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人生100年時代といいます。100年生きるということはどういうことなのでしょうか。

日本人の平均寿命は2019年の時点で女性87.45歳、男性81.41歳です。いまからおよそ70年ほど前の1955年には女性67.75歳、男性63.60歳でした。この70年で寿命は20年伸びました。20年というと、生まれた子どもが二十歳になります。この伸びた分の20年間の生き方が問われています。

いままでの20年間と同じような20年間を生きることができれば幸せですが、そうはいきません。人間は老化する生き物です。老化するほどさまざまな病気に罹患する確率が高まります。人生の終末に向けて、病との戦いです。

厚生労働省の推計では、いまから17年後の2040年に日本人の平均寿命は女性89.63歳、男性83.27歳になるそうです。平均がほぼ90歳ということは100歳まで生きる人がザラにいるということになります。

認知症の有病率は80代で3割、90代で4割、100歳代で8割といわれています。100歳代の認知症有病率の高さを見ると、長く生きることの難しさを感じます。いまの医学では、認知症は一度罹患すると生きている限り進行し続ける病気です。医学の進歩により有病率が下がることを祈らずにはいられません。

CASE 066
100才女性

長く診療している患者さんが入室してきました。娘が車椅子を押して入ってきます。顔を見ると傷だらけです。

「その顔の傷はどうしたのですか?」

私が尋ねると「転んだんです」と娘が言いました。本人も横で頷いています。パーキンソン症候群の悪化です。娘が対応できなくなっているのです。

母は100歳、娘は72歳。この親子をどうやって援助していけばよいのでしょうか。

これまでの経過

X-10年、89歳の女性が当院を訪れました。最近物忘れがひどくなったとのことで、娘に付き添われ当院初診しました。かかりつけの内科に検診を申し込んだのを忘れ、もう一度予約したので内科医が認知症に気づいたのです。

娘と二人暮らしです。「娘さんはおいくつですか?」と聞くと「60歳」と言いますが実際は62歳です。

初診時、妄想が認められました。

「庭のビワの実が一瞬で全部盗まれました。その前に拾って食べていた人がいたので「拾って食べないで」と言ったのがいけなかったのかもしれません。あとは、庭の鯉が28匹盗まれました。大きな缶を持ってきて、取っていって売り払ったようです。鍵を付けたのに入ってくるんです」

「それは夢ではありませんか?」と私が尋ねると、「夢は見ません」と言いました。

頭部MRIでは大脳皮質のびまん性萎縮が認められました。海馬に顕著な萎縮があり、画像所見だけ見るとアルツハイマー型認知症と考えられました。付き添ってきた娘が「物忘れがひどいので、進行を遅くする薬を出してください」と言いました。

レミニール®︎を開始しました。レミニール®︎は最初の4週間は朝夕食後に4mg錠を服用します。まずは4週間分処方しました。

病識がない

2回目の受診は1人でした。「薬は自分で管理しています。ちゃんと飲んでいます」と言いました。

娘の希望で抗認知症薬を飲み始めましたが、本人の意に沿わないようです。

「もの忘れは多いですが、娘は心配し過ぎです。今日も付いてくると言われましたが、『1人で行ける』と言って、1人で来ました」

レミニール®︎は5週間目からは朝夕食後に8mg錠を服用します。4mg錠で吐き気や下痢などの消化器症状が出ていないことを確認し、増量します。

「今日から8mg錠になりますからお薬の色が変わります」

「わかりました」

本人は処方箋を受け取ると帰って行きました。

二重処方

本人が帰ってからしばらくすると、最寄りの薬局からクリニックに電話がかかってきました。薬剤師は「近所の内科からも昨日レミニール®︎が処方されています。4mg錠が朝夕食後です」と言いました。

最初に私が処方したレミニール®︎を飲み終わったので、近所の内科で続きを出してもらったそうです。そのことを忘れて翌日当院に来たのでした。私は本日の処方箋を薬局で廃棄してもらいました。

