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はじめまして

ライフサポートクリニックの山下と申します。現在、私の勤務するクリニックではさまざまな依存症の患者さんが通院されています。具体的には、
① 物質への存症 :覚せい剤、大麻、アルコール など
② 行為への依存 :ギャンブル、痴漢、盗撮、覗き、露出、風俗、窃盗 など
③ 人間関係の依存:浮気、不倫、ホストクラブ、DV、パワハラ、モラハラ
などであり、②③のケースにも積極的に対応しています。

依存症における問題行動は「心の痛み止め」などとよく表現されますが、当院では「ではどうやってその痛みを問題行動以外で対処するのか」に重点を置いたプログラムを毎日、開催しています。そこで本日は表題にありますが、「では、その痛い心はどう治す」について4つのポイントを紹介させていただきます。

ポイント1:「誰も自分をわかってくれない」問題について

人は、心理的に苦しくなると「誰も自分のことをわかってくれない」「どうせ誰からも理解されない」などと考える特性があります。しかし、こうした際に「では、自分は自分のことをどの程度、理解できているのか」と考える人は少数です。たとえば「なぜ自分は今、その体勢でスマホやPCを閲覧しているのか」「今朝、なぜ自分はその色の靴下を選んだのか」など、「誰もわかってくれない」と言いながらも、自分でも自分をわかっていない可能性が高いのです。

「ストレス解消」という言葉がありますが、私の外来ではその言葉を用いないよううながしています。なぜなら、そもそもストレスをなにかで解消することなどできないからです。「ヤケ食い」や「ヤケ酒」、「ヤケ買い」や「ふて寝」といった言葉がありますが、冷静に考えたなら、これらは単なる逃避であり、まるで自分をわかっていない状態だからです。

「誰にも本音を話せません」と話す人も同様です。彼らは、実は誰にも話せない内容こそが本音である可能性を考えてみてほしいのです。「あれは失言でした。撤回します」 政治家さんがよく言うセリフですが、実は失言とは、その人のうっかり漏れ出た本音そのものともいえるわけです。つまり、本音なんてものはそもそも自分の心の内にそっとしまっておくものだととらえたほうが、よほど苦しみは減ると思うのです。

そもそも、人の心はいつだって矛盾を抱えているのです。
・楽な仕事につきたいけど、やりがいも欲しい
・好きにやらせてほしいけど、責任は背負いたくない
・楽はしたいけれど、「楽をしている」とは思われたくない
・自分を理解してもらいたいが、簡単にされるのは嫌
こうした相反する気持ちを抱えている自分を理解不足のまま、自己理解を求める行為は、「自分が食べたいものがわからない状態で、他者に自分の食べたいものを当てさせる」くらい攻略不可能なゲームです。

自己理解を強く求めながらも、他者の理解には無頓着であったり、自身の意見を押しつけようとしたりする人も少なくありません。理由を尋ねると「自分の意見を言うことで、自分自身を理解してほしい」などと話すのです。しかし、自身の価値観を相手に押しつけようとしたその時点で、いや、より正確に言うなら「押しつけたい」、こうした衝動にかられたその瞬間から、その人はその対象からコントロールされる存在に成り下がっているという自己理解が足りないのです。

「誰もわかってくれない」問題についての詳細は別の機会に譲りますが、結論は「孤独を愛する自分になる」ということであり、そこへ到達するために必須となるのは、他人とのコミュニケーションではなく、自分とのコミュニケーションなのです。

ポイント2:「その名言で救われているのは誰なのか」問題

依存症治療にかかわらずですが、医療者のなかには名言好きな人がいます。
・あなたの問題行動は快楽なのためではなく、自己治療として行われていたのです
・心の痛みを身体の痛みに置き換えていた可能性を考えてみましょう
・やめられない自分を責めるのではなく、告白できた自分を褒めてあげましょう。
私の偏見かもしれませんが、こんな名言を語る人は、どこか自分に酔っています。たしかに「先生や看護師さんの〇〇といった言葉で救われました」といったケースもあるでしょう。

しかし、そもそも助言とは、受けた人が得られる恩恵よりも、した人が得られる爽快感のほうが大きい可能性があるのです。とあるドクターは自身の講演会で「依存症患者は嘘をつく」と話していたのですが、講演会の後半に入ると、いかに自分が多くの患者さんから感謝の言葉をもらってきたかを得意げに話されていました。「患者さんは噓つきだ」と言いながらも、なぜ自分への感謝は嘘である可能性を疑わないのか、私はただただ不思議でした。

「依存症の完治はむずかしいが回復は可能である」なんてセリフも同様です。アルコールにせよギャンブルにせよ、では、なにがどうなると患者さんは回復したことになるのでしょう。「自分らしく生きたなら」「幸せな家庭を持てたなら」? しかし、治療者だって、「自分らしく生きる」「幸せな家庭を築く」なんてセリフを堂々と言える人は少数だと思うのです。

