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きょうだいは他人の始まりと言いますが、それでも互いに強く影響し合っています。
生まれつきそばにいる間柄で、切っても切れない関係です。

顔や性格や、かかる病気まで似ている場合があります。
仲の良かった兄妹がそれぞれ病気になって、2人の関係が変わっていきます。

そして、2人を支える人にも試練が待っています。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 034
84才男性

自宅で2人の家族を介護している妻が、あるときヘトヘトに疲れた様子で診察室に現れました。介護がたいへんなので、1人をショートステイに預けて少し休めるはずでした。

それなのに、預ける前よりも疲れてしまっています。
いったいどうしたというのでしょう。
私は何をすればいいのでしょう……。

これまでの経過

妹は、若いころから精神疾患で入退院を繰り返していました。働くことも、結婚することもできず、ずっと実家で暮らしていました。

兄のほうは結婚して家を出ましたが、両親が他界した後、妹の面倒を見るために実家で一緒に暮らし始めました。

精神疾患を持つ妹を、兄夫婦は暖かく見守り、仲良く暮らしていました。妹は介護保険が使える年齢になってからはケアマネジャーがついて、生活を援助してもらっていました。

兄が病気になる

X-7年、兄にもの忘れの症状が出現しました。徐々に悪化しました。

X-2年、兄は肺疾患にかかり、咳や痰が出るので妻が内科を受診するように勧めましたが、拒絶しました。自分の状態がわからないセルフネグレクトです。

書類や郵便物の管理ができなくなりました。
大事なものをなくしてしまいます。
歩行障害が出現しました。
電話で、会話の内容がわからなくなります。

着替えようとしてパジャマの上から服を着てしまいます。妻が「おかしいので、着替えてください」と言うと、「どこがおかしいのか」とわかっていません。

このため、X-1年、妻と妹のケアマネジャーに付き添われ、当院初診しました。

パーキンソン症候群を伴う認知症

診察場面では取り繕いが顕著です。

物忘れがひどく10分くらいで忘れます。日付や曜日がわからなくなり、約束をしても忘れてしまいます。

動作は全般に緩慢で、握力が弱っており、字もうまく書けなくなっています。姿勢反射障害の症状があり、バランスを崩すと立ち直れません。背中から腰にかけて曲がっており前傾姿勢です。腰痛を訴えています。転びやすくなっており外出時には杖を使用しています。パーキンソン症候群です。

書類や郵便物の管理ができません。自宅では新聞を3紙取っており、これらの古新聞やいままでに買った書籍などが床に積み上がっており、足の踏み場がなく室内での転倒リスクが高いです。

不要な物を捨てられないためどんどん物が溜まります。収集癖です。前頭葉症状です。これらのものを捨てるようにと指示すると怒り出しますが、そのほかでは怒ることはありません。

尿漏れがあり紙パンツを履いていますがなかなか替えようとしません。嗅覚障害があり、尿臭がわからないようです。

睡眠覚醒リズムが崩れており日中傾眠傾向です。夜間は不眠です。食生活も乱れており、規則正しく食べることができません。食事量にムラがあります。最近1年間で体重が5~6kg減少しています。

MMSEの点数は高い

MMSE27点でした。mini mental state examinationという30点満点の簡易な認知機能の検査です。時間的見当識と記銘力の項目での失点が見られました。

30点満点のうち、24~25点以上でADLが自立していて、生活に支障がなければ軽度認知障害と判断されます。点数だけでは、軽度認知障害レベルですが、そのほかのいろいろな症状によって生活に支障があるので軽度認知障害ではありません。

介護認定申請してもらうことにしました。

肺膿瘍

嚥下障害があり、誤嚥性肺炎から肺膿瘍を形成していました。咳や痰が出るのは誤嚥のためでした。幸い抗生物質ですぐに改善しましたが、原因となった嚥下障害については食事にとろみの使用が適切と考えられました。食事量にムラがあったのも嚥下障害が原因だったようです。

訪問看護の導入

X年、ヘルパーサービスやデイサービスを嫌がっており、援助の糸口がなかなかつかめませんでした。

しばらくすると再びケアマネージャーが付き添って来院しました。「介護サービスを拒絶しているため、何とか訪問看護だけでも導入できないかと考えている」と提案されました。このように、サービス導入に難渋する事例では、訪問看護から導入するとうまくいく場合があります。

当院で、訪問看護指示書を発行しました。

大脳皮質基底核変性症

パーキンソン症候群を伴う認知症のなかで、どの疾患かを特定するために、DATスキャンを施行しました。左側優位線条体集積低下を認め、大脳皮質基底核変性症と判明しました。

