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一般的に医療機関の通院間隔は、おおむね1カ月に1回が標準的だと思います。急性期には、もっと頻繁でしょうし、慢性期には3カ月、半年と間隔があきます。

精神症状が激しかったり、頻繁な薬の変更が必要な人は1~2週間に1回通院します。落ち着いてくると1カ月に1回の通院になります。診断がついて治療方針が定まった後は、かかりつけの内科の先生に処方を依頼して、当院の通院は3カ月から半年に1回に減ります。さらに少ない人は1年に1回だけ、あるいは介護認定更新のタイミングで2年に1回の通院になるケースもあります。

ところが、もっと長いインターバルで通院される患者さんがいます。何年も経っていると、どんな人だったのか、にわかに思い出せません。こんなに時間が経ってからまた来るのには理由があるはずです。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 035
82才男性

ある人が3年ぶりに長女といっしょに来院しました。

その患者さんは、外出の支度や移動などに大きな介護の手間がかかっていました。長女が付き添って連れてくるのがたいへんな人でした。外来通院が難しくなり訪問診療に移行しました。

ところが、たいへんでやめたはずの外来通院に戻りたいというのです。

何があったと言うのでしょう。

これまでの経過

X-16年まで会社の社長をしていましたが、知人にお金を貸しては忘れるようになり、会社のお金と自宅のお金の区別がつかなくなり家計が苦しくなりました。このため経営者を退きました。自宅で明かりもつけずにぼんやり過ごすようになりました。

X-12年、急に物忘れが悪化してきてスケジュールがわからなくなりました。かかりつけの医院に何度もお中元を送って、長女に連絡が入りました。

長女が自宅を訪問すると家の中は散らかっており、本人の部屋はゴミ屋敷状態でした。

入浴を嫌がっており、しばらく入っていないことがわかりました。入浴を手伝うと洗い方がわからなくなっていました。1日に何度も着替えますが、洗濯しないので汚れたシャツが溜まります。日付がわからなくなっており、季節もよくわかりません。夏なのに冬物を着ようとします。

初診

X-9年、近くに住む長女に連れられて当院初診しました。頭部MRIでは大脳のびまん性萎縮が見られ、特に海馬の萎縮が目立ちました。症状経過から、アルツハイマー型認知症と診断しました。アリセプト®︎の投与を開始しました。

進行予防のためにアクティビティケアが必要です。介護認定申請をしてもらい、デイサービスに通ってもらいました。すると症状の進行が緩やかになり、しばらく横ばいで経過しました。

妻の介護うつ

ほどなくして、本人の妻も長女に連れられて受診しました。物忘れがありますが、日常生活は自立しています。感情のコントロールがなかなかできず、イライラしやすい状態でした。

介護疲れがあるようです。妻は友人から「最近ふさぎ込んでいておかしいわよ」と言われました。診察室でいろいろな話をしていると、そういえば最近好きなことも楽しくなくなり、家に閉じこもりで、自分らしく生きられていないと言いました。

行動の異常

夫のほうは家に来た郵便物をすべて開封して、家の中のあちらこちらにしまい込んでしまうので、大事な書類がなくなってしまうようになりました。

徐々に進行し、意欲が低下してきて、デイサービスを嫌がるようになりました。抗うつ薬を少量併用しました。すると意欲が出て、楽しく通えるようになりました。

デイサービスに預ける時間を長くして、妻の抑うつ状態も改善しました。長女から見ても明るくなったということでした。

通院付き添いの負担

いろいろな問題が落ち着いてしまうと、長女自身も自分のたいへんさに気が付きました。両親2人に毎回付き添ってくるのは負担ということでした。

症状はそれなりに落ち着いたので、長女と相談のうえ自宅近くの内科のかかりつけ医の先生に継続処方を依頼しました。

その後、2年間が過ぎました。

介護認定の更新

X-7年、久しぶりに受診しました。介護認定の更新のためです

以前に比べてアパシーが進み、自分から行動しません。アパシーは前頭葉の症状です。前頭葉の萎縮が進行しました。

前頭葉の症状は大きく3つあり、アパシー、脱抑制、遂行(実行)機能障害です。

人から何か言われると言われるままに行動してしまいます。このため訪問販売詐欺に引っかかるなどのことが出てきました。同居の妻が気をつけて断るようにしたところトラブルが減りました。

