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突然ですが、私は大学の看護学部を主席で卒業した優等生でした。一方でバイト先の居酒屋に就職するか看護師になるか、大学4年生の3月まで悩んでいた変人でもあります。
楽しく仕事をして、お客さんも楽しく過ごせて、また行きたいと思ってもらえたらまた来てもらえる。なんだかそういうことがとても楽しくて、達成感があって、本当に最後の最後まで看護師になるかを迷いました。

そんな私が、結局、看護師になって13年。昨年度の4月末、育休明けに依存症の患者さんが多く入院する病棟に配属され、まだまだ素人ながら1年をかけて依存症治療にハマった話を書こうと思います。

1.依存症病棟は患者さんが動いて看護師は待つ!?

5月。復職して初めての受け持ち患者さんをもちました。その人は40代男性で、ギャンブル依存症とアルコール依存症を抱えていました。彼はひとことでいえば“普通の人”でした。挨拶をしたときは、緊張した面持ちながら礼節を欠くことはなく、病棟の説明に対してわからないことは質問をする、ごくごく普通の人でした。

依存症の治療でいちばん驚いたことは、“患者さんを待つこと”です。
一般科の入院では、クリニカルパスが適応であれば、入院時に患者パスで入院の流れを説明し、入院中の患者さんに起こるであろう一般的な流れや情報は、先に提供されますよね。手術があれば、医師から詳細な術式の説明。麻酔科医からは麻酔の説明。
クリニカルパスがない入院でも、患者さんは、ただ待って過ごしていれば、医療者側から何かしらのアプローチがあって、安全に、平穏に、気が付いたら、ある程度は治って退院日を迎えることができる。そんなイメージです。

看護師は、患者さんが安心して円滑に医療を受けることができるように日々のケアをして、必要であれば指導や説明をして、今、思えば手取り足取りなかかわりだったように思います。

今いる病棟では、患者さんに、退院するためには何をしたらいいか、どうすればいいかを自分で探して考えてもらいます。同じ境遇の患者さんから情報を聞いたり、医療者から伝えられる断片的な情報から自分で考え、必要だと思えば看護師に面談を依頼し、医師と面談がしたければ自分で調整してもらいます。

想像できますか? 先生がいる時間を看護師に聞き、ナースステーションに自分で行き、扉の閉まったナースステーションの窓を自分で叩き(目くばせの「用事があります」アピールは通用しません)、主治医に名指しで呼びかけ、自分の退院について自分発信で聞くのです。びっくりしました。当然、必要なことは必要な範囲でこちらから発信することもありますが、あくまで患者さんが主役です。

依存症の患者さんは、自己開示が苦手な人が多いみたいです。困ったことがあったとき、解決できるように外に向かって動くことができず、自分のなかにこもってしまい、間違った対処方法として依存対象の使用を繰り返しているうちに、依存症ができあがる。

だからまず、発信する力を身につける必要がある。至れり尽くせり、困ったら周りが勝手に世話を焼いてくれて「困った」を解決してしまったら、退院した後に「困ったとき」に、また依存対象に向かってしまうからです。

自分で解決するためには、自分が何に困ってるか、何を助けてほしいかを知らないといけません。だから、自分で発信できるようになるのを“待つ”。待つ期間や、その間に渡す情報量、こちらからの手のかけ方、さまざまなことに対して、個別性を考慮しているので、みんながみんな同じ対応にはなりませんが、退院するためには自分から発信する力が少しでも身につくことが必要なのです。

2.「声をかけられるのを待っていたら、退院できないよ」

話を戻しますね。当時は待つ理由はよくわからなかったのですが、そんな病棟だということはわかっていたので、彼が急性期病棟から転棟してきて挨拶をした初日に、「早く退院したいです」という発言に対し、『ここの病棟は慢性期病棟で、急性期と違って看護師の数も少ないし、先生もめちゃくちゃ忙しいから、声をかけられるのを待ってたら退院できないよ』ということを伝えたらしいです。

らしいというのは、すっかり忘れていて、退院後に顔を見せに来てくれた彼に、「最初に島田さんに言われた言葉をすごい覚えてて。それを言われたから、このままじゃやばいって火がつくいたんですよ」と、教えてもらいました。今は、当たり前の光景になりすぎて、そんな説明が口から出てこなくなっていましたが、その説明をしたことが、当時の自分の驚きを表してるなあと聞いていました。

依存症患者にかかわらず、どうすれば退院になるのかの道筋を医療側からの発信で提示されないのは、なかなかたいへんだと改めて思いますが、今は、退院後の生活を考えると、つらく困難でも必要な過程だと思うようになりました。