難病に指定されている疾患です。難病の医療費助成が受けられるので申請してもらいました。

この疾患はパーキンソン症候群に前頭側頭葉型認知症の症状を伴う疾患で、失語や失行などの、大脳皮質の症状が比較的速く進行します。

平気で嘘をつく

「今日は、妻の具合が悪いので1人で来ました」
そう言いながら入室してきましたが、後から妻も入室してきました。

待合室で妻と口げんかになり、機嫌が悪かったので1人で診察室に入ってきたのです。

訪問看護の導入ができたので、自宅で、パーキンソン症候群による歩行障害に対して立位歩行訓練や筋力増強訓練を開始してもらいました。

金銭管理が破綻

前の年に種々の支払いが滞っていたことが判明しました。税金の督促状等が大量に見つかりました。金銭管理はいままで本人がしていましたが、前の年から支払いが滞るようになり、督促状が次々ときているため後見人をつけることになりました。

本人は初診時にMMSE27点と高得点でした。通常MMSE20点を切ると後見人をつけるレベルと判断されますが、点数が高いのでどのようなかたちで援助するか、家族も交えて相談しました。

本人に「金銭管理は今後どうしますか」と訊ねてみました。すると「銀行のほうが間違っている。こんな督促状は無効だ」と答えました。

MMSEの点数が高くても、このように判断力が著しく低下しているので、補助人や保佐人ではトラブルになってしまいます。後見人をつけないと金銭管理が難しいと考えられました。

後見診断書を作成し、妻に手続きをしてもらいました。

進行予防を図るが

妻の希望で抗認知症薬を開始しました。アルツハイマー型認知症ではありませんが、アルツハイマー型以外の認知症でも抗認知症薬の使用により進行抑制できる場合があると言われています。

そのため、まずはアリセプト®︎から開始してみました。アリセプト®︎を服用し始めて間もなく易怒性が悪化しました。副作用です。

次にリバスタッチパッチ®︎を試したところ易怒性は治まりました。しかし、今度はかぶれてしまいました。

1日1回しか管理できないというので、レミニール®︎の使用はあきらめて、メマリー®︎を処方してみました。メマリー®︎は可もなく不可もなくという状態で継続して服用できました。

それでも認知症は徐々に進行しました。

失語、アパシー、便秘

自発語が減り、何か尋ねても話し始めるまでに時間がかかるようになりました。話しかけられた言葉の意味が理解できないことも増えました。失語症の進行です。

1日中動かなくなり、テレビの前でじっとしていることが増えました。放置すると何時間でもそのままの姿勢でいます。食事中にテレビをつけると、食事することを忘れてテレビに見入っています。環境依存性という症状です。前頭葉症状です。

動かないためか、またパーキンソン症候群に伴う自律神経障害が増悪したためか、便秘がどんどんひどくなり、下剤を併用開始しました。訪問看護師に排便コントロールを依頼しました。

身体機能の低下

座位が保てなくなり、座らせると右側に傾いてしまうようになりました。

動作が非常に遅くなり、着替えに30分かかります。手伝われることを嫌がるのでじっと待っているしかありません。妻の負担が増してきましたが、それでもまだ「一緒に生活したい」と話していました。

介護が必要な家族はもう1人いました。妹です。

若いころから統合失調症で独身です。兄夫婦が面倒を見てきました。兄が認知症になってからは、妹のほうも認知機能が少し低下してきて、妻が2人を介護することになりました。

2人を世話するのはたいへんでした。毎日朝から晩まで2人の面倒を見ている妻は、はたから見ていてもたいへんそうでした。「1人預ければ少し楽になるのでは?」と私もケアマネジャーも言いました。

このため、身体介護がたいへんな兄のほうをショートステイに預けることにしました。

ショートステイ

兄はもともと介護サービスの受け入れが悪かったので、素直に行ってくれるのか心配でした。案の定、兄は最初嫌がっていました。

ところが、いざショートステイに行ってみると、生活が規則正しくなり、食事がよくとれて体調が良くなり元気になってきました。ショートステイのヘルパーなどのスタッフとも仲良くなって、楽しく過ごせました。うまくいってよかったと、私もケアマネジャーもホッと胸を撫で下ろしていました。

ところが、このあいだに妹のほうが不穏になってしまったのです。兄がいないことで落ち着かなくなり、うろうろしたり騒いだので妻は疲れてしまいました。

それで妻が当院に相談に来たのです。妹にも受診してもらうことにしました。

統合失調症の妹

妹は20代の頃から幻覚妄想が激しくなり、精神科病院への入退院を繰り返しました。

50歳を過ぎたころからは病状が安定していました。60歳を過ぎてから認知症を合併してきました。介護認定申請をしてケアマネジャーがつき、通所介護などのサービスを受けてきました。

