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介護している人は、介護だけしているわけではありません。介護のほかにその人の日常生活、現役世代なら社会生活を営んでいます。

育児については「仕事と育児の両立」ということが社会問題になり、保育所問題、育休制度など社会制度が徐々に整備されつつあります。

介護についても、2000年に介護保険制度が発足してから「『介護離職』をなくしていこう」という風潮が高まってきています。

介護保険制度発足以前には、家族のなかに要介護者が出ると娘や嫁など女性が介護にあたるのが当たり前でした。女性の役割とされていたのです。

「女性の社会進出」という謳い文句で会社勤めを始めた女性も、育児や介護が始まると仕事を辞めるのが当然という風潮でした。介護離職は女性にとって当たり前だったのです。

認知症の介護をする人の年代はさまざまですが、最も多いのは中高年です。

80歳ぐらいの人を50歳代の人が介護するケースが多いと思います。認知症の発症が早いと70歳ぐらいの人を40歳代の人が介護することになります。

40〜50歳代といえば社会のなかでは中心的な存在です。会社では責任ある地位につき、中堅どころから管理職という世代です。

介護保険制度が発足した2000年ごろには、女性が「キャリアウーマン」と呼ばれる世代が一世を風靡しました。この人たちのなかには管理職になり重要な地位を占める人たちも出てきていました。その人たちにとって「介護離職」は大問題でした。

CASE 074
82才女性

「たいへんご無沙汰しました」

目の前の女性は10年以上も前に当院に通院していた人の娘です。今日は診察ではありません。仕事の話で私に会いに来たのです。

10年前にタイムスリップしたようです。全然変わっていません。いや、互いに変わっているのかもしれませんが、一気に10年前に引き戻されました。

その人はバリバリのキャリアウーマンを続けながら、認知症の母親を介護している人でした。忘れようにも忘れられません。

これまでの経過

X-23年、記銘力障害が出現し、夫がもの盗られ妄想のターゲットになりました。喧嘩が絶えなくなり夫婦二人暮しが難しいため、娘の家に本人を引き取り同居を始めました。

同居を始めると同時に、娘は母親のもの忘れが激しいことに気づきました。

X-21年、もの忘れが徐々に悪化して、ターゲットが婿に移り「婿が私のものを盗む」と言うようになりました。

家の権利書や、テーブルクロス、いつも使っているスプーンを「婿が盗んだ」と言うのです。

ついには「宝石がなくなった」というので、娘はセキュリティサービスを契約しました。

セキュリティサービスを契約してからは、婿に対するもの盗られ妄想はなくなりました。

しかしながら、セキュリティがかかっているにもかかわらず「盗まれる」ということで、今度はターゲットが鍵屋に変わりました。

鍵屋が泥棒

「泥棒は鍵屋だ。合鍵を持っているから。いつでも入ってこられる」と言い出しました。

X-20年、鍵屋が侵入してくると思い込み、枕元に包丁を置いて寝るようになりました。

「ベランダから鍵屋が入ってくる」と言って泣いています。

娘が「セキュリティサービスに入っているから泥棒が入ってくるわけない」と否定すると、「実印もなくなったのに信じてくれないのね」と言って娘に怒りをぶつけるようになりました。

そして今度は「鍵屋とセキュリティサービス会社が結託している」と言いはじめました。

「娘は自分の話を信用してくれず、物が盗まれることに関して何の手だてもしてくれない」
と言って怒ります。

もの忘れだけでなく実行機能障害が出現し、料理ができなくなりました。

本人は自分を病気だと思っていないので、当院にどうしても連れて来ることができません。当院では家族相談も受け入れており、家族だけの受診もできます。インターネットで調べて娘が当院を初診しました。

娘の受診

娘自身がストレスで体調を崩していました。ストレスで蕁麻疹が出ると言います。娘は会社員で、管理職でもあります。いわゆるキャリアウーマンです。

「セキュリティサービス会社から電話があり、母がセキュリティサービスの契約を突如解約したと知らされました」

セキュリティサービス会社さえもが、もの盗られ妄想のターゲットになってしまったのです。

「私自身は精神的に疲れていて、仕事の集中力がなく、うっかりミスが増えました。仕事をしているときは母のことを忘れることができるので、わざと残業したり、土日も出勤しています」

