ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。
ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。
北海道出身。看護学校卒業後、脳神経外科病棟、外科・内科・整形外科病棟、腎臓内科病棟を経て、救急・ICUに10年間従事。コロナ禍を機に病院を離れ、派遣として市役所の保健所で積極的疫学調査や陽性者療養ホテルの対応に従事。夫の仕事の都合により2022年12月に沖縄県へ移住。現在は企業の健康相談業務と「暮らしの保健室」を兼務している。
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。
「人生一度きり」波乱だらけのキャリアを動かし続けた、たった1つの軸
白石:
ゆんちるさん、同じジャンルの漫画が好きなもの同士、こうしてお話しするのは初めてですね!今日はよろしくお願いします。まずはこれまでのご経歴について、現在のお仕事に至るまでの流れを教えていただけますか。
ゆんちる:
私、北海道出身・北海道育ちなんです。看護学校を北海道で卒業して、そのまま地元の病院に就職して、最初は小児科に配属になりました。そうしたら、なんと1か月ぐらいで病院が経営不振で閉鎖されてしまって……。最初からかなりの大波乱でした(笑)。北海道は過疎化が進んでいて病院の閉鎖はたまにあることなんですが、1週間前とかギリギリまで情報が伝わってこなかったので、特に新人の自分には「え?病院を閉じる?来週?」という状況でした。
新人だし4月だし、再就職するにもどうしようと途方に暮れていたとき、同じ学校出身の先輩が神奈川で働いていたんです。「ずっと北海道にいるのもいいけど、一度内地に来てみない?」と誘ってもらって、両親に相談したら「親戚もいるし行ってみれば」と背中を押してくれて。先輩のいる病院に無事就職が決まりました。4月1日に入職して4月末に閉鎖というタイミングだったので、同期より2か月遅れての再スタートです。
神奈川の病院では脳神経外科に配属になって、しばらくお世話になりました。ただ、神奈川でも田舎のエリアだったこともあって、「早く嫁いで、家庭を持って」という雰囲気が強くて。自分としてはもっとステップアップしたいと思って、27歳くらいで東京に出ることにしました。「どうせ内地にいるなら東京に出てみよう」という感じで、外科・内科・整形外科が揃った急性期病院に転職して、何でも来るような総合内科で経験を積みました。長くいるうちに腎臓内科への異動もあったんですが、腎臓内科は透析中の患者さんも多く急変が多い。でも自分はあまり急変の場数を踏んでいなかったので困ることが多くて、「私、急変に弱いな」と痛感して、思い切って救急・災害拠点病院へ転職しました。そこからER配属になって、ICUも兼任しながら10年どっぷりいましたね。
白石:
10年も。
ゆんちる:
急性期が好きなので、診断が定まっていない患者さんが来て、フィジカルアセスメントして、医師も薬剤師もMEもすぐそばにいるチームで動く場面がすごく楽しくて。循環器チームに入ってカテ室にも携わるようになり、途中で心電図にハマって心電図検定を受けてみたりもしました。最後のほうは副主任をやっていて「次は主任へ」というタイミングだったんですが……そこで、コロナ禍が来てしまったんです。
2020年ごろから、ERはもうパニック状態でした。よくわからない患者さんが来るから常に防護服で対応して、医師も未知のウイルスでどうしていいかわからない。心筋梗塞でカテ室にすぐ送らなきゃいけない患者さんのCTを撮ったら肺に影があって、「これコロナかもしれない」みたいな状況が続いて。保健所に電話しても全然つながらないし、テレビでは「○○が効く」とか怪しい情報が流れて、それを鵜呑みにした患者さんが「処方してくれますか」と救急車で来るとか。毎日が地獄みたいな状態でした。
白石:
そのパニックの中で、病院を辞めるという決断をしたんですね。
ゆんちる:
「正しい情報を自分で取りに行こう」と思って、病院を出て市役所に入ることにしました。ちょっと忙しすぎて頭がおかしくなっていたのかもしれないですけど。
感染症についてもいろいろ学んで、さて病院に戻ろうかなと思っていたら、今度は夫が「沖縄に転勤だ」と言ってきて(笑)。最初は単身赴任の予定だったんですが、私も沖縄が大好きな場所だったし、北海道の内陸部出身なので冬の雪かきが本当に地獄で。40過ぎて人生の後半を考えたとき、正直なところ老後もずっと雪かきはきついと思って。「人生一度きりだし、家族みんなで引っ越そう」と決めて、2022年12月のクリスマスに沖縄へ来ました。
