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「認知症の治療」と一口に言っても、その目的は一つではありません。通常は認知症の進行を予防するのが目的です。

認知症には中核症状と周辺症状があります。中核症状は記銘力障害などの認知機能の低下そのものです。周辺症状は「精神症状」とも言われますが、心因反応や、時に認知症そのものの症状として出現する精神病様の症状です。

中核症状には抗認知症薬を主とする進行遅延を図る薬物を処方します。
周辺症状には精神科治療薬を用います。しかし薬を使用するかしないか、使用するときの使い方にはいろいろな判断基準があります。

CASE 058
92才男性

あるとき、息子が1人で診察室に入ってきました。いつもは夫婦で通院していましたので、「おや?」と思いました。

この人は、妻に対する暴言、暴力が激しく、向精神薬で治療していました。まずは問題になっていた症状について問診しなければなりません。

「奥様に対する暴言や暴力はどうなりましたか?暴言や暴力、カッとなるのを抑えるお薬の量を調節中でした。服薬はきちんとできていますか?お薬の効果はいかがでしょうか?」

息子はしばしの沈黙ののち、「じつは……」と話し始めました。

これまでの経過

X-20年、前立腺がんで精巣除去術を受けました。

X-10年、テレビばかり観ているようになりました。

X-3年、元来服用していた胃腸薬と、整形外科でもらった鎮痛薬を間違え、本来頓用であった鎮痛薬を毎食後に服用したため胃潰瘍になりました。緊急入院で服薬内容が誤っていたことが判明しました。

X-2年、いまの年月日を聞かれ「昭和20年」と答えていました。

X-1年、迷子になり数時間歩き回った末になんとか帰宅しました。しかし、2回目の迷子の際には路上で疲れ果てて動けなくなり、通行人が保護して家まで送ってくれました。

その後も自宅近くから家に帰れなくなるなど、場所的見当識障害による症状が続きました。

妻の不調

度重なるトラブルで妻がおかしくなりました。息子が話しかけても会話が噛み合わなくなりました。また、体重がいきなり半年で10kgも減少しました。急激に痩せてから歩行時にふらつくようになりました。

うつ状態です。急激な体重減少はうつの症状です。妻ももうすぐ90歳という年齢でした。この年齢で体重減少すると筋肉が落ちます。歩行時のふらつきは筋肉の減少によるものでした。

いわゆる「介護うつ」の状態です。

本人の症状

X年、本人は感情がコントロールできなくなり、突然大声で怒り出し、息子と殴り合いのけんかになりました。

自分と家族の持ち物の区別がつかなくなり、妻の持ち物を自室にしまい込むようになりました。食器洗いは本人の役割でしたが、うまくできなくなり、洗剤の泡がついたまま食器棚にしまうようになりました。

このため、妻に付き添われ、当院初診しました。

初診時の状態

買い物を頼んでも別のものを買ってきます。「ジュースを買ってきて」と言われても焼きそばを買って帰ってきます。

日付や時間、場所がわかりません。見当識障害です。

自発的な会話が少なくなり、息子との会話は半年ほど皆無となっていました。息子の話では「心を閉ざしている」ということでした。

取り繕い、同じ行動の繰り返し、管理能力の低下、もの盗られ妄想など、アルツハイマー型認知症によく見られる症状がありました。

通販での浪費、衝動性、暴言暴力など前頭葉機能の低下による症状も見られました。また、収集癖も見られました。散歩に行くと外でゴミを拾って家に持ち帰ります。不要になったものも捨てないので、物がどんどん溜まっていきました。物に対するこだわり、執着は非常に強くなりました。

テレビ現象

テレビの中の人物を、そこにいるかのように感じて会話をする「テレビ現象」が出現しました。同じような症状として、風呂が沸いた際に流れるアナウンス「お風呂が沸きました」という機械から流れる声に返事をしたり、散歩に行くと電柱を人間だと思って話しかけている様子もありました。

睡眠リズムが崩れ、全般に過眠になりました。夜もそれなりに眠りますが、日中にも熟睡しています。

食欲が亢進し、以前よりもたくさん食べるようになりました。満腹感が感じられなくなっている様子でした。食事が作れなくなり、息子が作っていましたが、いままでの量では足りなくなりました。

