1.知っているつもり
医学部に入学したのは9年前、医師歴は4年目、精神科医は1年目。現在、昭和大学附属烏山病院勤務中の石原と申します。
9年前から医学の道にすすんでいるものの、精神科の勉強をちゃんと始めたのは今年度から。今さらになって精神科の道に進みたいと思ったのは「偏見が多い疾患だから」という理由でした。
それは、【これまで大きなトラブルなくスクスク育ち、今日の夕ご飯と次の誕生日に買ってもらうゲームにしか興味がないような小学生が、修学旅行で原爆ドームに行った直後に「世界が平和になりますように」といきなり七夕の短冊に書きはじめた】程度の志(こころざし)にしかみえない、ということはさすがに自覚していたので、「どうして精神科に行くの?」と聞かれても、それらしい理由を適当に答えていました。
実際のところは、将来有望かもしれない小学生に失礼なくらい、私は無知で浅はかであったように思います。精神科入局時点の私の依存症知識は、「アルコール依存症の治療は断酒」程度で、そもそも疾患であるという意識がほとんどありませんでした。「精神科は偏見が多いから精神科領域で仕事したい」と思っておきながら、「性格の問題」「なんか怖い」「アル中のイメージ」「正直、自己責任では」という、完全な偏見をもったまま、精神科の道にきていたのです。
小学生にたとえれば、「不登校の子ってだらしないよね」と言いながら、「平等な社会をつくりたい」といった内容の作文を書いているようなものでしょうか。
幸運だったのは、精神科1年目での配属先がたまたま烏山病院で、そこで毎週月曜日に開催されているSMARPPプログラムに、入職後間もなくスタッフの一人として参加できたことだと思います。
「依存症はアレルギーのようなもの」といったパワーワード、教科書よりも実践的で有用なさまざまな意見、進行がおぼつかないスタッフに助け舟を出してくれる患者さんたちに出会うことができ、「自分は間違った知識や偏見をもっていることに気付いてさえいなかった」ことだけは、少なくとも知ることができたのだと思います。
2.入院はしたいけど精神科入院は困る
身体科病院へ繰り返し受診・入院するも精神科治療につながらず、根本的な解決には至らない患者さんたちのための「架け橋プロジェクト」。これが烏山病院と練馬光が丘病院という総合病院との間で行われていて、私も先日、そのプロジェクトに参加させてもらいました。
烏山病院スタッフが、練馬光が丘病院へ行き、精神科的介入が必要と思われる患者さんたちに会うのですが、患者さんが身構えないように私服で会いに行く、医療者の意見はオープンダイアローグ形式をとって聞いてもらうなどの工夫がなされています。
「烏山病院の外で私服で会う」ことが効果的であることを裏付けるエピソードとして、プロジェクト中に出会い、その後間もなく烏山病院に入院された患者さんの話があります。
初回の精神科入院ということで警戒心が強く、数分の問診でいら立った様子、と申し送られていたのですが、「この前、会いに行った者です」と挨拶させていただくと、「あー、あのシャカシャカした服着てた人ね」と言って、入院の経緯を細やかに話してくれたといううれしい出来事でした。
プロジェクト中に出会った患者さんたちには、「精神科入院は嫌だ」といった意識が、どの方にも共通してあるようでした。
連日、飲酒と十分な食事を摂らない生活で救急搬送を繰り返していた患者さんは、「今日は練馬光が丘病院に入院できると思って期待して来院したのに、入院適応にはならず残念」「忌引きでも休ませてもらえない。仕事を休みたい」と話したそばから、「烏山病院への入院は上司に言えないから、できない」と言い、休みたいのに休めない葛藤を抱えられているようでした。その方自身が精神科への偏見をもっているからではなく、「精神科入院する人はダメな人」と考える人が多い、または会社の上司がそう考えているから、ということでしょう。
仮に入院できたとしても、「依存症という病名で診断書は書かないでほしい」とおっしゃる患者さんは多いですし、治療を開始するまでも、治療を開始してからも、回復後の生活を見据えると対処するべき課題は多々あるように感じました。
「結局、この患者さんの会社が変わらないと、もしくは世間が変わらないと、どうすることもできないのでは」と、その患者さんとの面談中、絶望的な気持ちになっていたのですが、最終的には「何曜日なら烏山病院を受診できるか」と質問してくださり、今後の休息の選択肢の一つとして検討してくれることになりました。
3.治療グループの仲間に入れてもらう
一般的に、医師は患者さんに治療を施すのが仕事です。具体的には、教科書や上司の技術を見学して培った知識を活用することで、薬を処方したり、処置を行ったりすることでしょう。
しかし、依存症治療はなかなかそうはいきませんでした。
依存症治療において、現時点で私ができることは、患者さん、支援者さん、医療スタッフなどさまざなメンバーで構成された依存症治療グループの「メンバーの一人」として、患者さんや支援者さんの意見をたくさん聞く、回復する過程を見守っていく、それをほかの患者さんにも還元していく、ことでしょうか。
そもそもメンバーに入れてもらうこと自体に感謝しないといけないところです。患者さんも依存症治療に携わるスタッフもみんな必ず、温かく受け入れてくれています。
自助グループやプログラムでは、患者さん同士で意見交換したり、先輩患者さんが後輩患者さんにアドバイスしたりしています。それこそ患者さん同士がお互いに「治療を施す」様子ですが、その現場に所属させてもらいながら私も、今後できることを模索していこうと思います。一人前の治療者になるまでの道のりは長く、そもそも一人前の治療者の定義もよくわかりませんが、学びが尽きないのは確かです。