白石:
ここまでいろいろ話を聞いてきましたが、初っ端から、なかなかインパクトのある新人時代でしたね。病院が閉鎖されてしまったときとか、看護師を続けること自体に不安になったりはしませんでしたか。
ゆんちる:
看護師は嫌なことがいっぱいありましたけど、辞めようとはあまり思わなかったですね。なんか人生一度きりだし、やれることはどんどんやろう、行きたいところは行ってみようっていうタイプで。神奈川への移住も、新しい環境への不安よりも「ちょっとよかった」という気持ちのほうが強かったくらいです。
でも、2か月遅れで入ったことへのプレッシャーはありましたよ。同期ができていることが、私には全くできなかったりもして。でも本当に同僚に恵まれて、「2か月遅れているから」という目線が全くなくて、「一緒に4月に入ってきたよね」みたいな感じで受け入れてくれた子たちがすごく多かったんです。あと、ひとり今でも忘れられない先輩がいて。普段は本当に鬼みたいに怖い看護師なんですけど、できるようになったことをみんなの前でちゃんとその場で褒めてくれる先輩で。その先輩と同僚たちのおかげで生き残れたって思っています。
「正しい情報を自分で取りに行く」コロナ禍のERから保健所へ
白石:
コロナ禍に病院を辞めた経緯、もう少し詳しく聞かせてもらえますか。疲弊して……というより、自ら情報を取りに行こうという、強い動機があったんですね。
ゆんちる:
そうなんです。ただ疲れたから辞めたというより、「イラッとした」というほうが正しくて(笑)。現場のパニックを自分の目で確かめたくて、「じゃあ保健所の中に入ってやろう」という気持ちでしたね。
実際に入ってみると、保健所がパニックになっていた理由がよくわかりました。自分が現場にいたときは本当に混乱していたけど、中に入って初めて「ああ、保健所もパニックだったからしょうがなかったんだ」と理解できて。得た知識は、辞めた病院で仲良かった仲間たちにもちゃんと共有しました。陽性者の療養期間の判断がどう決まっているか、濃厚接触者の選別がどう行われているか……現場が知りたかった情報を届けられたのは、自分で飛び込んだからこそでしたね。
積極的疫学調査は本来、結核などが発生したときに保健師さんたちが行うものなんですが、「どこで誰と接触して、濃厚接触者は誰か」を整理して「何日から何日が療養期間です」と伝えて感染拡大を防いでいく仕事で、感染症についてもすごく詳しくなりました。療養ホテルでの業務と合わせて、コロナについてはいろんな角度から学べた時期でした。
沖縄移住と「暮らしの保健室」誕生。人づての縁が、新しい場所をつくった
白石:
それで沖縄に来てから、今のお仕事に就いたのはどんな経緯だったんですか。
ゆんちる:
夫の都合での引っ越しなので失業保険もすぐ下りるし、ゆっくり就職先を探そうと思っていたんです。そうしたら、人づてに企業から「看護師を探している」と声がかかって。社内保健室を作りたいので健康相談に乗ってほしいということで、そのご縁で今の企業に入りました。
最初は半年ほど社内相談業務をやっていたんですが、サラリーマンの方はメンタルの相談が多くて。会社のお偉いさんが「他にやりたいことがあれば相談して」と声をかけてくれたので、「暮らしの保健室というのをやってみたいです」と伝えたら、すぐに「いいよ」と言ってくださって。公民館の真横に一室作ってくれました。2024年4月に「暮らしの保健室おきなわ」として発足して、ちょうど2年になります。
白石:
暮らしの保健室って、全国のさまざまな地域に広がっていますよね。どんな場所なんですか。
ゆんちる:
全国に今100か所ほどあって、地域の方が気軽に立ち寄って健康相談できる場所です。私がいるのは沖縄の北部で、「やんばる」と呼ばれるエリアなんです。鉄道も通っていない田舎で、この小さな集落には100世帯ちょっとしかないんですが、子どもが多くて約230人ほど住んでいます。高齢者が多く来るかと思いきや、意外と子どもと子育て世代のお母さんたちの出入りがすごく多くて。それに挟まる形で高齢者も来てくれるので、下は0歳、上は96歳までが来るような場所になっています。いつもは時間帯によって来る層が違うんですが、一度だけ奇跡が起きて、1歳半の赤ちゃんから小学生・中学生・会社員・高齢者まで一気に20人ほどが集まったことがあって。すごく楽しかったです。