また、妻に指示されれば簡単な食器洗いはやり、庭をはくなどの行動もできました。

妻によるヘルパー拒否

妻は要支援2でした。老老介護なので「ヘルパーサービスを受けるように」とケアマネジャーから再三言われていましたが、妻は「どうしても人を家に入れたくない」と言って、介護サービスはデイサービスだけの状態が続いていました。

認知症の介護に慣れてきていたものの、妻自身も老化しており、緑内障で視野が狭くなったり、筋力も低下して買い物や家事に苦労していました。物忘れも進み、スケジュール管理ができなくなっていました。

妻にもアリセプト®︎を開始しました。

身体症状の出現

通常、アルツハイマー型認知症では早い時期には身体症状はありません。しかし、このころから夫のほうには身体症状が出現しました。足の上がりが悪くなり一歩目が出ません。パーキンソン症候群によるすくみ足です。エスカレーターに乗るタイミングがつかめず転びそうになります。

アルツハイマー型認知症ではなくパーキンソン症候群を伴う認知症でした。前頭側頭葉型認知症の症状を呈します。

転倒リスクを減らすために抗パーキンソン病薬の投与を検討しました。薬剤の変更について長女も含めて相談しましたが、「情緒は安定しているので、いろいろ進行しているとは思うがこのままでよい」という結論になりました。

この時は一度受診しただけでまた通院が途切れました。

見当識障害が進行

X-5年、旅行先でホテルから出ていって部屋に戻れなくなりました。近所の長女の家には1人で通えていましたが、たどり着けなくなりました。場所的見当識障害の出現です。

毎日、自宅近くのコンビニでヨーグルト、コロッケ、パンを買ってくるようになりました。同じ行動を繰り返す、これも前頭葉の症状です。

すくみ足だけではなく動作全般が緩慢となりました。このため、トイレで排尿する際にうまくできなくなり、トイレの床を汚してしまうようになりました。

3年ぶりの受診

X-4年、3年ぶりに受診しました。長谷川式16点でした。中等度~やや重度の状態です。

当時はアリセプト®︎しか発売されていませんでしたので、アリセプト®︎を増量する選択肢しかありませんでした。このためアリセプト®︎を増量しました。

それでも速い速度で進行しました。

義歯を外して便器内で洗おうとして流して詰まらせました。清潔・不潔がわからなくなったのです。

尿失禁も出現しました。排尿の中枢は前頭葉ですので、これも前頭葉の萎縮の進行によるものと思われました。

多弁になり、同じ話を繰り返しているので妻が参ってきました。ハイテンションでした。

妻の能力も低下

いっしょに受診した妻のほうも認知機能が低下していました。長谷川式24点でした。軽度の認知症の状態です。

通院しなかったあいだにいろいろなエピソードがありました。新しく買った家電製品が使えるようになりませんでした。また、知人から勧められた高額の投資商品で銀行と契約してしまい、後で覚えていませんでした。大きな損失が出ました。

家事能力はほぼ失われてしまったため自費のヘルパーを入れました。ヘルパーに対するもの盗られ妄想が出現しました。買い物にもヘルパーが付き添っていましたが、1人で出掛けて道に迷ったこともありました。

抗うつ薬による躁状態

夫のほうはハイテンションで、時に妻に対して暴力を振るようになりました。X-9年から内服していた抗うつ薬を中止したところテンションが普通になり落ち着きました。暴力も振るわなくなりました。薬の副作用でした。

調味料を本棚に入れたり、ものを移動してしまうので家族が困るようになりました。本人は「馬鹿になったから悲しい、仕方ないか」などと言います。病識があります。こんなところもアルツハイマー型認知症らしくない症状です。

ちょうどこの年に新しい抗認知症薬レミニールが発売されたので、アリセプト®︎からレミニール®︎に変更しました。

長女との生活

夫婦2人暮らしが難しくなったので長女が同居するようになりました。

X-3年、長谷川式20点、MMSE24点です。

妻は介護ストレスで胃潰瘍になってしまいました。アリセプト®︎の副作用もあるかもしれません。このため妻のアリセプト®︎を中止しました。

長女は父をグループホームに入れようと考えました。施設入所を目指すため、まずは2週間のショートステイを試しました。ところが、たった2日でショートステイから帰ってきました。本人が帰りたいと言ったわけではありませんでした。妻が寂しさに耐えられなくなって、連れて帰ってきてしまったのです。

