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認知症になると人格が変化することがあります。

アルツハイマー型認知症の人は多幸的になり、深刻味がなくケロっとしているのが特徴です。感情の平板化という症状です。

嗜銀顆粒性認知症では不安感や猜疑心が強くなり、被害妄想が出てきて暴言暴力が出現することがあります。

レビー小体型認知症では、うつ病になったり、幻覚妄想で統合失調症のような状態になる人もいます。

いろいろな病気が含まれる前頭側頭型認知症では、自分勝手でわがままになったり、反社会的行動を繰り返すようになることがあります。

このように人柄が変わることが症状の一つなのですが、介護している側からみるとそれが症状だと思えないで介護ストレスの原因になることがあります。

CASE 075
89才女性

しばらく娘が代理受診していたので本人に会うのは久しぶりです。

本人と娘と、診察室にはもう1人入ってきました。初めて見る顔です。名札を下げています。地区担当保健師です。何かあったのでしょう。

娘は泣きそうな顔をして何か言おうとしています。

これまでの経過

X-20年ころから気分が沈むようになり、近所の診療所で処方された抗うつ薬や抗不安薬を飲み始めました。

X-9年、メンタルクリニックでパニック障害と診断されました。

抗不安薬のワイパックス®︎、抗うつ薬のジェイゾロフト®︎、抗精神病薬のルーラン®︎を処方され、ようやく落ち着きました。

X-7年、歩行障害が出現し、転倒しやすくなりました。薬の副作用かもしれません。

X-6年、自転車乗車中にタクシーと接触して、頭部を強打し脳挫傷になりました。人格が変化し、子ども返りしました。

薬の副作用

脳挫傷で入院中に抗精神病薬のルーラン®︎を中断したところ歩行障害が改善し、薬剤性パーキンソン症候群であったことが判明しました。

退院してから記銘力障害が顕著となり、服薬管理ができなくなりました。ガスの消し忘れ、ゴミ出し日がわからない、ゴミの分別ができないなど、生活に支障が出てきました。

脳挫傷後遺症だけなら症状が進むことはありませんが、症状は徐々に進行し、脳の変性疾患を合併していることが疑われました。

認知症と判明して同居を開始

X-5年、大きな病院の認知症外来を受診し、 MMSE16点でした。頭部MRIでは大脳皮質のびまん性萎縮が認められ、アルツハイマー型認知症と診断されました。アリセプト®︎の投与が開始されました。

病院では「この症状だと一人暮らしは困難です」と言われたため、娘が実家に帰り同居するようになりました。

同居して間もなく、本人が頻繁にパニックになっていることがわかりました。

もの忘れがひどいため、さっきのことがわからなくなってパニック発作を起こします。過呼吸になり強い不安感が込み上げてきます。

娘が食事を作るようになり、しばらくすると栄養状態が改善して体重が増加しました。娘がいっしょに買物に行くなど行動をともにするようになったところ活動が増えて歩行障害も改善しました。

低血圧発作

X-4年、通っていた銭湯で低血圧発作を来し、脱衣場で両便失禁して救急搬送されました。

認知症外来で処方がアリセプト®︎からレミニール®︎に変更され服用開始したところ、興奮状態となり落ち着かなくなりました。

夜間の中途覚醒時に朝だと思って、着替えて出かけようとしました。症状が変わり、対応に困りましたが、大きな病院の認知症外来は半年に一度の通院だったので娘はどこにも相談できませんでした。

困った娘は、たまたま当院に通院していた別の患者さんの家族の紹介で当院を初診しました。

初診時の状態

もの忘れはひどく、一瞬で忘れます。同じ話の繰り返しになります。日付や曜日がわかりません。自分の年齢を「50歳」と言うこともあります。

すぐ忘れてしまうため会話がかみ合いません。服薬管理もできません。

もとの性格なのか気分が滅入りやすく、すぐに泣いてしまいます。娘が同居していることについても「申し訳ない、自分は邪魔者だ、早く死んで娘を楽にしてあげたい」などと言います。

