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認知症が進行すると意思決定が難しくなります。

健康なときや軽度認知障害の段階であれば、本人自身が将来どうしたいのか意思を表明することが可能です。このためさまざまなケースを想定してあらかじめ答えを用意しておけます。

「もし脳卒中や心筋梗塞で助かる見込みがないときには、蘇生術をしないでほしい」
「肺炎になっても人工呼吸器はつけないでほしい」
「がんが見つかっても、進行していたら積極的な治療はせずに痛みだけを取り除いてほしい」

などです。もちろん人の気持ちは揺れ動きますから、決定した意思はいつでも修正できます。しかし、多くの人があらかじめ意思決定していないのが現状です。

認知症の人に対する意思決定支援は、疾患の進行段階に応じて本人の意思を汲み取りながら行われます。

「認知症だから検査は受けません」
「認知症だから治療しなくてもよいです」

よく聞く言葉です。

認知症の人の検査や治療についての意思決定には主介護者が中心的な役割を果たしますが、主治医やケアマネジャーなど本人に関わる人々は専門的な知識を提供して、本人にとって最良の意思決定ができるよう援助する必要があります。

それは本人だけでなく、周囲の人たちが後悔しないために必要です。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 068
82才女性

その人はいつになく饒舌でした。通院中の人の夫です。自宅で一人で介護しています。

妻の容体が徐々に悪化して、認知面も身体面も、合併症も手に負えなくなりつつあります。不安感が伝わってきます。

「ほとんどの時間眠っていて……」
「ご飯が飲み込めなくて吐き出してしまうんです」
「下着がいつも血で汚れていて、洗濯しても落ちません」

こうなることはわかっていましたが、いざ向き合うと想像以上に辛いのです。

私はどうやって援助すれば良いのでしょう。

これまでの経過

もともとおおらかで明るい性格でした。

X-11年、白内障で視力が低下したところ、見間違いが増えて勘違いが増えました。

X-8年、洗濯機が壊れて新しく買ったところ使えるようになりませんでした。

電車の乗り方がわからなくなりました。本人は恥ずかしいのか「電車で来た」と言っていましたが、家族が調べたらタクシーの領収書が出てきました。

徐々に調理をしなくなりました。

「向かいのマンションにやくざが大勢いる。そこに住む若い女性が悲鳴をあげて飛びおり自殺しようとしている。隣の部屋に住むお婆さんがその女性の世話をしていて、人生相談にのっているようだ」

「夜になると向かいのマンションが張り出してきて、窓が飛び出してくる」

これは遠近感がわからなくなる視覚認知障害と考えられます。

「近所の幼稚園にいる男の子がつるされて怒られたり、列に入れてもらえなかったりしていじめられている」

これは錯視に基づくと思われる妄想です。

性格が変わり、怒りっぽくなり、心配症になりました。

幻聴

X-7年、「上階の夫婦がケンカをしている」と頻繁に訴えるようになりました。事実ではありません。幻聴に基づく妄想です。

妄想だけでなく過去の記憶を修飾して話を作るようになりました。作話という症状です。相手が驚くようなオーバーな表現や嘘を混じえエピソードを語ります。

貯金通帳をなくし「誰かが入ってきて盗ったのではないか」と言うようになりました。もの盗られ妄想です。アルツハイマー型認知症にもみられる記銘力障害に伴って現れる一般的な妄想です。

