ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。

ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。



ゲスト:シーサー
沖縄出身。看護学校を1年留年し4年で卒業後、3年間飲食店のフリーターとして過ごし、精神科の病院に就職。10年ほど勤務した後にダンススクールを開き、非常勤で看護大学教員、看護系メディアの企画部や精神科訪問看護師として働く。現在はダンススクールと大学非常勤、訪問看護広報・研修担当などをしながら、趣味で狩猟や畑をやっている。

インタビュアー:白石弓夏
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。

すぐに看護師としては働かなかった、自分で期間を決めて時間をつくる

白石:
こんにちは。シーサーさん、Zoom画面でも髪型のインパクトがすごいですね(笑)。よろしくお願いします。さっそくなんですが、シーサーさんのご経歴からいろいろとお聞きしたいです。まず看護学校を1年留年して、4年で卒業した時期にはどんなことがあったんでしょうか。

シーサー:
一部の看護学校の先生と病棟の指導者に嫌気がさした……というのが正直なところです。私自身にも問題はあったと思いますが、はじめて「こんな大人がいるんだ」と驚いたくらいで。他にも仲良くしていた友人が先生に「看護師に向いていない」と言われて辞めていったのもあり、そうした理不尽によってけっこうストレスは溜まっていたと思います。くわえて当時は沖縄出身の大学生が集まる寮に住んでいたのですが、そこで他の大学に通う友人たちとの学生生活の違いに大きな衝撃があったんですよね。それからだんだんと嫌になってきてしまって、かといって学校を辞める勇気もなく。1年間は遊び倒すと決めて学校に行かないと宣言して留年しました。

白石:
そんなことがあったんですね。それで、1年間はどのようなことを考えて、なにか吹っ切れるものがあって、学校に戻ったのでしょうか。

シーサー:
基本的に必要な単位はほぼ取っていたので、1年間はほとんど授業がなかったんですよね。なので、寮のみんなと自転車で日本縦断したり、毎週飲んだりして、本当に言葉どおりに遊び倒していました。寮には、東京大学や早稲田、慶應など高学歴な人たちが多くて、卒業したらこういう仕事に就きたいとか、こういうことがしたいというのが明確にある人たちだったんです。彼らの話を聞いていてすごく羨ましい気持ちと、純粋に楽しそうだなという気持ちとあって。

当時、私はダンスをやりはじめたころで、もっと踊りたいという気持ちを強く刺激されていました。留年することにうしろめたさはあったんですけど、友人たちが「別に留年はおかしくないし、やりたいことをやればいい」と言ってくれたのもあって、いろいろと吹っ切れました。その1年を経て、学校に戻って国試も合格して無事卒業した形ですね。

白石:
なるほど。それですぐに看護師として就職はせず、飲食店で3年バイトしていたというのは、どのような心境からですか。

シーサー:
いずれは看護師として働くんだろうなとは思っていました。それ以外の選択肢は思い浮かばなかったです。でも、このまま看護師になったら、自分が苦手だった学校の先生や指導者みたいな嫌な人間になるんじゃないかという懸念が出てきたんです。なので、もうちょっと普通の世界といったらなんですが、看護師の世界に染まりすぎないように生きていきたいなという気持ちがあって……。不安がまったくなかったわけじゃないけど、自分の気持ちにはあらがえずフリーターになりました。

ただ、あまり看護師から離れすぎても、せっかく勉強したことを忘れてしまうと思ったので、3年だけと決めていました。あとは当時近所の大学のダンスサークルに入っていて、彼らと一緒に卒業したいという気持ちもありました。その3年間は看護に関することには一切触れず、飲食店のバイトなど最低限生活できるだけ稼いで、ずっとダンスに費やしていましたね。

