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認知症の人の家族に「遺伝しませんか?」と尋ねられることがあります。確かに認知症のなかには遺伝するものがあります。

認知症のなかで最も多いのはアルツハイマー型認知症ですが、その一部は「家族性アルツハイマー病」です。一部とはいっても全患者の1%以下ですので確率としては非常に低いのです。

最近では大学病院などの研究機関で遺伝子解析が行われるようになりました。家族性アルツハイマー病が疑われる家系の人たちの遺伝子を解析し、原因遺伝子を持っているかどうかを調べることがある程度可能になっています。

その遺伝子を持っている人が発病する確率を「浸透率」といいます。遺伝子を持っていても、発病する確率が低い遺伝子もあります。例えば「糖尿病になりやすい遺伝子」「アルコール依存症になりやすい遺伝子」などです。そのような場合には、それぞれ「私はその遺伝子を持っているから糖分の多い食事を控えて発病しないようにしよう」「お酒を一滴も飲まない人生を送って長生きしよう」というふうに対策を立てることができます。

ところが家族性アルツハイマー病や、そのほかにもハンチントン病などの認知症を呈する脳の変性疾患のなかには、その遺伝子を持っていると100%発病するとわかっている浸透率の高い疾患があるのです。浸透率100%ということはどのような対策を取っても時期が来たら必ず発病するということです。

この先の人生で必ず発病するとわかっていながら、人生に希望を持って生きることができるのでしょうか。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 065
58才女性

「介護認定申請しようとしましたが、却下されました」

通っている患者の夫が、診察室に入ってくるなりがっかりした表情で言いました。認知症で身体介助が必要な人です。介護保険が使えない認知症なのです。何かほかの制度を利用しなければなりません。

これまでの経過

祖母がハンチントン舞踏病でした。母親はそのことを、本人が結婚して子たちを出産した後で話したのだと言います。

やがてその母親も同病で末期に肺炎を併発して64歳で死亡しました。

X-15年、母親が他界して間もなくパニック障害になり、電車に乗れなくなりました。また、トイレが近くなりました。このため高速道路など長時間トイレがない場所に行くのを嫌がるようになりました。

精神病のような症状

幻聴が聞こえるようになり、ときどき幻聴と会話をする「対話性幻聴」が発現し独語が見られるようになりました。

そのような症状があったので本人も夫も統合失調症などの精神疾患だと思い、最初は近所のメンタルクリニックに通いました。セレネース®︎、ピレチア®︎、ドグマチール®︎など古典的な抗精神病薬で治療されていました。

「この薬は毒だ。『飲むな』という声が聞こえる」という被毒妄想が出現し、治療に難渋したこともあったようです。

X-10年、「口の中が苦い。味覚がない」などしつこく訴えるようになりました。歯科や口腔外科では異常が見つからず原因がわかりません。口腔セネストパチーと考えられました。

長らくメンタルクリニックに通って薬を飲んでいました。

転びやすくなる

X-1年、身体的な症状が出現しました。転びやすくなりました。一度は膝蓋骨を骨折しました。

手先の細かい動きができなくなり、小銭を財布から出す、札を数えるなどが難しくなりました。巧緻運動障害です。不器用になり、トイレで排便後、きれいに拭けなくなりました。

ときどき舌をぺろっと出すようになりました。滑舌が悪くなりました。食事中むせるようになり、食べこぼしが増えました。

体の動きが悪くなってきて生活に不自由なことが出てきたころから「自分には超能力がある」と言い出しました。当初は自らの意思で通院を始めたのに、病識が徐々に失われ、「病気ではない」と言って暴れるようになりました。

意欲がなくなる

調理をしなくなり、1日中ゴロゴロして無為に過ごします。自分から話さなくなりました。爪が伸び放題になり、耳垢が溜まり、夫が気づいたら耳垢で耳の穴が塞がったような状態になっていました。耳垢塞栓です。

指さし確認をするようになりました。頻度は多くありませんでしたが無言で指さしをします。何か意味があるのか尋ねても返答はありません。これはのちに舞踏運動に伴って起こる無意識の随意運動であることが判明します。

メンタルクリニックの主治医は「これは精神病ではなく変性疾患だと思います」と言って、当院へ紹介しました。

しかし病識がないので本人が受診することが難しく、代わりに夫が相談に来ました。

夫の不安

「母親が亡くなった年齢に近づいてきたので心配です。最近性格が変わりました。以前は几帳面なしっかり者だったのにだらしなくなり、気配りがまったくできなくなりました。ハンチントン病ではありませんか?」