次に、私は近所の内科医に、認知症の薬を漸増中なので、次回から当院で処方させてくださいと手紙を書きました。

地域包括支援センターに援助を依頼

娘の付き添いを拒み、二重処方されるなど援助が必要な状態です。薬の管理については薬局に居宅療養管理指導を依頼しました。

また、進行予防を図るためのデイサービス通所や、薬剤管理のための訪問看護など介護保険サービスを受ける必要が出てくると考え、地域包括支援センターに援助を依頼しました。

地域包括支援センターの担当者はすぐに本人の自宅を訪問しました。すると本人が出てきて「お薬は自分で管理しているから大丈夫」とキッパリ断られました。また、私から「娘が物忘れを心配している」という情報も提供していたので、担当者は「娘にも会いたい」と申し出ました。

すると本人は、「娘は家族以外の人とは会いません。若いころから長いこと部屋に閉じこもっているんです。簡単な用事はしてくれますが、私のほうがしっかりしているんですよ」と言いました。

当院に付き添ってきた娘は、どうやら引きこもりだったようです。地域包括支援センターの担当者は娘に会えずじまいでした。

担当者は帰り際に「これからときどきお寄りしてもいいですか?」と尋ねました。本人は「いいわよ」と言いました。介護認定申請はできませんでしたが見守りを続けてもらうことになりました。

レミニール®︎増量

内科から処方されていたレミニール®︎を飲み切ったので、次に当院を受診した際に8mg錠に増量しました。娘は初診時に付き添って来ただけでした。その後は本人1人での受診が続きました。

診察中にまた不思議な話をしました。

「夢を見ると、同じ光景が次の日に出てくるんです。『これは夢で見た光景だ』とわかるのです」

デジャブです。デジャブはレビー小体型認知症に伴って出現することがある症状です。

「考えがまとまらない感じがします。忘れてしまうのでスケジュールは手帳に書いています」

自分の状態をそのように表現します。

レミニール®︎を服用し始めてもパッとしません。レビー小体型の場合には、レミニール®︎のようなアセチルコリンエステラーゼ阻害薬を服用すると幻覚妄想がピタッと治まり、覚醒したような感じになるのが常です。

さらに12mg錠にまで増量しました。

ふらつき

X-9年、90歳です。しばらく本人が薬を処方してもらいに来ていましたが、あるとき娘が代理で受診しました。娘が現れたのは久しぶりです。

「本人はふらついて転びました。手の指を骨折して家で休んでいます。おかしなことばかり言うのです。テレビを観ているときに、生放送や再放送ではない番組を見て『これは再放送だ』と言うのです。事実と違います」

デジャブが続いているようです。

ふらつきは気になる症状です。レビー小体型認知症やその他の妄想が出現するタイプの認知症にはパーキンソン症候群を伴うものが複数見られます。進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核変性症、嗜銀顆粒性認知症などです。

SNAP

SNAPとは「Suspected non-Alzheimer disease pathophysiology」の略です。

アルツハイマー型認知症ではアミロイドというタンパク質が溜まります。生前アルツハイマー型認知症と診断されていた人の脳を調べると、アミロイドが溜まっていないのに海馬が萎縮していることがあります。そのような人が2割ほどいるといわれています。

つまり臨床的にアルツハイマー型認知症と診断された人の2割が、アルツハイマー型認知症ではなく別の病気なのです。アミロイドではなく別の原因で海馬が萎縮しているのです。

ヒトは老化すると脳にタウ蛋白というものが溜まります。このタウ蛋白が異常に多く溜まって海馬が萎縮していることがあり、そのうちの一つが嗜銀顆粒性認知症です。

嗜銀顆粒性認知症

この認知症では「遅発性統合失調症」という臨床症状を呈することがあります。通常の統合失調症は10代〜20代で発症しますが、40代以降、あるいは60代以降に発症します。

