ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。

ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。



ゲスト:眞榮和紘
大学卒業後、神戸市内の急性期病院(ICU・混合病棟)で6年間勤務。その後、訪問看護師として複数の訪問看護ステーションに従事し、管理者・所長業務を経験。前職・ソフィアメディ株式会社では、新規ステーション立ち上げ支援のほか、全国の保健所と連携したコロナ対応プロジェクトリーダーとして約300名の看護師を率いた。2024年1月、AMI株式会社に入社。心音図検査業務とカスタマーサクセス、人事採用を兼務する。

インタビュアー:白石弓夏
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。

看護師への道は、身近な人の病から始まった

白石:
今日はよろしくお願いします。まずはこれまでのご経歴について、現在の仕事に行き着くまでの流れを教えていただけますか。

眞榮:
2008年に看護学部を卒業して、最初は神戸の急性期病院のICUに配属になりました。その後、泌尿器科・糖尿病内科・循環器内科・腎臓内科の混合病棟へ異動して、計6年間、病棟看護師として働きました。プリセプターや学生指導の担当、ストーマのリンクナース、緩和ケアの委員会活動なども経験しながら、本当にいろんなことを経験させてもらった6年間でした。

その後、結婚を機に岐阜へ引っ越し、訪問看護師としてのキャリアをスタートさせました。それが30歳のときだったと記憶しています。そこから、小さな病院に併設した地域密着型のステーションから始まり、障害に特化したステーション、そして全国展開しているソフィアメディ株式会社へと3社を経験して。ソフィアメディではコロナ禍に全国の保健所と連携したプロジェクトにも携わりました。在宅看護専門看護師コースとして大学院にも進みましたが、これについてはちょっと「しくじり先生」的な経緯もあって……。

2024年1月には、循環器疾患の早期発見を目指すAI医療機器のスタートアップ、AMI株式会社に転職しました。今は心音図検査業務とカスタマーサクセス、それから人事採用も兼務しています。スタートアップなので一人でいくつもの役割を担いながら、という感じです。

白石:
しくじり先生の話も気になるところですが(笑)、まずは順を追ってお聞きしますね。新卒では希望されていた科への配属だったんですか?

眞榮:
そうですね。採用面接のときから心臓血管外科や循環器内科を第一・第二希望で出していました。看護師を志したそもそものきっかけが、祖父が循環器疾患で亡くなったことで。心筋梗塞が、自分が看護師を目指すきっかけをくれたので、まずは循環器領域で働きたいという思いがあったんです。

蓋を開けたらICUの配属で、その後の混合病棟も循環器内科が入っていたので、ある意味希望通りの配置転換でした。循環器内科や腎臓内科、糖尿病内科は在宅でも多くかかわる領域なので、学生のころから志していた訪問看護を見越して、意図的にそこで知識とスキルを身につけようとしていたんです。

白石:
30歳で訪問看護に移ったのは、どういった理由だったんでしょう?

眞榮:
これは笑い話なんですが、結婚がきっかけでした。妻は公務員の養護教諭で「仕事を辞めたくないから、あなたがこっちへ来て」と言われて、神戸を離れて岐阜へ引っ越したんです。僕は引き続き神戸の病院で働きたかったんですが(笑)。そのタイミングがちょうど30歳で、以前から志していた在宅医療に転じることにしました。当時はまだ新卒訪問看護というルートがほとんどなくて、病院で修行してから在宅へというのが一般的な流れでしたし、自分もその流れに乗った形でした。

「三者三様」それぞれの訪問看護が教えてくれたこと

白石:
訪問看護は3社経験されたんですよね。それぞれかなり毛色が違ったと思うんですが、どんな違いがありましたか?

