声を失って終わりではありませんでした。

食道がん

2016年、下咽頭がん手術の3カ月後に内視鏡検査をしたところ食道がんを発見し、11月に内視鏡下手術を行いました。

妻の感じたこと

2016年の手術、あれほどひどい全身状態を乗り越え、これ以上の事態にならないと思っていました。順調に体力も回復し、食事もとれるようになってきた矢先の、まさかの「食道がん」。
言葉がありませんでした。

実は、さらに2023年7月新たな食道がんが見つかり、治療しました。

また?という気持ちしかありません。

肺がん

まず喉頭摘出した翌年(2017年)、職員検診で左の肺に5cm大のがんが見つかりました。実感はあまりありませんでした。



手術はこりごりと嫌がっていたのですが、妻に強く言われ、2017年7月に左の肺の上葉の上半分を切除しました。胸腔鏡を使用したので、傷も小さく、思いのほか痛みはありませんでした。ただし、肺の1/4を取っていますので、歩いたり、階段を上り下りしたりすると息切れが出るようになりました。

その後、抗がん剤を内服し、定期的な診察で問題なかったのですが、1年後…。

肺がん再発

2018年に、残っていた左の肺の下葉(下半分)に、ソラマメ大の肺がんの再発が見つけられました。肺がんの再発は1年以内が多いらしいです。手術は、左の肺がすべてなくなってしまうのでむずかしい状況だったので、抗がん剤治療を行いました。がん免疫療法(キイトルーダ®)も試みましたが、効果はなく、2年後(2020年)、最終的に放射線治療を選択しました。ところが…。

放射線性間質性肺炎

結局残っていた肺の半分も真っ白になり、ますます息切れが進んでしまいました。また放射線治療の副作用です。よっぽど放射線に弱い身体なんだなと思いました。しかし、幸いなことに、4年が経った現在まで再発は認めていません。

一大事!すい臓がん

ところが、その1年後(2021年)、CTで肝臓に異常が見つかり、慌てて調べてみるとすい臓がんでした。それも肝臓と骨に転移しているステージ4“末期がん”でした。それまでのCTやPET検査ではすい臓やそのほかに異常はなかったので、まったくノーケアで、予想だにしていませんでした。



これは厄介で、5年生存率はわずかに1.2~1.6%、余命2~6カ月とのことでした。今度ばかりは、もうだめかと思いました。

妻の感じたこと

5回目のがん宣告。これには心底落ち込みました。何度も「がんです」と主治医から言われながらも、それまでは、どこか「乗り越えられる」という気持ちで治療に望んできました。ステージ4の「すい臓がん」は手術適応なしでした。
「私は絶対にあきらめない」と主人と娘の前で、泣きながら訴えたと思います。おそらく、夫の前で涙したのは、このときがはじめてだったと思います。

副作用に苦しみながら、化学療法を行いました。一時は腫瘍も縮小したので、分子標的薬(リムパーザ®)の内服維持療法に入りました。ところが新型コロナウイルスに感染し、リムパーザ®を中止したため、腫瘍は徐々に増大しました。

抗がん剤をゲムシタビンに変更しましたが、わずか2回の投薬で、今度は…。

薬剤性間質性肺炎

左右の肺が真っ白になり、酸素がないと動けないほどの呼吸困難になりました。外来受診後、そのまま緊急入院になりました。ステロイドパルス療法、酸素投与、ICU一歩手前でした。今考えると、かなり危ない状況だったと思います。



薬の副作用による間質性肺炎です。幸いにも治療の効果があり、酸素が必要なくなるまでに回復しました。しかし、左の肺はほとんど機能していない状況です。理学療法士さんの呼吸リハビリテーションと歩行訓練を行い、徐々に歩行時間は増えたのですが、退院してからは散歩すらしていません。のど元過ぎれば…ですね。

すい臓がんについては、2週間に1回、3日間の抗がん剤治療を行い、小康状態でした。今より大きくならなければいい、がんと共存していく生き方でいいと思っていましたが…。

2023年10月のCTで、また腫瘍の増大を認めたため、抗がん剤を変更して治療を行っています。しかし腫瘍マーカーが悪化する一方なので、2024年1月にCT、PETをとりました。



CTでは、原発巣であるすい臓、肝臓の転移巣ともにかなり増大(すなわち悪化)していました。主治医から、現在の抗がん剤を続けるしかないと言われました。これは、もう精いっぱいだという宣告だったのでしょう。

外来から出て、妻と2人、なにもしゃべりませんでした。私は化学療法へ、妻は自宅へと別れる際、妻がボソッと「これ以上大きくならなかったらいいのにね」とひとこと言いました。私は涙をこらえました。

これでもか

日本人の2人に1人が生涯にがんになります(2019年の統計では、男性は3人に2人)。

そして、自分の遺伝子を調べてみると、がんになりやすい傷のある遺伝子を持っていました。当然、子どもに1/2の確率で遺伝します。娘と息子がいますが、娘は調べたところ、残念ながらこの遺伝子を持っていたので、定期的にがん検診を受けています。息子は調べていません。本人次第です。

2015年に下咽頭がん、2016年に食道がん、2017年に肺がん、翌年に肺がんを再発し、その後、2021年すい臓がん、そして2023年新たに食道がんになりました。再発も含めると、1人で4種類、6つもの“がん”になりました!タバコやお酒などの不摂生が原因だと思います。毎年なにか起こっていて、がんと病気の百貨店です。

心境の変化

しかし、思ったよりひどく落ち込むことはありませんでした。「またか」「なるようにしかならん」といった感覚です。さすがにすい臓がんがわかったときは余命宣告されショックでしたが、残された命とか生きていられる時間などを考えたことはありません。

今できることはなにか? しなければならないことはなにか?

がんと共存していくのだ!

しかし、2024年の1月はこたえました。なんとかこれ以上悪化しないように祈るばかりです。これからも後ろを向くことなく、友人の勧めもあり、電気式人工喉頭を使って講演・講義を続けることで、逆に勇気を得ています。まさしく不死鳥・フェニックスです。

友人の声

太田さんの不死鳥のような強さに、いつも畏敬の念を感じています。講演などの役割を持ったときに「がんと闘うのではなく、ともに生きていく気持ちになった」という話を聞いたとき、運命を受け入れながらも、自分の可能性をあきらめない人間の持つ、真の強さを感じました。
太田さんが私たちに届けてくれる言葉は、優しく、あたたかく、そして容赦なく、厳しくもあります。もっともっと多くの人に、太田さんの言葉を届けたいと思っています。



太田利夫
西宮協立リハビリテーション病院

1957年生まれ。大阪医科薬科大学大学院卒業、医学博士。2015年58歳、働き盛りで下咽頭がんに。そして、2016年声帯全摘出し、声を失う。そんな時、電気式人工喉頭と出会い、第二の声を得た。電気式人工喉頭という音声によるコミュニケーションツールの重要性と、機能回復だけでなく社会生活に復帰、さらに講演という社会参加にも前向きに取り組むようになった。また、言語聴覚士養成校での講義を電気式人工喉頭で行うことにより、学生のモチベーションアップにつながっている。
西宮協立リハビリテーション病院名誉院長、日本リハビリテーション医学会専門医・指導医、日本整形外科学会専門医、日本リハビリテーション病院・施設協会理事、回復期リハビリテーション病棟協会理事。