日中独居

娘は仕事を持っていました。このため日中はデイサービスに預けていました。

デイサービスから帰宅してから娘が帰宅するまでの1人の時間帯に何をしてよいのかわからなくなり、パニック発作を頻繁に起こすようになりました。

また、朝起床時に前日の記憶がすべて消えていて、そこでパニック発作を起こすことも多く見られました。過呼吸発作が主です。

家事は上手にできなくなっており、うまくできないと娘に怒られるのでやらなくなってしまいました。娘がやるように促すと「うまくできないから」と言って断ります。

食欲はありますが、一つの皿からしか食べません。入浴すると何度も洗髪するなど、さっきまでやっていたことを忘れて同じ動作を繰り返してしまいます。

中期の認知症

MMSE20点でした。時間的見当識障害、場所的見当識障害を認めます。遅延再生という3つの言葉を覚えて暗算の後に思い出す課題は一つも覚えていられませんでした。

頭部MRIでは海馬の萎縮が中等度認められ、その他にも大脳皮質のびまん性萎縮が顕著でした。

足はすり足気味で、杖歩行です。もうルーラン®︎は服用していないので薬剤性パーキンソン症候群ではありません。廃用症候群かあるいは大脳の変性によるパーキンソン症候群かもしれません。

うつ状態

「娘の世話になるのが、嫌なんです」

検査がすべて終わり、診察室に入ってくると開口一番本人はそう言いました。

「でも、何もできません。郵便物が来ても内容がわからないし、書類を読んでも意味がわかりません。前は1人で生きていたのに何もできなくなりました。1人で暮らすのは不安です」
本人は涙ながらにそう話しました。

「娘に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と言って泣き崩れます。

冷ややかな娘

娘はそばで冷ややかに見守っています。
娘は言いました。

「いつもこんなふうに言うんです。毎日私に丁寧語でお礼を言い、『自分は粗大ゴミだから、申し訳ない』などと言うのです。笑顔になることはありません」

このような抑うつ症状と、ときどき強い不安や興奮があるため、過去には前医から抗不安薬のワイパックス®︎、ジェイゾロフト®︎とルーラン®︎が処方されていました。ジェイゾロフト®︎は抗うつ薬、ルーラン®︎が抗精神病薬です。現在はジェイゾロフト®︎だけ続けて服用していました。

アルツハイマー型認知症だけなのか

すり足歩行、うつ状態があるためパーキンソン症候群と精神症状を伴う認知症が疑われます。具体的にはレビー小体型認知症、大脳皮質基底核変性症のような疾患です。

鑑別のためDATスキャンを行いました。すると両側線条体集積低下が認められました。レビー小体型認知症を合併しているようです。

リフレックス®︎を併用してみました。通常のうつ病であればジェイゾロフト®︎のようなSSRI(選択的セロトニン再取込み阻害薬)に併用すると抗うつ作用が強化されるはずです。ところがまったく効果を示さず、抑うつ状態は改善しませんでした。

「寝ていたい。死にたい」と言います。食欲はありました。「もういらない」と言いつつ完食します。リフレックス®︎は食欲を増す作用があるのでどんどん食べて体重が増えました。

その後さらに歩行障害が悪化し、動作も緩慢になってきました。服の着脱に介助が必要になりました。朝晩の着替えに介護の手間がかかるようになったので、娘に入所か入院を勧めました。

「母の性格から病院は無理です。自由に生きてきた人ですから」

娘はあっさり断ってきました。

むずむず脚症候群

このころになると本人は「足が痛くて眠れない」と言い出し、娘は本人を整形外科に連れて行きました。すると「むずむず脚症候群」と診断されレグナイト®︎が処方されました。

むずむず脚症候群はパーキンソン病に伴うことが多い疾患です。夜寝ようとしてじっとしていると脚にむずむずした異常な感覚が生じ、眠れなくなる病気です。

ある種の薬を服用すると悪化することが知られています。抗うつ薬のリフレックス®︎は、むずむず脚症候群を悪化させるため中止しました。

するとむずむず脚の症状は消失しましたが、本人のうつ状態は悪化しました。いままで以上に自責的になりました。

苛立つ娘と自殺未遂

言い争うのは良くないとわかっていても、本人の言葉に反応して娘は言い返してしまうようになりました。本人はますます怯えて、娘の顔色をうかがって生活するようになっています。