パーキンソン症候群

すり足、小刻み歩行になりました。バランスが悪く、散歩中にときどき転倒するようになりました。

上記のように暴言暴力やこだわりなどがあり、本人はつねにイライラしている様子でした。ちょっとした家族の発言に反応して怒り出したり、情緒不安定でした。

まとめると、アルツハイマー型認知症のような記憶障害を中心とした症状群。易怒性や収集癖のような前頭葉の症状。パーキンソン症候群。睡眠リズムの障害や満腹感の消失などの自律神経の症状。一つの病気で説明するのは難しそうです。

検査結果

検査を行いました。まずはMMSEという30点満点の簡易な知能検査です。短時間でできるので、点数を参考におおよその認知症の程度がわかります。

この人は16点でした。失点がみられたのは見当識、記銘力、集中力や注意力が試されるセブンシリーズです。セブンシリーズは100から7を引いていくのですが、途中で何をやっているのかわからなくなり答えられなくなります。MMSEの後半は主に言語機能を問う設問が中心です。こちらはほとんど正答でした。言語機能は保たれていました。

画像検査も行いました。頭部MRI検査です。大脳はびまん性に萎縮していました。特に前頭葉と側頭葉が強く萎縮しています。第三脳室、側脳室も拡大していました。大脳皮質だけでなく、大脳白質、大脳基底核も萎縮しています。

その原因は慢性虚血性変化でした。FLAIR画像やT2強調画像で見ると、白く見えるハイインテンシティになっています。白質脳症という状態です。また、両側のレンズ核にラクナ梗塞が多発していました。

血管性認知症、または混合型認知症です。脳血管性パーキンソン症候群を伴っています。

血管性認知症には、前頭葉症状が目立つことがあるという特徴があります。まるでピック病のような前頭側頭葉変性症のような症状を示すことがあります。また、血流低下の部位によっては基底核や視床の病変によってパーキンソン症候群や自律神経障害が前面に立つケースもあります。

テレビが大音量

家族がいちばん困っていたのはテレビの音量でした。とにかく一日中、大音量です。テレビと会話しながらの生活です。

まずは介護認定申請してもらいました。要介護度が出たらデイサービスやショートステイに行かせて、テレビを観ている時間を減らすことにしたのです。

思惑通り要介護2になりました。毎日でもデイサービスに行くことができます。デイサービスを導入し、ときどきショートステイも使い始めました。テレビを観ている時間は減りました。

妻が軽度認知障害

妻の様子がおかしいことがあったので、息子の勧めで妻も検査を受けました。妻はMMSE26点でした。軽いもの忘れと見当識障害がありました。頭部MRIでは大脳皮質のびまん性萎縮があり、今後アルツハイマー型認知症に移行していくタイプの軽度認知障害「MCI due to AD」ではないかと思われました。

介護うつのような老年期のうつ病とアルツハイマー型認知症は、同じ原因で起こるという説があります。

老年期うつ病で「仮性認知症」という認知症によく似た状態になります。そのような状態は通常一時的で、適切なうつ病の治療をすると元に戻ります。しかし、うつ病だと思って治療していても徐々に薬が効かなくなり、アルツハイマー型認知症であることが判明する人もいます。

また、うつ状態はレビー小体型認知症の初期に多く認められ、うつ病による仮性認知症だと思っていたらレビー小体型認知症だったというケースもあります。レビー小体型認知症と同じ原因で起こるパーキンソン病であることが判明することもあります。

いろいろな病気に進んでいく可能性がありますので、このような人を見つけたら定期的な検査が必要です。妻にも半年に1回程度は検査を受けるように話しました。

易怒性が徐々に増す

その後、本人のほうは徐々に易怒性が増してきました。我慢が効かなくなり、すぐに怒鳴ります。食器洗いは本人の役割でしたが洗い方が乱暴になり、食器を洗いながら「くそ!」「バカ!」などと悪態をついています。

いっしょに住んでいる妻はビクビクしながら生活していました。ものを投げることはありませんし、殴る蹴るなどの直接の暴力はありませんが、威嚇するようにドアを音高く乱暴に閉めたり、食器を叩きつけるように置くなどの行動がありました。

