ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。

ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。



ゲスト:治験のおねいさん(以下、おねいさん)
大学付属病院の消化器内科と糖尿病科の混合病棟で5年勤務、その後治験業界へ転身。CRC(治験コーディネーター)として働くなかで、看護師として働きたい気持ちが強くなり、現在は転職をして治験看護師として働いている。

インタビュアー:白石弓夏
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。



病棟という現場から脱出したい思いで飛び込んだ、治験業界

白石:
今日はよろしくお願いします。治験の話は機密事項も多いので、お話しできないこともあるとのことですが、話せる範囲でいろいろお聞きしたいと思います。おねいさんは病院で勤めた後にCRCに転職をして、だけど看護師として戻りたくなって、今は治験看護師として働かれているんですよね。最初の病院を辞めたのはどのようなきっかけだったのでしょうか。

おねいさん:
病院で働いていたときは、3年で奨学金が払い終わったら絶対に転職しようと思っていました。働いていた病棟は混合病棟だったので、がんで亡くなる患者さんも多い一方で、生活習慣病の患者さんには「もういつ死んだっていい」と好き勝手にやっている人もいて、そういう患者さんをみていると、自分の感情がついていけなくなっちゃうことがあったんです。だけど、退職待ちの順番があって3年目で退職できず……。

結局5年目でリーダーや委員会、プリセプターなど一通りのことをして、次のステップとなると主任を目指すか、または別の科に異動になるような時期になり。そのときに「病院じゃなくて、病院の外で働いてみたい」「新しい環境で、新しい世界をみてみたい」という気持ちが強くなり、本格的に転職活動をはじめました。ただ、当時は夜勤をやりたくないという気持ちが一番で。転職活動では日勤のみの仕事で保健師やクリニック、一般企業など幅広く受けていましたけど、なかなかうまくはいきませんでした。

白石:
転職のときは、自分の働きたい分野をある程度絞ってから面接を受けたわけではなく、あれこれ受けながら見極めようという感じだったんですか。

おねいさん:
そうですね。自分のなかでも何がしたいのか全然わからなくて、話を聞きながら決めようと思っていました。そのときに出会ったのが治験コーディネーター、CRCの仕事でした。看護師としての自分を評価してもらえて、日勤の仕事もできるし、企業で勤めることができるので、ちょうどいいなと思ったんです。だけど、転職したのが2020年の4月だったので、コロナの影響でかなりイレギュラーな働き方をすることになりました。それが最初はしんどくて、辞めちゃおうかなという気持ちもあったんですけど。先輩のフォローという形ではありましたが、これまで病院でみていた診療科に関する治験で大学病院を担当させてもらうことになって、これまで得た知識や経験が役に立つことは嬉しかったんです。

そうして、だんだんと楽しいなと思えるようになってきたときに、知り合いから「こういう治験の仕事があって、人を探している」と声をかけていただいて、思い切って転職しました。というのも、当時は看護師としての自分が好きだったことに、転職してから気づいたんです。それで看護師の仕事に戻りたい、でも治験も楽しいから続けたい気持ちもある……と悩んでいたときだったので、ちょうど看護師と治験の両方ができる仕事ということで転職を決めました。

白石:
すごいタイミングですよね。夜勤をやりたくないという話もありましたが、そもそもどういう理由だったんでしょうか。

おねいさん:
当時は付き合っていた彼との結婚も視野に入れていたのと、身体も強くなかったので、この続く不調の原因は夜勤なんじゃないかなと思っていたんですよね。特に誰かからいじめられていたわけではなかったし、それなりにうまく立ち回れていたと思うんですけど。なぜか眠れない、よく悪夢を見ることがあったんです。夢のなかでも胸骨圧迫を続けているとか、常にアラームの音が聞こえているとか……。だから、どうにか病院から脱出したい気持ちが強かったです。

あとは、後輩に対して怒ることが苦手というか、後輩が悲しんでいることに強くストレスを感じていたかもしれません。例えば、後輩がインシデントをして、私は怒っているわけではないんだけど、「どうしたらよかったんだろうね」という話をしていくと、泣いてしまう後輩もいたんですよね。そうなると、私のせいかもしれないと自分を責めるようになってしまって。仕事後に泣きながら帰ったり、ずっと動悸が止まらなかったりするような状況が続いていました。