心理的安全性を保って働けるところがいいと、時間をかけて情報収集

白石:
その後、精神科の病院に就職して長らく働かれていたわけですが、なぜ精神科だったのか、その病院の決め手とは。

シーサー:
特別、精神科で探していたわけではなくて、人間関係を重視していたんですよね。理由としては、どこの病院に行っても忙しいのはもう免れないと思っていたので。今でいえば心理的安全性を保って働けるところがいいなと。特に人間関係にストレスを感じやすいタイプだったので、そこを重視していました。だから、看護学校の先輩や後輩、同期とは定期的に連絡をとって、病院の雰囲気を詳しく教えてくれと本当に時間をかけて情報収集していきましたね。

そのなかで、2カ所に病院を絞って見学に行きました。結果的に就職した精神科病院では、そこにいたスタッフや師長さんとかが各病棟を回るごとに顔を出して挨拶してくれて、「あなたここで働きたいの?」「いいじゃない、若いわね~いくつなの」っておばちゃんのノリで話しかけてくるんですよ。周りのスタッフもリラックスしていて、ここだったらいいかなという感じで。

白石:
すごい、病院の雰囲気を肌で感じていったんですね。

シーサー:
そうですね。それで、見学が終わったあとに、看護部長室に行ったら男性の看護部長さんで。いきなり私の背中のサイズを測り出して「サイズ、XLでいいか」って、それでもう合格みたいな話になって。「一応他の病院も見たいんで……」と言って保留にしてもらったんですけど、結局次を探すのが面倒になってしまって、1週間も経たないうちに「ここで働かせてください」って電話しましたね(笑)。

白石:
そんなとんとん拍子で進むことあるんですね(笑)。人間関係って、転職のときに気にする人が多いと思うんですけど、シーサーさんは、特にどういうことに注意していたんですか。

シーサー:
当時は雰囲気だけ見て、正直そこまで細かくは考えていなかったですね。要はいい人さえそろっていればくらいに思っていました。だけど、今この歳になると、そもそも関係性を作るのは自分次第だよねというのは前提にありますね。

白石:
その自分次第っていうのは。

シーサー:
これは今の話にはなりますけど、基本的に最初に関係性をしっかり築いていくことが大事だと思いますね。たとえば転職先でまだ良好な関係性ができていないのに、「これ間違っている」「前の職場ではこうだった」などと指摘しても、そりゃ受け入れてもらえないよねと思うので。関係性を築くためには、まずは相手をよく知ることと、自分はこういう人間ですよというのはちゃんと出していくように並行していきますね。

なので私はプライベートなことはある程度話しますね。「昨日こんなことがあって、趣味のダンスでこんな人がいて」みたいな。病院以外で自分が他人とどういうやりとりをしているのか、どんな趣味があるのか。プライベートなことって情報量が多いですからね。この人は外ではこういう風にふるまうんだとか、意外にもこういう一面があるんだというのは示せるんです。雑談を通して自分を少しずつ出すようにしています。相手を知るためにといっても、質問ばかりしていると尋問っぽくなってしまう。でも、自分のことを話せば自然と相手も話してくれますから。そこは意識していることかもしれませんね。

どこかで感じていた、なんで死ぬ必要があったんだろう

白石:
シーサーさんは精神科で10年ほど働いて、そこからダンススクールを開いて、大学教員など働き方が大きく変わったタイミングがありますが、その時期はどのようなことを考えていたんですか。

シーサー:
病院で10年近く働いている間に患者さんの自殺を数回経験しました。精神科では珍しくはないのですが、そのほとんどがよく顔を知っている患者さんでした。精神疾患は慢性疾患でもあるので外来や入退院で何度も顔を合わせることもあり、自然と患者さんとの付き合いも長くなるんですよね。当時は自殺に対して表向きはあまりなにも感じていないように振る舞っていたかもしれません。でも、どこかでなんで死ぬ必要があったんだろうかというのはすごく感じていました。病気にならなければ自殺しなかったのかって。精神科に来る患者さんって生育歴が壮絶な人も多い。でもそれって病院に来た時点ではどうにもならないですよね。この人の親がちゃんとしていれば、いじめを受けていなければ……健康に生きていた世界線があるんじゃないかって、そんなことをずっと感じていました。