この地域では、近隣のクリニックに行くにも30kmぐらい離れてるんです。車のない高齢者はコミュニティバスで1日がかりになることもある。そういう場所だからこそ、「なに科に行けばいいか」「急いだほうがいいか、様子を見ていいか」をまず相談できる場所があることで、患者さんの負担がずいぶん変わってくる。「受診の入口」として機能できるのが、この場所の大きな意味だと思っています。
白石:
北海道から神奈川、東京、そして沖縄と、ずいぶん移り住みましたね。沖縄に来てみてのギャップはありませんでしたか。
ゆんちる:
北海道にはゴキブリがいないんですよ。だから沖縄に来てびっくりするぐらい大きいゴキブリが出て(笑)。もう大きすぎて逆に怖くなくて、なんかただの昆虫みたいな。あと私が住んでいるのは本当に北部の田舎なので、びっくりするぐらい大きなコウモリがいたり、フクロウがいたりして。生き物が好きなので、野生動物がいっぱいいて楽しいですね。
沖縄の県民性も北海道の人とけっこう似ていて、のんびりゆったりでちょっとシャイな面があって、田舎のコミュニティがしっかりしているところも共通していて。思ったよりスッと入れました。
0歳から96歳、集落ごと健康に。子どもたちとの日々
白石:
暮らしの保健室では具体的に、どんな活動をされているんですか。
ゆんちる:
住んでいる市は子育て支援に力を入れていて、「子育て支援塾」という取り組みがあるんです。区長さんに推薦していただいて、水曜日の午後を「子どもの家」として開けています。この地域は小学校と中学校が同じ校舎の小中一貫校で、一学年が10~15人ほど。水曜日は先生方の働き方改革で授業が早く終わり、14時頃には帰ってくる子たちでにぎわいます。多い日で15人くらい来ますよ。
田舎なので学童に入れないご家庭も多く、学童に行かない子たちのサポートを住民でできないかという発想から始まっているんです。子どもたちは勝手に宿題をやり始めて、上の学年の子が下の学年の子に教えてあげるという場面が自然に生まれていたりして、私はそっと見守っている感じです。
沖縄ってきょうだいが多くて、少なくて3人、多い子だと6~8人という家庭も珍しくなくて。末っ子ほどゆっくり話を聞いてもらいにくい場面も生まれやすいので、ここがその受け皿になれているのかなと思っています。
白石:
看護師ならではの関わりの場面もあるんですか。
ゆんちる:
そうですね。思春期の男の子が「お母さんには恥ずかしくて聞けないけど、看護師の人なら」と相談してきたり、女の子が生理の話をしてきたりします。この間はLGBTQの話題になってちょっと身構えましたね。寄付された本の中にそういうテーマの一冊があったので、それを見ながら「男同士・女同士だからっておかしいことじゃないんだよ」という話をしたら、みんな真剣に聞いてくれて。まさかそんな話になるとは思わなかったので、ドキドキしながら話した私のほうが驚いたくらいです。
脱毛相談を受けたこともあります。「ひげ脱毛はどうしたらいいんですか」と中学生に聞かれて、解剖生理の教科書を引っ張り出して皮膚の断面図を見せながら「光脱毛はここまで、医療脱毛はここまで届く」と説明して。「でも将来おじさんになってひげを伸ばしたくなっても生えてこないかもよ」と言ったら、すごく真剣に悩んでいてかわいかったです。
こういう子どもたちとの関わりを続けるうちに、気になる子に気づくこともあります。きょうだいに障害を持つ子がいて、ご両親もどうしてもそちらに時間が取られてしまうという低学年の女の子がいて。その子が自分で「お父さんお母さんと学校の話ができる時間が少ないんだよね」と話してくれたんです。だから、その子がここに来たときはいっぱい話を聞くようにして、必要に応じてその市の担当保健師さんに情報を流して、訪問のときにご両親にそっと伝えてもらう、という形で連携しています。地域全体でちょっとずつ見守っていく……そういうことができるのも、この場所があるからだなと思っています。
高齢者との関わりでは、日常会話の中で「血圧が高いのは放置しないで」とちらちら話しておくと、健診結果を持って「今回、前回より良かったから!」と自慢しに来てくれるんです。ある方が「〇〇さん(私)がなんか言ってたから、がん検診行ってみた」と言ってくれて、グレーゾーンで再診になって不安そうにしていたんですが、結局大丈夫で。放置していたら悪いものになっていたかもしれない、と思うとよかったなって。「ここにいる意味があるかな」と思えた瞬間のひとつです。