ハンチントン病は常染色体顕性遺伝する遺伝性疾患です。

「おばあさまも、お母さまもその病気だったと言うことですね。症状を伺うと確かにその病気の可能性が高いと思いますが診察しないとわかりません。遺伝する確率は二分の一です。遺伝した場合の発病率は100%です。この病気の遺伝子を持っているかどうかは大きな病院で検査をすればわかります」

「遺伝子検査は本人がずっと拒否していました。それがわかるのが怖いからです。でも妻の姉は大学病院で最近検査をしています。妻を大学病院に連れて行くのは難しいのですが、姉の検査結果を参考にすることはできますか」

「大学病院に対して、患者の診療に必要な情報提供を求めることはできますので、ご本人が当院を受診していただいてからになります。なんとか連れてきてください」

初診時の状態

X年、食事を丸呑みして、飲み下せないと吐き出すようになりました。少しずつ体重が減少してきました。

病識がなく受診を嫌がっていましたが、メンタルクリニックの主治医が説得してなんとか連れてくることができました。

診察室に入ってくるときから不随意運動が顕著でした。すり足小刻み歩行でふらついています。椅子に座ると両足が勝手に動きます。素早い動きでダンスのステップを踏んでいるような動きです。これが舞踏運動、ヒョレアです。両手も勝手に動いてしまうため、本人は無意識に両手を結んで動かないように止めています。

壊れたメガネをかけていました。転んで壊したとのことですが修理せずにそのまま平気でかけています。無頓着になっているのです。

「家事はしていますか?」

「できる」

私が話しかけたことによって緊張し、全身の不随意運動が激しくなりました。口をカチカチと鳴らし、全身もときどき大きく動きます。会話の返事は紋切り調で無表情です。無表情なのは仮面様顔貌です。

髪の毛は洗っていない様子でベタっとしています。美容院にも行きたがらないということでした。

また、嚥下障害があるので、刻み食を与えているということでした。

認知機能と画像所見

MMSE(ミニメンタルステート検査)を行いました。30点満点の簡易な認知機能検査です。結果は16点でした。中等度の認知症の状態です。

頭部MRI検査を行いました。ハンチントン病では尾状核が萎縮するので、側脳室前角が開大します。それだけではなく、大脳は全般に重度の萎縮を呈していました。発病してからだいぶ経っているものと考えられました。

診断基準

ハンチントン病の診断基準に照らして診断を行いました。

まず神経所見です。パーキンソン症候群によるすり足小刻み歩行、巧緻運動障害、仮面様顔貌を認めます。また舞踏運動(ヒョレア)が見られます。

次に精神症状です。幻聴や妄想があり、否定されると暴れるなどの症状が見られます。そして認知機能は低下して中等度の認知症の状態です。

MRIの画像所見では尾状核萎縮による側脳室拡大が見られました。

そのほかには脳梗塞や薬剤性など鑑別すべき疾患がいくつかありますが、鑑別できそうです。

診断基準は満たしています。

行っていないのは遺伝子検査だけとなりました。

遺伝子検査

遺伝子検査について話し合いました。

以前から本人は遺伝子を調べることを極度に恐れていました。発病して亡くなった母の姿を見ていたからです。

本人に診察室で尋ねると「検査はしない」と言いました。一方、夫は「せめてお姉さんの遺伝子検査の結果だけでも問い合わせてもらいたい」と言いました。

姉の症状

姉は1年ほど前から食事中にときどきむせるようになり、また転びやすくなったので自ら大学病院を受診して検査を受けたということでした。

「お姉さまの個人情報ですから、お姉さまの同意が必要です」と私は言いました。するとさっそく夫は姉に会いに行き、同意書をもらってきました。

「お姉さんには久しぶりに会いましたが、妻と違ってまったく正常に見えました。飲み込みにくいとか転びやすいと言っていましたが、見た目はなんともなくて」

私は姉の主治医に情報提供の依頼をしました。その返事はすぐに返ってきました。これにより姉がハンチントン病遺伝子を持っていることが判明しました。祖母、母、姉が同病です。明らかな常染色体顕性遺伝の家族歴があるということです。