海馬の神経細胞突起に4リピートタウ蛋白が溜まり、海馬が萎縮します。MRI画像で見るとアミロイドが溜まって萎縮しているのと見分けがつきません。

しかしながら見分けやすい一つの特徴があります。それは「左右差」です。4リピートタウ蛋白が溜まるもう一つの病気、大脳皮質基底核変性症でも「左右差」が見られますが、この嗜銀顆粒性認知症も海馬の萎縮の顕著な左右差が特徴です。

外来診療で5年以上の長い経過を見ていると、MRI画像で海馬の左右差が明らかになってくることがあるのです。症状と合わせて「嗜銀顆粒性認知症」と診断できます。

剖検ではアルツハイマー型認知症に次いで2番目に多い認知症です。

ADLは保たれている

その後、もの忘れは徐々に進行しましたが、ADLは保たれていました。それだけではありません。90歳を過ぎていましたがいまだに町会の役員をやっていました。

娘と旅行にも行きました。その都度「旅先の光景は、みんな前の日の夢に出てきたものばかりでした」と語りました。

身の回りのことはできていましたが、寝ている時間が増えました。それでも簡単な調理はできていました。

選挙ポスターを見て「あら、大きくなって」とまるで子どものころからの知り合いのように話します。

もの忘れのみの悪化

身の回りのものを紛失することが頻繁になりました。義歯、診察券、通帳、印鑑、カードなどがなくなりました。探せば出てくるのでなんとかなっていました。

認知症の症状としては、記銘力障害だけが顕著で、そのほかにデジャブや妄想がときどき出現するだけでした。

X-8年、91歳です。薬を飲み忘れるようになりました。スケジュールは手帳で管理していましたが、それでも間違えるようになりました。

このころから診察時に尿臭が感じられるようになりました。失禁しているのかもしれません。それでも娘と旅行に出掛けていました。

パーキンソン症候群が出現

以前にふらつき、転倒がありましたが、しばらく落ち着いていました。それが、このころから「歩きにくいです」と自覚症状が出現しました。診察室で歩いてもらうと、小刻みすり足歩行で前傾姿勢です。

易疲労性も出現しました。進んでいるようではありましたが、まだADLは自立しており料理も作っていました。

筋力低下などの身体機能の低下が懸念されました。このため介護認定をしてもらうことにしました。本人も「歩きにくくなった」という自覚があり受け入れました。通所リハビリテーション(デイケア)に行ってもらうことになりました。

「竹久夢二展を見に行きました。夢二さんは私がお目にかかった2年後に亡くなったんですよ」

竹久夢二の没年は1934年です。1932年に会ったことになります。1922年生まれなので計算すると10歳のときですがこれは妄想ではないのでしょうか。

X-7年、92歳です。もの忘れはひどいですが、娘と旅行に行きました。

夏には冬のセーターを着込んで受診しました。暑いだろうと思いますが本人は気づいていません。自宅の寝室にはエアコンがないということでした。

デイサービスの導入

せっかく行き始めたデイケアですが、休みがちでした。私は昼間だけでも涼しい場所で過ごすようにデイサービスを勧めました。

「死んだ夢を見ました。最近よく見るんです。お迎えが来て連れて行かれそうになって。悪夢です」

X-6年、93歳です。通帳がなくなりついに見つからなくなりました。年金が下ろせなくなりました。銀行に手続きに行くと「娘さんが通帳を管理してください」と言われました。

食事を抜くことが出てきました。食べることを忘れるのです。

軽度認知障害レベル

MMSE24点でした。30点満点の認知機能検査です。できなかった項目は遅延再生です。3つの言葉を覚えて後から聞かれて一つも思い出せませんでした。また今日が何年かがわかりませんでした。