「『死にたい』とか『殺してくれ』などと同じことを何度も言われることに耐えられません」

娘はそう言いました。

抗うつ薬をやめてしばらくすると、本人は首吊り自殺を試みました。物干し竿にタオルを結びつけているのを見つけて、娘が慌てて止めました。

自殺企図があった場合には基本的には入院を勧めます。私はいくつかの精神病院を紹介し入院を勧めました。

娘はショックを受けており、「すぐには決められません」と言いました。憔悴した様子だったので持ち帰って検討してもらうことにしました。

むずむず脚症候群のため中止していましたが、薬を再開することにしました。抗精神病薬ですが強い抗うつ作用もあわせ持つジプレキサ®︎を処方しました。少量の2.5mg錠を処方しました。

薬剤過敏性

ジプレキサ®︎の投与量は少量であるにも関わらず、すぐに朝起きられなくなり、歩行不能になりました。

レビー小体型認知症では抗精神病薬の副作用が強く現れる「薬剤過敏性」という症状があります。この場合、典型的な薬剤過敏性と考えられました。

副作用は激しく出ましたが、抗うつ効果は非常に高く、「死にたい」とか「殺してくれ」などと言わなくなりました。私はジプレキサ®︎を半分の1.25mgに減量しました。

副作用の歩行障害が改善し、うつ状態も改善し、本人は久しぶりに一人で外出し洋服を買ってきました。

錯視

しばらくすると、今度は「男の人がのぞいている」と錯視を訴えました。レビー小体型認知症によくみられる症状です。

「いるわけないじゃない」と娘が否定するので本人は不安になります。

私は娘に言いました。

「安心させるように嘘をついていいのです。『男はもういないよ』とか『私が追い払った』などと言ってください」

ところがその対応はすぐにはできませんでした。

「もともと母との関係は悪くて、そんな思いやりのある対応はできません」

そうは言ったもののだんだん対応に慣れてきたようでした。

しばらく様子を見ていたところ、うつ状態も錯視も改善して落ち着いた状態となりました。

呼び寄せ介護を後悔する

落ち着いてきましたが介護の手間が徐々に増え、娘は疲れてきました。

娘は言いました。

「呼び寄せ介護をしたことを後悔しています。親子2名での生活で援助者がいないのです。自分一人で介護しないといけないので辛いです」

診察室で娘の発言を聞いて本人が言いました。

「娘が楽になるなら老人ホームに入ります」

本人は施設に入ってもいいと言っているのです。私は娘に言いました。

「お母さまもこう言っています。いかがでしょうか。施設入所を検討してみてはどうでしょう」

「考えてみます」と娘は言いました。

施設入所

デイサービス参加中に自分の杖につまずいて転倒しました。レビー小体型が進行してパーキンソン症候群による歩行障害が悪化したのです。

診察すると臀部に内出血が見られました。夜間疼痛が強く睡眠が取れません。

夜通し「痛い、痛い」と騒いでいるため、娘が限界になりました。やはり施設に入れることになりました。

施設入所が迫ると、今度は娘が不安感を訴えるようになりました。

「母は施設に馴染めるのでしょうか。不安です。馴染めなかったらどうなるのでしょう」

入所書類に記載するため知能検査をしたところ、MMSE21点でした。初診時は20点でしたのでほとんど変わっていません。

娘は言いました。

「指示すれば洗濯物を干したり食材を切ったりできます。若いころの自慢話をすることもあります。『綺麗と言われて男性にもてたのよ』とかそんな話です。入所の手続きに行ったときには私と離れたくないのかちょっとパニックになっていました」