そんななか、ダンススクールをやっている後輩がいて、すごく教えるのがうまい先生でもあったんですね。彼が教えるキッズチームはいくつも賞を取るので、それでなんでそんなに教え方がうまいのか聞いたことがあったんです。そうしたら、彼はいわゆる教育虐待を受けていたと話してくれました。「だから大人にはこう接してほしいという子どもの気持ちがわかる」と。虐待を受けていたのに、今は普通に社会で活躍している。彼と精神科に来る患者さんとの差ってなんだろう、と彼に疑問をぶつけてみたんです。

すると、「当時通っていた習い事にいた大人たちが自分をすごくかわいがってくれた。親以外の大人がいてくれたから変な方向に進まなくて済んだのかもしれない」と話してくれて、「これだ!」と思ったんですよ。私もダンスを通して、地域の子どものなかで家族以外の大人みたいなポジションになれば、なにか変わってくるんじゃないかって。そこにすごく興味が湧いてきて病院は辞めました。

白石:
そうだったんですね。それはだいぶイメージが変わりました。地域のなかで親以外の大人と接する機会、場所を作るためだったんですね。

シーサー:
そうですね。たとえば不登校の子がいたとします。学校には行けなくてもレッスンに来ている。そんなときは同じ学校の同級生の隣で踊るように位置を調整したり、あえて振り付けを向かい合ってハイタッチするものにしてコミュニケーション機会をつくったり、ある程度子どもたちが仲良くなれるような環境を作ります。「学校行ったほうがいいよ」とは絶対に言わないですね。子どもたちは負い目を感じていることもあるので、なるべくレッスンではそれを感じさせないように気を付けたこともありました。他にも同じ保育園から違う小学校に上がって別々になっちゃった子同士、週に1回はレッスンで会えるので、ワイワイ踊って帰るという場所を提供しているというのは、意味があることだろうなと思っています。

白石:
少し話は戻りますが、シーサーさんは将来看護師として働くイメージがずっとあったとお話しされていましたが、なぜ看護師の仕事と思われたんですか。

シーサー:
僕はいわゆる就職氷河期の世代なんで、資格さえあれば食いっぱぐれないと思ったからです。父親はサラリーマンで、朝7時に家を出て夜の22時くらいに帰ってくる姿を見ていたのですが、自分にはサラリーマンは無理だなと。たまたま高校生向けに書かれた職業事典を読んだときに看護師のページがあって、最後の行に「少ないけど男性もいる」と書いてあったんです。当時、好きだった子が看護学校を受験するという噂も聞いていたので、じゃあ……と僕を動かしてくれましたね(笑)。その子は落ちてしまいましたが。なので看護師の資格は単純に食っていくためのツールでしかなかったです。それは今でもそんなに変わっていません。すごく情熱があったわけではなく、割り切ってやろうって感じでした。

白石:
なるほど。看護師の資格は食っていくためのツール、でも結局は精神科で働いて、今の活動にもつながっていて、ツールとしながらもシーサーさんの軸の部分になっている感じがしますね。

シーサー:
わらしべ長者みたいなもんですよね。

相手がなにに苦労していて、どういう助けがほしいのか、相手の背景を理解する

白石:
それでは、質問のカードを準備したので、こちらから選んでください。

シーサー:
じゃあ今持っているところから3番目で。

白石:
昨日1日どんなふうに過ごしましたか」です。気になる。

シーサー:
昨日……一昨日はずっとスーパー銭湯にいて『BLEACH』を読んでいたんですけど(笑)、昨日は朝起きて訪問看護の仕事で研修のスケジュール調整をして、その後は執筆の仕事で原稿を見直して、午後はこのメディカLIBRARYのナース100人インタビューの記事を読んでいました。みんなどんなことしゃべっているんだろうと思って。読み進めているうちに、だんだん不安になってきて、私が出て大丈夫なのかなって弓夏さんに夜連絡するっていう(笑)。それで、夕方はダンスレッスンを2時間ほどやって、帰ってきてから、また記事の続きを読んで寝ました。