3.応援しているつもりの「もう入院しないで済むように……」

彼はとても真面目でした。真面目だからこそ依存症になったのだとも思うのですが、持ち前の真面目さと、退院への熱い思いとで、こなさなければいけない課題を特に何のトラブルもなくクリアしていきました。

依存症の治療に欠かせないのが、自助グループ(当事者の集まり)という存在です。きっと、すごーーく突き詰めれば、必ずしも自助グループである必要はないと思うのですが、自己開示が苦手な人たちにとって、自分の汚点ともいえる、依存症という生涯の相棒について語るのは、やはり同じく厄介な相棒を抱えている相手が適しているように思います。

最初、彼はその自助グループのことが、もう死ぬほど嫌いでした。
依存症治療を自分でしようとしたときに自助グループの存在を知って顔を出してみたら、そこで嫌な思いをしたからもう行きたくない、と。それでも、退院後に通う自助グループを見つけることが、やらなければいけない課題だったので、真面目な彼はいろんな自助グループに行き、ここなら通えるという自助グループを見つけました。
私は彼の弱音と報告を聞き、肩を押すだけで、とくに何かを教えたり、説得したり、特別な“看護”をした記憶はありません。

乱暴な言い方をすれば、彼が勝手に自分でがんばって、勝手に退院が決まったのです。
依存症の看護もよくわからないまま、彼がすることを応援だけしていた私は、退院が決まったとき、
「退院が決まってよかったですね。こんなに早く退院できるなんてがんばったからですね。会えなくなるのはさみしいけど、病院はまた会いましょうって言うと体調悪くなってねという意味になる場所だから、それは言いません。嫌いな入院を一生しないで済むように願ってます!」
と、彼が大嫌いな入院をしないで済むように、応援しているつもりで伝え、送り出しました。

4.退院のときの声かけは、あれでよかった……?

それから数か月。ほかの退院した患者さんが病棟に顔を見せに来てくれることはあったのですが、彼が来ることはありませんでした。
そのころ、ある同僚の受け持ち患者さんが退院しました。彼女は患者さんに、退院後、病棟に顔を見せにくるように伝え、患者さんは外来受診などで病院にくるたびに彼女に近況報告に来ていました。その光景を連日見ながら、そして彼の退院後に学んださまざまなことから、彼の退院時にかけた言葉は正しかったのかを自問自答するようになりました。

依存症の治療過程において、スリップ(依存対象の再使用)をしてしまうことは当然らしいのです。脳がそういう仕様になってしまうから。スリップしたことを誰かに言えるようになることが治療のワンステップだとするならば、入院しないことを応援した私のかかわりは、真面目な彼を追い詰めただけだったよう思えてきたのです。

スリップをしたときに、責任感の強い彼が、「再使用しないって大口を叩いたのに、再使用してしまった。自分はダメな人間だ。背中を押して、期待してくれた人に顔向けできない」なんて思ったら、まったく応援と逆のことをしているな。
となると、彼にかけるべき声は、「真面目だからきっとすごくがんばっちゃうと思うけど、がんばりすぎちゃ駄目だよ。がんばりすぎて疲れてスリップしたら、またいっしょにがんばるから戻ってきてね。格好つけて自棄にならないで、駄目だったらまた再スタートしよう」と、再入院=スリップに対する肯定的な声かけだったな、と思うようになったころ、退院後しばらく来ていた外来に来なくなっていることを、主治医から聞きました。

主治医はしばらく外来に来てないからと彼に電話を入れますが、連絡がつかず。真っ先に「まさか自棄になって死んでないよね?」と浮かび心配しましたが、自助グループ経由で連絡がとれ、生存を確認することができました。生きていてよかったです。

5.受け止め、受け止められて流した涙

連絡がとれた後の外来で、主治医に私が会いたがってるから病棟に顔を出すように伝えてもらい、退院後、久しぶりに会うことができました。顔を見た瞬間、生きていてよかったと思わず口から出たことには、自分でも驚きました。依存症の患者さんと連絡が取れなくなるというのは、死の可能性を考慮しないといけないことなのだと、認識するようになっていたんだと思います。

久しぶりに会った彼は、少し肉が付き、健康そうな顔色で、スリップすることなく過ごすことができていると報告してくれました。最後に会ったときよりも自信がついた表情をしている彼に、退院時に伝えた言葉に嘘はなかったけど、依存症の治療にかかわるものとして、あの言葉のかけ方は違ったと思うようになったことを話しました。