施設入所には乗り気ではないようです。

退所とその理由

X-3年、あらかじめ予約していた施設に入所しました。ところが3カ月ほどで退所してしまいました。

入院中に錯視があったようです。「部屋の中に男がいる」などと訴えたということでした。自宅にいたときにあったのと同じ症状です。

また入所中に施設の中で転倒もありました。頭部に裂傷を負い病院に搬送され縫合してもらいました。

錯視や転倒が退所の直接の理由ではありませんでした。

その老人ホームには裕福な人が多く、価値観が合わなかったということでした。また年代も10歳以上も年上の人ばかりで話が合いませんでした。

自宅での生活を再開

退所した直後、本人は自宅に帰れたことをすごく喜びました。

その後、徐々にパーキンソン症候群が増悪し、歩けなくなってきて手の震えが目立ってきました。

また夜間の対話性幻聴が強くなり、独り言を言ったり、幻聴があって起き出すことも増えました。レム眠睡眠行動障害と考えられました。これもレビー小体型認知症の症状です。

自宅に帰ったことを喜んでいたものの、やはり娘との軋轢は解消したわけではなく、徐々に居心地が悪くなりました。

「入院したい」

今度は本人が「入院したい」と言い出しました。入院については以前に娘に提示した精神病院から選んでもらうことにしました。

認知機能は少し低下しました。シャンプーとリンスの区別がつかなくなりました。着替えもどのように服を着ていいのかわからなくなり、とても時間がかかるようになりました。テレビを見ても内容がわかりません。

うつ状態は持続しており、毎晩寝るときになると「早くあの世に行きたい」と言って泣きます。

糖尿病の危機

それまでジプレキサ®︎を処方していましたが、過食になりやたらたくさん食べてしまうので体重が増えました。ジプレキサ®︎によくある副作用です。糖尿病の危険性が高まり、ジプレキサ®︎を中止してエビリファイ®︎に変更しました。エビリファイ®︎はジプレキサ®︎と同じく抗精神病薬で難治性のうつ状態にも効果を示します。過食になりにくく、むしろ食欲が低下することもある薬です。

エビリファイ®︎に変更したところ食欲はすぐに低下しました。

徐々に会話が成立しなくなり、意欲が低下しました。歩行障害も悪化しました。

エビリファイ®︎は、非定型抗精神病薬のなかでも、薬剤性パーキンソン症候群の出現が少ないといわれている薬です。それでも徐々に歩行障害は進行し、入浴の際に転倒するようになりました。薬の影響というよりレビー小体型認知症の進行によるパーキンソン症候群の増悪と考えられました。

体が全般に固くなり、衣類の着脱に時間がかかるようになりました。手先も不器用になり薬をうまく飲むこともできなくなりました。

歩行には介助が必要になり、怖がってあまり歩こうとしません。お風呂で転んだこともあり、入浴も嫌がるようになりました。

デイサービスを増やす

介護が大変になったのでデイサービスを週4回に増やしました。

デイサービスから帰ってきて娘の顔を見ると、「会いたかった」と言って毎回泣きます。

娘が出かけようとすると「どこに行くの? 何時に帰ってくるの?」と尋ねます。「お母さんの薬をもらってくるんだよ」を言うと、「すみません、私のことで」と頭を下げて謝ります。

毎回毎回そう言われると娘はイライラしてきます。

娘もうつ状態になる

デイサービスがない日は朝から晩まで「死にたい、辛い、苦しい」と言い続けており、それを聞かされる娘も涙が出てきてしまいます。

夜もなかなか眠れません。「眠れない、眠れない」と訴えます。

私はデジレル®︎を処方しました。この薬は抗うつ薬ですが、とても眠くなるので睡眠薬代わりに使われています。服用するとよく眠れるようになりました。

また、抗うつ薬でもあるので泣くことが減り、デイサービスから帰ってくると娘に会って泣くかわりにすごく喜ぶようになりました。その姿を見ると娘もうれしくなります。

親離れができていない

娘は「母親の気持ちに自分の気持ちが左右されて、自分は親離れができていないなと思います」と言いました。

X-2年、パーキンソン症候群による固縮が強くなり身体の痛みが徐々に悪化しました。また特に夜間トイレ歩行時には転倒が増えました。

もの忘れがひどくなり、瞬間的に忘れます。会話はその場限りです。言葉の語彙が減り、自分から話すことも減りました。自宅の風呂場では狭くていっしょに入れないので、娘が銭湯に連れていきます。すると近所の顔なじみが声をかけてくれ、本人もうれしそうです。