白石:
けっこう盛りだくさんですね。わりと1日にいろんな仕事をしている感じですか。

シーサー:
そうです。ダンス関係の仕事をしているか、訪問看護の仕事をやっています。

白石:
訪問看護の広報や研修の仕事って、どんなことをしているんですか。元々シーサーさんが得意としてやっていたというよりは、訪問看護の会社から相談されてできることをやっていったという流れなんでしょうか。

シーサー:
おもに訪問看護の法定研修と教育担当をしています。法定研修とは、訪問看護ステーションの運営基準で決められた研修を実施することが定められており、虐待防止やハラスメントなどがそれにあたります。新人や中堅向けの研修も担当しています。たまに精神疾患のケースの相談を受けることもあります。

元々今の訪問看護の取締役や管理者とはイベントやSNSを通してつながりがあったんです。そして沖縄にもステーションがあるんですが、私の祖母を実家で看取るとなったときに、たまたま今の訪看が入ってくれることになったんです。最終的にその管理者の看護師さんが訪問してくれたときに息を引き取ったんです。親戚一同集まってみんなでワイワイしながらエンゼルケアして、悲観的な感じはなくすごく穏やかな時間を過ごせました。こんな最期ってあるんだなと。

それからしばらくして、この訪問看護の会社で広報のお手伝いを募集しているのを知りました。恩も感じていたし、ちょうど働き方を変えたい、挑戦したいというタイミングだったので連絡してみたんです。取締役の方と相談していくうちに研修や教育もお願いしたいという話になり引き受けることになりました。

白石:
すごいつながりですね。しかもそれって精神科での経験もめちゃくちゃ活きているってことですよね。たとえば、広報や研修をするなかで、精神科の対人スキルがベースになっていて役立つところってどんなところがあるんですか。

シーサー:
相手がなにに苦労していて、なにに困っているのか、どういう助けがほしいのか、みたいなところは常に考えていると思います。相手の行動や言葉、その背景にあるものも考えますね。そうすると見えるものが違ってくる。これは精神科で培われたものですが、研修や教育など人に教える仕事に役立っていると思います。精神科看護のスキルって汎用性が高いんですよね。あとはダンス経験も仕事に活きています。「研修うまいね」と言ってもらえるのですが、今まで研修なんてやったことはないんです。ただ、ダンスって客席の人たちからどう見えているかをすごく意識するので、しゃべり方や進め方、流れの作り方みたいなのはダンスの経験が活きていますね。

白石:
なるほど。シーサーさんにとって精神科の10年って振り返ってみてどう感じますか。

シーサー:
今の自分のすべてにつながる経験をさせてもらえました。歳を重ねるごとに得られたスキル・経験、いわば手持ちのカードからその都度キャリアの決断を重ねてきただけかもしれませんが。この10年で大きく変わったのは、自分を客観視したり内省できるようになったことでしょうか。まだまだ甘いところでもありますが。でもそのおかげで他者理解にも意識を向けられるようになったと思います。臨床では「患者さんとのかかわりはこれでよかったのか」と考えることが多くあったんです。それに精神科では数十年以上病院とかかわっている患者さんも多くいます。患者さんのことを知るために古いカルテを読み漁ったりもしました。カルテのなかに「あ、こんな過去があったんだ」と知ることで患者さんのイメージが変わる。すると自分の感情も変化するんです。知ることで変わるっていうこの経験が、今やっている教育という仕事を支えてくれていると思います。

最適解は自分で探していくしかない

白石:
それでは最後の質問にいきます。「あなたが後輩の看護師に伝えたいことはなんですか」です。

シーサー:
語弊があるかもしれませんが、実習指導でよく学生に伝えているのが「真っ先に守るべきものは自分自身だよ」ということです。「自分が健康じゃないと患者さんは守れないよ」という話とほぼ同義ですが。難しいですよね。ちょっと思ったことバーッと話してもいいですか。

