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介護の目標とは、なんでしょうか。
本来なら、それは介護される人のQOLを向上させることです。そのためには周囲の人の努力が必要です。その努力が限界を迎え、介護する側のQOLが低下してきたらどうしたらいいのでしょう。

介護される人も、介護する人も、人間です。誰もが満足のいく介護を、永遠に続けられるわけではありません。治らない病気や老いというものに向き合うとき、介護される人、する人のQOLを総合的に判断して、落とし所を探っていかなければなりません。

もう十分、自宅で介護しました。
卒業してもいいんですよ。

ところが、介護の目標が単に介護する人の執着心を満たすためだけだったとしたら……。そこにゴールはありません。

CASE 033
92才男性

私の前には肩まで髪を伸ばした男性が座っていました。

「父親が入院して以来、髪を切っていません。父親が家に帰るまで、髪を切らないことに決めました。自宅で介護したいので、どうしたら自宅に連れ帰れるのか、教えてください」

その患者は認知症の末期でコミュニケーションができず、意識もほとんどありません。療養型病院にもう2年も入っています。経口摂取不能となっており、IVH管理です。

IVHとは中心静脈栄養のことです。鎖骨下や鼠蹊部の太い静脈にカテーテルを留置して、そこから必要な栄養を全て点滴で入れることにより、口から物が食べられない人でも生かすことができます。

そのような状態の父を、自宅に連れ帰ると言うのです。どうしてこうなったのでしょうか……。

これまでの経過

X-31年、65歳で会社を定年退職しました。退職後は自宅マンション管理組合の理事になり、積極的に活動をしていました。また退職した会社の同窓会の幹事もしていました。

X-16年、80歳でマンション管理組合の理事をやめました。

X-10年、86歳で同窓会の幹事をやめました。

X-9年、87歳、家で寝ているか食べているかの生活になりました。

認知症の始まり

X-7年、89歳、行き慣れた駅で迷子になりました。テレビの内容がわからなくなりました。パーキンソン症候群が出現し、動作が緩慢になり、前傾姿勢になりました。

X-6年、90歳、銀行のATMが使えなくなりました。マンション管理組合の総会で会議の内容が理解できませんでした。胆石で入院した際に幻視が見えるようになり、退院してからも治りませんでした。

X-5年、91歳、確定申告ができなくなりました。パーキンソン症候群による歩行障害が悪化し、転倒し大腿骨骨折しました。

X-4年、92歳、妻と長男に付き添われ当院初診されました。

レビー小体型認知症

初診時、天井を見て「赤い服を着た女性がいる」と言ったり、壁を見て「モナリザの絵が飾ってある」と言います。また、「天井に字が書いてある」と言います。実際には何もない天井です。

40年来暮らしている自宅を自宅だと認識できません。妻の顔を見て自分の母親だと思います。夜中に突然「映写会がある」と言い出し、外に出ようとして家族が制止しても言うことを聞きません。2時間ほど揉めた挙句、突然正気に戻り「困らせて悪かった」と謝りました。

アパシー

家族が最も困っていた症状はアパシーでした。意欲や自発性が低下し、自分からは何もしなくなっていました。

このため抗認知症薬のレミニール®︎を試してみることにしました。レミニール®︎にはアセチルコリン以外の神経伝達物質も増やす作用があり、抑うつ気分や意欲低下にも効果を示すことがあります。その作用を期待しました。

飲みはじめに副作用で食欲が低下し、元気がなくなりました。尿失禁も出現しました。しかし、しばらく内服していると食欲低下は改善しました。このように、コリンエステラーゼ阻害薬の副作用は内服を続けていると慣れてきて改善することが多いのです。

レミニール®︎の服用で意欲は改善し、少し元気が出ました。しかしながら幻視は完全には治りませんでした。「隣の部屋から女の子が2人出てきた」などと言います。錯視が活発で、置いてあるカバンを人間だと思って話しかけています。

