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当院は休診日にも急な相談に対応ができるよう、通院中の患者さん専用のメールアドレスがあります。

「間違えて薬を2錠飲んでしまったのですが、どうしたらいいですか?」
「暴れていて、物を投げつけられました。どうしたらいいですか?」

そんな相談が来ます。

また、急な相談以外にも、ふだん思いついた質問や気になった症状などを診察前にメールしてもらっています。

「昨日、初めて近所のスーパーから1人で帰れなくなりました」
「この先、金銭管理のために成年後見制度を利用したいので、次回の診察のときに詳しく教えてください」

などです。

あらかじめ症状を知っていれば、診察時にどうアドバイスしたらいいのか準備ができます。また、社会資源について尋ねられたら、診察時までに資料を準備しておけます。多忙な診察を効率的にするのに役立ちます。

診察中に、「あと、何か聞こうと思っていたのですが……」と言って考え込んでしまうと数分間が不毛に費やされます。そんな人には、以前は「メモに書いてきてください」と言っていました。最近は、外出先や手元に紙やペンがないときでもスマホでメールを打ってもらえばいいので、便利な世の中になりました。

ですから、通院中の人には住所、電話、ファックス、メールアドレスを書いた紙をお渡ししています。みなさん、どれか好きな方法で連絡してくださいます。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 039
74才女性

私の高校の同級生が久しぶりに連絡をしてきました。彼女は他県で精神科病院に勤めています。

「患者さんの相談なんだけど……東京に引っ越すので転院先を探している患者さん、軽度認知障害なんだけどね。娘が発達障害で、対応が面倒なのでなかなか見てくれる先生がいなくて……」

娘が発達障害とのことです。診察の際にやりとりがたいへんなのかもしれません。引き受けることにしました。

これまでの経過

X-6年、パート勤務を辞めました。近所に住む孫がときどき遊びに来ていました。

X-5年、孫が遠方に転居してしまい、生活に張り合いがなくなりました。このころからヤカンを焦がすなど火の不始末が出現しました。

X-4年、記銘力障害が出現し、30分ぐらい前のことは記憶にありません。

X-2年、食事に対する関心が薄れ、調理が簡単になり、料理のレパートリーがワンパターンになりました。新しい家電の使い方が覚えられませんでした。

X-1年、日付や曜日がわからなくなりました。外出時に不慣れな場所だと1人で行って帰ってくることができなくなりました。

大事な物をしまい込んで紛失するようになりました。複雑な話は理解できなくなり、社会的な手続きはできなくなりました。

人柄が変わる

思い込みが強くなり、何度訂正されても元に戻ってしまうようになりました。元の性格はおおらかで真面目な人だったのに人柄が変わりました。何か自分が間違えても人のせいにするようになりました。作り話をして言い訳をするようになりました。

着替えもあまりしなくなり、ふだんは2パターンの着回しのみとなりました。

X年、骨粗鬆症などで服薬していた薬を飲み忘れるようになり、「薬はあまり飲みたくない」と言うようになりました。

前頭葉機能の低下

食べこぼしが増え、袖などについていても無頓着になりました。注意力の低下で前頭葉の症状です。促さないと入浴しなくなりました。意欲の低下で、これも前頭葉の症状です。

他県で一人暮らしでしたが介護が必要になり、東京に住む娘が通うようになりました。徐々に援助しなければならないことが増えてしまい、対応に困った娘は自分が住む家に引き取りました。そして、私の同級生がしたためた診療情報提供書を持って当院を受診しました。

初診時の状態

MMSE25点でした。この点数は軽度認知障害の点数です。しかしながら、これまでの経過からすでに認知症を発症しているものと思われました。

診察時に本人に尋ねると、「物忘れはたまに感じますがほとんどありません」とのことでした。これは病識欠如です。アルツハイマー型認知症の症状です。

頭部MRIでは海馬を含む大脳皮質のびまん性萎縮を認めました。

娘の状態

診療情報提供書には娘の病名も書かれていました。自閉症スペクトラム、身体表現性障害、PTSDの3つです。

自閉症スペクトラムとは、アスペルガー症候群ともいわれていました。「アスペルガー症候群」は、聞いたことがある方も多いと思います。DSM-5に診断の基準が記されています。

1. 複数の状況で社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における持続的欠陥があること
2. 行動、興味、または活動の限定された反復的な様式が2つ以上あること(情動的、反復的な身体の運動や会話、固執やこだわり、極めて限定され執着する興味、感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さなど)
3. 発達早期から1、2の症状が存在していること
4. 発達に応じた対人関係や学業的・職業的な機能が障害されていること
5. これらの障害が、知的能力障害(知的障害)や全般性発達遅延ではうまく説明されないこと