白石:
仕事のことなど、かなり抱え込んじゃうタイプだったんでしょうか。

おねいさん:
自分としてはけっこう口に出していたし、愚痴も言っていたと思うんですけどね。それでもなんだかストレスが強くてしんどかったです。だけど、CRCに転職してからはピタッとなくなったので、私にとって病棟での仕事がストレスだったんだなと気づきましたね。

看護師としての自分のモチベーションが何か、離れてみることで気づけた

白石:
CRCでも、病院に行って医師や看護師、患者さんとかかわるところは大きく変わらないと思うのですが、病院にいたときとどんなことが変わったのでしょうか。

おねいさん:
目の前で人が死なない、悲しまないというのが一番だったかもしれません。こう患者さんの感情にあまり左右されないというか……。そもそも治験ができる状態の患者さんにしか行わないですし、治験に対して前向きな患者さんが多いですからね。なかには具合が悪くなって治験を中止することもありますが、そうなるとCRCはそこには深くかかわらないので。それよりも驚いたのは、忙しい看護師さんに話しかけて「何?」と強く言われたり、看護学生に「邪魔」と言われたりしたときは、CRCの立場は低いんだなと思い知らされましたね。だけど、病棟にいたときのストレスに比べたら、私にとっては受け流せることでした。

白石:
なるほど。患者さんに関しては間接的なかかわりになったことで少し自分のことを守れるようなったんですかね。

おねいさん:
そうですね。患者さんの感情にあまり触れなくなったのが、良くもあり、悪くもありという感じですね。

白石:
悪くもというのは、なにか寂しさのようなものを感じたりしたんですか。

おねいさん:
ありますね。それがたぶん看護師に戻りたいと思ったきっかけになります。SMO所属のCRCって“患者さんに触れない”という決まりがあるんですよ。それは、採血や血圧測定などの医療行為のような接触もそうですし、病気や症状のことに関してこちらから勝手に言ってはいけないというのもあって。血圧測定ひとつとっても看護師さんにお願いしないとできないんです。看護師だったら「大丈夫ですよ」と言えることでも、「先生に言っておきますね」と返すしかできないんです。話を聞くことはできるんですけど、それに対して何かを患者さんに伝えることは難しいので。そうしたもどかしさはかなりありましたね。

白石:
自分も看護師だけど、今は看護師じゃない立ち位置で患者さんや看護師と関わらなきゃいけない葛藤がありそうですね。それから今の治験看護師というのは、実際にどんな仕事なんでしょうか。

おねいさん:
具体的な仕事内容はお話しできないんですけど、治験薬の投与やバイタルを測るなど、看護師としての仕事も含めて治験に携わっています。

白石:
看護師に戻ってきてからは、仕事どうですか、楽しいですか。

おねいさん:
楽しいですね。やっぱり患者さんが、より身近になったことが大きいです。CRCのときは制約があるなかでつらかったこともありますが、今はそうしたことは気にしなくていいので。元の自分で話している感じがすごくあって、患者さんの気持ちを考えて寄り添いながらお話しできるのがすごく嬉しいです。

今はあまり不安やストレスなどなく働けています。病棟で働いていたときは、「私は看護師に向いていない」「辞めたい」「看護師にならなきゃよかった」という気持ちが強かったですから。今思うと、患者さんや家族ともけっこう密な時間を過ごしていて、そこが自分のなかでも看護師としてのモチベーションだったんだと思います。「患者さんと話をすることが好き」「そんな自分が好き」とは気づかなかったんですね。当時は、いい部分が見えなくなってしまっていました。一度離れてみたことで、楽しい経験も苦しい経験も、今の自分につながっている、と看護師としての自分を見いだして、今そこに戻ってきてやりたい仕事ができていると実感します。

何も言い返せないけどすっと受け入れた、自分を見つめ返すきっかけに

白石:
それでは、本題ですね。今回、いくつか質問を準備していまして、選んでいただけますか。

おねいさん:
じゃあ私からみて右から2番目で。

白石:
「患者さんから言われたひとことで印象に残る言葉はありますか」ですね。

おねいさん:
今、しんどい話といい話と2つ思いつきました。最初に思いついたのが、患者さんから「あなた、本当に冷たいわね」と言われたことです。この言葉が今でもグサッときます。看護師5年目で一番しんどい時期の夜勤で、受け持っていた患者さんから言われました。本当に自分に余裕がなくて、患者さんにも全然優しくできなくて、それって後輩とか同僚にもよくない影響を与えていたのかもしれない。自分の態度に出ちゃうくらいしんどいんだなと、その言葉でハッとして自分を見つめ直すきっかけになりました。