毎日なにかで笑っている。この場所が生み出すもの
白石:
それでは、ここで企画の質問カードを選んでもらえますか。
ゆんちる:
真ん中あたりでお願いします。
白石:
これですかね。「最近、声を出して笑ったことはなんですか?」です。
ゆんちる:
え~いっぱいあって(笑)。こういう場所にいると毎日なにかで笑っているんですけど、一番最近だと……子どもたちとカードゲームをしていたとき、すごくかわいい女の子が笑ったタイミングで、なんかものすごくいい“おなら”をしたんですよ。みんなが「くさい」「きたない」って言うわけでもなく、その場が大爆笑になって。小学3年生の子なんですが、小学生ってやっぱりおならとかうんちとか大好きじゃないですか。なんか、すごく和みましたね。
ここにいると、子どもたちは私のことを「友だち」って紹介してくれるんです。先生でもなく、病院じゃないから看護師さんというわけでもない。「この人誰?」って大人に聞かれたら、みんな「友だち」って言う。おじいやおばあも、看護師というよりはそこにいる友人みたいな感覚でふらっと来てくれます。「医療資格を持っていて、聞けば医療的なアドバイスもできる、看護師の友人」。それが一番しっくりくる表現かなと思っていて。そこが気に入っていますね。
近すぎるからこそ言えないこと「他人の私」がいる意味
白石:
地域にうまく入り込むのって、移住者としてはけっこう難しそうなイメージがあるんですが、ゆんちるさんはなにか意識したことがあるんですか。
ゆんちる:
沖縄への移住者が多い分、内地から来た人に身構えてしまう地域の高齢者もいるんです。こちらからガツガツ距離を縮めにいっても難しいなと思って、最初はじっとしていました。そうしたら、子どもたちが学校帰りに来てくれるようになって、口コミで広めてくれたんですよね。子どもたちのお父さんお母さんが知って、その話がおじいやおばあに伝わって……という流れで自然に広がっていきました。
実は暮らしの保健室って、全国共通の課題として男性がなかなか来てくれないんです。そこで意識したのが、地域のイベントへの参加でした。沖縄は伝統芸能が大切にされていて、ここでは2年に1回の大きなお祭りがあります。「地域の皆さんが大事にしているものはなんだろう」と考えたとき、三線(サンシン)だと思って。「一緒にやらせてください」と三線教室に入っていったら、もう生きる三線の師匠みたいな素晴らしいおじいがいらして。その方と仲良くなったら、そのおじいの仲良しのおじいが来てくれるようになって、またそのおじいが別のおじいを連れてくるという(笑)。男性の方が来てくれるきっかけになりました。
それから1年修行を積んで、実際に祭りにも出演しました。そうしたら、それ以降、皆さんの笑顔の受け入れ方というか、表情の柔らかさが一層和らいだ気がして。自分たちが大切にしているものを一緒に大事にしてくれると思ってもらえたのかなと。あんまりガツガツ行かず、でも「こちらも興味を持っているよ」というのをじわじわ示すことが、大事だったんだと思います。
白石:
そんなふうに溶け込んでいく中で、地域ならではの悩みや課題に気づくことはありますか。
ゆんちる:
あります。小さいコミュニティって、朝誰かに話したことが夕方には全員に知れ渡っているくらいの勢いで噂が広まるんですよ。大げさに言えば、ちょっとした体の不調を誰かに話しただけなのに、夕方には「あの人、末期がんらしい」くらいに尾ひれがついていたりする。みんな心配してくれているからこそなんですけど、だから近所の人には健康の相談をしにくいという方がけっこういるんです。
「生まれたときからずっと同じ地域で暮らしている人たちの間で、一生近所付き合いが続く」という環境で、ちょっとした関係のこじれも、ずっと引きずりながら暮らしていかなきゃいけない。そういう小さいストレスを抱えている方が少なくないんです。そこに「全く関係ない他人」の私がいると、相談しやすいって言ってもらえるんですよね。「近しいからこそ話せること」と「近しいからこそ話せないこと」の、後者を受け取れる場所になれているのかなと。いい意味で「他人のあなたがいてくれてよかった」と言ってもらえることがあって、それがこの場所の意味なのかなと思っています。
急性期への未練と、地域で感じる「さよなら」の違い
白石:
今の仕事がすごく楽しそうなのは伝わるんですが、10年以上どっぷりいたERや急性期への未練みたいなものはありますか?