治療につながった患者さんは、無数の可能性であふれていることは事実です。しかしながら患者さんには有限の可能性しかないこともまた事実なのです。そして、この相反する事実をいかに丁寧に伝えていけるかが医療者に求められる力量であり、それは既存の名言を語ることとは真逆な態度なのです。名言とは 「教えてあげるもの」ではなく「教えさせていただいているもの」レベルに過ぎないものだと、僕は考えているのです。

ポイント3:「どうしても許せない人がいる」問題について

当院の初診では、問診票の主訴欄に「毒親の問題を抱えている」「ストーカーの加害者となっている」なんて人も来院されます。患者さんに限った話ではありませんが、「あの人だけは許せない」「なんとかして復讐したい」なんて気落ちと、人はどのように向き合えばよいのでしょう。

多くの人が犯しがちな誤りは、相手を責めたり脅したりすることです。しかし、これらで問題が解決することはありません。では、どうすればよいのか。その答えは徹底的に相手を妬ませることなのです。悔しい気持ち・つらい気持ちをバネにして、努力を重ねるのです。仕事でも、勉強でも、プライベートでもいい。「ずるい」「羨ましい」、相手に「こう」感じさせるために、なにとしてでも結果を出すのです。

すると、もし実際にそういった状況になると、とある不思議な事態が起きるのです。高みに登ったあなたの視界からは、はるか雲の下に停滞している相手が見えなくなり、あなたはその「許せない相手」のことを気にも留めなくなるのです。許せない思いをバネにして、「相手より圧倒的に幸せになる」、これこそが、許せない相手にとっての最大の復讐であり、自身の憎しみを消す最良の方法だといえるのです。

ポイント4:「認知という単語自体が認知困難である」問題

患者さんやその家族に対し「認知の歪み」という言葉を使うことが、僕は昔から嫌いでした。もちろん、その答えはタイトルのとおりなのですが、では、どのような言葉を使っているのか。

突然ですが、「フロントホックブラ」ってどんなブラジャーか、あなたは説明できるでしょうか。「そりゃ、前で外すブラジャーだよ」。こう答えたあなたは間違いなく「男性」です。なぜなら、もしあなたが女性だったなら「前で留めるブラジャーです」と、答えるからです。そう、ブラジャーは、男性にとっては「外すもの」ですが、女性にとっては「身につけるもの」なのです。こんな話をすると多くの人が、自分の中のある思い込みや、あらゆる物事には多面的な側面があることに気がついてくれるのです。

「認知の歪みを治す」のではなく「多面的な視点を増やす」のほうが患者さんには伝わりやすいと考える僕の認知は歪んでいるのか、それは読者に判断していただくとして、最後に、ギャンブル依存症の「認知のゆがみ」について少し述べてみたいと思います。

はじめに、「ギャンブルは儲かる」といった認知を「ギャンブルは儲からない」といった認知に変えましょう!といった治療は完全に的外れです。なぜならギャンブル依存症とは、「過去にギャンブルで儲かった経験がある」人が発症する疾患だからです。
https://diamond.jp/articles/-/117430

つまり、ギャンブル依存症者の「ギャンブルは儲かる」といった認知はゆがんでいる、
と指摘する人の認知こそゆがんでいるのです。では、ギャンブル依存症を回復に導く認知の変換とはどのようなものなのか。一例を挙げてみますと、ギャンブルによって多額の借金を抱えた人が、「一発当てて、迷惑をかけてきた人たちにお金をすべて返したい」という発想のもと、隠れてギャンブルを継続し、周囲から完全に見捨てられてしまう、といったケースがあります。こうした人の行動背景には、「当てたお金で借金を返せたなら、またみんなとうまくやっていける」といった認知が潜んでいるのです。

しかし、もし仮に大当たりを手にして借金の返済ができたなら、どんな未来が待っているのか。残念ながらお金を貸してきた人たちは、その返済が「ギャンブルで得たお金」と知るや否や、その相手と絶縁するのです。なぜならお金を返してもらった人たちは、相手が再びギャンブルで借金まみれとなりお金を借りに来ることを、借金まみれにもかかわらずギャンブルを続けていた事実から悟るからです。

「借金を返済しさえすれば、迷惑をかけた人たちと、またうまくやっていける」依存症の人がそう考えてしまう気持ちはもちろんわかります。しかし、そうした認知を「ギャンブルで作ったお金で返済しても、相手から絶縁されるだけである」「最大の恩返しとは、自分が生涯ギャンブルを絶つことである」といった認知に変換することが、治療者の役割だと思うのです。

長文をお読みくださりありがとうございます。読者の皆様とどこかでお会いできること、形はさまざまですが、一緒に依存症治療にもかかわれることを楽しみにしています。

プロフィール:山下悠毅
ライフサポートクリニック 院長

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