認知症の介護は、いつまで在宅で可能なのでしょうか。
これまでにもたびたび認知症の在宅介護の限界について考えてきました。
一般的には、火の不始末、セルフケア不足による脱水や栄養失調、排泄の失敗、徘徊や虐待などがきっかけとなることが多いです。
ときに激しい精神症状によって自傷他害の恐れがある場合には、認知症専門病院への緊急入院が必要になります。そのようなことが起こらないように接し方を工夫したり、精神科的な薬物療法を行います。
多くの場合、突然激しい症状が出現するわけではなく徐々に悪化してくるので慎重に経過を見ていれば、だましだまし介護を継続しながら、施設や病院へスムーズに移行することができます。
とはいえ、毎回それがうまくいくとは限りません。
そろそろ今日の診療が終わるころです。夕方になってケアマネジャーが電話してきました。その日の午前中に新しい薬を出したばかりの患者さんの件です。
私は診察中でしたが、緊急の要件だというので内容を尋ねました。すると、一刻の猶予もならない状況であることがわかりました。のんきに薬が効いてくるのを待っているわけにいかなくなりました。
「すぐに警察を呼んでください」
警察官がちゃんと対応してくださることを祈るしかありません。
これまでの経過
X-8年、突然立てなくなる発作を来すようになりました。大きな病院でてんかんと診断され、抗てんかん薬を飲み始めました。
X-7年、物忘れするようになり、銀行のカードや財布を紛失することが頻繁になりました。このため娘付き添われ当院初診しました。日付や曜日がわかりません。慣れない場所では迷子になります。服が汚れていても気がつかずにそのまま着ています。
意欲が低下し、日中寝てしまうことが多くなりました。食欲も減り体重が減少しました。
情緒不安定で怒りっぽくなり、処方されていた抗てんかん薬を服用するのを自己中断しました。このため、意識消失し、転倒する発作を繰り返し、発作の後はしばらくもうろうとしています。
高齢発症てんかん発症の原因としては、脳血管障害、神経変性疾患(認知症)が多いといわれています。前年のてんかん発作の発症は、認知症の初期症状だったようです。
アルツハイマー型認知症
頭部MRIを施行したところ、両側海馬の萎縮を中等度認め、大脳皮質のびまん性萎縮を伴っていました。
症状経過と検査所見から、中期のアルツハイマー型認知症と診断しました。
拒薬の症状があり、てんかんの薬を飲もうとしません。抗認知症薬の投与を検討しましたが、服用するかどうか不透明だったため、とりあえず初期用量を短期間処方しました。アリセプト®︎3mgです。
2世帯住宅で2階に娘一家が同居していましたが、普段の生活は実質独居です。薬の管理はできないと考えられたため、診察に付き添ってきた娘に依頼して毎日管理してもらうことにしました。
介護保険サービスの導入
娘は働いており毎日チェックできないので、ケアマネジャーに連絡しヘルパーサービスを入れることにしました。
副作用は見られず順調に服用できるようになったので、アリセプト®︎を維持量の5mgにしました。診察時には不機嫌そうな様子で、医師の問いかけにもふてくされて答えようとしません。
当院通院前に抗てんかん薬のテグレトールを服用していましたが、本人の拒薬のため服用できていませんでした。ときどき発作があります。抗てんかん薬の再開も必要です。
易怒性も認められたので、易怒性を抑制する作用も期待して、デパケンR®︎を処方しました。1日2回の管理が難しく、朝アリセプトといっしょに服用してもらいました。
X-6年、発作は起こらなくなり、情緒も改善しました。物静かで穏やかになりました。診察時にも、普通に会話できるようになりました。
私が、「いかがですか」と質問すると、「自分では普通に生活しているつもりです。食欲もあります。意識がなくなって倒れる発作もありません」と答えます。
認知症の進行
情緒は安定しましたが、もの忘れは徐々に悪化しました。
娘と外出中にはぐれて迷子になります。家の鍵など大事なものが見つかりません。声かけしないと入浴しません。
アリセプト®︎を開始して半年が経ったころ、MMSE23点でした。MMSEは、minimental state examination という簡易な認知機能の検査で外来で10分~15分ぐらいでできます。この人は30点満点のうち、日付や時間、曜日などの時間的見当識と遅延再生という記銘力の項目での失点が目立ちました。遅延再生は3つの単語を覚えてもらい、暗算をした後で思い出してもらうという検査です。これがまったくできませんでした。