社会資源の利用を勧める

診断基準を満たしたので、臨床調査個人表を作成し難病申請を行いました。難病申請では薬代などの医療費や医療系の介護サービスにかかる費用が助成されます。

夫は食事の世話や入浴などの医療系以外の身体介助にも援助を求めていました。認知症になっていますので、介護保険の利用ができないか検討しました。

65歳以下の介護保険の第2号被保険者は特定疾病である場合のみ介護認定申請を行うことができます。特定疾病とは加齢に伴う病気と定義されています。

若年性認知症は「初老期の認知症」という特定疾病に含まれますが、ハンチントン病で若くして認知症になった人はどうなのでしょう。

夫は「介護を手伝ってもらいたい」と介護保険の利用を強く希望しました。このためまずは申請してみることにしました。

介護認定できない

夫が地域包括支援センターに相談に行きました。申請書類を書く際に「ハンチントン病」と書いたところ介護認定が却下されてしまったのです。

夫が再び当院に相談に来て「断られました……」と肩を落としていました。

「その代わりにと言われて、この書類を渡されました。これは介護に使えるのでしょうか」

書類を見ると身体障害者手帳用診断書でした。確かに肢体不自由で身体障害者手帳を取得できます。

身体障害者手帳の取得

肢体不自由のうち体幹機能障害で日常生活に支障がある場合は取得が可能です。現時点では歩行可能です。日常生活に多少の不自由があるので5級相当と考えられました。

ところがこの制度は障害の固定から半年経たないと申請できません。いますぐには申請できません。

いま使えるのは難病医療制度だけです。

「ハンチントン病と書かないで、初老期の認知症と書いてもう一度出してみましょう」

地域包括支援センターと認定調査係からの電話

夫が申請に行ったところ、窓口で対応した包括支援センターの担当者が当院に電話をかけてきました。

「初老期の認知症と書いて出していただきましたが、申請はできないとの判断になりました。認定調査係からご相談がありますのでよろしくお願いします」とのことでした。

次に認定調査の担当者が電話をかけてきました。

「困り具合を見てなんとかお役に立てないかと思い、介護認定審査会で委員が話し合いましたが、介護保険は使えないという判断になりました。その代わりまずは身体障害者手帳を取得していただきたいのです」

「身体障害者手帳は障害固定してから半年経たないと取得できません。いますぐ使えるのは難病医療制度なのです」

「わかりました。まずは難病医療制度を利用して、地域包括支援センターの担当者にケースワークを行なってもらうことにします。そして半年後に身体障害者手帳用の診断書を書いてください」

「承知しました。よろしくお願いします」

だんだん歩けなくなる

X+1年、1人で近所のスーパーに買物に行ける程度の歩行状態でした。

X+2年、歩行障害が増悪し、近所に買物に行くのが難しくなりました。介助すれば歩けますが介助しないと倒れてしまいます。

診察時に舞踏運動の合間に頻繁に指さしをします。意味は不明です。夫を指さしたり私を指さしたり、空間を指さしたりします。初診時にも見られましたがその頻度は増している様子でした。

舞踏運動というのは、舞踏運動が起こるとその動きを誤魔化すように、素早い不随意運動に続けて随意に髪を撫でたり顔をさすったりする症状がよく見られます。勝手に動いてしまった手を持て余して、いかにも「顔をさすろうとしていただけです」と不随意運動をなかったものにしようとするかのような行動です。このような行動を無意識のうちに行うのです。この人の「指さし」は起こってしまった舞踏運動を「指さし」という随意運動を行なったつもりにしているかのようでした。

認知機能の低下

MMSEを施行しました。2年前は16点でしたが12点に下がりました。認知機能も低下しました。

X+3年、介助すればなんとか買物に行けていたのが、介助しても100m以上は歩けなくなりました。身体障害者手帳の体幹機能障害で3級相当です。手帳の等級の見直しが必要です。再認定のための診断書を作成しました。

手指の巧緻運動障害も増悪しました。分離運動が不十分で箸をうまく持てなくなり、食べ物に突き刺して口に運びます。食事は軟菜刻みで口に入れると咀嚼せずに丸呑みにします。

歯磨きはまったくできなくなり、幼児のように寝かせて磨いてあげます。

MMSEは8点に下がりました。

抗精神病薬の中止へ

以前は紋切り型の口調ながらも会話ができたのですが、おうむ返しになりました。医師の言葉を反復するだけです。会話が不能となり、妄想や攻撃的な態度、暴言はなくなりました。ほとんど無言となり、たいへんおとなしくなりました。このためもともと通院していたメンタルクリニックでは抗精神病薬セレネース®︎などすべての投薬を中止することになりました。

X+4年、抗精神病薬を中止したせいか、神経学的診察を行うと体が以前より柔らかくなっていました。薬剤性パーキンソン症候群の症状がとれたためのようです。

相変わらず舞踏運動は続いていましたが、大きな動きはほとんどなく、手足がときどき素早く動く程度です。

易怒性がなくなる

抗精神病薬を中止しても怒りっぽさが悪化することはありませんでした。むしろ徐々に怒らなくなってきました。テレビの前に座らせておくと1日中ぼーっと眺めています。ときどき夜間眠らないので睡眠薬を使用する程度でした。

