バックナンバーを読む

人間はいろいろと区別があります。乳児、幼児、学童、学生、青年、中年、高齢者。男性、女性、その他のジェンダー。

昨今、多様性を受け入れましょうと言われるようになりました。以前はマイノリティーの人たちはいま以上に生きづらい時代でした。

マイノリティーでない人々にとっては気にならないことでも、マイノリティーの人は敏感です。その人たちの言葉に耳を傾けてみましょう。その言葉は気づきをもたらします。私は気づくたびに思います。「当たり前のように思っていた」と。

生きづらい社会。そんななかで自分の生き方を貫いてきた人が認知症になってしまったらどうなるのでしょう。正式な家族ではない人とのパートナーシップは夫婦の絆よりも脆いのでしょうか。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 060
76才女性

抗認知症薬を処方されている女性が外来を訪れて言いました。最近調理ができなくなり、買ってきた惣菜ばかり食べているため栄養状態が懸念される人です。

「片付けや食事作りをしてくれる人が来ることになったようなんです。でも自分は結婚しないで一人で生きてきて、世間の常識とは違います。合わない人が来るのは嫌です。

自分は少数派だと思います。こんな私を嫌がらないで助けてくれるヘルパーさんが来てくれるのでしょうか」

マイノリティーであることのカミングアウトです。社会から疎外され生きづらさを感じている人です。不安になっています。介護サービスがこの人の支えになるにはどうしたらよいのでしょうか。

これまでの経過

元教員です。30歳ごろからパートナーと暮らすようになりました。10年ほどしてから2人で家を買いました。教員をやめ2人で陶芸をして生計を立てていました。

X-18年、交通事故にあい頭部を打撲しました。脳震盪を起こし数カ月ほどは記憶障害の後遺症がありました。その後は徐々に気にならなくなり普通に生活していました。頭部外傷の既往は、認知症の発症のしやすさが増すと言われています。

X-15年、耳鳴が気になるようになりました。難聴が始まりパートナーとの会話に支障をきたすようになりました。「え?」と何度も聞き返すので、パートナーから嫌がられるようになりました。単なる難聴ではなく、注意力や理解力の低下の始まりだったのかもしれません。

X-11年、パートナーとの関係が悪化して一人暮らしをすることになりました。家はパートナーの名義だったため財産はまったくありませんでした。年金はごくわずかでした。陶芸のための設備はパートナーの家にあったので生計を立てる術もありません。60歳を過ぎており就職は困難でした。生活保護受給となりました。

アパートで一人暮らしを始めましたが引っ越し荷物を片付けることができませんでした。不要なものもたくさんありましたが捨てることができません。新聞をとっていましたが「まだ読んでいない記事があるから後で読もう」と思って捨てられませんでした。古新聞がどんどんたまっていきました。

家の中がもので溢れました。認知症の始まりや精神疾患、発達障害などで見られる現象です。

X-8年、自宅で床に置いてあった物につまづいて転倒しました。顔面を打撲しました。

X-7年、再度自宅内で転倒しました。今度は膝を打撲しました。

X-6年、もの忘れがひどくなりました。物の名前が思い出せなくなり、指示語が増えました。人との交流を求めて地域の歴史を学ぶサークルに入りました。もらったプリントや資料を分類整理できません。

意欲が低下し、家で無意に過ごすことが増えました。このため、自分から「おかしくなった」と思い当院初診しました。

初診時の状態

一人暮らしで家族がいないということでした。

物忘れがひどく、物の名前が思い出せないと言います。いままで何の気なしに使っていた言葉が出てきません。野菜の名前など、簡単な普通名詞がわかりません。しかし後から思い出せると言うので病的ではありません。

何より片付けができないことを苦痛に思っている様子でした。記憶力に関しては低下したかどうか自分ではわからないと言いました。

イライラすることが増え、物事に集中できなくなったと訴えます。自分が認知症になったのではないかと不安に思うと話しました。以前は社交的でズケズケものを言うはっきりした性格だったのに、最近は意欲が低下してどうでもいいと思ってしまうということでした。

当院を受診する少し前に、最初に自分はうつ病ではないかと思って精神科を受診していました。そこでは双極性感情障害という診断になり、リーマス®︎(炭酸リチウム)が処方されました。炭酸リチウムは躁状態を抑える薬です。不安がこみ上げてどうにもならないときにはワイパックス®︎を服用するようにと頓服が処方されていました。ワイパックス®︎はマイナートランキライザーの一種です。

正常老化の範囲

具体的な物忘れのエピソードについて聞くと、後で思い出せるとか、スケジュールは忘れないなど病的ではありません。大事なことはメモしてカバーできていると言います。

MMSEを行いました。30点満点の簡易な認知機能検査です。見当識障害や記銘力障害がある程度把握できます。行ったところ28点でした。記銘力障害のみが認められました。遅延再生項目で3つの言葉を覚えて、暗算をした後に思い出す課題で1つしか思い出せませんでした。それ以外は正常でした。

