ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。
ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。
地元の療養型病院で3年勤務。その後上京、糖尿病や透析の病院に転職して2年勤務。訪問看護ステーションでの勤務を挟んで、現在は住宅型のホスピスで働いて2年経つ。
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。
馴染めなかった地元の病院、コミュニティの壁に直面
白石:
Misatoちゃん、お久しぶりです!以前コロナ禍前に看護師のイベントで会って以来ですね。当時Misatoちゃんは看護師2~3年目くらいで。4年目のときに上京してきてからは、コロナ禍もあっていろいろと生活が変わったかと思うんですが、これまでどんなところで働いていたのかお聞きしていいですか。
Misato:
お久ぶりです。新卒で慢性期や地域包括ケア、療養病棟とあるような地域密着型の病院に就職し、消化器疾患の患者さんが多い病棟で、奨学金を返すまで3年間働いていました。その病院を辞めたのは、地方ならではの理由かもしれません。学生時代から寮生活している人が大半で、コミュニティができあがった状態だったんです。実家通いの私には、なんとなくどこか馴染めなさ感がありました。しかも、学生のころから糖尿病や透析に関する患者さんの看護がしたいと思っていたんですけど、その病院では透析の患者さんはいなくて、専門的にかかわるとしたら県内の大きな病院しかない。そうした人間関係や自分が集中的に学びたいことの悩みもあって、思い切って家を出て東京に出てきました。名古屋や大阪・京都など東京以外の都市部への引っ越しはあまり頭になかったですね。
それで、なんとか東京で糖尿病や透析のある病院で働けるようになったんですけど、コロナ禍もあってコロナ病棟のレッドゾーンや整形外科病棟に配属が変わったり、面会制限もあるなかで終末期にある患者さん、ご家族と十分にお別れができない状況が続いたりしていて。そこにジレンマを感じるようになって、終末期医療を専門的にやりたいと思い、転職を考えました。
白石:
それで訪問看護ステーションに転職したんですね。
Misato:
そうなんです。だけど、利用者さんのところに訪問して、相手のフィールドで自分がひとり、そこにあるもので対処しなければいけない状況で私はなにができるんだろうかと、自分の知識不足というか、すごく自信をなくしてしまいまして。同時期に入職した同い年の看護師さんがめちゃくちゃ仕事ができる人だったことや、職場も人数が多いわりには忙しくて誰もステーションにいなくて相談もできない……という状況もあって、数カ月でうつ状態になり休職をしたんです。結果そのまま辞めることになったんですが、落ち着いてからはコロナの療養ホテルで徐々に復帰していって、看護師5年目の秋から住宅型のホスピスで働くようになって今に至ります。
白石:
地方ならではの事情や、コロナ禍で気づかされたことなどさまざまな出来事があったんですね。地元で働いているときに、馴染めなかったという話がありましたが、これはとくにどういう場面でそう感じたんでしょうか。
Misato:
寮の子が多かったので、みんな行き帰りが同じところなんですよね。だから、学校や仕事終わりに急遽ごはんに誘われても、「もう家で夜ご飯を準備してもらっているからなぁ」という気持ちもあり、断るとノリが悪いと思われてしまったりして、なんとなくそうしたことから壁ができてしまったのかなと思います。就職してからはそれがはっきりとしてきて、最初の1~2週間で目の敵にされたようなこともありました。私自身も人見知りで、積極的に人に話しかけにいくことが苦手で、もうどうしようどうしようって全然喋れなくて、コミュニケーションをとるのが怖いと感じたこともあります。仕事中でも患者さんや業務に関することよりも、プライベートな雑談とかが多くて、その空気感が昔から苦手でしたね。
東京での新生活、同世代の仲間に支えられた日々
白石:
その空気感って、東京に来てからはなにか変わったとか、違いみたいなものってあったんですか。
Misato:
こっちに来て最初は、いい意味で人に無関心だなと思いましたね。スタッフ間も仲良しすぎずさっぱりした感じで、プライベートで遊びに行くこともあるけど、別にそうじゃない人もいたし、仕事が終わったら「はい、さようなら~」って気さくな雰囲気が私にはよかったです。
白石:
なるほど。ちなみに、名古屋や大阪、京都という選択肢はなかったとありましたけど、なんで東京だったんですか。
Misato:
ちょうど親からもそろそろ家を出たらと言われていて、どうせなら実家から数十分とか1時間とかですぐには帰れない距離にしたほうが、自分も甘えないでいいかなと思ったんです。東京なら新幹線で2時間くらいあれば帰れるんで、なにかあったときにはパッと帰れるという交通手段を残しつつ、でも頑張らないと帰れないというところで、ちょうどいいなと思っています。
白石:
上京してきたタイミングって、はじめての一人暮らしやはじめての土地、はじめての病院で、しかもコロナ禍で……と、大変なことも多かったと思うんですけど、とくに最初はなにが大変でしたか。