ゆんちる:
正直に言うとあります。急性期って独特の緊迫感があって、それを楽しいと言ったら叱られそうなんですけど、あの場の空気感は、今の仕事では味わえない。たまに「ちょっとバイト行きたいな」くらいは思います。でも多分行ったら1時間ぐらいでやっぱりもういいやってなりそうな気がして。
ERにいるころは、患者さんが最終的にどうなったかを見届けることがほとんどできなかったんです。入院するか帰るか、最悪亡くなるかという時点でさようならになってしまって、その人がどう回復して退院していったかが見えない。それが長年のもどかしさでもあったんですね。でも今は、同じ方と何年もかけて付き合っていける。看護師人生の中でこんなに長く継続して人と関われるのは初めてで、それがとても豊かだなと感じています。
ただ、その分、悲しみも深くて。来てくれていた高齢の方が亡くなると、お葬式にも行くんですが、病院の現場にいたときよりも倍以上、寂しくて悲しくて。家族とまではいかないけれど、それに近いくらいの距離感になっているので。でも、すごくいい経験をさせてもらっていますね。こういう働き方もあるんだなって、今本当に思っています。
どこでも働けるという強みを、もっと自由に
白石:
最後に、「後輩の看護師さんや看護学生さんへ伝えたいこと」のメッセージをいただけますか。
ゆんちる:
看護師という仕事は本当に大変で、どの現場で働いている方も本当に尊敬しています。疲れ果てている中で、患者さんや先輩・ドクターなどから心ない言葉をかけられて、心がポッキリいくことも、たくさんあると思います。私も「このドクター、後ろからぶん殴ってやりたい」と思ったことは何度もありましたよ(笑)。
でも、看護師は国家資格で、1か所にとどまることなくどこでも働けるという強みがあります。企業ナースで活躍している人も、応援ナースで全国を飛び回っている人もいる。私も長い間「病院か施設しかない」と思って生きてきたひとりですが、コロナ禍の経験を通じて視野が広がって、今こうして沖縄の集落の「暮らしの保健室」にいます。
急性期が大好きだった自分が「地域でのんびりなんて絶対無理」と思っていたのに、来てみたら全然そんなことなかったんです。最近は看護学生さんが地域医療の実習で見学に来てくれることもあって、「将来、訪問看護ステーションと暮らしの保健室を一緒に立ち上げたい」と話してくれた学生さんがいたんです。ご両親もお兄さんも看護師という一家で、そういう若い人たちが次の形をイメージし始めてくれているのが、すごく嬉しかったですね。
私がいるここも、近隣に出張版の暮らしの保健室を広げていこうと、今お話を進めているところです。地域ごと、病院に行く前の段階から健康にしていく……そういうところにどんどん携わっていきたい。そんな野望もできました。1か所に固執せず、国家資格という強みを大いに使って、自分で選択し続けてほしいですね。
インタビュアー・白石弓夏さんの著書
私もエールをもらった10人のストーリー
今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。
さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。
目次
◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏
発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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