看護学生時代、看護師になるという目標を達成するために、同級生のコミュニティから孤立しない生き抜き戦略も身につけたまめこさん。そのなかで、「雑談」は苦手なものの、「勉強のため」「テストのため」といった目的を明確にしたコミュニケーションは楽しく感じていました。そして看護師になると、今度は患者さんとの「雑談」が必要になりましたが、それはできたのです。クラスメイトとはできなかった「雑談」が患者さんとはできる、それはいったいなぜだったのでしょうか。

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勉強の話は楽しい

看護師になることが目標であって、クラス1位を維持したいとか、周りを負かしたいとかはなかったので、私は自分がやってきたこと、やっていること、思っていることを素直にクラスメイトにシェアしました(もちろん勉強するからには1番がよかったですし、たぶんみなさんが引くほど負けず嫌いです(笑))。

そうすると意外なところで返ってくるんですよね。
コツコツ努力してまとめたノートをクラスメイトに見せることについて、はじめから抵抗がなかったかというと、まったくなかったわけではありません。しかし、ノートや私の思考を開放すると、周りがどこでつまずいていて、私が長けているところはどこで、何に注目して勉強を進めていけばいいのかが明らかになり、バランスが取れます。

自分一人で勉強しているとどうしても偏ってしまうと思うのです。ここはテストには必要ないと無意識のうちに切り捨てていても、周りと話すことで捨ててはいけないところが浮かび上がってきます。

それにテストは生徒の平均点を60点ぐらいにしたいと先生が考えて作るので、クラメイトがどれくらい知識があるか、理解しているかを知ることも大切です。そのレベル感を見て、自分がこれ以上勉強しても、この教科はテスト的には伸びしろはないと思ったらほかの教科に時間を割いていました。特にテスト科目数が多くなると、どの教科にどれぐらい時間をかけるかが重要になります。

雑談はよくわからない

テスト近くになると、学校でクラスメイトと話して家に帰ったあとも勉強についてLINEでやり取りしていましたが、雑談は全然しませんでした。登校してから家に帰るまで、誰とも話さない日もあるくらいでした。テスト対策の話は楽しいんですけどね(笑)。

定型発達の人からしたら、偏った不器用なコミュニケーションに感じるかもしれませんね。でも私は、お互いの利益が明確になっている関係性のほうがわかりやすいのです。目的のある会話は楽しいですが、雑談は宇宙に放り込まれたような、足が地に着かない不安定感があるので、できればしたくないのです。

いろんな方向に話が飛んでいって、まとまりがなく、目的もないのに、みんなが会話を楽しんでいると「着地点がなくてソワソワしないの?」って思ってしまいます(笑)。

雑談は苦手。でも……

看護師として働いているのに雑談が苦手で大丈夫なの? と思われると思いますが、患者さんとは「雑談」ができます。

同級生とは雑談できないのに、なぜ患者さんとは「雑談」ができるのというと、患者さんは話すことで不安が解消されたり、患者さんの話を聞くことで患者さんの大切にされている人生観などを知れて、看護に活かせると思って雑談しているからです。また、患者さんとは年が離れていることが多いので、自分が見てきた世界と違う話が聞けるのも楽しいと感じています。

なので、私は看護の仕事をしていてよかったなと思います。看護は、目的が明確なコミュニケーションができる少ない機会ですし、ちゃんと楽しいので。

自分が楽しいと思える会話ができないからといって、人と話すことを避けて、対物の仕事をしていたら、より不安神経症が悪化していたと思います。不思議なことに、誰とも話さない状態が長く続くと鬱々としてくるんですよね。それはコロナ禍の自粛期間で強く再確認させられました(第3回で書いています)。

人と話すのは苦手だけど、人と話したくないわけではないのだと気づいたのも自粛期間があったからかもしれません。自分ではけっこう意外でした。いままでまったく人と話してこなかったのに、私は本当は話したかったんだなと。ただ、自分が話したい内容を話せて、話すリズムが合う人がいなかっただけなんだなと。

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プロフィール:まめこ
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。