白石:
いいですよ。

シーサー:
ちょっとまとまりなくなっちゃうかもしれないですけど、看護師の資格って僕はツールだと思っているんです。生きていく、生活していくためのツール。別にそれを一切使わないという選択肢もあれば、看護師として培った臨床経験を使ってまったく別のことをするのもありだと思います。働いているなかで自分をすり減らし心身を壊す人をたくさん見てきたせいかもしれません。そもそも自分がつぶれるまでやるべき仕事なんてないと思っています。だから自分自身を守る。それが最終的には誰かの役に立つことにもつながる。でも、看護師という自分の仕事にすごく情熱を持っている人も多い。それってすごくかっこいいなとも思っています。私にはできなかったことなので。看護って、原始的で普遍的で、誰もが持っていて、本能的な部分もあると思うんですけど、私はそれに縛られすぎたくないなというのもあって、なので……そうですね、そうか、自分を守るための最適解は自分で探していくしかないってことですかね。

白石:
シーサーさんにとっての最適解とは。

シーサー:
自分1人でもやっていける力をつけながら仲間とも協力していく、ですかね。これが私なりの自分を守るための最適解です。世の中はめまぐるしく変わっていきますが、そうすることで適応していけると考えています。いままで周りの人との縁でなんとかやってこられました。でも、もしひとりになったときに余計な不安は抱えたくない。狩猟とか畑とかに興味を持ったのもそのせいかもしれません。「自立すること、同時にまわりともうまくやっていけることで自分にとって安心できる世界を作れる」と考えています。そのためにも自分自身をちゃんと知ること。それは他人の目を借りたり、意見を参考にしながら自分自身を精査していく作業の繰り返しですね。

白石:
その他人の目も借りながらというのは具体的に、どんな風にしていったんでしょうか。

シーサー:
なんだろう。たとえば、うまく言語化できないもの、自分の直感が正しいのか否かをたしかめたい、相談したいときには「これどう思う?」ではなく、「こう考えている私はあなたからはどう見える?」みたいな聞き方はしますかね。そうすると、相手も変に気を使わず率直な意見をくれやすい。相手から「いやそれ間違ってるよ」と言われて考えを改めることもあれば、ブレないこともある。ブレなければその直感はたぶん正しいと思うんです。私自身、あらがえない気持ちは大事にしているし、たとえその直感で失敗したとしても、それは必要な学びだったのかなって。

白石:
その聞き方は面白いですね。人の目を気にするのと、人からどう見えるかは違いますもんね。

シーサー:
そうですね。すこし話は変わるかもしれませんが最近20~30代のメンバーを中心に構成されたダンス作品に出演する機会があったんです。40代のおじさんが1人混じるわけで、周りはすごく気を使うだろうなと。なので彼、彼女たちとかかわるなかで「周りにいる40代くらいの人ってどんな感じの人たちなの?」とあえて聞いたりしました。それについてネガティブな話が出たんですが「もし私が同じようなことをやらかしたら躊躇なくつっこんで」と、自分から伝えていましたね。これも「自分を知るために人の目を借りる」のひとつだと思うし、仲間と協力していくことだと思うんです。なんだろう、自分をよく見せたいというより、まずは害がない人に見られるほうが重要かなと思っているので。ちょっと緊張感はありますが、あえて若手の中に入っていくことで違う世代の価値観や、自分自身を精査するいい機会だととらえています。

白石:
はぁ……その感覚は、ぜひ私も見習いたいです。シーサーさんの話はすごく新鮮なことばかりでした。今日はありがとうございました!

インタビュアー・白石弓夏さんの著書



Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~

Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~
私もエールをもらった10人のストーリー


今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。 さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。

目次


◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏

発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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