眞榮:
本当に三者三様でした。1社目は岐阜市内にある小規模な病院に併設した訪問看護ステーションで、その病院を退院した患者さんが主な利用者さんでした。家族経営的な運営で、意思決定がステーションに降りてくるまでに病院全体の事情が大きく反映されることもあって。でも、訪問看護は1件行っていくらという究極の労働集約型のサービスなので、そこで初めて医療経営というものを意識するようになりました。地域のケアマネさんへの営業に行ったりするなど、病棟看護師としては考えたこともなかった視点が身についた場所でしたね。

2社目は打って変わって、障害に特化した訪問看護をうたっているステーションでした。筋ジストロフィーやALS、知的障害・精神疾患のある方々の訪問看護で、「障害を持っていても一人暮らしをしたい、ちゃんと働いて社会の一員として生きたい」という方々の自立をサポートするのが理念で、そこに声をかけてもらったときに、考え方にすごく共感しました。ミッションやビジョンがはっきりしていて、それに向かって自分たちのケアを組み立てていくという考え方を、そこで初めて学んだ気がします。30代に差し掛かって、ミッション・ビジョン・バリューって本当に大事だなということが自分の中に刺さりはじめていたころで。管理者も任せてもらって、マネジメントの経験もさせてもらいました。

白石:
3社目のソフィアメディはどういう思いで入られたんですか?

眞榮:
一ステーションの管理者として自分が価値を提供できる方々って、多くても150~200名ぐらいじゃないですか。規模感のある法人に行くと、もっと大きなレバレッジを効かせて貢献できると思って転職しました。

管理者として一番感じていたジレンマが、看護の質の標準化でした。採用して、訪問して、教育して……を全部一人でやっていると、どうしても質の維持が難しくなる。大きな法人であれば、全国のステーションが下振れしないような仕組みを本部機能としてつくれる。そこに貢献したいという思いが一つ大きくありました。

それともう一つ、どの職場でも共通して大事にしていることが「倫理的にちゃんとしているかどうか」なんです。法にのっとって、道徳的にちゃんとやっているところじゃないと、仕事を続けられない質(たち)なので。ソフィアメディも、その点で共感できるところがありました。

白石:
看護の質という話がありましたが、訪問看護は病院と違って「選んでもらう仕事」という側面もありますよね。そこはどう感じていましたか?

眞榮:
そこは病棟との一番大きな違いでした。病院では患者さんがこちらに来てくれる。でも訪問看護は、「あなたたちのステーションは嫌だから変えてほしい」と言われたら、変えられてしまう。利用者さんに選ばれる側でもあるし、ケアマネさんや病院からも選ばれる立場なんです。

自分が管理者をしていたとき、自分では全力でケアしているつもりでも全然ハマれない利用者さんがいたりして、本当に悔しかった。でも同時に、自分のケアを常に問い直すきっかけになりました。病棟では退院したら終わりで、自分の看護が患者さんにどう映っているかはなかなか見えにくい。訪問看護では、それが如実に返ってくる。だから必然的に振り返る習慣がついていったんだと思います。

白石:
訪問看護に興味がある読者の方も多いと思うんですが、3社を経験された眞榮さんから、入る前に知っておいてほしいことってありますか?

眞榮:
母体の違いで、働き方がかなり変わるということは伝えたいですね。病院併設なのか、専門特化なのか、企業立なのかによって、意思決定の仕組みも、利用者さんの層も、看護の色も全然違う。そこを知らずに入ってしまうと、ミスマッチが起きやすい。できれば入職前に半日でも同行させてもらって、スタッフの所作や雰囲気を実際に見るのが一番だと思います。管理者の雰囲気だって、バイタリティ溢れるスナックのママみたいなタイプが合う人もいれば、物静かだけど真面目で丁寧なタイプの下で働くほうが合う人もいる。自分がどういう環境で力を発揮できるかを、ちゃんと確かめてから飛び込んでほしいなと思います。