兄が大脳皮質基底核変性症を発症し、種々の精神症状、身体症状が出現してきたころから妹も不穏になることが増えました。認知症も進行しました。

幻聴が増えて空笑が見られたり、不安が強くなることもあります。また性的妄想が出現しました。「男が来て陰部を触られた」と言います。妄想に基づいて警察を呼んでしまいます。

寒暖の感覚がなくなり服装も選べなくなりました。
服薬管理も怪しくなってきました。

妹も受診

義姉に連れられて当院を初診しました。当院で検査を行うとMMSE26点でした。短期記憶項目での失点が目立ちました。このくらいでも薬の飲み忘れが生じて健康状態が悪化します。

ゴミを捨てないので部屋が散らかっています。睡眠リズムが崩れ昼夜逆転しがちです。血圧が乱高下するなど自律神経失調症を伴っています。

幻覚妄想はもともとの統合失調症の症状とも考えられましたが、レビー小体型認知症を鑑別するためにMIBG心筋シンチを行いました。結果は異常ありませんでした。

統合失調症の人がアルツハイマー型認知症を合併したものと考えられました。

認知症になって統合失調症の薬をちゃんと飲まなくなり、幻覚妄想が増悪しています。性的妄想から警察に通報してしまうのは薬を飲んでいないためでした。

このため薬の管理をしてあげるように指導しました。しかし、義姉が薬を飲ませようとすると妹は反抗してしまい、喧嘩になるようになりました。

妹にも薬剤管理のための訪問看護を導入しました。看護師が援助する分には妹は素直に応じていました。

進行が速すぎてついていけない

兄のほうは失行が顕著で入浴時の動作の仕方がわからなくなり、 週2回ヘルパーによる入浴介助を導入しました。

次々とできないことが増え、妻は「病気の進行が速すぎて、ついていけません……」と戸惑っていました。

ヘルパーが来ると本人は喜んで風呂に入りますが、妻の言うことは聞かないので妻はイライラすることが増えました。

兄妹で一緒にショートステイ

X年、妻の疲れがピークになり、今度は兄妹を一緒にショートステイに預けてもらいました。ようやく妻はゆっくり休むことができました。

ショートステイの際、妹は兄に昔に買ってもらった腕時計をつけて行きました。兄のことが大好きなのです。一緒にショートステイに行けるのでとても嬉しそうでした。ショートステイに行く前の診察では「充実しています」と話しました。

しかし、いざショートステイに行ってみると、兄のほうは以前から顔見知りの若いヘルパーと楽しそうに会話をしており、妹の相手はあまりしてくれませんでした。

そのせいか、ショートステイから帰ってきたときに妹はしょんぼりしていました。その後、妹は食事をしたことを忘れるなど、以前よりもの忘れが目立ってきました。MMSE24点に下がりました。

パーキンソン症候群の悪化

兄のほうは入浴時に風呂場で立てなくなり転倒しました。手の震えもひどくなり、食事動作にも支障が出てきました。このため抗パーキンソン病薬のネオドパストン®︎を開始しました。

以前はテレビを見ていることが多かったのですが、このころには内容が理解できなくなり、あまり見なくなりました。時計をじっと見るようになりました。秒針の動きを目で追っています。また、ときには消えたテレビの画面をじっと見ていることもありました。

兄の認知症が悪化

MMSE20点になりました。すり足小刻み歩行ですが、杖を使用して近所に行くことができました。自分で床屋に行こうとして出て行き転倒しました。

妻が話しかけても無反応ですが、訪問看護師や入浴介助ヘルパーに対しては反応して簡単な返事をしたり、笑顔が見られることもあります。それを見てまた妻がイライラしてしまいます。

レミニール®︎への反応

悪化速度が早いので、ダメもとでいままで使ったことのないレミニール®︎を併用してみることにしました。すると、意識が少しはっきりしたのか「この薬はなんだ」と聞いて、何の薬か理解できないと服用するのを嫌がるようになりました。

また、妹と喧嘩をするようになりました。

ショートステイでも「この薬はなんだ」とやはりこだわります。

手渡された薬を手のひらに乗せて、ためつすがめつ眺めています。一向に飲もうとしません。こだわりが出たり攻撃性が増すなど、薬の副作用と考えられました。

薬がうまく飲めない

副作用があるのでレミニール®︎の中止を検討しました。しかし、妻から「何とか飲ませて少しでも進行を抑えたい」と言われ、どうしたらよいのか考えました。

もしかしたら嚥下障害で食事摂取不良になっていたのと同じで、嚥下障害で薬が飲めなくなったのかもしれません。

試しに嚥下補助ゼリーと一緒に薬を飲ませてみるように指導しました。するとすんなり薬が飲めるようになりました。

妹がショートステイを嫌がる

前回のショートステイで寂しい思いをしたためか、妹のほうはショートステイを嫌がるようになりました。

兄とその妻が口論しているのをそばで見てストレスになっていました。前年の初診時にはMMSE26点でしたが22点に低下しました。

そして新たな妄想が出現しました。「私は養子で兄とは血がつながっていない。だから大事にしてもらえないんだ」と言うのです。事実ではありません。ちゃんと血のつながった家族なのです。悲しい妄想です。