この点数では軽度認知障害のレベルです。ADLは自立しており、確かに軽度認知障害です。薬の飲み忘れは徐々に増えていきました。

この年には娘と海外旅行にも行きました。

X-5年、94歳です。デイサービスを徐々に増やしました。それ以外の日はほぼ寝ています。

パーキンソン症候群が増悪し、自宅内の移動に手すりが必要になりました。また浴室改修を行い入浴介助で訪問看護師を入れました。訪問リハビリテーションも行いました。

旅行から帰ってきたところ疲れて転倒しました。診察時に感じる尿臭は徐々に強くなってきました。洗濯ができていないのかもしれません。

ケアマネジャーからの電話

「最近、疲れておりデイサービスを休みがちです。発熱したこともありましたが近所の内科へ行くのが困難な状態でした。往診の先生を紹介してもらえませんか?」

尿路感染症かもしれません。いずれにしても内科的な健康管理が必要です。私は往診をしてもらえる医療機関に紹介状を書きました。

すぐに訪問診療とはなりませんでしたが、何かあったらすぐに入ってもらえることになりました。

認知機能は保たれる

MMSE24点でした。前年に25点でしたので1点しか違いません。MRIの画像を見ても変化はほとんどありません。

失禁は徐々に量が増え、時に便失禁も出現しました。パットの使用からリハビリパンツの併用になりました。夜間は防水シーツを敷くようになりました。

食事、着替えは自立していました。それでも要介護3になりました。

週3回のデイサービスは楽しく通っていました。徐々に食事量が減り体重が減少しました。

X-4年、95歳です。MMSE19点に下がりました。転倒することが増え、怪我が絶えません。

「家の中でいつの間にか倒れていました」

娘が言いました。

このころには最初に語っていたような妄想を言わなくなっていました。私はパーキンソン病治療薬のネオドパストン®︎を試してみることにしました。少量から開始しましたが効果は感じられませんでした。

杖や歩行器が使えない

X-3年、96歳です。杖の使用を勧めましたがうまく使えるようにならず断念しました。次に歩行器を試してみました。歩行器で歩くことはできましたが、「歩行器ではバスに乗れない」との理由で使わなくなりました。

突進現象が出現しました。突進現象はパーキンソン病の症状です。歩いていると徐々に歩行速度が速くなり足が止まらなくなる症状です。最後はどこかにつかまるか倒れるかするまで止まりません。

床からの立ち上がりが難しくなったので、こたつでの生活をやめて椅子にするように指導しました。

以前は饒舌に妄想を語っていたのですが無口になりました。表情も無表情になり、顔がつるんとした感じになりました。

介護ベッドの導入

X-2年、97歳です。介護用ベッドを導入しました。

X-1年、98歳です。それまで居室は2階にありましたが、階段昇降が不能となり、介護用ベッドを1階に下ろしました。

転倒の頻度が増え、会話は徐々に減ってきました。食事中にも眠り込むようになり、起きている時間が極端に減りました。診察中にも会話中に目を閉じてしまいます。

歩行は両手引き歩行です。

食事中に眠り込むので食事摂取量が減少しました。このため、エンシュア・リキッドを処方開始しました。

そのうち車椅子介助になりました。MMSEを施行したところ21点でした。大脳萎縮は進行しているにもかかわらずMMSEの点数の低下は見られません。MMSEの点数は大脳萎縮や認知症の程度を反映していませんでした。

食事が取れない

徐々に食事量が減り、栄養はエンシュア・リキッドの摂取に頼るようになりました。

椅子での座位が難しくなり、ずり落ちるようになりました。

X年、99歳です。咀嚼嚥下に時間がかかるようになりました。食事の時間が1時間以上かかるようになりました。食事をするだけで疲れてしまいます。

歩行状態は突進現象が顕著で、介助をしても転倒します。打撲傷が原因で貧血となり輸血も受けました。

血圧が著しく変動するようになりました。自律神経の調節ができなくなっているのです。動かせば上がりますし安静にするとストンと下がります。乱高下するのが当たり前になりました。

