農林大学校に退学届の提出や寮の荷物整理に向かう電車の中でこれまでの学校生活を思い起こしています。友だちからのリクエストで農林大学校内で始めたダンス練習。参加者との温度差で感じたフラストレーションが小学校時代を思い出させます。不登校だったものの医師の助言によって学校を休みたいときに休めるようになり、ゆったりと過ごしていました。ところが、友だちが塾に行き始めると自分との差がどんどん開いていくことを感じ、自分の将来についても不安を持つようになりました。そこで、自分に見えている世界のなかから、自分でも届くかもしれないと、看護師を目指すことを決意したのです……

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運動ができても意味がない?

勉強ができなくても運動はできるから。
そう思って自尊心を保っていましたが、中学受験をするクラスメイトに「受験には運動神経は関係ないよ。受験科目に体育はないからね」と言われました。

薄々わかっていたことだけど、やっぱりそうなんだな〜。
だよな〜と思いました。

でも、勉強したいとは思わない。
とりあえず、学校に行くことを継続しよう。
それがいま、まずは私ができる精いっぱいの努力でした。

勉強はその次でした。
中学からは勉強を始められたらいいなと考えていました。

それからというもの、座っていないといけないから座っていた授業を、なんとなくちゃんと受けてみることにしました。教科書を開いて、黒板を見ているだけだけど、受けようと思って受けるのは、ただ座っていただけとは何かが違います。

暇になると意識がどこかにいっちゃうので、最初は教科書を開いて、落書きをしながら、黒板をぼんやりと眺めていました。先生の授業展開に合わせて、教科書をめくるところからスタートです。

幼い私のストレス対処方法

そうして5、6年生の2年間、嫌なことがあっても、日直がやりたくなくても、眠たくても、学校に行きました。

0か100の性格だったので、家を出たいと思っている時間に間に合わないとなると、いままでは学校を休んでいました。

母親に「まだ間に合うんだから行きなさい」と言われても、出ようと思っていた時間に間に合わなかったら絶対に外に出られません。どうしても出たくないのです。

自分の意志に反して出ようとすると、全身の細胞が地団駄を踏んで泣き出します。そうなったら誰も止められません。自分を落ち着かせるために泣き始めたら2時間ほど泣きわめき続けます(この体力はどこから出てくるんでしょうか)。

中学生になっても、高校生になっても、泣き始めると2時間コースでした。ですが、看護学生時代は泣きたくても泣けなくなっていました。

泣き始めると長くなり、それによって寝る時間が遅くなり、実習の質が落ちることのほうがストレスだったからです。泣く感覚さえ忘れてしまっていた時期があります。

そう考えると、泣ける時間があるときのほうが恵まれていたのかもしれません。


小学4年生のころには、泣きわめくスイッチが入らないように、自分で「嫌だ」としっかり主張して、それを貫けるようになっていましたが、幼いころは主張しても「周りは当たり前にしてるから」と、嫌でもやらないといけなかったり、嫌な空間にいないといけなかったので、よく泣きわめいていました。

ほかの子どもが我慢できることでも、過敏性ゆえに自分では対処できないほどのストレスに晒されていたんだと思います。泣くことは、私にとってSOSであり、ストレス対処方法でした。

聞いた話では、クリニックを受診した際に私が泣きすぎて診察できないからと、母は受付から何も言われないまま、ただひたすら最後の順番まで待たされ、看護師には「こんなんじゃ診察できないから最後にしたよ」と言われたそうです。違うクリニックでは、診察が嫌すぎて、終わった瞬間、私は裸足でクリニックから飛び出して行ったという話もあります。


また、親戚の祝賀会に強制的に参加させられ、フォーマルな服を着ていい子にしていなければならなかったときのことです。最初は普通に泣いていた私は、ストレス過多で自分の拳を口に突っ込みながら泣いていた記憶があります。

このときは顎が外れそうでしたが、でも、それが唯一その場でできるストレス対処方法でした。

発達障害を持っている子の育児

後にわかりましたが、学校に間に合う時間でも1分でも超えてしまったら家から出られない、0か100の考えはASD(自閉スペクトラム症)の特性でした。

本当に母は育児がたいへんだったと思います。

過去の私の様子を母から聞くと、なぜ虐待されなかったのだろうかと不思議に思うほどです。母は我慢強く、わかり合えない相手をわかろうとし続けてくれました。育児本を読んでも知りたい回答が載っていないなか、模索しながらの育児を続け、母はパニック障害になってしまいました。

私は、母のような人を新たに生み出さないために、こうして自身の話をできるだけリアルに書きたいと思っています。

一度決めたから

毎日学校に行くとなったら、家を出る時間までにちゃんと支度を終わらせなければならず、そのためには寝坊ができません。時間に間に合わなかったら絶対に行けないタイプだと、私自身がわかっていたからこそ、毎日同じ時間に起き続けました(ただし、これが後に強迫症状として私を苦しめることになります)。

人生で初めて、自分が立てた目標を達成したはじめての経験でした。

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プロフィール:まめこ
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。