眠り薬

兄は「眠れない」と訴えるようになりました。

このころにはパーキンソン症候群による歩行障害が増悪しており、すくみ足と小刻み歩行がひどく、方向転換も難しいような状況でした。このような人に睡眠薬を処方すると転倒リスクが高まります。
このため妻と相談のうえでビタミン剤を偽薬として処方しました。

偽薬の効果は絶大でした。よく眠れるようになりました。

体重減少

兄のほうは好きなものを食べさせたり、食形態を工夫するなどして何とか食べさせるようにしていましたが徐々に体重減少しました。

甘いものが好きだったので、好きなものだけでもいいから食べさせるようにと指導しました。通常の食事だけでは栄養が不十分だったので、エンシュア・リキッド®を処方しました。すると徐々に体重が増えて、便通や睡眠障害も改善しました。

失語症の進行と、虐待

X+1年、大脳皮質基底核変性症が進行し失語が徐々に増悪しました。

簡単な口頭指示が入らなくなり、妻があれこれ口で言っても実行してくれなくなりました。本人も、何か言いたそうにしていますが言葉が出なくなり、意思疎通が互いにできなくなりました。失語の進行によるものなので失語症の介護が必要です。

失語症の介護は、言葉ではなくジェスチャーや非言語コミニケーションによって行います。絵を描いたり、手真似をしたり、実物を指し示したりしてコミニケーションします。

以前から当院で「今後徐々に言葉が通じなくなる」など指導はしてきましたが、妻に余裕がなく、うまく対応できませんでした。

「言葉が理解できていないのはわかるのですが、私が話した言葉に反応してくれないと無視されていると感じてしまいます」

本人は決して無視しているわけではありません。言葉の意味がわからないので反応しないだけなのです。

妻はイライラして衝動的に暴言を吐いたり、時に本人を小突いてしまうようになりました。虐待の始まりです。

妻の体調

もう一度病気の性質について説明して介護の仕方についてアドバイスしました。すると妻は、涙を流しながら、初めて自分の病気について話しました。

「私の話をしても良いですか」

私は「どうぞ」と言いました。

「実は私は、最近になって病気が見つかり、精密検査をして結果を待っているところなのです。場合によっては手術になると言われました。病気のせいか体がだるく、思ったように動けません。余裕がないんです」

理由があったのです。
妻のメンタルケアと周囲の支えが必要です。

「奥さん、私の患者さんになってもらえますか?」
「はい、お願いします」

早速カウンセリングに来てもらうことにしました。

また、ケアマネージャーに連絡してショートステイを長くしてもらうことにしました。

施設に入れるのはかわいそう

「施設に入れるのはどうですか?」

そう尋ねると「施設に入れるのはかわいそう」との返事が返ってきました。

よくあることです。
余裕がなくなり、いっぱいいっぱいになって暴言を吐いたり小突いたりしてしまっているにもかかわらず、施設に入れることのほうがかわいそうだと思っているのです。

客観的にいまの状態を判断することができなくなっているのです。

「判断力が低下していますよ。あなた自身、頭がはたらかなくなっているのです」

「ああ……確かに最近そばで見ている妹に『お義姉さん、最近怒ってばっかり』と言われます。妹のほうが私のことわかっているんですね……」

妹は統合失調症ですが、薬を飲んでいれば判断力が保たれています。

虐待通報とカウンセリング

「例えば、足がない人に走れとは言いませんよね?」

私は妻にそう言いました。

「言語機能が失われた人に言葉をわかれと言えますか?」

カウンセリングに来たとき、妻は私に言いました。

「先生に『足がない人に走れとは言いませんよね?』と言われて、目から鱗が落ちました」

「失われたものを求めてはいけない」と言うことに気がついたと言います。

間もなくケアマネジャーから電話がありました。ショートステイを伸ばしてくれるそうです。

今後も妻を支えてもらえるように、地域包括支援センターに虐待通報をしました。ケアマネジャーにもその旨を連絡しました。多くの人に見守ってもらうことが、今後の虐待を防ぐのに必要です。

良い方向に向かってくれますように。そう願いました。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。