自閉症スペクトラムの症状

言葉の遅れ、反響言語(オウム返し)、会話が成り立たない、格式張った字義通りの言語など、言語やコミュニケーションの障害が認められることが多くなっています。乳児期早期から視線を合わせることや身振りを真似することなど他者と関心を共有することができず、社会性の低下もみられます。

学童期以降も友だちができにくかったり、友だちがいても関わりがしばしば一方的だったりと、感情を共有することが苦手で、対人的相互関係を築くのが難しくなります。また、一つの興味・事柄に関心が限定され、こだわりが強く、感覚過敏あるいは鈍麻など感覚の問題も認められることも特徴的です。

自閉スペクトラム症の併存症

さまざまな併存症が知られていますが、約70%以上の人が1つの精神疾患を、40%以上の人が2つ以上の精神疾患をもっているといわれています。この人は、身体表現性障害、PTSDの2つを併存していました。

鋭い観察眼と長いメール

娘は最初の診察で開口一番「本人は事実と違う回答をするので、回答を鵜呑みにしないでほしい」と言いました。まさに私が日々診察のなかで実行していることです。

この娘はいろいろな障害を持っているかもしれませんが、認知症の本質を見抜いていました。ずば抜けた観察力を持っていたのです。

私が初診時に渡したメールアドレスに、娘は事細かく症状を記載して送ってきました。症状がたくさん書いてあります。あまりに長いメールなので、まずはコピペして、電子カルテに貼り付けようとしました。次回の診察時に参照するためです。

ところが、「入力できません」とエラーになってしまいました。そのメールは内容が盛りだくさんで1万字を超えていました。当院の電子カルテの問診記入欄は1万字までしか対応していなかったのです。このためエラーが出て入力ができませんでした。

病院の外来で、限られた診察時間のなかで、これらの情報をすべて聞き取ることは不可能です。

娘に指導する

私はさっそく娘に返信しました。

一万字以下に分割して送ること。ほかにも読みやすくするために、段落の使い方、改行の仕方、スペースの入れ方など事細かに指導しました。

すると徐々にメールの内容が改善され、要領よく母親の症状や暮らしぶり、薬の効果、ケアマネジャーとのやり取りなどについて伝えられるようになりました、

メールのおかげでわかったことがありました。

「テレビを見ながら10秒くらい意識がなくなり、ガクッと頭が前に垂れる。記憶が途切れている」そのように、メールに記載がありました。

また、「急にゲップを繰り返すと、意識を失って後方に体が倒れる。10~20秒すると意識が戻る」ともありました。

てんかん

母親はてんかん発作をたびたび起こしていたのです。その発作は、全身の痙攣を起こすような全般てんかん発作ではなく焦点意識減損発作でした。

この発作は、アルツハイマー型認知症の前駆症状として現れたり、認知症を発症後は発作を繰り返すごとに認知症の進行が早まるといわれている症状です。このため見つけたらすぐに治療を開始しなければなりません。

娘のメールのおかげで病気を見つけて治療を開始することができました。イーケプラ®︎を開始しました。介護認定申請もしました。

イーケプラ®︎を飲み始め、最初は非常に強い眠気がありましたが、服用を続けるうちに徐々に慣れました。意識減損発作は頻度が減りました。

告知

娘は母親が自分の病気を知ることを恐れていました。「認知症であることも、てんかんがあることも告知しないでほしい」と言いました。その理由もメールに書いてありました。

「母は認知症になって別人みたいになった。易怒的で困っている。怒りっぽいこと自体はひどくはないけど、穏やかだった人で、怒ることなどまったくなかったので、私も戸惑っている。母が泣いている姿など見たことがなかったのに、病気になってから泣きやすい。

とにかく、怒ったり泣いたり激しいので、本人に病気だと言うときっとショックを受けて興奮して騒いでしまうと思う。母には楽しく過ごしてほしいから、告知しないことにした」

最後に、「診察室で『認知症』とか『てんかん』という言葉を言わないでほしい」と言われました。

こだわり

娘は発達障害ということでしたが、簡単に言えばこだわりが強いのでした。一方、良い意味では母親の症状をよく観察し、修飾することや感情を交えることなく、些細なことも取りこぼしなく的確に医師に伝えてきました。観察眼も的確でした。

要点をまとめる能力はないのですべての事実を事細かく記載してきました。このためメールが一万字を超えてしまったのです。

経済的問題

娘にはもう一つ懸念事項がありました。娘自身が発達障害で、仕事の継続に困難を来していました。こだわりが強いため職場で不適応を起こしてしまうのです。仕事が長続きせず、収入が途絶えがちでした。