頻度は多くありませんが尿失禁が出現しました。
さらに半年後、MMSE19点に低下しました。時間的見当識障害だけではなく、場所的見当識障害も加わり、セブンシリーズという暗算ができなくなりました。注意力や集中力の低下を反映しています。
抗認知症薬の増量
進行しているためメマリー®︎の併用を開始しました。メマリー®︎は中等度以上の認知症に処方する薬で目安としては、 MMSEが20点を切った際に処方します。そのほかには認知症の進行が著しく早い場合や、アリセプト®︎などのコリンエステラーゼ阻害薬が喘息や胃潰瘍などで飲めない場合にも代わりに使います。
メマリー®︎の特性としては、服用することによって鎮静がかかり、易怒性や攻撃性がおさまる人がいます。この人も昼間に寝る時間が増え、一日中パジャマで過ごすことが出てきました。昼夜逆転の始まりです。
ケアマネジャーに連絡し、短時間型のデイサービスを頻回に入れてもらうことにしました。これで睡眠覚醒リズムを整えたいと考えました。
他人の財布を持ち帰る
X-5年、見たことがない財布が本人のカバンから出てきました。デイサービスで他の利用者のものを持ち帰ってきたようです。
風呂上りに着替えをする際に、脱いだものをまた着てしまうようになりました。また寝るときにパジャマに着替えることをしなくなり、着替えようとして服を脱いで下着姿のまま寝てしまうこともあります。
自律神経失調症
血圧が220/130に突然上昇しました。このため脳梗塞を疑って頭部MRIを行いましたが異常ありませんでした。血圧が乱高下する代表的な認知症疾患はレビー小体型認知症です。しかし、この人には幻覚や妄想、レム睡眠行動障害、パーキンソン症候群などの症状が見られません。診断基準を満たしません。
そのほかにも多系統萎縮症やパーキンソン症候群を伴う認知症では自律神経失調症を伴うことが多いです。さほど多くはありませんがアルツハイマー型認知症に自律神経失調症を伴うこともあります。
徐々に自発語が減ってきました。診察室に入ってきても何も言わないでじっとしています。無表情です。自宅でもアパシーによる無為が悪化し、食事も自分から食べません。本を見るのが好きで、本をじっと眺めて1日過ごします。内容を聞いても答えられません。
抗てんかん薬の中止
娘が抗てんかん薬を飲ませるのをやめてしまいました。眠気や自発性低下が薬の副作用だと思ったということでした。抗てんかん薬をやめても大きな変化はありませんでしたが、1年以上てんかん発作がないのでこのままやめさせたいという申し入れがあり、発作が起こったら再開することを説明したうえで抗てんかん薬を中止しました。
X-4年、MMSEを行ったところ17点に低下していました。1年間で2点の低下です。できなかった項目は時間的見当識と遅延再生です。
自発性の低下も悪化し、トイレにも自分から行かなくなりました。声かけすればトイレ誘導可能で、ほぼ失禁はありませんでした。入浴についても娘の声かけにより自宅で入ることができ、デイサービスでも入れてもらえていました。
ときどき意識減損発作がありましたが、倒れたり、大発作になることがなかったので抗てんかん薬を処方せずに様子を見ました。
アパシー
1年前まで本を見ていましたが、本を開かなくなり、テレビの前に座ってぼんやり眺めている生活になりました。内容がわかっている様子もなく、音がうるさいので家族がテレビを消すと不機嫌になります。仕方がないのでつけっ放しにしていると、深夜までテレビの前に座っており、いつの間にか寝落ちしています。
X-3年、抗てんかん薬を飲んでいないので、てんかんの大きな発作が起きてしまいました。全身痙攣発作です。1時間のもうろう状態の後に覚醒しました。このような大発作は、ときに重積発作となり、呼吸停止を起こすなど生命に危険が生じる場合があります。私は抗てんかん薬の再開を提案しました。しかし、娘はどうしても薬を飲ませたくないということでした。
MMSEの点数が下がらない
MMSEを行ったところ19点でした。前年に17点でしたので2点改善しています。これは認知症が改善したのではありません。このぐらいの点数の段階では、進行しても点数に反映されないことが多いのです。上がったり下がったりで何年か経過することが多いのです。
「去年と同じ点数ですよ」
「そうなんですか? 1年前よりももの忘れの速度が速まっている気がします」
という会話が日常茶飯事です。もの忘れのスパンが数分だったのが数秒になっても点数が変わらないからです。