身体症状

尿失禁があり終日オムツを使っています。失禁はレミニール®︎の漸増とともに徐々に悪化しました。

着衣失行があり、着替えることができません。箸はまだ使えていましたが、食事中にむせることが多くなってきました。

頭部MRIを撮ると多発性ラクナ梗塞が見られ、白質脳症やPVH(脳室周囲の虚血性変化)などの慢性虚血性変化が非常に強く認められました。これに伴い大脳のびまん性萎縮も見られました。

症状には波があり、錯視があり、レビー小体型認知症と思われましたが、血管性認知症を合併しているものと考えられました。今後も脳血管障害が加わり、急に悪化する可能性があります。

失禁が改善しないのでレミニール®︎を半分にしてみました。1日に4mg錠を2錠、朝晩1錠ずつです。通常の維持量の半分です。すると尿失禁は見られなくなりました。コリンエステラーゼ阻害薬は尿失禁を悪化させることがあるので注意が必要です。

幻視は以前に比べて頻度が減り、夜中に突然興奮することはなくなりました。意欲は改善し、認知機能の低下も目立たなくなり、それなりに安定しました。小康状態と思われました。

ゴミ屋敷

症状が落ち着くと、妻の訴えは自宅にある膨大な不要品を処分する話になりました。妻によれば、自宅はゴミ屋敷のような有様でした。このゴミについて妻は「夫と息子が物を溜め込んできたのを何とかして処分したいのです」と言いました。

夫も息子も若いころから物に執着する性格で、一度手に入れたものをなかなか手放せません。どうみても使えなくなったもの、古い雑誌や新聞、衣類などを処分しないのです。

地域包括支援センターに相談し、援助してもらうよう提案しました。

人格変化

まずは介護認定申請してもらいました。本人の認知症の進行予防にはデイサービス通所が適切と考えられ、ケアマネジャーに情報提供して導入しました。

デイサービスに通所を開始し、しばらくすると意に沿わないことがあると暴言を吐くようになりました。「馬鹿野郎、殺してやるぞ」など、元々温厚だった人からは聞いたこともない発言がありました。人格変化です。

身体介護量の増加

着衣失行やパーキンソン症候群で身体介護が徐々に増えました。本人が90歳代、妻は80歳代後半で腰部脊柱管狭窄症があり、長男も60歳近い年齢です。老老介護の一家にとって、身体介護はかなりの負担でした。

しばらくすると長男は腰を痛め、介護がうまくできなくなり、不安になってきました。訪問系サービスを導入してもらえないかケアマネジャーに相談しました。

通常、家族が同居している場合には訪問介護を入れることができません。しかし、介護する家族が何らかの原因で介護できない状況であれば訪問介護を導入できます。妻も長男も腰が悪いということで、訪問介護の導入を依頼しました。

ところが、訪問介護を入れる段になり妻が「自宅がゴミ屋敷で、ヘルパーが来ても足の踏み場がない」と言います。「まずは、最低限の介護の環境を整えるために、ヘルパーにある程度片付けを手伝ってもらいましょう」と提案し、介護用ベッドの周りだけでも片付けてもらうことにしました。

抗認知症薬の中止で精神症状が再燃

しばらく小康状態だったものが7~8カ月ほどで再度悪化しました。徐々に食欲が低下し、尿失禁も悪化しました。認知症の進行かもしれません。あるいは逆に老化に伴う代謝機能の低下で、レミニール®︎の副作用が強く現れるようになったのかもしれません。

この2者の鑑別は難しく、まずは試しに一度レミニール®︎を中止してみました。

すると、夜中に「人を助けに行く」と言い、出かけようとして興奮しました。1時間ほど騒いでいました。家族が何とか制止していたら落ち着きましたが、「天井から水が漏れている」などと幻視も活発になりました。

良い面もありました。失禁の回数は減りました。また、食欲が改善しました。

レミニール®︎は効いていたということがわかりました。一方、レミニール®︎の副作用で失禁や食欲低下が現れていたこともわかりました。

このようなときには、私は別のコリンエステラーゼ阻害薬に変更するようにしています。アリセプト®︎やリバスタッチパッチ®︎などを提案しました。

病識がある

レビー小体型認知症の場合、病識が保たれていることがあります。この人もそうでした。おかしなことを言った後で正気に戻ります。レミニール®︎によって正気が保たれていたことを自覚していたのです。