作話や妄想などの事実と違う話をすることが多く、夫や娘が訂正すると怒り出すようになりました。

自分が捨てたことを忘れて娘が捨てたと思ったり、逆に自分が買ったことを忘れて娘が持ってきたと思っています。

管理能力の低下

薬の管理ができなくなり飲み忘れるようになりました。

結婚した当時のことを思い出し「夫が子どもの面倒を見てくれなかった」「姑にいじめられた」などと訴えて夫を責めるようになりました。

ときどき急に正気に戻り、自分が見た幻視を「そんなの見えるはずないわよね。冷静に考えると不思議だわ」と言います。

転居したところ、以前に住んだ家といまの家が混乱し、朝起きたとき自分がどこにいるのかわからなくなってパニックになります。

睡眠が不規則になり、昼寝をしたり、夜に何度も起きたりします。夜中に起きたときに人の叫び声などの幻聴が聞こえて不安になってしまいます。

徐々に歩く速度が遅くなり、小刻みすり足歩行になりました。

おもに精神症状に対して夫が困ってしまい、夫と娘に付き添われ、当院初診しました。

初診時の状態

MMSE23点でした。時間的見当識障害と記銘力障害がみられました。MMSEは認知機能の一部を知るために行う簡易な知能検査です。30点満点で22〜24点以下が認知症、概ねそれ以上は軽度認知障害です。

本人も不安を抱えており、「最近、自分が怒りっぽくなったのが、気になります。また、実際にはない物が見えたり聞こえたりするのも心配です」と言いました。

認知症になると病識が失われることが多いです。この人には病識があり、軽度認知障害のようです。

症状経過からレビー小体型認知症と診断しました。ご家族の希望で本人に告知しませんでした。本人が自覚している怒りっぽさや、幻視・幻聴を抑える薬と説明して抑肝散加陳皮半夏とリバスタッチパッチ®︎を処方しました。

高齢者の幻視・幻聴

高齢者の幻視・幻聴は、感覚遮断によって増悪します。

この人は視覚に問題がありました。両眼の白内障で視力がかなり低下していたのです。感覚刺激が不十分だと足りない部分を脳が補おうとして、過去に見たもののなかから似たものを探し出して当てはめてしまいます。そして誤って認識してしまうのです。これを幻視の一種で錯視といいます。このため手術をして目が見えるようになったら対象物が正しく認識されて幻視が減るのではないかと思われ、手術を受けるようにアドバイスしました。

また、難聴のある人には幻聴が多く見られる傾向があります。はっきり聞こえない音を別の音に聞き間違える錯聴です。ところがこの人は難聴はありませんでした。普通の大きさの声で十分に会話ができました。感覚遮断が原因ではないようです。

抑肝散加陳皮半夏の効果

抑肝散加陳皮半夏を服用して1カ月たったころ、「女の人が叫んでいる」「上の階で夫婦が喧嘩している」などの幻聴は訴えなくなりました。

抑肝散や抑肝散加陳皮半夏は、レビー小体型認知症の幻覚妄想に効果があります。効いてくるのに2週間ぐらいかかります。この人は1カ月ぐらいで改善しました。

リバスタッチパッチ®︎のほうは貼り始めたところ気管支喘息の症状が出て、数日貼って中止になりました。それから通院が中断しました。

漢方薬の抑肝散加陳皮半夏は、私が処方したものはとっくに切れていましたが、幻聴の症状が目立ってくると家族が市販のものを購入して服用させていました。

漢方薬をときどき服用することにより、昔のことを思い出して夫を攻撃したり、作話を指摘されて怒り出すなどの症状は落ちついていました。

金銭へのこだわり

X-6年、金銭に執着するようになり、娘に「お金を返して」ときつい口調で言ってきます。

幻視も出没しており、「小さい女の子が来ている」「息子の嫁が来ている」と言ったり、虫が見えているようで、何もないところを指でつまんでいます。

そうこうしているうちに、「お姉さんが迎えに来た」と言って突然自宅から出ていく症状が出現しました。その頻度が徐々に増えて、家族が制止すると興奮してしまうようになりました。

X-5年、夫が対応に困り2年ぶりに来院しました。

衝動性の悪化

衝動的で落ち着きがなく、ときどき興奮も見られるということで、向精神薬で治療することにしました。抗てんかん薬であり、双極性障害の気分調整薬としても使われるバルプロ酸ナトリウム(デパケン®︎)を処方しました。

本人は錠剤だと薬を嫌がって飲みません。特に夫が勧めると被害的で「何か変なものを飲ませようとしている」と言って飲んでくれません。これを被毒妄想と言います。このため、シロップ剤を処方しジュースに混ぜてこっそり飲ませることにしました。