「真面目なあなたは、私が言わずともたくさんがんばるだろうから、私がかけるべきだったのは、がんばりすぎないでいいよってことだった。がんばりすぎてスリップしても、何が駄目だったかいっしょに考えていっしょにがんばるから。スリップした自分が嫌になって、恥ずかしくなっても、自棄にならないで戻ってきてね。待ってるから」
といったようなことを話しながら、私も彼も目がうるうるしてきて二人で泣いちゃいました。このとき、はじめて彼の内側を見ることができたんだと思います。

最初に書いたとおり、彼は本当に普通の人にしか見えません。病棟に入院している多くの依存症患者さんも、同じく普通の人にしかみえません。普通の人が、依存症になるのです。それを知らない多くの人は、きっと、依存症患者さんに対するイメージは悪いものでしかないでしょう。粗暴で、自分勝手で、社会にまで迷惑をかける。確かに依存対象にのめりこみ、多くの人に迷惑をかけていることは事実ですし、そこまでになったから入院したのです。

でも、依存症に対する過剰な悪いイメージや、依存症になった=どうしようもない人間というレッテル張りがある世の中では、依存症を受け入れて治療することも、周りの人に打ち明けるにも、とてつもない勇気が必要になってしまいます。
誰にも言えないストレス、誰にも受け入れられない(と思い込んでいる)ストレスを抱えて、また依存対象に向かってしまう。

彼は退院時、本来なら依存症である自分を理解しているであろう受け持ち看護師から、半ば突き放すような発言をされたと感じていたかもしれません。彼の涙は私に、医療者は依存症という病気を理解し、受け止める姿勢の大切さを教えてくれた気がします。

6.患者さんから信頼を勝ち取るというケア

初めて病棟に顔を出してくれた少し後に、気が抜けたのか、彼は退院後初スリップをしたらしいのですが、約束どおり、ギャンブルをしてお酒を飲んだことを伝えに来てくれました。
伝えにくるということは、①その区切りでまた再使用しないようにシフトチェンジしようとがんばっていることの証明、②再使用した自分を受け入れて自己開示できるようになった証明、③限界になる前にはきちんと医療にかかる、つまりこの先の人生も自立を目指していくことの証明、だと思っています。

それまで、元気にやっていることすら報告に来なかったのに、スリップしてしまったことを報告できるってすごいことですよね。受け入れる姿勢を示していなかったら、このタイミングでスリップはしなかったかもしれないけど、いつかスリップをしたときに孤独に死んでいたかもしれないと思うと、送り出すときの声かけは大切なのだと実感しました。

先に書いた内容だと、待つことばかりで何もこちらからはしないような看護かと思われたと思いますが、患者さんからの信頼を勝ち取るというのがいちばん重要なケアなのだと思います。
本人から必要だと声をかけてもらったときに何十分も面談したり。そもそも面談をしたい、してほしいと思われるような、毎日の小さなかかわり。嘘はつかず、ときには厳しいことも話すけど、正直に向き合う姿勢。そういった積み重ねが、「この人なら助けてくれるかも」「助けを求められるかも」「がんばっていけるかも」につながっていくのかな、と。

依存症の看護は、点滴をつなぎ、清潔ケアをし、オペ出しをし、術後管理をし、というような、“これをすればいい”という標準的なケアは少ないです。一方で、患者さんと向き合い、患者さんの人生をともに考えていかないといけないのは本当にむずかしく、看護師としても人間としても試されているように思い、そこがおもしろいなと感じています。

そういった、患者さんのことを全力で考える日々を過ごしているなかで、ここがいちばん達成感がある職場だと思うようになりました。

そしてふと思ったのです。これ、居酒屋に就職したかった心理に似ている!と。
自分がしたケアに納得して満足してくれたら、患者さんから信頼や患者さん自身の成長を見ることができるというご褒美をもらえる!と。人間同士のかかわりで正解がないぶん、スタッフそれぞれの強みを活かして対応を変えていく。それが患者さんの回復つながる。
12年かけて、やりたかった2つのことが結びついたような気がし、とても嬉しく、とても楽しく仕事をしています。

まだまだ初心者マークではありますが、こんな私は依存症治療にハマったさんの一員ということなのでしょう。

おしまい。

プロフィール:島田侑子
昭和大学附属烏山病院 看護師
依存症病棟歴1年
ママ歴2年
猫飼い7年
5人きょうだい長子
運転免許未取得、英検未受験、持っている資格は看護師免許と保健師免許のみ。


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