母は年金生活です。国民年金です。母娘2人が生活するには年金だけではとても足りませんでした。娘の気持ちとしては、自分が働いて収入を得て、母と2人の生活を続けていくつもりでした。

娘の主治医はほかにいて、娘が就職できるかどうかを私が判断できる立場にはありませんでした。娘の様子を見ていると、こだわりが強くて要点がまとめられないとか、ストレスに弱いなどの傾向が見受けられました。すぐに就職して収入が得られるような状態には見えませんでした。

生活保護をすすめる

二人暮らしですが、娘がすぐに就職できないのならまずは生活保護を検討するのがよいとアドバイスしました。

同じころ申請していた介護保険の要介護度が1となりました。さっそくケアマネジャーから連絡が入りました。

「娘が焦って、いろいろな社会的手続きを同時に進めようとして混乱している」
「本人だけではなく、娘も支えるために訪問看護の導入が適切と考えている」ということでした。

訪問看護の導入

たしかに訪問看護であれば、介護者への指導や介護者の状態の観察もしてもらえます。さっそく指示書を発行しました。

相変わらず娘のメールは気づいた症状を全部記載してきます。

「昔の話をたくさんするようになりました」
「お風呂でのぼせる」
「引き出しの閉め忘れが多い」

緩やかに進行しているようでした。

自立支援医療の導入

お金に困っているので、母親のには自立支援医療を申請してもらいました。収入が国民年金だけなので当院の医療費は自己負担金なしになりました。

このころに遠方に住んでいるもう1人の娘の存在が明らかになりました。いつも通院に付き添っている娘には姉がいたのです。

姉との確執

姉妹の仲は悪いようでした。姉のほうは発達障害の妹を信用していませんでした。妹のほうが中心になって介護サービスを導入したり、自立支援医療の申請をしたり、生活保護の手続きをしたりしていることに対して不信感を持っていました。

程なく長女のほうから当院に電話がありました。

姉は関わりを避ける

長女は西日本に在住で、当院に来ることが難しい状況です。「妹に『先生から話を聞いて』と言われ電話しました」と切り出しました。

「妹の言っていることがよくわからないのですが、先生から私に言いたいことがあるんですか? 妹が先生に言ってほしいだけじゃないんですか?」

いきなりそのような調子です。この姉妹には長年にわたる確執があったのでしょう。

「もし、先生のほうからどうしても私に伝えたいことがあるならお電話ください。私のほうからお伺いしたいことはございませんので」と言って電話は切れました。

次女は自分がうまく説明できないので私から説明をしてほしかったようです。娘が言うには「長女は母と同居を望んでいる」ということでした。

しかし、遠いところに住んでいるので現実的ではありません。実際、長女のほうは関わりたくない様子でした。

転居

他県に住んでいた母親を次女が引き取ったかたちでしたが、次女の住んでいたアパートは狭く、二人暮らしには支障がありました。このため、もう少し広いアパートに転居することになりました。

生活保護の申請が通り、2人で新たなアパートに転居することになりました。転居後、間もなく本人は近所で迷子になりました。土地勘がない場所なので自宅近辺の道が覚えられません。

てんかん発作

テレビの映像でてんかん発作が誘発されることがわかりました。光感受性です。しばらく前にテレビアニメのポケモンを見ていた小児にてんかん発作が起こって社会問題化しました。

同じ現象が起こりました。民放のバラエティ番組など派手な映像がチカチカ瞬くような場面を見ると意識がなくなり、頭がガクッと前に垂れるのです。

テレビを漫然と見せることをやめてもらいました。

怪我

注意力の低下がありました。前頭葉症状です。あちらこちらに手足をぶつけて、細かい怪我が絶えませんでした。どこで怪我をしたか覚えていません。

また、ヤカンを火にかけるとうっかり触って火傷をすることが頻繁になりました。熱いものを不用意に触ってしまうことが増えました。

生傷が絶えなくなり、台所仕事をさせないようにする必要がありました。このため、日中はデイサービスなどに預けたほうがいいとアドバイスしました。

通所など

介護保険のデイサービスに行く前に、地域包括支援センターの勧めで近所の体操教室に通い始めました。参加してみると楽しかったようで、本人は生き生きしてきました。

自宅で入浴するために、福祉用具で手すりも設置してもらいました。

こだわりVS認知症

娘はこだわりが強く、本人の物忘れをはじめ種々の認知症の症状を事細かに指摘します。本人は指摘に対して無関心だったり、「私が悪いんです」と自責的になったり、怒り出したり、反応は一定でなく波がありました。