両眼の白内障の手術は終わっていましたが、視力が回復しても幻視が続いていました。目が悪いことだけが原因ではなかったようです。

また、視覚認知障害と考えられる症状も認められました。視覚認知障害でよくある症状は人物誤認という症状です。夫の顔が自分の両親や子ども、まったく知らない他人や昔の知人に見えるなど、別の人物と認識される症状です。

この人は娘が猫に見えます。人間ですらないのです。後頭葉にある視覚野の機能不全が原因です。

触覚での認知も低下しました。洗濯機の中の洗濯物をびしょ濡れのまま取り出して干すので物干し場までの床が濡れています。干してある洗濯物がまだ濡れているのに触ってもわかりません。湿ったまま取り込んでタンスにしまいます。

服を着替える順番がわからなくなりました。ズボンの上から下着のショーツを穿いたりします。

デパケン®︎を開始したところ以前に比べて精神症状は改善し、幻覚妄想に基づいて衝動的に家から出て行くなどの行動は減りました。

家族の疲弊

頻度は少なくてもまだ行動が見られるため、本人を見張っていないといけないので家族が疲弊してきました。

介護認定申請して、日中だけでもデイサービスに預けるようにアドバイスしました。

徐々に意欲が低下し、食事中に動作が止まってしまって最後まで食べられなくなりました。日中の居眠りも増えました。

両親が生きている

デイサービスに預けたところ、サービス中に「両親の名前を書く」というドリルを行なったところ「両親が生きている。会いに行く」と落ち着かなくなりました。思い出してしまったのでしょう。

ケアマネジャーに連絡し、デイサービスでのドリルは計算ドリルに変えてもらうことにしました。

デパケン®︎の副作用

便失禁するようになりました。デパケン®︎の副作用かもしれません。いったん中止しました。

2、3週間様子を見ていたところ便失禁はしなくなりました。ところが精神症状が再燃して不安感が強くなり、自分の部屋にこもってバリケードを築くなどします。

また、小さな音が聞こえると侵入者がいるのではないかと怖がります。家族に何か言われると反発も強くなりました。

家族がトイレにいる本人にトイレ動作がちゃんとできたか声をかけると怒鳴り返すようになりました。

このためデパケン®︎をまた内服させることになりました。しばらくすると再び易怒性が改善し、トイレの後の確認もさせてくれるようになりました。

しかしトイレの失敗は増えました。娘が後始末を手伝うと「お世話になりました」などと丁寧にお礼を言うようになりました。誰か他の人だと思っている様子です。

お泊まりデイ

排泄の世話が増えたため介護がたいへんになりました。食事の速度は徐々に低下し、1回あたり1~2時間かかります。食事介助も一苦労です。

お泊まりデイに預けると排泄と食事の世話が減り、夫の負担が減りました。「たいへん助かります」とのことでした。

認知症は徐々に進行し、テレビの内容がわからなくなり、観るのを嫌がるようになりました。

栄養補助

食事するだけで1回あたり1〜2時間もかかり疲れるため、十分に食事量が確保できずやせてきました。

手っ取り早く栄養を補給してもらうために、エンシュア・リキッド®︎を処方しました。缶ジュースのように飲むだけで十分なカロリーが取れます。

飲むと元気が出て、食事動作が十分にできるようになり食欲も増してきました。

両親を探す

両親を思い出し、探し回る症状がなかなか改善しませんでした。

思い出したように「会いに行く」と言って出て行ってしまいます。家族が追いかけて家に連れ戻します。

X-4年、デイサービスが順調に増回でき生活リズムが整ってきました。

日中デイサービスで過ごすことで夜はよく眠ってくれます。両便失禁がみられたので、リハビリパンツの使用を勧めましたが、家族はトイレ誘導で乗り切りたいと希望し、夜間2回ほどトイレに連れて行っていました。

MMSEは8点に低下しました。入浴を嫌がるようになり、自宅で入れることはできなくなりました。私はケアマネジャーに連絡して、デイサービスで入浴サービスを受けられるように依頼しました。