Misato:
大変なこと、たしかにお店は空いてないし、実家からも帰ってくるなと言われていたし……。あぁ、やっぱり慢性期とか療養型の病院から一気に急性期の病院に行ったので、そのスピード感についていけなかったのはありましたね。癖のある患者さんも多かったですから。そのなかでも、同僚にはすごく恵まれました。同世代の同僚がフランクにかかわってくれて、病院自体も若いスタッフが多かったなかで、師長さんがしっかりまとめてくれていたんですよね。
白石:
そのスピード感っていうのは、たとえばどんなところの。
Misato:
なんでしょう、朝とか透析・オペ出しからはじまるんですけど、一気にこんな人数が出るのかってまず驚きましたね。療養型病院のときには透析・オペ出しみたいなものはなかったので。透析といっても、導入期でバスキャス(バスキュラーアクセス)を緊急で挿入したり、シャント造設したばかりの患者さんだったり。糖尿病のコントロール不良、ネフローゼ症候群・腎不全・心不全で治療中の患者さんとか急性期から慢性期、維持期まで本当にさまざまでした。初めて透析の方とかかわった時期でしたし、自分の知識もまだまだだったので、目まぐるしく大変でしたね。
白石:
ちなみに、糖尿病や透析とかに興味があったのって、なにか理由があるんですか。
Misato:
専門学校のときの腎臓の授業を教えに来てくれた医師がめちゃくちゃ面白くて、それで腎臓が好きになったんですよね。すごくフランクな先生で、臓器をキャラクター化するのが上手で、「腎臓ってそら豆みたいなかわいい形をして、めちゃくちゃ働き者なんだな~」って、なんだか尊く思えて……。そこから糖尿病とか興味を持って勉強していって。就職してからも看護協会の関連研修があったんですけど、去年先輩が行ったからってなかなか希望を出しても参加できない状況があったんです。それも最初の病院を辞めた理由のひとつだったんですけどね。
終の棲家としてのホスピス、多様なニーズに応える看護
白石:
今は住宅型のホスピスということですけど、病院のホスピスとはまた違って、病院と自宅の間のような役割をもっている施設なんでしょうか。普段はどんな風に働いているんですか。
Misato:
そうですね。施設内訪問看護ステーション、兼有料老人ホームのスタッフという形で働いています。基本的には1日の訪問スケジュールが組まれていて、その時間にホスピス内の入居者さんのところに訪問したり、有料老人ホームの枠では、ナースコール対応や食事介助、排泄介助などの生活支援も行ったりすることがあります。ホスピスとはいっても、呼吸器をつけている患者さんや気管切開、胃ろう、経鼻栄養、麻薬など疼痛コントロールでポンプを使用している方などもいます。主にがんの方が多いですが、ほかにもALSやパーキンソン病など難病の方も入居されていますね。
白石:
ホスピスというと、もうそこで亡くなる方が大半だとは思うんですけど、自分自身のメンタルも一緒につられてしまうということはないんですか。
Misato:
学生時代から親族で亡くなる人がいて自分が遺族側になることも多かったので、最期こうしてあげたかったと後悔する部分があるからか、寂しいとかそういう気持ちはありながらも気持ちがつられてしまうということはあまりないかもしれません。本人とご家族と一緒に経過をみてかかわっているので、急な衝撃はあまりないですね。本人や家族、スタッフと同じ方向に向かって、苦痛をとりながら自分らしく一緒に過ごしていけるところで、そこにすごくやりがいを感じます。ホスピスは終の棲家なので、もちろん全身状態や嚥下機能などを観察しながらですけど、お酒や好きなものを食べたりしてもいいですし、そのあたりはかなり自由に過ごされていると思いますね。
ただ、病院とは違って、本当にいろんな方がいます。本人に病状がきちんと告知されていない状況で来られる方も少なくありません。急性期の病院で病状告知やその後の生活を踏まえて、きっちり意思決定支援を行った状態で入居される方ばかりではないので、本人に衝撃を与えないように、徐々に話をすり合わせていったり、往診医とご家族と相談しながらかかわったりする難しさもあります。そのなかでも、本人とご家族に伴走して、最期安らかに逝けるように見送りができたときに、私のなかでやりきったというか……ほっとするというか、本当によかったなという気持ちになります。
4つのC、夢をかなえる看護師の道しるべ
白石:
それでは質問のカードを引いてもらいましょう。
Misato:
あ、噂のカードですね。じゃあ左から3番目で。
白石:
「あなたがもっとも影響を受けた人は誰ですか」ですね。はじめて出たカードです。
Misato:
これは看護師としてですかね。
白石:
どちらでも。このカードを見て、パッと思い浮かんだ人がいれば。
Misato:
じゃあウォルト・ディズニーかな。
白石:
えぇ、なんでですか。
Misato:
The special secret of making dreams come true can be summarized in four C’s. They are Curiosity, Confidence, Courage, and Constancy.