頭部MRI検査も行いました。大脳は全体に軽度の萎縮がありましたが、病的と言えるほどではなく正常老化の範囲と考えられる画像所見でした。

日常生活動作には問題がなく、認知症の状態ではありません。軽度認知障害です。すでに双極性感情障害の診断治療を受けているため仮性認知症による軽度認知障害の可能性がありました。

このため私は本人に「現在の状態は認知症ではありません。軽度認知障害ですが、本物の認知症ではなく、仮性認知症という単に脳が働いていないだけの状態の可能性があるので、まずは双極性感情障害をちゃんと治療して様子を見ていきましょう」と説明しました。

軽度認知障害は1年間で約10%が認知症に移行するといわれています。このため経過を見るためには半年〜1年ほどで再検査が必要です。私は本人に「半年後にまた受診してください」と話しました。

5年ぶりの受診

X-1年、5年ぶりに受診しました。

「お久しぶりですね」と私が言うと「半年後に来るように言われたのに、なんだか億劫でなかなか来ることができませんでした」と言いました。

「X-18年に交通事故で頭を打ってから物忘れがひどくなったような気がするのです」

とのことでした。

薬剤過敏性

「私は精神科の病気ではなく認知症ではないかと思って、少し前から精神科の薬を飲むのをやめました。それに、精神科の薬には副作用があったのも苦痛でした。特にリーマス®︎はお腹が痛くなったので飲むのをやめました。リフレックス®︎という薬が処方されたときには両足がパンパンにむくんだので、これも飲まなくなりました」

リフレックス®︎は抗うつ薬の一種です。副作用で眠気が出ることが多く、それを逆手にとって睡眠薬代わりに使うこともあります。

リーマス®︎もリフレックス®︎も副作用は少なく、この人のように次々に副作用が出現するというのは珍しいことです。薬の副作用が起こりやすい認知症はレビー小体型認知症です。「薬剤過敏性」という症状です。

レビー小体型認知症の薬剤過敏性は、幻視や妄想を抑えようとして抗精神病薬を処方した際に、薬剤性パーキンソン症候群が激しく現れるというものです。経験的にはそのほかの薬剤でもさまざまな副作用が出やすい傾向があります。外用薬でも副作用が出やすくなります。

Amnestic MCI

初診時と同じMMSEを行いました。27点でした。以前と同じように3つの言葉を覚えて暗算をした後に思い出す遅延再生項目が3つともできませんでした。Amnestic MCIの状態です。記憶障害がメインで、そのほかの症状が目立たないタイプです。

頭部MRIも行いました。初診時には目立たなかった大脳萎縮が明らかに進行していました。側脳室が拡大し、海馬を含む側頭葉内側面の萎縮が目立ち、大脳皮質もびまん性に萎縮していました。

MMSEでは1点しか低下していませんが、画像所見が見違えるほど悪くなっており驚きました。脳の変性が始まり進行してきているのです。

てんかんの合併

この5年間に目立った出来事はなかったかと聞くと「知らないあいだに意識を失って倒れ、頭に怪我をして救急車で運ばれた」ということでした。救急病院で頭部CT検査を行い「脳に異常はない」と言われて帰宅したそうです。てんかん発作かもしれません。

認知症にてんかんを合併する率はかなり高いといわれています。脳に変性が起きるのでそれがてんかん源になるのです。血管性認知症はもとより、アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、大脳皮質基底核変性症や嗜銀顆粒性認知症などでも起こります。

発作は一度きりだったと言うので様子を見ることにしました。

抗認知症薬を開始

検査結果について伝えると、もの忘れの治療を希望したので、相談の上、抗認知症薬のリバスタッチパッチ®︎を開始しました。

もの忘れによる生活障害は5年前よりも顕著になっていました。身の回りの品物を紛失し夜遅くまで探し物をしていると深夜を過ぎてしまいます。

「前回は半年後に来るように言われたのに5年間もほったらかしにしてしまったので、今度から2週間に1回通いたいのでよろしくお願いします」と言いました。

この人は生活保護でしたので、通院するには「医療券」が必要になります。生活保護の人にとっての健康保険証に相当する物です。当院から医療券を請求すると、間もなく生活保護の担当者から自立支援医療申請用診断書の作成を依頼されました。

生活保護者の医療費は通常、区市町村が負担しますが、自立支援医療になると都道府県の負担になります。区の担当者は精神科通院にかかる医療費を自立支援医療に移行して区の負担分を軽減するのです。