会話が成立しなくなり、口頭指示も入らなくなりました。幻覚や妄想を訴えることはまったくなくなりました。

ドールセラピー

両親を探して出て行こうとするため、寂しいのではないかと思い人形や縫いぐるみを与えました。すると気に入って、ずっと抱っこしているようになりました。

デイサービスに行くときも人形といっしょです。食事の時間には人形の口にご飯を運ぶので、人形がぐちゃぐちゃに汚れてしまいます。

会話が成立しなくなるまでの進行速度が速いため、頭部MRIを施行しました。すると初診時に比べて左側頭葉に強い萎縮がみられました。

進行性失語症の状態です。レビー小体型認知症だと思っていましたが、大脳皮質基底核変性症のような病気なのでしょうか。またはレビー小体型認知症に別の認知症を合併したのでしょうか。

幻覚妄想や興奮がまったくなくなったため、デパケン®︎は中止しました。当院ではときどきエンシュア・リキッド®︎を処方するだけになりました。

診察時にはニコニコしていつも機嫌が良く、会話はまったくできませんがおとなしい状態です。いつも人形を抱き締めていて、人形に何か話しかけています。人形が汚れてしまったときは猫のぬいぐるみを代わりに渡すと、それをかわいがって夢中になっています。

要介護3

トイレにまったく行かなくなったので、介護認定は要介護3に上がりました。オムツの補助が出るようになり、ようやくリハビリパンツにしました。

自分の名前だけは書けていたのですが、それも徐々に書けなくなりました。

X-3年、お泊まりデイだけではなく、ショートステイも利用するようになりました。自分では、お手伝いに行っているつもりになっているようで、スタッフの動作を真似てお茶の入った湯のみを運んだりします。

MMSE2点になりました。即時再生で3つのうち2つの単語が言えました。オウム返しの反応のみとなっているのです。

睡眠薬

ショートステイでは夜中に迷子になって施設内を徘徊したため、睡眠薬をもらってくるように言われたということでした。

転倒リスクが高いため、筋弛緩作用がない新しいタイプの睡眠薬を処方しました。オレキシン受容体拮抗薬のベルソムラ®︎です。服用するとすごくよく眠れました。しかし翌日までぼんやりしていたということでした。このため必要なときだけ服用させるということになりました。

X-2年、要介護4に上がりました。

ショートステイ中にベルソムラ®︎を毎日服用させていたところ、次の日も眠気が残り自分では朝起きられなくなってしまいました。

しこり

デイサービスで入浴させたときに、乳房にしこりが見つかりました。その話を聞いて私はすぐに外科を受診させるようにアドバイスしました。

しかし、認知症が重度であることから、もし乳がんが見つかっても積極的な治療は難しいということで、自然の経過に任せるという結論になりました。

最初のうちは、触ってしこりを感じる程度でしたが徐々に皮膚が黒ずんできました。診察時に本人はニコニコ笑っていますが、夫は不安そうです。

「皮膚が黒くなってきて腫れがひどくなってきました。心配です」

オウム返しの反応もなくなる

認知症も進行しました。オウム返しの反応もなくなり、 MMSEは0点になりました。

MRI画像では、大脳皮質のびまん性萎縮が著しくなり、それだけではなく脳幹部も痩せてきました。そのせいか誤嚥するようになりました。水分にとろみをつけるようにアドバイスしました。

食事はほぼ全介助で、たまに自分で食べるときは手づかみです。一時期テレビを嫌がって観なくなりましたが、最近では悲しいニュースでもゲラゲラ笑いながら観ています。

診察時に胸部を診ると、乳房に直径数cmの痂皮ができており、周囲に発赤を認めます。触診すると硬く可動性は不良です。悪性のものだと思いました。

ステージ3

何もしない方針でしたが、乳房の痂皮がつぶれて出血をしたので夫が近所の外科クリニックへ連れて行きました。すると「ここでは見られないので大学病院に行ってください」と言われ紹介状をもらい、大学病院を受診し精密検査の結果stage Ⅲの乳がんと診断されました。