過食と早食い

相変わらず過食でした。また食べる速度もとても早く、あっという間に食べ終わります。十分咀嚼していないのです。

わざと大きめの食材を入れたおかずを出し、噛んでもらうようにしました。満腹感がなく、目の前に食べ物があればあるだけ食べてしまいます。なるべく小さな食器によそい、何度もおかわりしてもらうようにしました。

薬を捨てる

以前から便秘で酸化マグネシウムなどの薬を飲んでいましたが、なぜか薬を飲んだふりをして捨てるようになりました。過食で大量に食べていたので、このころには便秘が解消しており、酸化マグネシウムを内服するとかえって軟便になるので飲みたくなかったようです。

以前から下剤や胃腸薬を処方してもらうために内科に通院していました。認知症になってからも通院を継続していましたが、漫然と受診して同じ薬をもらい続けていたのです。最近では本人が持ち帰ってきた薬を同居の妻が管理して定期的に与えていました。内服方法が1日3回、食前食後に分かれており、本人がきちんと服用できなかったためです。

便秘が治っているのであれば服用する必要はないのです。しかし、内科通院はいままで通り1人でできていたので誰も受診に付き添っていませんでした。

内科の主治医と家族が話をする必要があります。私は息子に一度内科に付き添って受診するようにアドバイスしました。

処方薬を希望しない

本人はすでに90歳を超えており、家族は薬での治療を希望しませんでした。介護保険サービス利用や精神症状があるときの接し方、生活改善の工夫などのアドバイスを希望しました。このため薬を処方せずに相談のために定期的に外来通院してもらいました。

私のアドバイス通り息子が付き添って内科を受診し、薬を減らしてもらうことができました。毎食後に飲んでいた酸化マグネシウムやそのほかの胃腸薬が中止され、食前の大建中湯だけになりました。

漢方薬なら服用したい

本人は徐々に易怒性が増し、妻が怯えるような言動が増えました。少し気に入らないだけでも怒鳴ったり威嚇したりします。

あるとき妻が診察に訪れました。「もうビクビクしながらの生活は耐えられません。漢方薬なら飲んでくれますので、イライラが治まるような漢方薬を処方してください」と言いました。

私は抑肝散を処方しました。服薬を開始して2週間ほどして易怒性は治ってきました。

食べ物を隠す

家族が食事を小分けにしたり、よく噛めるように大きくカットするなどして与えていたところ、それが気に入らなかったのか、本人は自分が食べたいものをこっそり買ってきて自室に隠すようになりました。

コンビニで買ったおにぎりを、自室の押し入れに隠していました。夏の暑い時期でご飯はすぐに傷んでしまいました。家族が気づかないうちに本人がそれを食べ、食中毒になりました。

翌月は、同じく押し入れ内に隠し持っていた10個入りの最中を食べて食中毒になりました。腹痛や嘔吐下痢を繰り返し、救急搬送され緊急入院しました。家族は振り回されました。退院後はいったんショートステイに長めに入ってもらいました。

妻が体調を崩す

妻も90歳近くなり疲労が溜まってきました。あるとき入浴中に眠ってしまい、気がつくと湯船の中で3時間経っていました。自分では湯船から出られなくなっており、仕事から帰った息子が発見しました。今度は妻のほうを救急車で病院に連れて行きました。脱水状態で点滴をして帰宅しました。

息子の話では、もの忘れもひどくなったというので妻のほうも検査を行いました。妻は湯船から出られなくなった直後で車椅子で来院しました。MMSE25点でした。特に認知症が進行したというほどではありませんでした。

しばらくして、本人がショートステイから帰宅しました。

妻は体力の限界でした。本人は入院とショートステイで家を離れていたあいだにわがままが言えなくて鬱憤がたまっていたようでした。

ショートステイから帰ってきてからは抑肝散を服用していても妻に対しての当たりはかなりキツくなりました。

「辛いです。もっと強い薬をください」と妻は言いました。

いっしょに暮らす方を選択

抑肝散だけでは精神症状が抑えられないようです。

「施設に入れるか、入院させることも検討してはいかがですか? 90歳を過ぎていますし、向精神薬を使用すると副作用の懸念があります。薬でどうにかしようと思うよりも、薬を使わない方法を考えたほうがよいと思います」