夢をかなえる秘訣は、4つの「C」に集約される。
それは、「好奇心」「自信」「勇気」そして「継続」である。
これの英文を、LINEのトップ画面にも載せてあって。好奇心でいうと、看護師としての私の夢は、やりたいことをやる、やりたい分野につくっていうことは自分のやりがいにもつながると思うので。その好奇心がなくなって、なあなあに仕事をしていたら、なにも得るものがないような、吸収できなくなってしまうと。私が弓夏さんと出会うきっかけにもなった看護師のイベントのように、新しいところに飛び込んでこういう世界もあるんだ、こういう人たちがこんな風に働いているんだっていうのを、勇気を出して知ることはすごく大事だったなと思うんです。
それまでは地元の同調圧力のなかで苦しい思いをしていて、なおかつ自分のやりたいことがやれない状況にあってストレスを抱えていて。やっぱり生活の大部分を占める仕事を続けていくには、しんどかったんですよね。いろんな人と広く浅くとも関係性を築いていくことで、視野を広げられるきっかけになったなと。私は狭いコミュニティ内では苦しくなってしまうタイプだったんだと思いましたね。
白石:
なるほど。それでいつでも目につくところにこの言葉を載せているんですね。
Misato:
ちなみに、その前はチャップリンの言葉を載せていました。なにかのCM(※)で知った言葉なんですけど、「戦え!自由のために(Fight for Liberty!)」というものです。それはちょうど看護師3年目のころですね。今、戦っておかないと自由になれないんだと、戦わなくちゃいけない!っていう気持ちでいました。
※チャップリンの映画「独裁者」の演説シーン
白石:
へぇ、なんかいいですね。私はあまり名言とか座右の銘みたいなものがないので、うらやましいです。
今、Misatoちゃんはホスピスで2年働かれていて、今後こういうことに興味があるとかチャレンジしたいことってあるんですか。
Misato:
認定看護師とかはあまりピンと来ていないんですけど、終末期ケア専門士の勉強をして資格を持っているので、その上級資格とかレベルアップできるような資格は興味ありますね。ELNEC-Jコアカリキュラムとか自主的に調べて講習を受けに行っています。同じホスピスでも病院はどんな感じなんだろうとも思いますけど、人気もあってなかなか中途採用ですぐに配属にはならないと思うので、現時点でどこか移るというのは考えていないですね。多死社会のなかでホスピスのような終末期医療の需要は高まっていくと思うので、とりあえず今のところで知見を得ようかなと思っています。
白石:
いろいろ資格の勉強もされているんですね。
Misato:
あとは、今の職場はわりと若いスタッフもいるので、終末期ではこういう薬剤を使って調整していくんだよ~とか、こういうアセスメントのスコアがあるから評価していこうね~っていう話を自分自身も勉強しつつ、発信できるようにしています。ホスピスには往診の先生も来ますけど、すぐに相談できる環境ではないんですよね。ただ往診の先生の後ろについていくだけではなく、今入居者さんがこういう嚥下状態で内服が難しいので、貼付剤に変更できますかとか、こういう症状が出てきているので、○○をはじめるタイミングどうでしょうかと予測して提案・相談することが必要だと思っていて。
さらにそれは、なんでも報告すればいいわけじゃなくて、その人の生活背景とかも含めての提案・相談が大事なんですよね。でも、そもそも知識や経験がないと提案や相談ができないですから。先生が次に来る再来週までどうするのっていう状況も少なくありません。会社の研修を含めて自分たちでも資料を集めながら職場で情報共有していったり、呼吸器や麻薬用のポンプとかあまりやったことがない手技については、知っている人がお互いに教えあったりできるようにしています。
苦しい新人時代を乗り越えて、楽しく働ける日は必ず来る
白石:
すごいですね……Misatoちゃんって今看護師5~6年目くらいでしたっけ。
Misato:
いや、今年で8年目になりました。
白石:
すっ…え!まじで。もうそんな経ったんですか、いつの間に(笑)。
じゃあそんなMisatoちゃんから、後輩の看護師に最後伝えたいことをお願いします。
Misato:
そうですねぇ。思っているよりも、看護のかかわれる部分は狭くないんだよっていうのは言いたいことですね。生まれる前の母体とか胎児の段階から、それこそ今かかわっているような高齢者、最期亡くなるところも看護の関われる部分だと思っているので。私みたいに苦しい思いをして新人時代を過ごした人も、楽しく働ける日が必ず来ると思います。
白石:
看護の対象者の幅が広いにしても、まさか胎児や母体から話が出るとは(笑)。