MMSEは、記銘力障害や見当識障害の出現し始めに感度が高いテストです。軽度認知障害や早期〜中期への進行していく時期には病状をよく反映しています。しかし、中期の見当識障害と記銘力障害が出揃ってしまってから以後はあまり点数が動きません。次に点数が下がってくるのは、他の高次脳機能障害である失語、失行などが出現してきたときです。その間は2〜3年ぐらいあります。失語、失行が出現するのはアルツハイマー型認知症では後期の段階です。後期に入るとMMSEの点数は15点以下に下がり始めます。
低血圧発作
外食した際にビールを1杯飲んだところ、意識を失って倒れました。倒れてもすぐに意識は戻りましたが嘔吐してしまいました。低血圧発作です。低血圧発作は自律神経失調症の一つです。この場合は飲酒により血圧が急激に下がり、発作を来したものと考えられました。
このほかにも、食事の後、排泄の後、座っていて立ち上がったとき、入浴時などに血圧が急激に下がり発作を来すことがあります。高齢者の転倒骨折の原因になります。認知症高齢者の60%に食事性低血圧がみられ、アルツハイマー型認知症では70%という高率で食事性低血圧がみられるという研究もあります。
自発語がありません。発語しないので声が出にくくなり、診察時に話を促しても嗄声です。ぼんやりしており、無表情です。
認知症が後期になる
X-2年、服が選べません。また、物のしまい場所がわからなくなりました。本を冷蔵庫に入れてしまいます。またタンスの引き出しに食べ物を入れます。
MMSE10点に下がりました。この急激な低下の原因は失語の出現です。毎日会っている娘の顔はわかりますが、他の親族の顔は認識できません。自分の名前さえ書けません。たまに夜間尿失禁するようになりました。
家では無為に過ごし、デイサービスでは言われたままに行動します。
X-1年、MMSE3点に下がりました。会話はほとんど通じません。おうむ返しの反応があるだけです。即時再生の3点のみです。道具の名前がわからなくなり、「歯磨きして」と言って洗面所に連れて行くと髭剃りを手に取りじっと眺めています。
昼夜の区別もわからなくなりました。昼間でも寝ますし、夜間は促さないと寝ません。パジャマに着替えるという習慣もなくなりました。
両便失禁が出現しましたが、失禁しても自分では気がつきません。家族が臭いで気づきます。月1回程度と頻度が低いので、まだ家で介護できるということでした。それでも月1回の便失禁があると寝具が汚れて後始末はたいへんでした。
「魂が戻ってきている」
「そろそろ施設はどうですか?」
私がそう尋ねると、
「最初に受診したときに比べれば大人しいですし、人間らしい感じです。魂が戻ってきているような気がします。抗てんかん薬を飲んでいたころは、魂が抜けたようで人間らしさが感じられませんでした。いまのほうが人間らしくて家でいっしょに暮らせます」
娘はそう答えました。
食べこぼしがひどくなりました。1人で食べようとしますが、こぼす量が多く介助が必要になりました。
全介助に向かう
着替え自体をしなくなり、家族が着替えさせなくてはなりません。歯磨きはきちんとできていませんでした。虫歯だらけになり、頻繁に歯科通院しました。
薬の管理はできないので、ヘルパーが渡して飲ませていましたが、あるときから渡した薬をコップの水に入れて眺めているようになりました。薬を飲むということ自体がわからなくなりました。
家で1人にしておくと昼間から布団に入ったり、起きているときは冷凍食品を出して凍ったままかじってしまいました。
X年、ズボンを履くときに片足のほうに両脚とも入れようとして転んでしまいます。
不随意運動が出現しました。椅子に座らせておくと両足の踵の上げ下げを何時間でもしています。ときどき足を踏み鳴らし、座ったままタップダンスをしているようです。ヒョレアという不随意運動です。
MMSE3点でした。1年前と同じです。これ以上下がるのにはさらに時間がかかります。
せん妄
そんなある日、発熱しました。下痢をしたので感染性胃腸炎と思われました。熱はすぐに下がりましたが、その2日後から別人のように暴力を振るうようになりました。感染症によるせん妄と考えられました。
「暴力的になって困ります。これでは介護ができません」
娘が言いました。
「せん妄なので、長くても半年以内に症状は治るはずです」
「普通に話しかけただけで急に怒り出して、強い力で手首を握られてあざができました。半年も我慢できません」
「もっと短期間で改善するかもしれません」
