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1.暴走しやすいハマったさんに水をさすのが、私の仕事

現在、私は、看護師、看護補助者、クラークを含めて、約180名の職員を要する看護部の責任者をしています。勤務しているのが大学病院ですので、附属病院間での人事異動で、一時的にほかの診療科に移ったことはあるものの、30年を超える看護師人生のほとんどを精神科で過ごしてきました。

かつて、自身がスタッフだったころは、いえ、師長として病棟に籍を置いていたころまでは、正真正銘、私もハマったさんだったわけですが、管理職となった今は、現場で活躍するハマったさんたちを見守り、応援する立場に。加えて、アディクション沼にどっぷり浸かり、ときに、ヒートアップしやすいハマったさんたちに、上司として、水を差すのも大切な役割になっています(笑)。

2.こうして私はハマったさんの珍種に

ちなみに、私が、初めて、依存症治療に接したのは、平成8年(1996年)、勤務する病院にアルコール依存症の専門病棟ができたときでした。それまで一般に、アルコール中毒、薬物中毒などとよばれていた依存症が、アディクションとして理解されるようになり、回復のための治療プログラムが開発され、それをベースに治療を展開する専門病棟が、全国の精神科病院に開設されるようなったころのお話です。

ただ、今だから正直にいうと、そうしたプログラムを、型にはまった日課としてこなしていくことには、あんまり興味を持てませんでした。おもしろくないなあ、と。それに、「何日、断酒が続いている」「どれくらい、薬物から離れられた」。そんなふうに、数値で治療成果を示すことにも、ほとんど関心がありませんでした。ほんとに、すみません(笑)。

じゃあ、何がよくて、若き私はハマったさんとなったのか?

それは、患者さんとコミュニケーションを重ね、関係性が深まってくると、お話をしているなかで、患者さんの心にぽっかりと空いた大きな穴を感じられるときがあって、それが少しづつ埋まっていく。もしくは、その空白との付き合い方を、患者さん自身が見つけていく。看護師として自分が、その役に立てたんじゃないかと感じられる瞬間が、何よりもうれしかったんだと思います。それは、たぶん、今もですけどね。

なので、私、これまで登場した、正統派のハマったさんとは、ちょっと違うかもしれません。自分では、集団プログラムと支え合いを身上とする、体育会系のマッチョなハマったさんと区別する意味で、個を深堀りする、マニアックな文科系のハマったさんであると自称しております。

昔から、管理とか、集団行動とか、仲間意識とか、目標達成とか……、苦手というか、大きらいだったんです。それが、今では管理職なので、それはそれで大した進歩です。

3.患者さんが教えてくれたこと

こうしたことに興味を持たせてくれたのも、また、患者さんです。かなりヘビーな思い出ですが、まだ、駆け出しだった20代のころ、ちょっとお兄さんといった年ごろの、若い男性患者Kさんの担当になりました。Kさんは、誰もが知る優秀な大学を卒業して、これまた、知らない人はいない大企業に就職したんですが、職場の人間関係につまずいて退職し、その後、抑うつ状態が悪化するたびに入院を繰り返している患者さんでした。彼が、まさに、アルコール依存だったんですね。

Kさんにとって、私は、看護師というよりは、ほとんど、歳の近い弟みたいな存在で、音楽や映画、演劇や本などについて、いつも楽しくお話をしていたことを、今でも覚えています。そして、いつも最後につけ加えるように、Kさんが口にする言葉が、「 池田くんはいいなあ……」と。

そんなとき、私は、Kさんの喪失感の大きさを感じていました。Kさんが失ったもの……。それは、具体的には仕事であったり、経済的な生活の基盤であったり、お付き合いをしていた友人や恋人であったり、また、言い換えれば、自信やプライド、将来の目標や未来そのものだったのかもしれません。その大きくぽっかりと空いた穴を埋めるもの。Kさんにとっては、それが、お酒だったんだと思います。私たちは、そのお酒を、治療という大儀と、看護師としての自信満々な職業意識の下、あっさり取り上げてしまった。不適切なコーピングとして……。

治療はうまくいきました。確かに、Kさんは、アルコールをやめることができた。でも、そのあとすぐに、Kさんは、病院のグランドの片隅にあったトイレで、自ら命を絶とうとしました。それは、表面的な成功としての禁酒の裏で、こころの空白がそのままだったからなんだと思います。

Kさんの自殺企図は、幸い大事には至りませんでしたが、それからですね。私は、0か100かの依存症治療ではなく、完璧を求めず、ある意味、ほどほどに、適当にやるアディクションケアと、同時に、その原因になっているこころの穴を埋めるための、お酒や薬物、そのほか、行動嗜癖の代わりを探す作業。これを、患者さんといっしょにやっていくことが大好きになりました。かなり、変なハマったさんなんです(笑)。

しかも、失敗続きで簡単には成功しないほうが、むしろおもしろい。その試行錯誤が、これまた楽しいんだよと、まさにドMです(笑)。こうした、私自身の経験を経て、これまで、後に続くハマったさんたちを応援してきました。

4.新しいハマったさんにエールを

実は、その後も、Kさんとは、たびたび外来で顔を合わせます。すでに、お互い、いい歳したおっさんですが……。師長へ、次長へと、私が昇進するたびに「池田くんも偉くなったなあ……」とうれしそうにしてくれ、「あなたたちの上司は、若いころ、散歩中に、患者といっしょになってタバコ吸ってたんだぞって、看護師さんたちに言っちゃおうかな?」と、やんわり脅迫されてもいます(笑)。

精神科という診療領域は、単に疾患の治療やコントロールだけでなく、こんなふうに、患者さんといっしょに歳を重ね、ともに育ち成長していけるところも、ほかにない素晴らしい点ですね。

私は、この春、今の職場を離れて、新しい一歩を踏み出します。私自身も、また、新たにネジを巻きなおして精進するとともに、若きハマったさんたちには、ぜひ、自らのハマったさん道を究めていってもらうよう、エールを送りたいと思います。ハマったさんたち、がんばれ。

プロフィール:池田勝之
元 昭和大学附属烏山病院 看護部次長

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