また、グループホームに入れる予定でしたが長女の見学時の印象が悪く取りやめになりました。本人は徐々に食が細くなり衰弱してきました。通院が難しくなり訪問診療の先生に移りました。そしてまた通院が途絶えました。

妻の認知症が進行

X-2年、妻だけが長女に連れられて受診しました。認知症が進んで、内服管理や夫の介護ができなくなったと言うのです。MMSE18点でした。妻自身が中等度の認知症の状態です。認認介護です。

妻は以前からヘルパーを嫌がっており、自費のヘルパーだけ受け入れていました。しかし、薬の服用に援助が必要になり、介護保険のヘルパーサービスはどうしても必要な状態でした。

妻は要支援2だったのでケアマネジャーに頼んで区分変更申請してもらいました。

妻だけが通院する

妻のほうは身体症状がなく元気だったので、長女が付き添って通院させることにさほど負担はありませんでした。

妻のほうは進行の仕方やもの盗られ妄想など、典型的なアルツハイマー型認知症と考えられました。記銘力低下は顕著で、10秒で記憶がなくなります。

胃潰瘍になったので中止していた抗認知症薬を再開することにしました。リバスタッチパッチ®︎を開始しました。これが奏効しました。

目力が出て、意識がはっきりしています。記憶力は戻りませんが意欲が改善しました。MMSE20点に改善しました。

ヘルパーに「会話がよくできるようになりましたね」と言われました。

夫婦が穏やかになる

長女に付き添われた妻だけの通院でしたが、妻の認知症の治療をしながら夫の介護の相談にも乗りました。夫婦喧嘩が絶えない状態から、徐々に二人とも認知症が進んで穏やかになり、仲良くいっしょにいられるようになりました。

長女も「私も気持ちが明るくなりました」と言いました。そして「母のほうも近所のクリニックにお世話になることにします」と転院を希望しました。

そして2年が経ちました。

妻は2年、夫は3年ぶりの診察

X年、長女が電話してきました。両親ともにまた診てもらいたいというのです。

「3年前に一時はグループホームに入れようかとも思いましたが、気が変わり、自宅で介護してきました。介護保険サービスを利用しながら両親の二人暮らしを支えてきました。

たいへんでしたが何とか続いてきました。私が細かいことにこだわらず、余裕を持って接することができるようになったからだと思います。現在の状況は比較的落ち着いています。

これを維持するために介護度を維持したいし、両親の認知症の進行も止めたいのです。そのために、くるみクリニックで診察してもらって、介護保険の主治医の意見書を書いてもらいたいと思いました」

主治医意見書を誰が書くべきか

私は、この3年間、夫のほうをまったく診ていません。介護保険の主治医意見書は、3年間往診している訪問診療医が書くべきです。それを私に頼むというのはどういうことなのでしょうか。そう尋ねました。

「じつは訪問診療の先生を断ったのです。もう往診に来てもらうのをやめました」
「どうしてですか」
「父に訪問マッサージを入れてもらうために、マッサージ同意書の記載をお願いしたのがきっかけです」
「マッサージですか」
「はい。父は体が硬くなり、マッサージをしてあげると筋肉や関節がやわらかくなり楽になるのです」

確かにこの人はパーキンソン症候群を伴っているので、固縮といって体が固くなる症状があります。マッサージによってパーキンソン症候群の固縮が一時的に和らぎます。

投げかけられた言葉

「それで訪問マッサージを頼んだのです。ところが訪問診療医は『こんな人にマッサージなど入れられません』と言うのです」
「こんな人に、と言われたのですか」
「はい。父のことを『こんな人』と言うような人に診察してもらいたくないのです。だから断りました」

「こんな人」とはどう言う意味だったのでしょう。良い意味で使われた言葉ではなかったようです。

意思疎通ができない人、認知症の行動異常がある人、マッサージの施術が難しいような状態の人、いろいろな意味が込められていたのではないかと思います。しかし、長女にとっては父や自分への拒絶を感じさせる言葉だったようです。

