農林大学校に退学届の提出や寮の荷物整理に向かう電車の中でこれまでの学校生活を思い起こしています。仮入部でできた友人をきっかけに、農林大学校で関わるコミュニティが急速に拡大していきます。同級生とは踊ったり、旅行に行ったり、文化祭のポスターを作ったり、公園で遊んだり、YouTubeに動画を投稿したり、さまざまな経験をしました。何に挑戦しても、応援して声をかけてくれる同級生。仲間だと思っていた人たちから攻撃されて息を潜めて生きていた高校時代の経験がほぐされて、解けていくような感覚がありました……

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クラスメイトにも恵まれる

農林大学校は、私にとってがんばらないことをがんばる期間だったので、「無理すればできること」「もうちょっとがんばればできること」をしないで林業の実習をしていました。

周りが農業高校出身、男子多めのクラスにおいて自分のなかで「がんばらない」をすると、周りに比べてやれることの範囲も量も圧倒的に少なったですし、やる気のないように思われていたと思います。

同じ班の子に頼ることも多くありました。土壌学の実習では1m×1mの穴を掘り土壌の観察を行うのですが、私は体力も力もないので全然掘れないんですよね。1回にすくう量が圧倒的に少ない。のちに造園のインターンに行ってスコップの使い方から教えてもらうのですが、目から鱗が落ちました。みんなは当たり前にこう使っていたのかと。学校では特に指導はなかったですね。たぶんみんな農業高校出身で当たり前にスコップを使えたからだと思います。

植栽や刈り払いなどの実習のときでも、実習服+安全靴で歩くだけで疲れている私に「大丈夫ですか?(笑)」「何か持ちましょうか?(笑)」と少々馬鹿にしながらもクラスメイトが声をかけてくれました。

申し訳ないなと思っていると、「筋トレになるんで大丈夫っす!」と言ってくれとても助かりました。そういう発想があるのかと。

15歳から5年間女子クラスにいたため10代男子の思考はわからず、おもしろかったです。看護学生時代は忙しくて自分のことで精いっぱいでした。いかに効率的に、最小限の労力で乗り切っていくかしか考えていなかったので、他者の分もやることへのポジティブな発想はありませんでした。当時は呼吸の仕方もわからなくなるぐらい、自分のことだけで死にそうになっていたので。

周りも自分のことで精いっぱいなのがわかるので頼れなかったんです。寝られていないのも顔を見ればわかるし、ストレスでご飯食べられなくなっているし、病院に着くまでのバスで泣き出しちゃうし、手が震えてるし。

自分のことは自分でやるしかない。
本当に辛いときは1人で切り抜けるしかないと思っていました。

周りの理解の深さ

「1人女子がいるとこっちの負担でかいんだよ」とでも男の子に言われていたら、林業学生時代の思い出は楽しいものにならなかったと思います。

疲れやすく、周囲と比べるとすぐに休憩する私をおもしろがっていじってくれる同級生がいるから成り立ちました。それに先生も「まめこさんは心の療養のために来たんだもんね」と声をかけてくれ、がんばりすぎないことへの理解がありました。

周囲の視線が気になる私は、相手が求めるように振る舞いがちです。小中高校、看護学生と、過剰適応をしてきたと思います。だから小学4年生のときに原因不明で咳が止まらなくなり心療内科に通うことになりましたし、中学生のときは手を何度も洗うことが自分の意思ではやめられなくなったり、脳と身体が連動しなくなり階段の登り方がわからなくなりました。

高校生のときは授業中にいきなり過呼吸になったり、うつ症状で家に帰ったら泣き続ける日々で、スクールカウンセラーに5年間お世話になりました。合理的配慮のために診断書が欲しくて、高校3年生のときにかかりつけ医に話したら、ついた診断は不安神経症でした(定型発達の人が言う“当たり前”がわからないために過度に不安になると認識しています)。

専攻科時代は慢性的な全身の鈍痛、動悸で目覚める朝、誰かに指先でツンと触られるだけでいつでも泣けるような、つねにギリギリの状態でした。  


どれくらいがんばればいいのかわからず、とにかく毎日限界を越え続けていました。自分の最大限の努力を日々していれば、それ以上は存在しないので、少し安心できたんですよね。これ以上がんばれないほど努力したってことに。

定型発達の人の“当たり前”がわからないので、自分の言動がズレていないか、変じゃないか、つねに気を遣っています。それでもやはりズレが生じるので、苦しくて、悔しくて、泣けてきます。

いまでは定型発達の人の認識の仕方や考え方を、経験したことがある場面に関しては暗記しているので、認識や思考、コミュニケーションの齟齬なくスムーズに生活していますが、ここまで来る過程は本当にきつかったです。理解してくれる人がいなかったですし、1人で試行錯誤してきた孤独な期間だったので。

ある程度できるようになったからこそ、なんでこんなにも定型発達の人に合わせて工夫して生きないといけないんだろうと苦しくなるときがあります。

みなさんは経験したことがあるでしょうか。自分以外の周りの人は、言語的にも非言語的にも同じことを共有しているのに、自分だけが見えないしわからない。その孤独感や不安感、焦燥感。


働き始めて“普通”や“当たり前”から少し解放されましたが、学校教育という一つの箱の中で40人が詰め込まれた環境ではひどく苦しかったです。

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プロフィール:まめこ
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。