私は自分の意見を述べました。

本人は診察室で「施設に入りたくない」と言いました。妻も「本人が自宅で暮らしたいと言いますし、私もいっしょにいたいのです」と言いました。

付き添ってきた息子は「両親の意向を大事にしたいのです」と言います。

私の意見は受け入れてもらえませんでした。「それでは、怒りっぽいのを抑えるお薬を処方してほしいということなのですね?」と確認すると「そのとおりです」と言います。

薬を処方する方向へ方針転換

「眠気やふらつき、パーキンソン症候群が悪化して、転んで骨折するかもしれません。薬によっては嚥下障害が出現して肺炎になったり、食事で窒息したりします。眠気が強くなると1日中目を覚まさなくなることもあります。心臓に負荷がかかり突然死の可能性もあります」

私は力説しました。向精神薬の使用は適応外使用になりますし、突然死したケースも経験していますので、患者本人に害があるような治療を行いたくないのです。

また、この家族は最初のうちは「高齢なので薬を飲ませたくありません」と意思表示していた人たちなのです。最初の「薬を飲ませたくない方針」よりも、あとから出てきた「いっしょに自宅で暮らしたい方針」のほうが優先され、治療方針の転換を余儀なくされたのです。

方針の転換をしっかり確認して先へ進まねばなりません。

バルプロ酸ナトリウム

易怒性に対してまず処方したのはバルプロ酸ナトリウムです。抗てんかん薬の一種で、商品名はデパケンR®︎などです。

リスパダール®︎やジプレキサ®︎のような抗精神病薬(メジャートランキライザー)に比べれば副作用が少ないとはいえ、眠気、ふらつき、時にパーキンソン症候群の増悪もあります。

この薬を少量から処方開始しました。

妻の急死

次の診察時に、いつも付き添ってくる妻の姿がありませんでした。また本人の姿もなく、息子1人で診察室を訪れました。

「お薬は服用しましたか?」

私が尋ねると「じつは、薬は飲ませていないのです」と言いました。

「母が亡くなりました。父は緊急ショートステイに預けています」

そういうことだったのです。妻は90歳近い年齢でした。自宅で突然死したので警察沙汰になりましたが、以前に湯船の中で眠り込み出られなくなるなどその予兆があったことから心臓突然死と判断され、監察医務院に送られることはありませんでした。

妻の死を記憶できない

「いまはショートステイに預けていますが、これからまた自宅で生活させたいと思っています」

息子は言いました。

本人は自宅で暮らすことをずっと希望してきました。その意思を尊重したのです。告別式が済むと本人は自宅に帰ってきました。自宅にもう妻はいません。しかし、なかなかそれを記憶することができません。

まだお骨があるのに「お母さん? お母さん?」と呼んでいます。息子が顔を出すと「お母さんか? ああ、お前か」と勘違いしたり、わかったりを繰り返します。

息子が「お母さんは死んだじゃないか。お骨もあるだろう」と見せると「お母さんが死んじゃった」と頭を抱えて泣き出します。さめざめと泣きます。

妻がいたときにはあれだけ妻に当たり、怒鳴り、物を投げ、威嚇していたというのに、子どものように泣きます。

そしてまたすぐに忘れてしまいます。同じことを何度も繰り返します。本人のリアクションはいつも同じです。妻が亡くなったことを悲しみ、頭を抱えて大声で「ああー」と泣きます。

本人が望む生活

「もう、なんでも好きなものを好きなだけ食べさせます」

息子は言いました。

「いままでは、餅など喉に詰まらせたら危ないと思うものを制限してきましたが、これからは欲しがるものはなんでも食べさせます。好きなものならなんでも食べさせたいのです。好きなものをお腹いっぱい食べてもらいたいのです」

「それでいいですよ。最後は好きなように人生を生きさせましょう。お父さまのためですね」

「先生にそう言ってもらってスッキリしました。母に当たっていたように私に当たることはありません。だから、もう薬はいりません」

最初の方針に戻りました。薬は飲ませないで、できる限り本人の希望通り自宅で暮らしていきます。大好きな妻が眠っている場所に行く日まで。

西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。

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