自立支援医療を利用して認知症の治療を開始しました。パッチを開始ししばらくするとかぶれたので内服薬のレミニール®︎に変更しました。

交通事故の記憶

「酔っ払い運転の車に追突され、交通事故で頭を打ってから物忘れがひどくなったんです」と話しました。

X-1年、「物忘れは歳のせいだと人から言われますがそうではないんです。歳のせいでないことは自分がいちばんよくわかります」と言います。

病識があります。

「ゴミ出しの日がわからなくて出し忘れることが増えました。日常生活のことはすべてできていますが、とにかく記憶力が悪くて何もかも思い出せません」

失禁

「規則正しい生活をしたいのですが、どうしても夜更かしになってしまいます。身の回りの物が見つからなくて……。

あとは、トイレに間に合わなくなりました。だからドラッグストアでパットを買ってきて使っています。子どものころ、学校でお漏らしして同級生にからかわれたことを思い出しました。トラウマです。トイレに間に合わないたびに、あのときのことを思い出すので苦痛です」

本人が苦痛に感じていると言うので、過活動膀胱治療薬ベタニス®︎を併用開始しました。過活動膀胱の薬には何種類かありますが、多くが抗コリン作用を持っており認知機能に影響を与えます。ベタニス®︎は認知機能に影響しにくい作用機序の薬です。

幸いベタニス®︎が効いて失禁しなくなりました。

過去の記憶の混乱

「リーマス®︎を飲んだら足がすごくむくんだので飲まなくなりました」

リーマス®︎を飲んだときの副作用とリフレックス®︎を飲んだときの副作用がごっちゃになっています。

「いつも診察で何か質問しようと思うんですけど、いざここに来ると忘れてしまうんです」

「メモに書いて持ってきてください」

私はそうアドバイスしましたが、メモを持ってくることはありませんでした。

抗認知症薬を開始してから半年経ったので、評価のためMMSEを行いました。すると29点に上がっていました。以前まったく覚えられなかった3つの言葉が2つ覚えられました。薬で底上げができているようです。

感染性胃腸炎

「数日前、急に吐き気と下痢がひどくなって、トイレに駆け込んで吐きました。内科で薬をもらって2日ぐらい前に治りました」

2週間後に受診した際にも、まったく同じことを言いました。

感染性胃腸炎になりましたが、そのエピソードの印象が強かったためか、2週間経ってもつい数日前のことのように語っていました。

当院の受診には自立支援医療の受給者証が必要でしたが、ときどき持参するのを忘れるようになりました。

介護認定申請

「3カ月ぐらい前から食事を作るのが面倒で、惣菜を買ってくるようになりました」

アパシーです。前頭葉機能の低下です。この人はもともと片付けができないという症状もありました。

「片付けはどうですか?」

聞いてみると「今朝、生活保護の担当者がいきなり訪ねてきたんです。部屋を覗き込んで『たしかにすごいな』と言ったんです。ゴミ屋敷だと言いたいのでしょう。帰りしなに『家の掃除をする人をときどきお願いしましょう』と言われました」とのことでした。

しばらくすると私の元へ介護保険の主治医意見書が送られてきました。片付けができないことや食事を作らなくなったことなどを記載して提出し、要介護1になりました。

カミングアウト

「片付けや食事作りをしてくれる人が来ることになったようなんです。でも自分は結婚しないで一人で生きてきて世間の常識とは違います。合わない人が来るのは嫌です。

自分は少数派だと思います。バイセクシャルなので、相手の性別は気にしませんでした。長く暮らしたパートナーは女性でした。

母は自分が幼いころから夫の愚痴ばかり言う人でした。お見合い結婚で好きでもない人と結婚したらしいんです。私がパートナーを見つけて家を出るとき、母にもいっしょに家を出ようと言ったら、 笑って『ご飯が食べられなくなるからダメ』と言われました。母は自立心のない人でした。男に頼るしかない人だったんです。愚痴を言いながらも夫に依存していたことに気づかされました。

3つ下の妹は、すぐにケンカをふっかけてくる子で嘘つきでした。でも母はその嘘をずっと本当だと思って私のことを信じてくれませんでした。だから私も母のことは信用できないんです。

私と妹に挟まれた弟は25歳で自殺しました。家族に絶望したのでしょう。私は親元を出ることができてよかった。パートナーのおかげです。陶芸の仕事でいっしょに海外に行ったこともありました。楽しかったです。いい人生でした。私が認知症になったからいっしょに暮らせなくなりましたが、彼女と暮らしたことはいまでも後悔していません。

こんな私を嫌がらないで助けてくれるヘルパーさんが来てくれるのでしょうか」

多様性の価値観をもったヘルパーなら受け入れてくれると思いますが、現実問題どうなのでしょうか。専門職種のなかにもいろいろな価値観を持った人がいます。自分の価値観を押し付けようとする人もいます。この人はいままでの人生で何度もそのような経験をしてきたのでしょう。