普段さりげなく口にする言葉ですが、思いが伝わらず、家族の不信感を招いてしまいました。医療に携わる者なら誰にでも起こり得ることだと思いました。

あらためて現状を確認

夫は診察時にほとんど発語がなく、話しかけても返事もありません。

暮らしぶりは、以前に比べてできることがだいぶ減りました。自宅の中のゴミや物品を移動して1日が終わります。仮性作業です。リモコンや家電製品の電池を抜いて集めるという奇妙な行動を続けます。また、何もしていないときには机などをリズミカルに叩いていることが多いです。

性的行動も出現しました。デイサービスに行くと若い女性スタッフに抱きついてしまいます。歩行障害のためタクシーで移動していますが、タクシーに乗るたびに「奇遇ですね、このあいだと同じ運転手さんですね」と毎回言うようになりました。

急に進行する時期

妻のほうはこの2年で急速に認知機能が衰えていました。急に進行する時期に入ったのです。アルツハイマー型認知症は、中期のころに急速に進む時期があります。

見当識障害、記銘力障害が悪化しました。近所に買い物に出ようとして外に出ますが、何をしに来たのか思い出せません。路上にぼんやり立っているところを、近所の人が家に連れ帰ってくれることが増えました。

電子レンジに金属の鍋を入れてボヤ騒ぎになります。近所のコンビニに行き、いろいろ目についたものを買ってきてしまいます。

買物

買い物については、夫のほうも近所のコンビニと肉屋だけは歩いて行くことができます。パーキンソン症候群による歩行障害があるので、行きも帰りもすごく時間がかかります。

毎日決まった時間に出掛け、決まったルートで買い物して帰ってきます。時刻表的生活です。これも前頭側頭葉型認知症の特徴です。

毎日同じように、コンビニではヨーグルト、肉屋ではコロッケを買ってきます。

買ってきても冷蔵庫を使いません。冷蔵庫というものを忘れてしまったようです。冷蔵庫を開けて食べ物を取り出すこともできません。

買ってきたものは室内に放置しています。部屋の温度もわからなくなり、真夏に暖房をつけて汗だくになっています。

暑い部屋で買ってきたものが腐っています。臭くても気がつきません。腐ったものを食べていることがあり、室内で嘔吐した跡が見つかることもあります。

食べ物を口から出す

用意された食事を食べることができていましたが、気に入らないものは咀嚼後に口から出してしまうようになりました。口から出してティッシュペーパーで包み、捨ててしまいます。

甘いものは食べます。お菓子だけ食べているような状態になりました。

徐々に痩せてきました。

重度のアパシー

X+1年、指示がないと何もしなくなりました。義歯の手入れも、服の着替えも、放っておくと何もしません。

このため、1日おきにヘルパーサービスとデイサービスを使い、毎日援助が入るようになりました。

異食

妻のほうは夫とは対照的に、あるものをどんどん食べてしまうようになりました。特に好物は際限なく食べて、食べ過ぎると嘔吐します。

また、きれいな色の造花などお菓子のように見えるので食べてしまうようになりました。目が離せません。長女は、母親が口にしそうなものをすべて片付ける必要がありました。

尿失禁も出現し、尿で汚れた下着を家のあちらこちらに隠すようになりました。これを探し出し後始末するのも長女の仕事になりました。

長女の介護生活は過酷になりました。

長女の体調不良

長女は腰痛になりました。また、しばらくすると潰瘍性大腸炎になりました。ストレスによる病気です。

「両親のことを考えるとお腹が痛くなるんです」
そう言いました。

デイサービスも、ヘルパーサービスも、みっちり入っているので、長女にはしばらく介護を休むようにと指導しました。

再びの訪問診療

X+2年、夫の食事の量がさらに減り、体重は30kg台になりました。血圧が下がってきて臥床時間が増えました。

妻のほうも体が弱り、家の中で転倒するようになりました。

診察の時、長女は「なんとなく老衰ということがわかってきました」と言いました。

「母は特別養護老人ホームに申し込みました。父が亡くなったら母は施設に入れます。でも、それまでは仲の良い2人にいっしょにいてほしいのです」

前の訪問診療をやめてから2年、再度、訪問診療の導入です。
今度はターミナルケアになります。

最後の意見書

夫のほうは寝たきりの介護になり、ヘルパーを増やす必要がありました。ケアマネジャーに頼んで区分変更申請してもらいました。

もちろん、私が主治医意見書を書きました。これが最後の意見書になりました。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。