「何かお薬はありませんか。しかし、抗てんかん薬のように魂が抜けたようになる薬は困ります」
「漢方薬はいかがですか。鎮静作用が弱いので魂が抜けたようにはならないと思います」
「漢方薬は錠剤ですか?」
「顆粒です」
「顆粒は飲めません」
「漢方ゼリーを使ってみてください。薬局で売っています」
「わかりました」
「漢方薬は、効果が出るのに最低でも1週間、10日から2週間しないと効いてきません。それまで待てますか?」
「やってみます」
待てない暴力
ところが翌朝、娘から電話がかかってきました。
「あれから夜通し家の中を歩き回り、家族を見つけると殴りかかってきます。怖くて家族は別室に避難していました。静かになったので見にいくと玄関で倒れて寝ていました。このまま自宅で生活するのは無理です。入院させてください」
漢方薬の効果が出るまで待てませんでした。
当院の相談員が認知症治療病棟をあちこち当たりました。すぐに入れるところはなかなか見つかりませんでした。早くても半月待ちです。いくつかの病院に当たりようやく見つかったところでも入院が可能なのは翌週でした。私はその病院に情報提供書をファックスしました。すると相手の病院の相談員から電話連絡が入りました。
退院できなくなる可能性
「診療情報提供書を拝見したうえでの院長の見解です。いままで自宅でこの状態になるまで介護されての入院となると、本人にとって環境が変わり向精神薬等の治療に耐えられるのか疑問です。またもはや重度の認知症なので帰宅できなくなる可能性のあることも考慮して、それでも入院を希望されるなら受け入れ可能です。ご家族とよく相談のうえ早々に連絡をいただきたい」とのことでした。
このような重度の認知症になるまで自宅で介護していることが異例であることから、病院側は家族の気持ちを懸念していました。
娘に受診してもらい、その旨説明しました。娘は言いました。
「今朝も目を離した隙に家から出てしまい、見つけたときには路上で倒れて警察と消防に囲まれていました。家族が近づくと殴りかかってきて連れて帰るのにも苦労したのです。少しでも早く入院させてください。帰れなくなるかもしれませんがかまいません」
入院待機
最速でも翌週にしか入院できません。
「なんとか4〜5日がんばってください。魂が抜けたようになるかもしれませんが、抗精神病薬を処方しますので服用させてください」
私はシクレスト®︎という抗精神病薬を処方しました。口腔内で溶解し、そのまま口腔粘膜から吸収されるというものです。飲み下さなくても効くので拒薬の人に出すことがあります。
娘の要望で病院側と交渉し、入院予定日を1日早めてもらいました。
「とにかくあと3日。3日だけがんばれば入院できます。シクレスト®︎を何とか口に入れるだけでもがんばってください」
そう話して診察を終了しました。娘は帰って行きました。
ケアマネジャーからの電話
シクレスト®︎を処方したその日のことです。
診察がそろそろ終わろうかという夕方に、ケアマネジャーから電話がきました。家族が受診しているあいだ、ヘルパーが本人を預かることになっていました。そのヘルパーが暴力を振るわれているというのです。ヘルパーが到着すると本人は家から出ていってしまい、近所で徘徊しているところを保護し家に連れ帰ろうとしたところ、胸を殴られ手を捻って叩かれたということでした。
ヘルパーの制止を振り切って、本人は暴れていました。困ったヘルパーが路上からケアマネジャーに電話して助けを求めたのです。ケアマネジャーはすぐに私に電話してきました。
「緊急の要件です。ヘルパーが殴られて保護できません」
ヘルパーは怪我をしていないでしょうか。このようなときには自分で対処しようとしないで、すぐに本人から離れる必要があります。そしてしかるべき援助を依頼しなければなりません。
「警察に電話してください。措置入院とするか、家族がいれば医療保護入院できると思いますので、いまそちらに向かっている娘と相談してください」
私はそうアドバイスしました。
医療保護入院
その後、私が自宅に帰るとケアマネジャーからメールが届きました。
「お世話になっております。今日は診療中お忙しいところお電話を差し上げ申し訳ございませんでした。 先生のご指導通り警察を呼んで対応していただき、いまさっきやっと医療保護入院しました」
予約していた病院には入れませんでした。
あと3日が待てませんでした。
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。