診察室で他の薬を勧める私に向かって、本人が「もともと飲んでいたレミニール®︎を飲みたいので出してください。あの薬を飲むと正気になるのです」と言いました。本人の希望でレミニール®︎を再開しました。

便秘

レビー小体型認知症に伴う便秘がひどくなってきました。繊維質を多く摂るように指導するなど、食生活を改善してもらいました。また、あわせて酸化マグネシウムを処方しました。

X-3年、レミニール®︎を再開してから正気の時間が増え、妻に感謝の言葉を言うなど会話が改善していました。しかし、認知症の進行は止まりませんでした。MMSE12点に低下しました。

馬鹿力

まもなく便失禁するようになりました。家族の名前がわからなくなり、自分の名前も言えないことが出てきました。

それまでは介助歩行でしたがまったく歩けなくなり、車椅子介助になりました。ところが不思議なことに、せん妄状態のときにはすごい力が出ます。マットレスを土嚢のように積み上げたり、アイロンを投げたりして家族を驚かせました。そんな馬鹿力の後はぐったりと疲労します。いつもは寝たきりなのでそのギャップが顕著でした。

献身的な長男

六畳一間で夫婦と長男の3人暮らしです。捨てられないものが溜まり、ゴミ屋敷で暮らしています。長男の話では、妻と本人は「捨てる・捨てない」で毎日けんかになります。そんな両親の面倒を、長男が黙々とみています。長男は食事作りから掃除洗濯と、家事の一切を行なっていました。リストラされて仕事を失い、家事と介護に専念していました。

「リストラされて落ち込みましたが、せっかく家にいられるのですから、家のことを一生懸命やって家族の役に立ちたいのです」

そう言いました。

半年での急激な進行

半年後にはMMSE6点と、ほぼ末期の認知症の状態になりました。

日中はデイサービスに通い、自宅ではおとなしく過ごします。自分の名前が思い出せないことが出てきて、たまに息子の名前を名乗ります。

認知症が進行したのでレミニール®︎を中止して、リバスタッチパッチ®︎に変えました。

訪問診療に移行

リバスタッチパッチ®︎に変えたところ少し意欲の改善が見られ、発語が増えたり、食欲が増したりしました。長男は「パッチにしてよかったです。父が元気になりました」と言いました。

しかし、身体機能は改善しませんでした。通院時は車椅子に乗ってきます。まったく歩けません。両便失禁で、終日オムツを使用中です。オムツ替えは重労働でした。

毎回の通院がたいへんだというので訪問診療に切り替えてもらいました。薬剤の処方も訪問診療医に紹介状を書いて依頼しました。

当院は卒業です。ところが、長男は「これからも介護の相談に乗ってください」と言いました。

通常、訪問診療に移行するとすべての科の診療を訪問診療に一本化します。そのようなルールになっています。しかし、介護相談や指導は訪問診療ではなかなか受けられません。このため当院への継続通院を希望しました。

本人はもう当院に通院でいないので、長男に介護カウンセリングという形で当院への通院を継続してもらいました。

長男は定期的に通い始めました。私のほうはともに介護を担う母の負担について、長男に考えてもらうきっかけになればと思い引き受けました。

長男が抱える問題

このころ、妻が一人でこっそりと来院しました。新たな問題が明らかになりました。

「じつは息子のことで相談があるのです。息子はゴミを溜め込んで捨てないのです。夫にそっくりです。いや、夫よりも悪いのです。自宅がゴミ屋敷になっており、私が捨てるように言っても逆に怒り出して手がつけられないのです」