白石:
なるほど。その言葉は、すっと自分のなかで受け入れられたんですか。

おねいさん:
そのときにすっとですね。もう何も言い返せないぐらい当てはまりすぎていて。1日その言葉について考えていた記憶があります。……こんな話でいいのかな。

白石:
いいですよ、みなさん嬉しかった話をしてもらうことが多いので、しんどい話で印象に残っている言葉は、なかなか聞く機会がないですから。その後は患者さんとはどうだったんですか。

おねいさん:
その後も何日か受け持つ機会がありましたけど、患者さんもけっこう割り切っているタイプだったのか、特に何も言われなかったですね。私もその患者さんには、少し成長した自分を見せないといけないと思いながら、声かけの仕方やトーンに気を付けたり、動作をおしとやかにしてみたり、病棟にある鏡で自分の顔をみて「あ、ちょっと眉間にしわ寄っているな」といろいろ気にしたりはしたんですけど……。

白石:
すぐ行動に移したんですね。だけど、一時的には直るかもしれなくても、ずっとは難しくないですか。

おねいさん:
それが5年目の出来事だったので、転職して辞めることがわかっていたので、それで保てていた部分はあったかもしれないです。でも、本当に返す言葉もないぐらい、自分の言動がひどかったと今でも思うので、やっぱりそこは直さなきゃいけないと。余談ですけど、当時付き合っていた今の主人にも「けっこうガサツだよね」と言われていて、日常的に自分はそういう部分があるんだなと思い、直そうと思いました。

どう関わっていったらいいか考えるところから、最後までやりきれてよかった

白石:
先ほど、いい話のエピソードも思いついたと話していましたけど、それはどんな話ですか。

おねいさん:
そうですね、ありきたりかもしれないですけど、「本当に〇〇さんが担当の看護師さんでよかった」と言われたことです。患者さんがお亡くなりになられて、少し経ったころにご家族がわざわざ病棟に来られてその言葉をかけてくれました。患者さんが私の両親と同じくらいで、一番上の子どもさんが私と同年代だったんです。私が看護師2~3年目から5年目くらいまでプライマリーとして担当していて。いよいよもう治療もできなくなってきたころに、家族へのサポートをより進めていこうと思ったんです。だけど、家族が面会にも来られない状況で、なかなか難しいケースでした。

白石:
そうだったんですね……。

おねいさん:
そこで、ケアについて指導できるのは子どもさんだとなったときに、同年代の子に家族へのケアで陰洗や経管栄養のやり方を教えなくちゃいけない。子どもさんの気持ちを汲み取りながらサポートしていきました。それで一度家に帰ることもできたんです。それから、本当にもう最期の段階となるときに、家族の受け止めができていなくて、何度も家族と話をして、「本当に最期の時間だから」と、いろいろ介入をして最期は家族に見守られながら亡くなったんです。家族からは「抗がん剤の治療ができるから、まさか亡くなるとは思っていなくて。家に帰る選択肢も家で介護ができるとも知らなかった」「全部そこを教えてくれて、サポートしてくれたのが〇〇さんだった」と、すごく感謝されました。私としても、時間外に家族との時間を作ってお話ししていたので、すごく記憶に残っています。

白石:
少し後付けかもしれないですけど、ちょうど病院を辞める前で、最期までかかわろうみたいな気持ちが無意識のなかにあったんでしょうか。

おねいさん:
いえ、私もどこかで「あと何年か……」と思っていたので、最期までとは考えてはいませんでした。だけど、自分にも置き換えて考えたんだと思います。自分の両親がそうなったら、やれることはやってあげたいという気持ちもあって。亡くなる少し前の段階から「どうかかわっていったら本当は一番いいんだろうか」とずっと考えていました。それで、このケースを症例発表としてまとめて書き上げたときに、ようやく自分のなかでも心の整理がついたというか、最期までケアにかかわることができて、こうして振り返りも含めて、ちゃんと最期までやりきれてよかったなという思いはあります。