私はケアマネジャーに情報提供して、このデリケートな問題をクリアできそうな人選をお願いしました。

入浴しなくなる

惣菜ばかり買うようになり、自宅には空き容器が溜まるようになりました。片付けができないので空き容器も捨てられないのです。家の中に積み上げているうちに置き場所がなくなり風呂場に置くようになりました。必然的に入浴しなくなりました。

差別を感じる

X+1年、「このあいだ生活保護の担当者の方から『後期高齢者』と言われました。差別的な言葉ですね。男とか女とかそういうのと同じように抵抗感があります。先生は私を男や女ではなく人間同士という感じで話してくれるのでありがたいです。以前よりもの忘れの頻度が増えているみたいで怖いんです。これからもお願いします」と話しました。

私はハッとさせられました。75歳以上の人を後期高齢者と分類します。私たち専門職は何気なく使っている言葉ですが、この人はそこに差別の匂いを嗅ぎ取りました。敏感なのです。後期高齢者でも、いくつになっても人間同士であるべきなのです。

その後は、前の年にあった感染性胃腸炎の話をまた繰り返しました。つい数日前のことのように語ります。

異変

およそ1年間、2週間に1回通院していましたが、あるとき予約外に訪れました。まだ1週間しか経っていません。異変です。なぜ来たのか聞かなければなりません。

「どうしたのですか?」

「今日の朝、何時に起きたのか記憶にないんです。だから怖くなって。先生、不安です」

病識がある認知症です。どうやらアルツハイマー型認知症ではないようです。

それから通院頻度がランダムになりました。2週間ではなく10日間だったり3週間だったりまちまちになりました。

「今日は慌てて来たので薬を飲んでいません。私は健康になりたいです。認知症になりたくありません。玄米を食べて、野菜を料理して、健康になりたいのに、料理を作る気がしなくて毎日お惣菜ばかりです。味噌汁もインスタントばかりです。家を片付けて良い環境で生活したいんです」

薬が飲めなくなり余るようになりました。このため薬局に居宅療養管理指導を依頼しました。

パーキンソン症候群の出現

それまでは身体的には何の異常もありませんでしたが、あるとき急に左側に体が傾くようになりました。また前傾姿勢で首垂れも出現しました。

MMSE施行したところ26点でした。遅延再生は3つとも思い出せませんでした。それに加えてセブンシリーズで-1点でした。セブンシリーズは100から7を順に5回引いていくという検査です。集中力や注意力を見る検査です。

抗認知症薬の底上げ効果が薄れたものと思われました。抗認知症薬は長く同じものを使っていると馴れが生じて効果が減弱していきます。このため効果が薄れてきたら、3種類あるコリンエステラーゼ阻害薬のどれかにローテーションしていくのが良いといわれています。

私はレミニール®︎をアリセプト®︎に変更しました。

歩行障害

まっすぐ歩けなくなりました。薬の飲み忘れも増え、薬剤師が頻繁に訪問し援助に入るようになりました。

通院が間遠になり2週間の処方で3週間目に来院します。

「忘れっぽいのがひどくなっています。気持ちが落ち込んでやる気がありません。ときどき自殺したいと思います。『自殺が良い』と思ってしまう自分にぎょっとします。一人暮らしは寂しいです。

人とのつながりもあります。通院もあるし、歴史のグループにも入っています。そこの集まりにいまでも通っています。いまでは、どうしてそこに行こうと思ったのか最初のきっかけは思い出せません。でも人とつなががっていることで前向きに生きることができます。

先を考えると生きていてもしょうがないと思うこともあります。頭の具合が悪くて考えられません。 生活保護で生活はギリギリです。でも最近、友だちがいます。友だちが家に来て、家を片付けてくれました」

介護保険サービス

ようやく介護保険のヘルパーが入ったのです。友だちのように振る舞ってくれているようです。

「そしたら、カードがなくなってしまって。友だちが来た後だったので不安になりました。でも後から見つかったので大丈夫でした。こんなことがあるとふと考えます。認知症なのかなって。自分でもやばいなと思います。心配なので通院は心待ちにしています」

軽く物盗られ妄想が出たようですが、自分で気づいています。

パーキンソン症候群を伴う認知症

大脳の萎縮は顕著に進行しているのに軽度認知障害の状態が長く続き、病識が保たれています。アルツハイマー型認知症ではないようです。

ここにきてパーキンソン症候群が目に見えて悪化してきました。すり足小刻み歩行が目立つようになり、体は左前方に曲がり首垂れも重度です。

「倦怠感が強いです。体の動きが悪くて。もの忘れはときどき調べてくださいね。でもここに通うのがたいへんになりました。近くの病院を紹介してください」

1人で通うことが難しくなり、自宅近くの病院に紹介状を書きました。半年後の検査に来てくれるでしょうか。

西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。

バックナンバーを読む