まったくトイレに行かなくなりました。すべて紙おむつへの排泄となりました。たまに尿意を訴え、そういうときは夫が介助してなんとかトイレまで歩かせます。するとトイレで排尿できるということでした。

MMSEは11点でした。前年8点でしたがなぜか3点改善しています。抗精神病薬をやめたので質問に対する注意力が改善したためと思われました。

車椅子になる

X+5年、介助歩行ではなく車椅子に乗って診察室に入ってくるようになりました。平地でも介助歩行不能です。立位が取れません。

名前を呼ぶと頷きますが、発語はありません。まったくの無表情です。前年までは箸を握って食事していましたがそれもできなくなり、介助者が口に運んで食べさせる必要があります。食事は全介助になりました。

夫がトイレに連れて行き、終わった後に洗面台に水を流すと本人はそこに手を差し出す行動が見られます。すべての能力が失われたわけではありません。

治験

X+6年、夫が言いました。「姉が発病し大学病院での治験に参加しているそうです」

本人が当院に通い始めたころ「まったく正常に見えた」という姉です。遺伝子検査済みの人です。ハンチントン病はまだ有効な薬が発明されていませんが、世界的に薬を開発中で、いくつかの治験が並行して行われています。そのなかの一つに参加しているということです。

義歯の誤嚥

本人は嚥下障害が増悪しました。部分義歯を使っていましたが、あるとき飲み込んでしまい口腔外科で摘出術を行ったということでした。それからは義歯を使うことをやめ、水分にとろみをつけたものを摂取しています。食事量が激減し体重が減少しました。

また尿意もなくなり、すべて紙おむつへの排泄となりました。トイレに行きたいという意思表示をしなくなりました。出てしまっても気がつきません。

背もたれがあれば座位が取れます。車椅子には座っていられます。名前を呼んでも反応しなくなりました。簡単な口頭指示も入りません。このためMMSEは施行不能です。

残る単語は一つ

X+7年、たまに「おしっこ」と発言するとのことでしたが診察室では無言です。「おしっこ」と言うのでオムツを見ても排尿と一致していないことも多く、単に残っている単語がその言葉であるということなのでしょう。

久しぶりにMRIで画像検査を行ったところ最重度の大脳萎縮を呈していました。

不随意運動は舞踏運動以外に四肢を大きく投げ出すようなバリスムも認めます。バリスムがあると車椅子から落ちてしまいますので、足や腰にベルトを着けて車椅子に固定していました。

夫が言いました。

「姉が亡くなりました」

前年に治験に参加していた姉が亡くなったというのです。本人よりも後から発病しましたが嚥下障害から誤嚥性肺炎で亡くなったようです。

ターミナルに向けて

夫の介護により本人はまだがんばっていますが、食事摂取不良であり、当院初診時に比べて体重が12kg減りました。今後は経管栄養など検討しなければいけないのですが、夫はまだ考えていないということでした。

ターミナルケアになると思われます。私は夫に尋ねました。

「今後どうするのですか」

「できる限りこのまま在宅で介護したいのです。それから一つ質問があります。このような状態で、車椅子に乗せるのも一苦労です。ここに連れてくることができなくなったらどうすればいいのですか」

「施設や病院に入れるのでなければ、在宅訪問診療に移行していただくのがよろしいかと思います。その場合は私が紹介状を書きます。家で看取ることもできると思います。お子さま方には相談しましたか?」

「2人ともまだ若いですし、独身でそれぞれの生活に忙しいので相談していません」

「遺伝カウンセリングを受けたことはありますか?」

「ありません」

「家族で病気について話し合ったことはありますか?」

「ありません」

知る権利、知らないでいる権利

子どもたちが結婚して自分たちの子どもを持つ日が来るかもしれません。自分が将来病気になるのかどうか知る権利も、知らないでいる権利もあります。知るか知らないでいるかを決めてもらうには、病気の情報を家族に共有してもらう必要があるのです。

個人情報や守秘義務の観点から私が勝手に子供に連絡することはできません。それをするかしないかは家族、この場合本人の夫に委ねられています。

「遺伝のことで相談があればいつでもご連絡ください」

私は夫に言いました。

明確な返事はなく、夫は本人を連れてそのまま帰って行きました。いつか子どもといっしょに相談に来てくれる日があるのでしょうか。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。