Misato:
不妊治療だったら、受精卵からになりますね。でも、本当に医療と切り離せないと思うんですよ、人の人生って。健康でも美容でもそうですけど、かかわる部分は必ずあるし、そうしたたくさん働く場所があるからこそ、自分の思う目標に向かって、今はこの経験が必要と考えたり、悩んだり……。自分が医療を受ける立場になったときに、こういう看護師さんがいたらいいなと思うイメージに向かって今を過ごしてもらえたら、きっといい看護師さんになるんじゃないかなって思います。
それこそ、昨年の6月に祖母と叔母をなくして、久しぶりに遺族の立場になって、いろいろと思うわけです。その人生を終えるときに、私のこの人生よかったなって思って死にたいという自分の死生観もあって。看護師としてもそういう風に思ってもらえるような最期に立ち会いたい。自分が頑張って取った免許、誇りをもって使ってもらいたいですよね。
白石:
看護師として働ける場所がいろいろあるという話は私もよくするんですけど、Misatoちゃんが話すとまた違った次元の印象になりますね。
Misato:
そうですか。ちょっと話が変わりますけど、私が新卒から3年間一番しんどいなかで思ったことはコミュニケーションがとれる人が一番強いってことです。人の話を聞けるとか、話せるとか、わからないことをわからないって言えるとか。外に目をやっていろんな人と出会って話をして吸収できて、知見を広げられる人が強いなって。
白石:
そう感じたなかで、Misatoちゃんなりに考えたこととか、やってみたことってなにかあるんですか。
Misato:
なんでしょう。とりあえずあきらめずに挨拶をするところからはじめましたね。「おはようございます」「今日もお願いします」と、すごく小さいことですけど、先輩に無視されようが私は挨拶したぞって。自分はここにいますよって。肩身の狭い思いをしながらも、挨拶は続けていましたね。あとは、東京に来てからは、いろんな人と話をして聞く、話すことをして、さらにアウトプットすることで自分のなかで腹落ちする感覚が大事だなと思いました。
白石:
自分はここにいますよって、挨拶は自分自身を認めることにもなるんですね。それによって周りの変化ってなにかあったんでしょうか。
Misato:
この子はこうやってちゃんと挨拶する子なんだっていうのは、印象に残ったと思います。だけど、嫌われた先輩は挨拶しても最後まで返事はこなかったですけど、でも辞めるときに看護部長にはっきりと言うことができましたね。「私は毎日挨拶していたけど、返してくれませんでした」って。仕事だから聞くことは聞かなきゃいけないし、報告しなきゃいけないこともあるじゃないですか。それを無視するんだったら、それでもいいけど私は報告しましたからねって。だから、周りが見ている場であえて報告したり、ある意味それが根拠にはなるのかなって。そうやって自分のなかでは納得しています。
家族の介護を見据えて自分で選んだ道
白石:
Misatoちゃんって、先ほどすごく人見知りで喋るのが苦手ってお話しされていましたけど、なんで看護師になろうと思ったんですか。
Misato:
そうなんですよ。本当に喋るのが苦手で、外に向いていかないでこのまま人生を終えてしまっていいのかという気持ちもあって。それを直したくて看護師になったっていうきっかけもあります。というのも、兄が脳性麻痺で車椅子を使用していて、誰かいないと生活できない状況でして。子どもながらに手に職をつけておかないと、将来絶対に困ると思ったんですよ。今後、両親と兄の介護が必要になってくると考えたときに、両親とも介護の仕事でケアマネとヘルパーをしているのもあって、じゃあ私は医療かなって。これは親とも相談しつつ、他にやりたいことがあれば、それに向かっていけばいいと思ったんですけど、だんだん自分の興味関心も医療のほうになってきて……って感じですね。
たぶん、これまでの経験で、こういう看護師にそばにいてほしかったなっていう姿に、将来自分がなりたいんだと思います。
インタビュアー・白石弓夏さんの著書

私もエールをもらった10人のストーリー
今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。
さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。
目次
◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏
発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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