コロナ禍という「人生で一番働いた時期」

白石:
ソフィアメディでは、コロナ対応のプロジェクトという特殊な経験もされていたんですね。

眞榮:
入社してすぐコロナが猛威を振るいはじめて、社内でプロジェクトが立ち上がって声をかけてもらいました。全国の保健所と連携して、自宅待機中のコロナ陽性者の健康観察や訪問支援を行うプロジェクトで、最大で約300名の看護師と一緒に仕事をしていました。まさに「官民連携」という旗印を掲げながら、全国10か所ほどの保健所の保健師さんたちと連携して動いていたんです。

白石:
300名を束ねるというのは、相当大変だったと思うんですが。

眞榮:
コロナって波があるんですよね。第5波のような大きな波のときには大量採用してオンボーディングして、落ち着くと3分の1ぐらいの規模に縮小しなきゃいけないこともあって。採用も労務も運営の方針決定も、全部を一手に担っていたので、人生で一番働いた時期でした。もちろん防護服を着て陽性者のお家に訪問することもあって、本当に激動でした。

「やったことがないからできない」なんて言っていられない状況で、いろんな方のアドバイスをもらいながら、みんなで走り抜けるしかない。そういう経験を通じて、多少のことには動じない胆力みたいなものがついたように思います。大変だったけど、今となってはいい経験で、大きな思い出になっています。

白石:
そのコロナ禍の働き方が、今のスタートアップでの仕事のベースになっている部分もありそうですね。

眞榮:
そうですね、間違いなく。スタートアップも「仮説を立てて検証して実行して」の繰り返しで、一人でいくつもの役割をこなさなきゃいけない。あの経験がなかったら、もう少し面食らっていたかもしれません。

「しくじり」があっても、それでも離れないもの

白石:
そういえばソフィアメディにいるころに大学院にも通っていたんですよね。専門看護師を取ろうとしていたところの、しくじりというのは一体……?

眞榮:
授業も実習もプレゼンも全部終わらせたんですが、修士論文だけ提出できなくて退学しているんです。コロナのプロジェクトに集中するうちに大学院にだんだん行かなくなってしまって……。会う人会う人に「もったいない」と言われますし、時間もお金も本当にもったいなかったなと、今も後悔しています。ただ、これも全然隠していなくて。修士はいつかやり直したいと思っています。

白石:
そもそも、なぜ大学院に行こうと思ったんですか?

眞榮:
2社目に在籍していたころに、在宅看護の専門看護師コースに進学したんです。専門看護師の機能の一つに「倫理調整」というものがあって、それに憧れていたんです。病棟で働いていたころ、専門看護師の先輩が病棟カンファレンスに来て倫理調整している姿を日常的に見ていて。それが根っこにあって、訪問看護でますます倫理のことを考えるようになってから、もっと深く学びたいと思いました。

ちなみに大学院への進学自体、学部時代の同級生が先にそのコースに入っていて、声をかけてくれたのがきっかけだったんです。ここでも縁に引き寄せられた感じで、振り返るとキャリアの節目ってそういうことが多いなと思いますね。

白石:
倫理調整への憧れ、職場選びの基準、と倫理にまつわる話が続きますね。眞榮さんにとって倫理がそれほど大事なのは、どういうところから来ているんですか?

眞榮:
病棟でも訪問看護でも、日々ケアをしていると、本人の意思が尊重されないシーン、家族の意向が優先されてしまうシーン、医師の立場と家族の希望がぶつかるシーンが本当にたくさんあって。それぞれの立場から見えているものが違うからこそ、そこには物語がある、ナラティブがある。深掘っていくと「そういう本音があったんだ」とわかる瞬間がある。そういうことを考えることが、面白くて仕方なかったんです。

一つ、自分の中で大事にしている考え方があって。「本人がいないところで、本人の大事な話をしない、本人のことを決めない」ということです。認知症の方でも、判断能力がどうであれ、本人の大事なことは本人と一緒に話す・決める。それは医療の現場だけの話ではなくて、会社の人事異動でも、チームの方針決定でも、当事者のいない場でその人のことを決めてしまうのは同じことだと思っていて。どの場面でも変わらない軸として持っていますね。