白石:
そうして整理できたところがあったんですね。おねいさんのしんどい話もいい話も、どちらもすっと受け止められているところが印象的で、内省というか客観的に自分を見ることができているんだなと思いました。

自分と自分が大切にしているものを守る

白石:
それでは最後に、皆さんにお聞きしている質問です。「後輩の看護師に伝えたいことはなんですか」

おねいさん:
一番に思いついたのは、自分自身と自分が大切にしたいもの、または守りたいものは大切にしてねということです。

白石:
おねいさんにとって、どういう自分を大切にしたいのか、自分の大切にしたいものはどんなものなのでしょうか。

おねいさん:
病棟で働いていたときには、やっぱり自分の優先順位をかなり下げていたと思います。体調不良があっても夜勤専従をやりながら何が何でも働いていたし、夜勤専従だと結局休みの日も睡眠で時間が削られて、友達とも会えないのでプライベートも悪循環に入っていって……。だけど、看護師の仕事って身体が資本なので、これは守らなきゃいけないと常々思っています。あとは、病棟時代はお金が大事だとずっと思っていたんですけど、結婚してみると家族が一番大事だなとなって、今は家族が守れる働き方をしたいなと思っています。

白石:
お金ももちろん大事だとは思うんですけど、それよりも家族が大事だと変わったんですね。

おねいさん:
そうですね。お金が大事だと思っていたときは、何も目的なく貯金していたんですけど、それよりも、自分の気持ちとか自分が大切にしたいことをちゃんとやれるんだったら、そこそこ稼げればいいなという考えに変わりました。実は、治験業界に転職してから、ちょっとだけ休職していた時期があるんです。それは仕事がしんどくなってしまったからなんですけど、でもすぐに自分で気づいて、「自分を守ろう」「これはもう休もう」と思い、自分から上司に一斉メールを送って休みました。休むとお金とか立場とかいろいろあるんですけど、それはどうとでもなるからと思って。

白石:
しんどくなってずるずると休職したのではなくて、自分で気づいて自分で休むことを選択したんですか。

おねいさん:
そうです。私の場合は、急に涙が止まらなくなって、旦那や両親も心配してしまうぐらいにはけっこう不安定な状態になってしまったので。それは原因が明らかで、会社の仕事のことだとわかっていたので、一度離れたいと思って休みました。だけど、診断書をもらったときには3か月の休養が必要と言われていたのに、2週間休んだら驚くほど元気になって、もう戻れるなと思って主治医や職場と相談して戻りました。今考えると、もちろん職場にも迷惑をかけたとは思うんですけど、あのとき自分が休むことを選択をしてよかったなと思います。あれから休んだことで、組織体制を変えてくれて、今はすごく働きやすくなったので。看護師って、やっぱり職場のスタッフのことや患者さんのことを考えて休めないとか、転職や退職ができないこともあると思うんです。それでも、「自分が一番だよ」ということは、とにかく伝えたいですね。

白石:
自分と自分の周りの人たちを大切にというのは、なにかこれといったきっかけがあったんですか。

おねいさん:
一番は旦那に出会ったことが大きいですね。病棟時代から当たり前に残業代が出ないことや病棟の理不尽なルールに対して、「その状態はおかしいよ」と意見を言ってくれていました。それで、客観的にみられるようになり始めたのはありますね。あとは、やっぱり自分の具合が悪いと、他の人にも優しくできないので、家族にも冷たくしちゃうこともあって、そういうところでまずは自分が大事だなと思いました。

白石:
ありがとうございます。最後の上司に休みますとメールを送ったエピソードはかなり驚いたんですけど、それは新しい世界をみたいと行動して、旦那さんと出会って客観的に自分をみられるようになったり、自分と向き合って振り返ることをしていたり、そういうところでいろいろつながってきているなと思いました。なんか、めちゃくちゃインタビューの締めとして、スカッとした気持ちになったというか、おねいさんらしさを感じました。

おねいさん:
よかったです。ありがとうございました!

インタビュアー・白石弓夏さんの著書



Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~

Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~
私もエールをもらった10人のストーリー


今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。 さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。

目次


◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏

発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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