長男は「両親が『捨てる・捨てない』でけんかばかりしている」と言っていましたが、捨てると言われて怒っていたのは長男自身だったのです。

「息子は子どものころから物に執着する性格で、いままでに所有したものを手放すことができないのです。夫よりもその傾向は強いのです。荷物が多すぎて布団もしまえないし、服もしまえないし、足の踏み場がないので往診も受け入れられません。訪問診療の先生が来ると、いるところがなくて本当に恥ずかしいです。私ももうすぐ90歳。自分が死んだ後どうなるのかと心配です。息子は優しそうに見えて、私にけっこう怒鳴ったりするのです。介護や家事はよくやってくれますし、作ってくれる料理もおいしいのですが、食材を捨てないで古くして腐らせます。昼夜逆転の生活を送っていて、風邪をひきやすいなど病気がちで、それも心配です。リストラされていまは無職です。結婚もしないで独身です。このままではお嫁さんに来てもらうことなど到底できません」

物への執着

長男の物への執着は深刻でした。一度手に入れたものを決して手放そうとしないというのです。不要になっても、自分が手に入れたものは取っておかないと気が済みません。その程度は度を越していました。

いままでに取っておいた新聞が山のように積まれています。新聞だけではありません。何もかもです。部屋を占拠し、家を占拠し、生活に支障が出るようになっています。どうしても捨てられないので、あまりにも物が増え、歩く場所さえなくなると、一部の不用品は40年以上前に一家が住んでいた前の住居に移動します。

いまの住居に転居する際に、古い家財を処分せず、置いたまま転居してきました。誰も住んでいない前の家を売却せずに物置として使用しているのです。いまの住居に物が溜まると、ときどき息子が車で元の家に運んで行きます。そんなことを繰り返すうちに、前の住居は物でいっぱいになってしまいました。

捨てられない

長男のカウンセリングで、不要なものを大量に取ってあることについて訊ねてみました。すると、「自分のもので、必要なものです。だから取ってあります。自分がいまいちばん不安に思っているのは、自分の留守中に母親が勝手に自分のものを捨てることです。物がたくさんあるのをいいことに、気がつかないだろうと思ってこっそり捨てているようなのです。だから仕事で外に出るのが不安なのです。再就職しないで家にいたほうが安心なのです」と、怒りを堪えるような口調でそう訴えました。

妻のほうはリストラされた独身の息子を心配していました。

「息子の今後の生活が心配です。どうやって暮らして行くのかと思うのです。いまは私たちの年金と蓄えで暮らしていますが、働かないままもうすぐ60歳を迎えるので、生活費がなくなります。3人家族で家は2つも必要ありません。元の家を処分して生活費に当てたいのですが、物にあふれたその家を処分させてくれません。その話になると息子に怒鳴られて相談になりません」

言葉が通じなくなる

X-2年、転倒して一時入院しましたが回復して在宅介護に戻りました。MMSE8点でしたが相変わらず重度の認知症です。妻は「気むずかしいことがあり困る」と言いました。言葉が通じなくなっており、口頭指示が入りません。それを「気むずかしい」と感じたのです。

歩行時のふらつきがひどくなり、トイレに誘導してもうまく歩けずに間に合いません。便座に座らせるにも口頭指示が入らないので簡単にはいきません。

オムツは1日に3~4回は取り替えないとならない状態でした。徐々に自分の名前すらわからなくなりました。

90歳近い妻は、腰部脊柱管狭窄症の悪化で歩行がおぼつかなくなりました。上手に介護ができなくてもたもたしていると、長男が妻を責めてしまうようになりました。それをみている本人が「お母さんにそんなことを言ってはいけないよ」とたしなめるようになりました。

自分の名前も生年月日も言えない人が、息子に対して母を責めないようにたしなめていたのです。相当、目に余る光景だったのでしょう。

脳梗塞で倒れる

その年の暮れ、本人は脳梗塞になり入院しました。長男が病状を伝えてきました。

入院中に誤嚥性肺炎に罹患し入院が長引きました。経口の食事摂取が禁止され、すべて点滴になりました。

本人は入院後会話ができなくなり、口から食事もできません。栄養はすべて点滴から取るようになり、IVHによる高カロリー輸液が行なわれていました。

看取りの勧め

入院先の病院の主治医からは「今後回復は望めないので、高カロリー輸液をやめて、生理食塩水のみにして徐々に看取りますか?」と提案されました。

長男は納得できませんでした。何とか生きていてほしいと思いました。「父は指示をすると舌を出すことができるので、きっとまた食べられるようになると思うんです。ときどき咳もするんです。反射があるということですよね?」そう確認してきます。

