新卒では看護師の仕事には就かず、農林大学校へ進学したまめこさん。コロナ禍に初めて病院で働きはじめ、それまで通っていた農林大学校を退学することを決意。2カ月ぶりに学校を訪れて寮の荷物整理をし、悪天候のなか、苦手な高速道路を走り抜けてようやく実家に到着しました。明日からの仕事にはすっきりした気持ちで向かうため、今夜中に荷物整理をしようと取り掛かり始めました……
なかなか片付かない荷物
「途方もない片付けも、意外と早く終わるものだな」と思える未来を想像しながら、片付けをし始めて早2時間。片付けても、片付けても、なぜか終わりが見えません。
衣類は分別せずにビニール袋に突っ込んできただけなので、下着も夏服も冬服も作業着もごっちゃの状態。部屋に広げられるだけ服を出して、種類を分別し、畳み直してクローゼットに入れていきますが、これが思った以上に時間がかかります。
日用品と雑貨類がごっちゃのビニール袋から取り出した物は、母が管理してくれそうな物をひたすら母に渡していきます。
「お母さんティッシュいるでしょ〜」
「これは洗面所の下でいいー?」
「お母さんこれ欲しいー?」
あ~もうやめたい、投げ出したいと何度も思いつつも明日の仕事の前にはなんとしてでも部屋をスッキリさせたくてがんばります。
ときどきおやつを食べて母と話しながら休憩をとりつつ進めていくと、衣類と日用品・雑貨類が片付き、あとは教科書のみになりました。
教科書は自分ががんばってきた証
林業学生として買った教科書は1年生の前期分だけで、後期分は先輩から借りていたので量は多くはありません。ただ、この先も関わっていくかわからない林業の教科書を処分せずに持っておくか悩みました。もちろん部屋のスペースに余裕があれば残しておきたいのですが、なんせ私の部屋は4畳ほどしかないので、できるだけ物を減らさなければなりません。
そして、林業の教科書の何倍もの量がある看護の教科書たち。
これらは処分する選択肢はありません。
国試合格してから、ここぞとばかりに看護の教科書を処分している人をX(旧Twitter)で見てなんだか悲しくなったことを思い出します。教科書は看護師を目指して勉強をがんばった証なのだから、大事にとっておきたいと私は思います。
インターネットで検索すればある程度の情報にはアクセスできますが、それでも仕事でわからないことがあったら、教科書を開きたいなと思うのです。
教科書には自分の言葉で記したメモがたくさんあって、テストに出そうなところや重要なことには蛍光ペンでラインが入っています。看護学生時代のことを思い返すと息苦しさもありますが、それも、それだけ勉強をがんばってきたからこそだと思います。だから教科書を開くと、がんばっていた当時の私からパワーがもらえる気がするのです。そして、おめでとうと言ってももらえる感じがします。
看護の教科書は農林大学校の寮にも持って行っていましたが、コロナ禍に実家に戻り、そのまま休学して看護師として病院で働き始めたため、看護師として働き始めて、初めて教科書に触れました。看護学生ではなく、看護師として病棟で働いている状況で教科書に触れるのはなんだか不思議な感覚です。
雨で濡れたページに引かれていた黄色の蛍光ペンが滲み、隣のページに色が写っていました。
雨の日も、雪の日も、どんなに生理が辛くて、足の痺れがひどくて感覚がなかったときも、けっして学校を休みませんでした。授業進度が早いため1日でも休むと内容に付いていけなくなるだろうし、何より心が無理になってしまいそうでした。また、休んだ分をカバーするだけの体力が私にはありませんでした。
本当にきつくてきつくて、誰かに肩をツンと触れられたらそのまま倒れて、泣き崩れてしまいそうで、どうか誰も私に触れないでと思っていました。
ずっと休まず学校に行って、放課後は校舎が閉まるまで勉強して、として実習に行く日々。5年目の最後の実習が終わって、年が明けて定期テストがあって、成人式があって、そして私は学校に行けなくなりました。
無遅刻無欠席だったのに。
国試1カ月前のことでした。
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。