仕事に逃げています。健全な状態ではありません。

介護指導と娘の治療

まずは娘に対して本人の妄想を否定しないように指導しました。

娘は仕事のない土日はぐったりして動けません。

「母の介護が始まってから自由がありません。辛いです」と言います。朝起きられなくなり、娘も治療が必要な状態です。抗うつ薬を開始しました。

もの盗られ妄想の悪化

母親のほうは「次は泥棒が殺しに来るかもしれない」と不安が募ってきました。「物を盗むな」と書いた貼り紙を家中に貼っていました。

娘に対する介護指導だけでは、問題は解決しそうにありませんでした。

このため「会社指定の人間ドック」と嘘をついて、当院に連れて来てもらうことにしました。

そしてようやく本人が受診しました。

本人の受診

診察室で話をすると開口一番「自分はボケていないと思います」と言いました。

「鍵屋が泥棒で、いくら訴えても警察が動いてくれないのです。泥棒が夜中に入ってくるので、それと戦うのが精いっぱいです」

一見普通の人に見えます。さらに話を続けました。

「同居の娘も疲れていて、物の置き忘れが頻繁です。娘のことが心配です。前に契約していたセキュリティサービス会社と鍵屋がグルになっていて、私たちが寝ているときに入ってくるのです。だから玄関に鈴を付けました」

あらかじめ認知症だとわかっていなければ、話を信じてしまいそうになります。

検査を行う

「人間ドック」と称して胸部レントゲンや心電図、採血などを行いました。軽い脂質異常症が見られましたが、それ以外に異常所見はありません。

頭部MRIでは、大脳皮質のびまん性萎縮が軽度認められましたが、それ以外に特異的な所見はありませんでした。

なんとか薬を飲んでもらう

「夜中に眠れないと健康に悪いですよ。よく眠れるようにお薬を出しましょう」

もの盗られ妄想に対して、抗精神病薬のジプレキサ®︎を少量処方しました。すると少し素直になってきました。

本人は行動力があり、「鍵屋とセキュリティサービス会社に対抗するためには、警報機と監視カメラが必要だ」と言い出して、自分で電気店に連絡を取り、設置してもらっていました。

能力が高いのです。まだ認知症の初期です。もの盗られ妄想というのは、症状がドラマチックなので重症に感じますが、認知症の初期に多い症状です。認知症が進行してしまうと下火になって消えていく症状です。

認知症の程度はまだ軽いので、セキュリティサービスを解約したり、鍵を付け替えたり、警報機や監視カメラを設置するなど、いろいろな手続きをする能力があるのです。

行動化が治まる

ジプレキサ®︎は奏効し、妄想がありながらも、強い不安感や行動化が減少しました。

泣いたり、怖がったりしていましたが、笑顔が出るようになりました。また、娘に対して易怒的でしたがそれも治まりました。

娘は言いました。

「2年ぐらい前の母親に戻ったようです。しかし、もの忘れが悪化してきました。認知症の進行予防の薬も服用させたいです」

抗精神病薬は、もの盗られ妄想にたいへんよく効きますが、認知機能は低下させてしまいます。

娘と相談の上、アリセプト®︎の併用を開始しました。

少量のアリセプト®

当初から易怒性が認められたので、抗認知症薬の副作用で易怒性が増すことが懸念され、1日3mgを1週間だけ処方しました。

飲み始めに一度副作用の嘔吐が出現しましたが、その後は服用が継続できました。易怒性も悪化することはありませんでした。

1日3mg服用時点で効果が見られました。しばらく書かなかった季節の便りを友人に書くようになりました。

維持量5mgにして、妄想の増悪や易怒性の再燃はなく問題ありませんでした。

ジプレキサ®の副作用

このころからジプレキサ®の副作用で過食になり、肥満してきました。

非定型抗精神病薬のジプレキサ®には強力な食欲増進作用があります。食欲がない人にはちょうどよいのですが、そうでない人には過食や肥満、糖尿病のリスクがあるのです。ですから、この薬は糖尿病患者には禁忌となっています。