要介護3になりました。ケアマネジャーに言われて特別養護老人ホームを申し込んだということでした。

自宅では寝てばかりいるので、娘がイライラしてガミガミ言います。すると「世話ばかりかけてごめんね」と泣きべそをかきます。

ショートステイを嫌がる

ショートステイに預けようとしましたが、本人の拒絶が強く預けられませんでした。

長らく入院も検討していましたが、いつまで経っても娘がふんぎれませんでした。

「どこにも預けられないので旅行に行けないし、友だちに誘われても遊びに行けません。何にも楽しいことがありません。私自身も疲れて具合が悪いです」

娘はそう言いながらもショートステイも入院もさせることなく、デイサービスを週5回に増やすのがやっとでした。

「親離れできないから」なのでしょう。

認知症になる前は親子の関係は悪かったのです。だからいま、娘は親子の関係を取り戻すためにいっしょにいたいのです。

申し込んでいた特別養護老人ホーム2カ所から相次いで入所の打診がありましたが、娘は2回とも断ってしまいました。

代理受診が続く

X-1年、歩行時に転倒し、足指を骨折しました。これをきっかけに娘が1人で代理受診するようになりました。

そろそろ骨折が治ったかと思い、娘に「次は連れてこられませんか?」と尋ねても、「立ったときに足を痛がるので連れてこられません」と言います。

動きが悪くなったためトイレに間に合わなくなり、尿失禁が出現しました。

介護保険で車椅子を借りましたが、それを使って当院まで連れてくるつもりはないようでした。

転倒が増える

X年、相変わらず代理受診で娘だけが通院しています。

本人を連れてこないことについてケアマネジャーに連絡をとりました。

夜中に目を覚ますと自分がどこにいるのかわからなくなり、家の中を徘徊します。その度に転倒します。怪我が絶えませんでした。

デイサービスでは腕や足の内出血や頭部の血腫(たんこぶ)が頻繁に見つかり、転倒だけでは説明できない怪我も多数あり虐待が疑われるということで地区の担当保健所に通報しました。

虐待ケースとして

通報を受けた保健所では虐待の疑い事例ということで保健師が訪問を開始しました。

当院からケアマネジャーへの報告で、本人が1年以上通院していないことも伝わっていました。

保健所とケアマネジャーが連携して観察を続けていたところ、娘が本人に暴力を振るったことを娘の口から確認したので、娘に保健師が付き添って久しぶりに本人を連れて外来を訪れたのでした。

本人は娘が押す車椅子に乗って入室しました。以前に見たときよりも一回り小さくなった印象でした。

「お母さんをぶってしまいました!」

娘は涙ながらに言いました。

ああ、そういうことでしたか。いつかそうなると思っていました。

特別養護老人ホームは前年に2回断ってしまったので、しばらく順番が回ってくる気配はありません。

入院を勧める

私は認知症専門病棟のリストをあらためて娘に手渡して、とりあえず入院させることを勧めました。以前にも渡したリストです。

娘はそのリストを受け取りました。

もしまた暴力があれば措置入所になるでしょう。措置入所とは強制的な入所です。娘に行き先を知らせずに母親を遠方の施設に入れて保護するのです。それは最終手段です。

「入院を検討してみてください」と私が言うと娘は頷きました。

保健師も横から「お母さまを入院させて、ちょっと考える時間を作ったほうがいいですよ」と口添えしました。

保健師が本人の車椅子を押して診察室を出て、残った娘も椅子を立って出て行こうとしました。

その背中に、私は「お大事に」と声をかけました。本人だけでなく娘にも自分を大事にしてもらいたかったのです。

娘は診察室の入り口で振り返り、私に笑顔を見せました。そして言いました。

「でもまだこのまま母といっしょに暮らしていける気がするんですけどね」

一筋縄ではいかないようです。

西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。

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