カウンセリングでは憔悴した様子で語りました。

「毎日面会に行っています。生きていてほしいからです。でも、疲れてきました……。オムツ交換は自分でもできそうですが点滴がネックで……」

母との対立

私は聞きました。

「お母さまは何と言っていますか?」
「実は……母は自宅で介護することに反対しているんです」

長男は表情を暗くしてそう言いました。

「母と真っ向から対立しているのです。自分は家で介護をしたいのですが母は反対しています。母は介護用ベッドのレンタル契約を勝手に打ち切ってしまいました。点滴だけでいったい何年生きられるのでしょうか……。高カロリー輸液で、ということですが」

「高カロリー輸液を続ければ、かなりの年月、生き続けることができるでしょう」

私がそう返答すると、長男の表情がパッと変わりました。

「それでは高カロリー輸液をしながら、家に帰ってきていっしょに暮らすことができるのですね!」

とても嬉しそうでした。私は、そのためには訪問診療や訪問看護の併用が必要であると説明しました。

妻も認知機能が低下

長男は、カウンセリングで介護の大変さを語る一方、いっしょに介護している母親にも認知症があるのではないかと話しました。

どうして認知症だと思うのかと聞きました。妻が「いま住んでいる住居を売却して生活費や入院費用を捻出する」と言い出したからでした。いままでは「前に住んでいた家を売却する」と言っていたのです。いま住んでいる住居を売却してどこに住もうというのでしょう。前の家は物が溢れて、居住スペースはありません。

こう着状態

脳梗塞の後遺症で本人は左片麻痺になっていました。左上下肢の完全麻痺で、嚥下障害があり、IVH管理です。回復不能と言われ、療養型病床群への転院を余儀なくされました。療養病院の主治医は、年齢から考えても延命措置はしませんと言い、点滴の内容を徐々に生理食塩水にしましょうと言いました。

長男は当院に来て「何としても父親に生きていてほしい、どうにか延命できないものか」と涙を流して訴えました。おむつ交換は自分でもできそうなので家に引き取りたいと言いました。一方、妻は在宅介護に反対していました。長男に相談せずに介護用ベッドを返却してしまいました。とても家では介護できないと言うのです。

長男は毎日面会に行き、疲れてきました。


「点滴だけで何年生きられるのですか?」

毎回そう訊ねられました。

「きめ細かく管理すれば、ある程度は生きられると思います。世の中には何年も点滴だけで生きる人もいます」

そう答えました。

母と息子

あるとき妻と長男が一緒に来院しました。妻はこう言いました。もうすぐ90歳です。

「無理です。体力もないし、いろいろな医療的な処置はできません。家はゴミ屋敷で掃除もできないほど物に溢れています。夫が帰ってきても寝かせる場所もないのです」

「それはお母さんがベッドを返してしまったからじゃないか!」

長男はそう言うと診察室で立ち上がり、母親を殴ろうとしました。私も立ち上がり長男を制止しました。

私に止められると長男は我に帰って、診察室の椅子に座り直しました。「母が世話をしていたら、父はすぐに死んでしまうと思います。母は在宅で介護することに反対しているのです」

「お母さんを責めてはいけません。お母さんには、お父さんの介護をすることはもう無理です。やるならあなた1人で。介護用ベッドをまた入れて、IVHや吸引のことを勉強して、練習して、本気で取り組むのならできるでしょう。そのためには、お父さんが快適に過ごせるように家を片付けてください。必ず訪問看護を入れてください」

医療従事者への不信感

X-1年、長男はカウンセリングに通い続けていました。

「父が入院中の病院の関係者の言葉が信じられません。医療者ともあろうものが、父が死を待つ人であるかのように言うのです。そんな思いやりのない言葉が嫌でたまりません。病棟の看護師も私に冷たいです。父が酷い目にあっていないか心配です」