抗精神病薬をジプレキサ®よりも過食の副作用が少ないリスパダール®に変更しました。とても少ない量で開始しました。1日1mgです。

抗精神病薬の変更

リスパダール®に変えてからは過食が治まり、精神症状も安定していたのでしばらく様子を見ていました。副作用による薬剤性パーキンソン症候群もほとんど見られませんでした。

X-19年、認知症の中核症状が進行し、何度も同じものを買ってきて、冷蔵庫の野菜が腐ることが増えました。

娘は介護疲れで注意力が低下して、大事にしていたブローチをなくしてしまい、さらに気持ちが落ち込んでいました。娘には休息が必要でした。

介護認定申請

このため介護認定申請を勧めました。認定調査員が来たところ、本人は機嫌よく応対し「デイサービスに行きたいです」と言いました。

1カ月ほどして認定結果が届き、要介護2になりました。

冷蔵庫の整理のためヘルパーサービスを導入し、認知症の進行予防のためデイサービスにも通うようにアドバイスしました。

さっそくケアマネジャーから連絡がきて、ヘルパーサービスの導入が決まりました。

ヘルパーとは馬が合い、問題なく受け入れることができ、いっしょに冷蔵庫の掃除などするようになりました。

デイサービスのほうは、たまたま見学したデイサービスが自分より年上の利用者ばかりで、おとなしくて覇気がない人が多いのを見て「通いたくありません」と言い出しました。

このため、デイサービスに関しては、無理に勧めないで様子を見ることになりました。

小康状態からもの盗られ妄想が再燃

X-18年、ヘルパーと仲良くなり精神状態が安定したためか、妄想やもの忘れは残っていたものの小康状態となり、何事もなく1年が過ぎました。娘の精神状態も安定しました。

X-17年、ヘルパーサービスを週3回に増やし、穏やかに暮していました。

X-16年、もの忘れが少し進行し水道の閉め忘れなどが出現したため、アリセプト®を1日10mgに増量しました。ときどき「ヘルパーが物を盗った」と言いますが、大きな問題なく過ごしていました。

X-15年、安定しているので試しにリスパダール®を1日0.5mgに減らしました。すると、ヘルパーに対するもの盗られ妄想が再燃しました。

このためすぐに1mgに戻しました。

娘の出世、転職に次ぐ転職

同時期に娘は職場で中間管理職になりました。昇進といえば聞こえは良いのですが、仕事上のトラブルの責任を負わされる立場です。

そこに母親の妄想が悪化すると娘の体調も悪化します。余裕がないのです。手足が痺れたり、生理前のイライラがひどくなりました。

あまりにひどいので娘は転職しました。ところが転職先はブラック企業でした。家では介護、職場ではパワハラという状況で追い込まれてしまいました。

私は「仕事も介護も両方続けるつもりなら、仕事を変えなければ無理でしょう」とアドバイスしました。

そして娘はさらなる転職先を探し始めました。

妄想によりヘルパーサービス休止

X-14年、体は元気ですが、もの盗られ妄想はかすかに残っています。ヘルパーが来ると険しい表情をするようになったので、いったんヘルパーサービスを休止しました。落ち着いたら再開しようということになりました。

ヘルパーが出入りしなくなると、「ヘルパーが物を盗った」と言わなくなりました。近所のスーパーに自分で買い物に行きます。

診察時に本人は言いました。

「元気になりました。でも泥棒が入るので気分が悪くなります。警察はだめですね。鍵家が泥棒なのですが、それを信じてくれません」

6年前とまったく同じ、相変わらずの訴えです。

娘は新しい職場を見つけ再就職しました。

認知症の悪化

X-13年、もの忘れの度合いがひどくなり、「ものがない」と訴えることが増えました。「しまい忘れただけじゃない?」と娘が言うと「ないのよ!」と荒れてしまいます。

体は元気なのですが、もの盗られ妄想が悪化してヘルパーサービスが再開できず、結局解約となり受けられなくなりました。

これに伴い娘の介護負担が増え、娘がうつ状態になりました。

娘のうつ症状

手足が痺れ、腰が痛くなり、胸苦しさがあります。整形外科などで検査しましたが異常はありません。異常がないと言われたにも関わらず、娘は体のあちらこちらの関節が痛くなり、リウマチを心配して膠原病科を受診しました。しかしリウマチでもありませんでした。

