健康な医師としての暮らし

1982年に整形外科医になり、いろいろな病院で勤務し、多くの手術を経験しました。

縁あって1989年から脳神経外科病院に勤務するようになりました。そこでは、もっぱら整形外科専門医として、整形外科の急性期(おもに外傷)と疾病の手術を行っていました。

あるとき、治療後に「あとはリハビリで」という発言に違和感を持ちました。治療とは、手術で命を救う、障害を減らすのみでない。その人に全人的にかかわることであるということに気付いたのです。かねてから、リハビリテーションは再生医療であると思っていた私は、障害を持った機能を取り戻すだけではいけない、社会的に活動・参加するまでを一緒に歩んでいくことが必要であると再認識しました。

その後、リハビリテーション科専門医となり、回復期リハビリテーション病院の院長として従事するようになりました。対外的には関連団体(日本リハビリテーション病院・施設協会、回復期リハビリテーション病棟協会)の理事に就任し、病院の知名度も上がってきていた状況で、名実ともに日本一の病院を目指していました。順風満帆の人生を送っていたはずだったのです。ところが……。

がんの発見

「最近ものを飲み込むときに、のどの左側が痛いのですが検査時に見てもらえますか?」。この一言がすべての始まりでした。

9年前、2015年5月、毎年受けている職員検診の成人病検査である胃カメラ。そのときに気になっていたことを担当医に言った言葉が、人生を大きく変えることになりました。

結果は、“下咽頭がん”。すぐに造影CT、PET検査をしたところ、幸いなことにほかの臓器への転移はなく、ステージ1でした。放射線治療を勧められて承諾しました。58歳、働き盛りでがんになったのです。娘は東京でバレエの劇団員として活躍していました。また、ちょうど大学受験を控えた息子がいて、ここで倒れるわけにはいけませんでした。

ところが私というと、症状はほとんどなく、がんになったということがあまり現実として感じませんでした。恥ずかしいことに、治療をすればよくなるだろうくらいの認識でした。

とはいうものも、落ち込んで、焦っていたのかもしれません。“家族に聞いてみないと”。医者のくせに詳しく調べもせずに治療方法を決定したのです。今から考えると拙速だったかもと思います。


下咽頭、下咽頭がんとは

咽頭は鼻の奥から食道までつながる約13cmの管で、空気と飲食物が通る部位。筋肉と粘膜でできている。
咽頭は上からそれぞれ、上咽頭、中咽頭、下咽頭の3つの部位に分かれている。下咽頭は咽頭の最も下の部分で、食道と中咽頭および気管とつながる喉頭に隣接しており、飲食物の通り道になっている。ここに発生したがんが下咽頭がんである。

下咽頭がんの特徴

•近年増加しており、喫煙や飲酒がリスクファクター
•腫瘍のタイプはほとんどが扁平上皮がんで、ほかの組織型はまれ
•50~70歳代に好発し、男女比は2~4:1
•予後は頭頚部悪性腫瘍のなかでも悪く、5年生存率は30~40%
•下咽頭はリンパ網に富んでいるため、早期に頚部リンパ節への転移が出現
•進行した状態で発見されることが多い(約70%以上)
働き盛りの男性に多いんです!



太田利夫
西宮協立リハビリテーション病院

1957年生まれ。大阪医科薬科大学大学院卒業、医学博士。2015年58歳、働き盛りで下咽頭がんに。そして、2016年声帯全摘出し、声を失う。そんな時、電気式人工喉頭と出会い、第二の声を得た。電気式人工喉頭という音声によるコミュニケーションツールの重要性と、機能回復だけでなく社会生活に復帰、さらに講演という社会参加にも前向きに取り組むようになった。また、言語聴覚士養成校での講義を電気式人工喉頭で行うことにより、学生のモチベーションアップにつながっている。
西宮協立リハビリテーション病院名誉院長、日本リハビリテーション医学会専門医・指導医、日本整形外科学会専門医、日本リハビリテーション病院・施設協会理事、回復期リハビリテーション病棟協会理事。