新卒では看護師の仕事には就かず、農林大学校へ進学したまめこさん。コロナ禍に初めて病院で働きはじめ、それまで通っていた農林大学校を退学することを決意。2カ月ぶりに学校を訪れて寮の荷物整理を車に載せて実家に戻ってきました。明日からの仕事に備えて荷物整理をしていたら看護の教科書が目に入り、学生時代のことを思い出しました……
看護師を選んだんだ
結局、看護の教科書は元入れてあった棚にいれ、林業の教科書は椅子に乗らないと入れられない押入れの上部にしまうことにしました。
私は看護師を選んだなと思いながら床に就くと、気づけば朝になっていました。
歯を磨いて、髪の毛をセットします。
びっくりしても、緊張していても、嬉しくても、ほとんど表情が変わらない私は「こわい」とたくさん言われてきました。だから、少しでも顔が見えるように前髪をあげて頭頂部にピンでとめます(マスク+メガネ+前髪が長くて顔が見えづらいと「こわい」印象を持たれそうなのでできる努力はします)。
軽くご飯を食べて、自転車で病院に向かいきます。
看護師として勤務を始めたころは日中暖かくても朝は肌寒かったですが、もう朝から暑いと感じる季節になっていました。
まだ少ししか働いてはいないけれど、季節は変わりつつあるのだなと感じました。これから夏が来て、秋が来て、冬が来て、春を迎えられたりするのかな。
次の勤務日すら迎えられるかあやしいのに、少し遠くのことを考えていました。
感覚に身を委ねて
駐輪場に自転車をとめて、病院を見上げます。
農林大学校の退学届を出した私は、もう逃げ道はなくなったのです。
新卒で看護師として勤務せずに農林大学校に進学し、新型コロナウイルスが流行って農林大学校が休学したため少し働いてみよう、そして環境が自分に合ったら看護師を選ぼうとラフな感覚でした。看護師が合わなくても私には農林大学校に戻る選択肢があったので、その点では気が楽でした。
当時の私は「看護師」のワードを聞くだけで息苦しさを覚えていたほど、看護業界をこわく思っていました。病院に連絡することも、面接してもらうことも、とてつもない勇気がいることでした。
なのに、農林大学校の退学を選ぶとき、心理的ハードルはそこまで高くありませんでした。不思議です。もう私の人生というのは決まっていて、ここでなら看護師になれるのかもしれないと期待する、信じることのできる感覚がありました。
もしここでダメになったら、私には違う道があるのだよと神様が教えてくれているのだなと思えるし、看護師になることに縁があるならこのままうまく転がっていってくれるような感じがありました。
すごくポジティブな感覚が降ってきたんです。身体の中に湖なのか池なのか水が満ちたコップなのかわかりませんが、それがあって、そこにぽちゃんとしずくが落ちていくのです。そのときの音、いく重にも輪を描いて広がる波、そのゆらぎを感じているとき、私はとても心地良かったのです。
ああ良い感覚だ、良い心地だと。
私は自分の感覚をとても信じているから、周りから見たらぶっ飛んだ決断も静かにできるのです。看護学生から県外の農林大学校に進学したことが大正解だったように、今回の決断もきっといい決断になると信じていました。
でも、発達障害があって、コミュニケーションが下手で、すぐに頭がいっぱいいっぱいになって、涙が出てきたり、フリーズしたり、過呼吸になる私が看護師として働けるわけない。前回、前々回はうまくいったかもしれないけど今日はうまくいかないかもしれない。
そんなわけない、うまくいくはずがない。頭ではそう思っていました。こう思ったほうが何かあったときに傷つくのも最小限で済むと合理的な脳が思っていたからかもしれません。
頭と身体で対極にいる思考と感覚があって、私は感覚のほうを信じたいと思ったのでしょう。心地が良いと思った身体の中で広がっていく感覚に身を委ねていきたいと思ってしまったのです。
退学をする決意をした私は、言葉を変えると、ここでなら傷つくことを厭わないということだったのかもしれません。
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。