「最近、生理不順なのです。更年期障害でしょうか」と娘は言いました。

確かにその年頃です。まさに40〜50歳代は更年期。親の介護が重なることがよくあります。この人の場合もそうでした。

介護ストレスが重なり、更年期障害の症状がよりいっそうひどくなっていました。痺れ、息苦しさ、関節痛、不安感などさまざまな症状に悩まされました。

私は娘に半夏厚朴湯を処方しました。この薬は漢方薬ですが、不安感や抑うつ症状に効果があります。マイルドな効き目で副作用が少ない薬です。

ケアマネジャーからの手紙

X-12年、ケアマネジャーから手紙が届きました。以下のような内容でした。

「認定更新時に訪問したところ、自宅内に水を入れたペットボトルがあちらこちらに置いてありました。本人曰く『泥棒よけだ』ということです。

あちらこちらの壁には自分の身の回り品や家財道具のリストが貼ってあります。本人は『盗まれていないか確認するためだ』と言います。

妄想がだいぶ残っているようです」

デイサービスに行かない理由

ケアマネジャーと認定調査員に向かって「鍵屋が泥棒だ」という話をします。自宅には鍵を4つ付けており「泥棒は合鍵を持っていて、夜間みなが寝静まると侵入してきて好き放題に物を持っていく」と言いました。いままでと同じ話です。

「だから留守にできません」ときっぱり言います。このためデイサービスには行きません。

泥棒の話が始まると話が尽きず、いつまでたっても話が終わりません。何とか話を切り上げて調査を終わりました。

ケアマネジャーに対する妄想

認定調査の後で、本人は警察を呼びました。

「ケアマネジャーが来てから宝石がなくなった」と言うのです。警察から娘に問い合わせが入りました。娘は頭にきてしまいました。「お母さん、いい加減にして!」と怒りをぶつけひどい口喧嘩になりました。

母娘の仲は険悪です。私はメマリー®を処方しました。メマリー®は、NMDA受容体拮抗薬という薬で、認知症の進行予防だけではなく、怒りや興奮を鎮める効果もあります。

X-11年、新しく処方されたメマリー®を服用しなくなりました。娘が飲むように勧めると警戒心をあらわにして拒否してしまいます。

「食事に混ぜるなどして飲ませるしかないですね」

私のアドバイスで何とかメマリー®を服用させたところ、怒りや興奮は少なくなりました。

パーキンソン症候群の出現

抗精神病薬のリスパダール®は飲み始めて9年経ちました。長年パーキンソン症候群はありませんでした。

9年経って、パーキンソン症候群が出てきました。薬による薬剤性パーキンソン症候群なのか、認知症の進行に伴うパーキンソン症候群なのか判然としません。

アルツハイマー型認知症でも、進行して大脳が萎縮してくるとパーキンソン症候群が出現します。

いずれにしても臥床時間が増え、食欲が減り、活動が少なくなってしまいました。介護にはより手間がかかるようになりました。

在宅介護と両立できる職場を見つけて娘は転職しました。

妄想に基づいて行動してしまうことはもはやありませんでした。私は、リスパダール®を中止しました。それでも以前のように歩けるようにはなりませんでした。歩行困難で通院できなくなったので、訪問診療医に紹介状を書きました。

そして転院しました。

10年ぶりの邂逅

ある日、私の元に一通のメールが舞い込みました。

「たいへんご無沙汰しております……」

通院が難しくなり、訪問診療に転院して10年以上が経っていました。私は個々の患者さんをあまり覚えていないタイプの医師なのですが、この人のことは印象深いので覚えていました。

「以前訪問診療の先生にご紹介いただきました。以来、訪問診療を受けながら、なんと母も92歳となりました」

娘は話を続けました。

「私も一昨年に還暦となり、会社員生活にピリオドを打ち、現在は介護をメインにしています。フリーになってようやく時間の余裕ができ、介護しながら働く女性のサポートを行う団体を立ち上げました……」

メールの向こうに懐かしい顔が見える気がしました。

介護で仕事を諦めない。その生き方を見せてくれた人です。

私はすぐに返事を書きました。

「その仕事、ぜひお手伝いさせてください」

どんな仕事になるのでしょうか。期待に胸が膨らみます。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。