食事時間は1時間どころか2時間、3時間と徐々に長くなりました。1食食べ終わるのに5時間半かかったこともあります。このため1日2食になってしまうこともありました。

食事が満足に取れないと自らエンシュア・リキッドの缶を開けて飲んでいます。スプーンを使って器用に自分で開けます。

通院は車椅子でしたが、自宅内ではなんとかトイレまで歩けていました。リハビリパンツを履いていましたが、自分でも取り替えていました。

食事摂取量が著しく減り、ほとんどがエンシュア・リキッドの摂取になりました。

訪問看護師のリハビリテーションで玄関から出て数メートルの屋外歩行をしていました。

妄想を語らなくなる

診察時にはほとんど閉眼していました。声をかけて「お元気ですか?」と問いかけると黙って頷きます。最初のころのように饒舌に妄想を語ることはもうありません。

娘の話では、いまでも目を覚ますと新聞をめくって見ていることがあるということでした。

夏になりケアマネジャーが電話してきました。ベッドから落ちることが増えたということでした。食事も1日1食も取れないのでエンシュア・リキッドを増やしてほしいということでした。自宅での食事は取れませんでしたが、デイサービス参加時には食事が取れていました。他の人といっしょだと真似をしながら食べることができたのです。

デイサービスを増回してもらいました。1日1食でもしっかり取ってもらえるようになりました。

MMSE19点でした。30点満点で19点です。中等度認知症の状態です。3年前の検査でも同じ点数でした。アルツハイマー型認知症であれば平均で1年2〜3点低下するので、アルツハイマー型認知症らしくありません。やはりこの人は嗜銀顆粒性認知症なのでしょう。

首が座らない

首が座らなくなりました。車椅子にヘッドレストを付けました。初めてショートステイに行ってもらいました。

誕生日が来て100歳になりました。

診察時に私が「100歳おめでとうございます」と言うと「ありがとうございます」と言いました。

このころから食事や水分の摂取が減り、トイレで排泄することも減りました。引きこもりの娘が介護していましたが不十分で不潔になることが多くなり、ケアマネジャーからファックスが入りました。

体重が減少し、栄養状態を心配したケアマネジャーがお泊まりデイサービスを手配しました。宿泊すると他の人といっしょの食事なので、皆の食事を見て真似して食べられます。家にいるときよりもよく食べることができました。

お泊まりを増やすため要介護度の区分変更をすることになりました。現在要介護4です。目標は要介護5です。

何度も転倒を繰り返し、顔が傷だらけです。自宅に手すりをたくさん設置しましたが転倒はなかなか減りませんでした。

ネグレクトの始まり

X+1年、エンシュア・リキッドの味に飽き、飲まなくなってしまいました。

自宅で倒れて動けないでいましたが、娘がそのまま放置しました。手助けしようとしたら「うるさい」と言われたというのがその理由です。翌日訪問看護師が入りそれを発見しました。体温が35度まで低下しており低体温症で救急搬送になりました。

娘の介護力不足です。娘はもともと引きこもりで何らかの精神疾患があったものと思われます。現在の母親に対する対応を見ていても正常な判断力があるとは思えません。また娘ももう72歳です。娘自身が高齢者です。

ケアマネジャーが訪問時に確認したところ、娘は精神科に通院していることが判明しました。「病名は聞いていません。自分では神経衰弱みたいなものだと思っています」と話しており、見せてもらった薬はメジャートランキライザーだったとのことです。統合失調症のようでした。

褥瘡

しばらくすると訪問看護師が本人の臀部に褥瘡を発見しました。栄養状態が悪くなかなか治りません。血圧変動はさらに激しくなり、高いと200くらいまで上がります。少し安静にすると130くらいまで下がります。自律神経の機能はだいぶ低下しました。体がむくんできました。食事が満足に取れなくなり、エンシュア・リキッドも飲まなくなったので栄養失調でむくんできたのかもしれません。

在宅介護を継続して自宅で看取るのか、ネグレクトと判断して娘から引き離し措置で入所させたほうがいいのか悩みます。

もうすぐ101歳の誕生日です。誕生日は来るのでしょうか。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。