専門看護師の資格については、自分の中で一旦諦めがついたというか、区切りをつけた感覚なんです。これからは、現場の意思決定支援や倫理調整といった文脈をより深く追求していきたいと思っています。そうした倫理への関心は今もライフワークとして続けていて、意思決定支援ツール「OOVL」の普及活動に取り組んだり、今年は日本臨床倫理学会の臨床倫理認定士も取得する予定です。仕事とは別軸で、ずっと携わっていきたいテーマですね。

なぜ今、循環器領域のスタートアップなのか

白石:
前職を退職して、現在のAMI株式会社に転職されたきっかけは何だったんですか?

眞榮:
コロナが落ち着いた後、「訪問看護×遠隔医療」という新規事業に取り組んでいました。過疎地や離島にいる患者さんのそばに看護師がいて、医師がビデオ通話で診察するような仕組みや、救急外来から直接訪問看護につなぐような取り組みをやろうとしていたんです。

日本は人口が減る一方で、医療資源は都市部に集中していく。その課題感がずっとあって、遠隔医療の可能性に強く引かれていました。ただ、そのタイミングで会社の方針が変わり、訪問看護の本流に集中する方向になった。じゃあ自分も卒業しようと、今の会社に転職したのが2024年1月でした。

白石:
今の会社ではどんな仕事をされているんですか?

眞榮:
AMIは、循環器疾患の早期発見・早期治療を目指すAIを搭載した医療機器を研究開発・販売しているスタートアップです。弁膜症という病気がかなり見逃されているのが日本の実態で、心電図ではほぼ発見できない。唯一見つけられるのは、医師が聴診器を当てて心臓の音を聞くという、200年前から変わらない方法だけなんです。そこに対して、心音図検査装置を研究開発しています。

私は看護師として心音図検査を行い、波形を目で見たり、心音を耳で聴いたりしてレポートを書いて医療機関にお返しする業務と、カスタマーサクセス、そして人事採用を兼務しています。スタートアップなので一人でいろいろやる形ですが、それはもう最初からわかった上で飛び込んでいるので(笑)。

白石:
看護師になるきっかけが祖父の循環器疾患で、現在は弁膜症の早期発見に携わる会社に行き着いたというのは、見事な伏線回収ですね。

眞榮:
自分でも「伏線回収してきた感じだな」と思います(笑)。ただ、父方の祖父が長崎の離島の出身で、今も祖母がそこにいるので、医療アクセスが悪い地域にいる人がいるという実感がずっとあって。弁膜症の早期発見という仕事と、離島・過疎地の医療アクセスを改善したいという思いと、両方が今の自分の中に太い軸としてあります。まだまだやりたいことはたくさんありますね。

「全部リファラルなんです」縁を引き寄せてきた、こだわりの話

白石:
それでは、質問カードを一枚引いてもらえますか。

眞榮:
右から3番目でお願いします。

白石:
何でもいいので、あなたのこだわりを教えてください」。

眞榮:
こだわり、難しいですね……。キャリアの話でいうと、訪問看護の1社目から今の会社まで、実は全部リファラルで転職してきているんです。自分から転職活動をしたというよりは、いろんな方と出会い、行動し続ける中で声をかけてもらって動いてきました。

大事にしている考え方として「計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)」というものがあって。キャリアは計画だけでも偶然だけでもなく、偶然の出会いや出来事が積み重なって形作られていくという理論です。熱しやすく冷めやすい気質なので、一つの企業で何十年も働くというのはたぶん難しくて(笑)。その時々の興味関心や出会いによってキャリアを選択していくことが、自分の人生を豊かにしてきたと感じています。

白石:
なるほど。ただ、人に流されてしまうこととの違いって、どこにあるんでしょう?

