は血圧変動が激しくなりました。自律神経障害です。ときどき収縮期180、拡張期110くらいまで上がります。頻拍もあるのでテノーミン®︎を処方しました。血圧が落ち着くのに2〜3カ月かかりました。

思い出したように「歯が痛い」と言いますが、つぶやいているだけで食事は食べています。

MMSE12点に下がりました。重度の認知症です。

いまや排泄はすべて紙オムツです。食事も全介助です。入浴は全介助ですが夫に介護されるのを嫌がるため、デイサービスやショートステイで入ります。「何か言っても言葉が通じませんし、もう施設に入れることにしました」と夫は言いました。

特別養護老人ホームを申し込んだところ、すぐに入所対象者に上がりました。虐待ケア会議に上がっていたことも加味されたのでしょう。施設に提出する診療情報提供書を依頼されました。

もうすぐ卒業のようです。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。