そう言いました。

妻は90歳になり、夫の見舞いに行くのもたいへんになりました。

「父の頭を持つと軽いような気がします。脳が萎縮しているのでしょうか? 父は私に会うといつも手を力強く握りしめてきます」

前頭葉症状の把握傾向なのでしょう。脳が萎縮すると把握反射という原始反射が出ます。本人の意思とは無関係に手のひらにあたる物を握ります。

「『口を開けて』と言うと開けてくれます。ありがとうと言ってくれます。担当医がリバスタッチパッチ®︎をやめましょうと言うのです。到底受け入れられません。大きな病院で、主治医が次々に変わります。変わるたびにいままでの経緯を説明するのですが、親身になって聞いてくれません」

数カ月後、リバスタッチパッチ®︎は中止されました。

髪を伸ばす

X年、息子は肩まで髪を伸ばしていました。こう言いました。

「父親が入院して以来、髪を切っていません。父親が家に帰るまで髪を切らないことに決めたのです。リバスタッチパッチ®︎を処方してほしいのです」

「どうしてですか」

私が訊ねると、

「父はときどき笑顔が出るんです。言葉もときどき出て、おい、はい、新聞、などの言葉を話します。力強く私の手を握ってくれることもあります。視線が合うこともあるんです。口腔ケアをして、スポイトで水を上げると、チューチュー吸ってくれます」

おそらく前頭葉症状の口唇傾向です。把握反射と同じく原始反射の一種、吸啜(きゅうてつ)反射といいます。

把握反射も、吸啜反射も、赤ちゃんにみられる反射で、認知症では末期の症状です。

「2カ月前は痰がらみがひどくて何も飲み込めなかったんですが、最近はそうやって少し水も飲めるんです。病院に入って2年になりますが、薬を貼ってくれないんです。どうしても貼ってほしいんです。自分で買って、毎日でも貼りに行きたいぐらいなんです」

ケアマネジャーに相談

「退院させたいんです。差額ベッド代も高いし……。先月、ケアマネジャーに相談したら、家を片付けたら何とか介護ベッドを入れられると言われたんです。吸引器を借りて、IVHの管理を練習して、どうしても家でみたいんです。ヘルパーさんを頼んで24時間の訪問看護とか、訪問診療とか、考えているんです」

長男の本気度は高まってきました。

「病院では、最近、点滴からアミノ酸製剤が外されてしまったんです。看取りに入るというんです。到底受け入れられません。インフルエンザの予防接種もなかなか打ってもらえませんでした。保健所に直訴して、何とか打ってもらえました」

病院と揉めることが多く、長男と主治医や病棟の看護師との折り合いも徐々に悪化しました。

ついに、在宅に戻る

X+1年、入院から2年半、ようやく長男の希望通り在宅介護に移行しました。長男は床屋に行き、綺麗さっぱりと散髪してきました。

自宅に帰ってきた本人は声かけにほとんど反応はなく、口は自力で閉じられなくなっていました。それでも長男は有頂天で大喜びでした。

1日6回の吸引、体位ドレナージ、IVHの管理など、長男は献身的に介護・看護していました。

入浴は訪問入浴介護で毎週行ってもらいました。CVポートの入れ替えも、訪問診療医に定期的に行ってもらいました。酸素飽和度は常に97前後ぐらいでした。発語は「あー、あー」という程度。声かけにたまにうなづく程度の反応です。ときどき発熱します。誤嚥性肺炎を繰り返していました。

言うまでもなく、寝たきりで全介助です。

父への執着

X+2年、発語はまれに「熱い」「痛い」くらいです。ときどき痰が黄色くなり、熱が出ました。また肺炎です。点滴に抗生物質を入れます。

前頭葉症状による把握反射があり、手すりなど握るとなかなか離すことができません。

長男は診察のたびに父親の顔写真を撮ってきて、私に見せるようになりました。

「こんなに顔色が良いんですよ。ね、良いでしょう?」

長男はとても嬉しそうでした。いままでの人生でありとあらゆるものに執着してきましたが、父親への執着がいちばん強かったようです。

長男にとっては、療養病棟の医師に看取りを勧められたことは、いままで大事にしていたものを捨てろと言われたのと同じことだったのでしょう。とにかく、彼にとっては父の命も絶対に捨てられないものなのです。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。