検査の際に口頭指示が入らないため、全部の検査は行えませんでした。

大学病院の担当医は、重度の認知症を鑑みて「手術も放射線治療もホルモン治療も難しいので、自宅で訪問診療によるターミナルケアになるでしょう」と言いました。

問題は腫瘍からの出血でした。ガーゼで保護しても本人が剥がしてしまい、着衣に浸出液や血液が付着してしまいます。幸い本人は痛みを感じている様子はなく、いつもニコニコしています。

両便失禁は常時あり、入浴介助中に浴槽内で排便してしまうこともあるので介護はたいへんでした。

訪問診療への移行を勧める

もはや現在の介護については、乳がんの患部の処置と排泄のケアがメインです。

私は「紹介状を書くので訪問診療に移行してください」と言いましたが、夫はいままで通り通院したいということでした。

「なぜですか」

「妻がこうなった経緯を知っている先生に診てもらいたいからです」

もはや神経内科医の出る幕ではない状況ですが、私は主治医を続けることにしました。

デイサービスとショートステイを利用しながらいままで通り当院に通院していましたが、本人はだんだん衰弱してきました。

乳がんのケア

私は乳がんの傷に塗る薬を処方するようになりました。

X-1年、乳がんはどんどん大きくなり、潰瘍の範囲が広がってきました。ガーゼも大きいものを使わないと覆いきれなくなりました。

以前よりは弱りましたが、まだ歩行することはできており、ショートステイの際に他の部屋に入り込むので、ベルソムラ®︎はときどき服用していました。

要介護度が軽度になる

介護認定の更新時期が来て、認定調査の際に本人はおとなしく、以前のような精神症状もなかったので要介護4から要介護3に下がってしまいました。

要介護3では現在のデイサービスとショートステイの利用ができません。自費になってしまいます。このためすぐに区分変更申請をしました。

ショートステイを徐々に増やし、月の半分は入っているようになりました。

食事介助を行えばほぼ完食できます。以前より食事が摂れるようになりました。

足の運びが徐々に悪くなり、つまずいたり、車に乗るときに足が上がらなくなりました。靴下のはき方がわからなくなりました。パーキンソン症候群の悪化と失行です。

認知症とがんの同時進行

乳がんも悪化し、従来の潰瘍の横にもう1カ所新たなしこりが出現しました。

ガーゼ保護する部位がさらに多くなり、大きなガーゼ2枚になりました。じわじわと出血が続いています。不思議に痛みは訴えませんでした。重度の認知症でなかったらさぞかし本人は辛い状況でしょう。

眠っている時間が増える

X年、眠っている時間が増えました。食事以外はほとんど眠っています。外出するときに靴の履き方がわからなくなりました。失行が進行しています。靴を履かせてあげるとまあまあ歩けます。

徐々に四六時中傾眠状態となってきました。

嚥下が難しくなり、食事を口に入れても飲みくださないで吐き出すようになりました。流動食にしたところ嚥下できました。徐々に歩けなくなり、外出は車椅子を利用するようになりました。

夫の不安

夫の不安感が強くなりました。

診察室に入室すると堰を切ったように妻の症状について語ります。次々とさまざまな症状が出現したことを話します。

それらは以前から徐々に話題になっていた認知症終末期の症状です。それに加えて乳がんの末期症状です。それらについて何もしないと決めています。

私はショートステイに預けるためのベルソムラ®︎、ときどき栄養を補うためのエンシュア・リキッド®︎、乳がんの傷に塗る外用薬ロゼックス®︎だけを処方しています。

私に求められているのは夫の話を聞くことです。これまでの経緯をすべて知っている私が聞くことに意味があるのです。私はすべてアドバイス済みであり、毎回行われるのはその確認作業です。夫が話し終えると診察が終わります。そしてまた介護に向かっていきます。

その背中に、毎回最後に必ず私が言わなければならない言葉があります。

「介護が無理になったらいつでもすぐに教えてくださいね」

それを教えてくれる日が来るのでしょうか。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。