新卒では看護師の仕事には就かず、農林大学校へ進学したまめこさんは、コロナ禍に初めて病院で働きはじめ、農林大学校は退学することに。病院勤務は週3日、働き始めて2カ月が経ちました。看護助手業務からスタートして、現在は緊張や不安を感じながらも周囲の温かい声かけにも助けられ、入浴介助や食事介助を担当しています。とある日、休憩室での自分の荷物の置き場所について看護助手リーダーから注意をされました……

▼バックナンバーを読む

その見えなさが孤独感を増幅させる

定型発達者の考え方ができない私は、ちょっとしたことの判断を間違えてしまう。その積み重ねが気づかぬうちに人との大きな溝にならないよう、次また同じようなミスをしないように心に留めておきます。

非定型発達者が定型発達者向けの世界で生きるのは難しいです。間違えてからじゃないとそれが間違いであることに気づけないからです。それには常に痛みが伴い、どうして私はうまくやっていけないのだろうと悲観的にもなります。

ASD(自閉スペクトラム症)の先駆者が、こういう場面ではこういうふうに動きましょうといったような、世の中をサバイブするための攻略本を出していてくれたらいいのに。

ネットで発達障害に関する本を検索しても、自分に合う本にはなかなか出会えません。論文を検索すると特性等の分析結果を知ることができても、具体的な場面に対する対応策が書いていることはなく、日常生活において直接は役には立ちません。

結局、自分の良いと思ったことをしていくなかで、その都度周りの反応を観察し、微妙な雰囲気が漂ったときに何がいけなかったのかを分析して、修正していくほかないのです。

本当に過酷な人生だなと思います。

自分の困難は他者には見えず、「人が当たり前にできること」ができるようになるために血のにじむような努力をしても、その過程を誰かに褒められることもありません。何か足りなければ、何かできなければ、努力不足だと言われてしまう。ASDは身体の一部に現れることもなく、見た目では健常者と変わりありません。だから、説明してもなかなか理解してもらえないのです。

「発達障害を持ってるんです」って話したときに、「全然、障害を持ってるようには見えない!」と返されることが多いです。相手はポジティブな返答としてそう言ってくれていると思うのですが、そういう言葉を返されるたびに、心の底で「見えないから大変なんだよ!」と叫びたくなります。

見えないから、自分でもマジョリティからズレていることに気づくことができないし、気づいたとしてもそれを言葉にするのは難しいし、言葉にできたとしても人に伝えるのは勇気がいるし、勇気を振り絞って言ったとしても「甘えじゃない?努力不足だよ」とか「障害者に見えないから大丈夫よ」と返ってきてしまいます。

今あなたの目の前に立っている私は、心から血が流れているんです。

でも、見えないですよね。

その事実が、余計に孤独感を増幅させます。


こんなに目の前で血を流しているのに、誰も声をかけてくれない、誰も気づいてくれない。普通に私の前を歩いて、普通に談笑している。私から見えるその景色はとてもグロテスクなのです。

もし、これが物理的に血を流していたらどうでしょうか。きっと「大丈夫ですか」と声をかけて、血を止めるためにどうしようかと頭を悩ませてくれるでしょう。私の顔色を気にしてくれ、必要だったら救急車を呼ぶ手配をしてくれると思います。

目に見えていたら、対応の仕方を考えられる。
でも私の特性は、困難は、目に見えない。

勉強は祈りでもある

心が苦しくなったとき、私を助けてくれるのは勉強です。勉強すれば、昨日の自分より今日の自分が成長していることは目に見えてわかりますし、誰かに左右されることなく、自分が努力さえすれば積み重ねられるので未来を見ることができます。

何かを勉強するって祈りだと思います。
未来、この勉強が役に立って自分が幸せに暮らしていますようにと。

そう願いながら、今日もパソコンを開きスタディサプリの英語の授業を見始めます。

▼バックナンバーを読む



まめこ
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。