どういう医療的フォローをしてほしかったのか?
在宅での闘病期間中、外来での看護・リハビリテーションのかかわりは、実のところほとんどありませんでした。精神的ふれあいや、活動・参加への援助も、です。
外来での、医療保険を使ったがんリハビリテーションは認めてられていません。介護保険でも、65歳未満はがん末期のみ認めているだけです。がんサバイバーは64歳以下が大半を占めているのに、それを救済する制度がないのは問題だと感じます。
がんサバイバーとは、がんが治癒した人だけを意味するのではなく、「がんの診断を受けたときから死を迎えるまでの、すべての段階にある人」と定義されています。がんサバイバーシップとは、「診断時から命の終わりまで、がんとともに自分らしく生きること」です。
患者はつねに再発の不安を抱えています。「サバイバーシップ支援」とは、がんになったその後を生きていくうえで、直面する課題を乗り越えていくためのサポートのことです。
看護について
がん拠点病院にかかっている人の調査で、がん相談支援センターを知っている人は約66%で、利用したことのある人は、そのなかでわずか14%しかないとのことです。私も、がん相談支援センターがあると知っていましたが、具体的になにをどう支援してほしいかが自分でもわからず、結局、利用していません。それは、自分が仕事の継続や金銭面で恵まれていたこともあるかと思います。
化学療法室の横にがん相談支援センターがありますが、待っている間にセンターを訪ねる人を見たことはほとんどありません。センターとして大きく構えることよりも、化学療法のときの寄り添いが、もっとあればいいのにと思えました。本人が救われるかどうかは別でありますが。
むしろ家族への支援がありがたいかなと思えました。
妻も、気丈にはしていましたが、更年期障害と重なり精神的に不安定になり、結局心療内科のお世話になっています。そういう家族への看護師・療法士さんの寄り添いが充実していると、助かります。
リハビリテーションについて
一般的なフレイル予防、体力向上のリハビリテーションだけでなく、原疾患による機能障害を助けるリハビリテーションの継続が望ましかったです。当然、情報提供が多くあればと思っています。
友人について
人前で話すように後押しをしてくれた友人の存在は、とても大きいです。
さらにいろいろな機会を考えてくれて、私自身が強くなり、前へ出ようとなるように援助してくれています。
おわりに
下咽頭がんで声を失っただけでなく、食道がん、肺がんにも罹患し、最後にすい臓がん…。見つかったときには、肝臓に転移しておりステージ4の末期だったわけです。
しかし、電気式人工喉頭というコミュニケーション手段を得ていたため、むしろ、講演、講義などに積極的に参加するようになりました。まさに、生きるためには社会参加が必要でした。
そして、どれくらい残されているかはわかりませんが、がんと闘うのではなく、共存すると思えるようになりました。そして。この経験をできる限り多くの人に伝えたいと、このWebを配信することにしました。おこがましいですが、読んでいただいたみなさんの人生の参考になればと思っています。
まだまだ倒れません!倒れるわけにはいきません!
西宮協立リハビリテーション病院
1957年生まれ。大阪医科薬科大学大学院卒業、医学博士。2015年58歳、働き盛りで下咽頭がんに。そして、2016年声帯全摘出し、声を失う。そんな時、電気式人工喉頭と出会い、第二の声を得た。電気式人工喉頭という音声によるコミュニケーションツールの重要性と、機能回復だけでなく社会生活に復帰、さらに講演という社会参加にも前向きに取り組むようになった。また、言語聴覚士養成校での講義を電気式人工喉頭で行うことにより、学生のモチベーションアップにつながっている。
西宮協立リハビリテーション病院名誉院長、日本リハビリテーション医学会専門医・指導医、日本整形外科学会専門医、日本リハビリテーション病院・施設協会理事、回復期リハビリテーション病棟協会理事。
※太田利夫先生が2024年6月にご逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。