眞榮:
全然流されることもあります。偶然や縁に導かれて動いていると、最初は納得していても、後からじわじわとズレを感じることはたくさんありました。100パーセント合点がいくということは、なかなかないと思っているので。ただ、ガチガチに固まりすぎると自分もチームもしんどくなる。しなやかさや柔軟性を持ち続けることは大事にしています。大学院のこともそうですし、失敗や後悔はたくさんあります。でも、どの選択も自分の意思決定なので、責任は持つ。そういうスタンスでこれまでやってきた感じですね。

白石:
リファラルで声がかかるようにするために、何か意識していたことはあるんですか?

眞榮:
声がかかるように意識していたというより、自然と行動してきた結果だと思うんですが、やっぱり大事なのは自分の組織の外に出ていくことだと思います。学会や研究会に足を運ぶと、全国の全然知らなかった方と出会えるし、訪問看護をしていたころは地域ケア会議や多職種の勉強会にも積極的に出るようにしていました。ああいう場に仕事終わりに足を引きずってやってくる人たちは、「現状を変えたい」「現場の困りごとを誰かと話したい」という人たちなので、自然と考えが一致して、つながりが生まれやすいんです。

あくまで感覚値ですが、自分の組織以外で同じ医療・介護・福祉の領域に10人つながりができると、少しずつ広がっていく感覚があります。ただ、声がかかったとしても、自分が辞めたくないタイミングでは全然なびかないし、そもそも耳にも入ってこないものなんですよね。だからこそ、日ごろから自分が何に興味があって、どこに向かいたいのかをぼんやりでも持っておくことが大事で。心身のバランスを保ちながら、というのも常に意識しています。

「ちゃんと突き進んでいい」かつてガチガチだった自分が、今だから言えること

白石:
最後に、後輩の看護師さんや看護学生さんへ伝えたいこと、メッセージをいただけますか。

眞榮:
周りがいろんなことを良かれと思ってアドバイスしてくれるけど、自分がこうしたい、ああなりたいと思うなら、ちゃんとそれを突き進んでいい」ということをまず伝えたいです。

実は学生のころの自分は今と全然違って、授業に出ない同期を軽蔑して、看護師は「こうあるべきだ」という理想をガチガチに掲げているような学生でした。でも、病棟で看護しているうちに考えが変わっていきました。誰もが認める“素晴らしい”先輩看護師がどうしてもハマらない患者さんが、“イケてない”と言われるような先輩看護師を「この人がいい」と指名することがあったり。訪問看護でも、自分が管理者として全然ハマれない利用者さんがいたり、そういう場面に何度も出会って。「自分にはわからない相性や人生経験がある」ということを肌で感じてから、少しずつ凝り固まった考えがほぐれていきました。多様な看護師がいることが、多様な患者さんや療養者さんに応えるために必要なんだと、今は心から思っています。

それから、倫理的に「これっておかしいよね」と思う感覚は、ぜひ大切にしてほしいと思います。実は研究でも、看護学生や1~3年目のころが一番倫理的感受性が高くて、経験を積むにつれて鈍くなりやすいといわれているんです。目の前の業務に慣れるほど「仕方ないよね」となっていく。でも、命にかかわる場面や、その人の最期の過ごし方にかかわる場面では、「仕方ない」では許されないことも確かにありますよね。

だから、おかしいと感じたことを誰かに話せる関係性を持っておくことが大事で。最初は休憩室での愚痴でいいんです。「あれって変だよね」という声が何度も繰り返されるうちに、じゃあ師長さんに相談してみようか、というふうにつながっていけばいい。そういうふうに声を出せる場や関係性が、チームに一つでも多くあるといいなと思っています。

とにかく、命を大事に、自分の心身を大事に。それだけはいつも伝えたいですね。

インタビュアー・白石弓夏さんの著書

Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~

Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~
私もエールをもらった10人のストーリー


今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。 さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。

目次


◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏

発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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