時に本人がスケジュールを間違えるなどして、それを娘に指摘され、怒り出して興奮することがありました。

母親が興奮すると、娘も影響されて興奮状態になります。大声で怒鳴ってしまったり母親に対し暴言を吐きます。

症状に気づいても母親に直接言うのではなく、主治医に知らせればよいとアドバイスしました。娘はますます細かい症状を記録して私にメールを送ってくるようになりました。メールに書くことで気持ちが収まるようになり、母親との言い争いは減りました。

実行機能障害

段取りが悪くなりました。食事作りの際にいつから始めたらいいのかわからなくなりました。炊飯器の準備、食材の準備など時間がバラバラになり、食事の時間に間に合わなくなりました。

食事準備がうまくできないので、食事自体も十分取れなくなりました。全般に量が減り、体重が減少しました。

娘のほうはもともと段取りが苦手でした。このため母親に出現した実行機能障害の症状を「私の症状に似てきました」と言いました。

甘いものばかり食べる

食事量が減った一方、お菓子を食べることが増えました。アイスクリームやクッキーなど、買い置きしてあるとみな食べてしまいます。

食べても食べても太らないで体重は減ってきました。アルツハイマー型認知症によく見られる症状です。

そのほかにも、入浴時に洗髪しない、他者に配慮しないなど、種々の症状が出現してきました。

娘のメール

娘のメールは、診察の前になると欠かさず送られてきました。1万字越えなので、2つに分けて送るなどルールを守って送れるようになりました。事細かに認知症の症状を観察して伝えてきます。ほぼ同じ症状の持続ですが、どの症状が悪化したのか、どの症状が新しいのか、取捨選択はできないようです。毎回すべて網羅してきます。

最初は真面目に読んでいましたが、私の時間は限られていて、全部は読めません。拾い読みになります。診療に関わる部分だけをピックアップしていました。

いま読み返してみると、診察には関係のない日々の生活のなかでのちょっとした会話、過去の思い出、娘自身の悩みなどさまざまな内容がありました。

娘はストレス耐性が低く、母親の言動にいちいち反応してしまい、いっぱいいっぱいでした。

ヘルパーサービスを導入

娘が同居していることにより、介護保険サービスでは通常はヘルパーが導入できません。ケアマネジャーは当初、娘にそう説明しました。娘は追い込まれた感じになりイライラが募りました。

徐々に娘のストレスが増し、うまく接することができなくなってしまいました。

私は「主介護者が精神疾患」ということを配慮していただけないかとケアマネジャーに連絡しました。このように同居の介護者に身体や精神の疾患があるなど特段の事情があれば、ヘルパーサービスが入れられる場合もあるのです。

ケアマネジャーがすぐに対応してヘルパーサービスが入りました。これにより娘の負担が減り、接し方に余裕が出てきました。

身体表現性障害

余裕が出てきたとはいえ、娘はときどきストレスが高じると、身体表現性障害の症状が現れました。突然体に力が入らなくなり倒れてしまうのです。

以前はこのような状態になると母親が娘を安静にして介抱していました。認知症になってからは、このような娘の姿を見てパニックになり、娘の頭や顔を叩いて、手や足を無理矢理引っ張り起こそうとするようになりました。これにより娘もときどき怪我をしてくるようになりました。

私は娘の主治医ではありません。娘の主治医は別にいました。その主治医は「母親との暮らしは限界なので一人暮らしに戻り、母を施設に入れるように」と娘に言いました。

娘は「そんなふうに言われましたが、母と一緒に暮らしたいのです」と私に言いました。私もケアマネジャーも、娘の希望が叶えられるようになんとかしようと思っていました。

精神症状の治療

X+1年、自宅が認識できなくなりました。近所に買い物などに行くと自宅に帰れません。

この頃、ようやくリハビリデイサービスに行き始めることができました。ケアマネジャーが根気よく本人に勧めて、やっと実現しました。ヘルパーに続いてデイサービスが入り、娘と接する時間は減りました。

一緒にいる時間は減りましたが完全に無くすことはできません。一緒にいれば相変わらず喧嘩してしまうことがありました。母親のほうは感情をコントロールできないので、キレて興奮して大声を出します。それを見て娘が身体表現性障害の症状で倒れました。

診察のたびに、私は毎回根気よく娘に介護指導を行いました。

「その言葉はお母さんに言ってはいけません」
「そういうときは見て見ぬふりをしてください」

何度目かの受診で娘の疲れた様子を見かねて、母親に対して抑肝散加陳皮半夏を出しました。1週間ほど内服した後、娘から「母は穏やかになってきました」とメールが来ました。薬が効いてきたようです。それとも娘が成長したのでしょうか。そう思いたいのです。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。