バックナンバーを読む

認知症はアルツハイマー型認知症だけではありません。そのほかにもいろいろなタイプの認知症があります。治療法が確立していない疾患が多いのです。

日本神経学会は種々の認知症疾患について、ガイドラインである程度の治療指針を示しています。私たち神経内科医はそれにのっとって治療を進めます。

認知症の人や家族に対してなるべくわかりやすく説明して、いまできる最善の治療を尽くそうと努力します。

しかしながら全部の治療が「吉」と出るわけではありません。良かれと思って行なった治療で悪影響が出ることもあります。薬の副作用で興奮したり怒りっぽくなったりすることもあります。

ですから治療は慎重に相談しながら進めます。落とし所を探りながら行ったり来たりです。

CASE 070
83才男性

電子カルテの診察待ちリストを見て「おや?」と思いました。

他院に紹介状を書いて転院したはずの人が予約外に受診しています。私の説明や治療に納得いかないから転院したはずです。それなのにまた来院したようです。

一体どうしたのでしょうか。

これまでの経過

X-3年、近所で迷子になるようになりました。支払いが必要な請求書などを処理しないでしまい込んで紛失します。生活に支障が出てきました。

X-2年、いらなくなった書類も必要な種類も区別がつかなくなり、何もかもしまい込むようになりました。スケジュール管理ができなくなりました。服装が選べなくなりました。

対応に困った妻がかかりつけの内科医に相談しました。そこで当院を紹介され、妻に連れられて当院を初診しました。

初診時の状態

MMSE25点でした。MMSE(mini-mental state examination)は簡易な認知機能の検査です。満点は30点で、短期記憶や、見当識、集中力、注意力、言語機能、構成能力などを見ます。所要時間は15分ぐらいなので、簡単にでき、抗認知症薬の治験でも評価に用いられていますので、当院ではルーチンで行なっています。

この人は、この検査で時間的見当識障害が見られました。また「ダブルペンタゴン」と言う図形が描けませんでした。互いに重なり合った2つの五角形を模写する検査ですが、物の形の認識をしたり、構成を行う能力を見ます。失行や失認がある人にはうまくできません。

頭部MRIでは右半球が著しく萎縮していました。

迷子になるときの様子を聞くと「左に曲がる路地が見つけられず直進してしまうのです」ということでした。左側無視です。左半側空間失認ともいいます。おもに右半球頭頂葉の障害で起こります。原因となる病気は脳梗塞が多いのですが、大脳が変性する変性疾患にもみられます。

左半側空間失認

半側空間失認は左側にみられることが多いです。その理由は、大脳が空間を認識するときの左右の違いにあります。

右利きの人の場合、右の空間は両側の脳で認識しているのに対して、左の空間は右の脳でしか認識しません。このため、左脳に損傷を受けても右側の空間は右脳で認識できますが、右脳に損傷を受けると左の空間を左脳で認識できないので左半側空間失認が起こるのです。

前頭葉機能の低下が目立つ

もの忘れの自覚はありません。病識欠如です。意欲が低下して家でぼんやりして過ごすことが増えました。アパシーです。前頭葉の症状です。

大脳萎縮の左右差が顕著だったため、 DATスキャンを施行しました。

大脳萎縮に左右差が現れるタイプの認知症には大脳皮質基底核変性症と嗜銀顆粒性認知症があります。これらを鑑別するのに有用な検査がDATスキャンです。核医学的検査ができるような大きな病院でしかできないので別の病院に行ってもらう必要があります。

検査には時間がかかります。放射性同位元素を静脈注射して脳に取り込まれたころに撮像します。脳に取り込まれるまで3〜4時間待機している必要があるので、1日仕事になってしまうこともあります。落ち着きがない人や高齢で大きな病院に行くのが難しい人には勧められません。

また、ある程度のお金もかかります。3割負担の人で3万円弱かかります。このため時間やお金に余裕があり、検査のための注射などを素直に受けられる人が対象になります。

この人は受けることができました。結果は「右側優位線条体集積低下、左右差が顕著で大脳皮質基底核変性症に相応と思われます」とのことでした。

タウオパチー

大脳皮質基底核変性症はタウオパチーという病気の一種です。認知症のなかで最も多いアルツハイマー型認知症は脳内にアミロイド蛋白がたまりますが、こちらの病気ではアミロイドとは違うタウ蛋白というものがたまります。

脳に異常なタンパク質がたまると神経細胞が壊れてしまい、脳が正常に働かなくなります。そして壊れた細胞が死んで老廃物として排泄されてしまうことにより萎縮を来します。ですから順番として「正常に働かなくなる」→「萎縮する」です。

よく診察室で認知症の人の家族が画像を見ながら「ああ、こんなに萎縮したからボケちゃったんですね」などと感想を言いますが、因果関係は逆です。萎縮するのは後からなのです。

DATスキャンでは、萎縮する前、神経細胞の機能が低下している状態でわかるので、脳が萎縮する前でも病気を見つけることができます。

抗認知症薬

大脳皮質基底核変性症の治療はどうすればいいのでしょうか。

この病気の完治するための治療薬はまだありません。そのため国の難病に指定されています。このような疾患では対症療法を行います。

日本神経学会の認知症疾患ガイドラインでは抗認知症薬の使用が勧められています。抗認知症薬はアルツハイマー型認知症で治験が行われていますので、アルツハイマー型認知症の治療薬として保険収載されています。アリセプト®︎だけはレビー小体型認知症でも治験を行いましたので、唯一レビー小体型認知症でも保険収載されています。

このように保険では適用外使用になります。

そのように説明してアリセプト®︎の投与を開始しました。すると少し意欲が出て元気になりました。雨戸の開け閉めも、布団の上げ下ろしも指示しないとやらなかったのが自分からやるようになりました。

私自身の限られた経験ですが、アルツハイマー型認知症ではないタイプの認知症でも、抗認知症薬で元気が出たり、自発性やコミュニケーションの改善など効果が感じられることがあります。使ってよかったと思いました。

そのうちさらに意欲が出て、しばらくしていなかった庭仕事を再開しました。はしごに登ってノコギリで木の枝を切り、切った枝の処理もできました。ゴミに出す日も自分で調べて出すことができました。

歩行障害

徐々に歩行速度が遅くなってきました。

妻に何か促されると、カッとなって怒るようになりました。感情が高ぶりやすくなりました。

意欲は出ましたが、認知機能のすべてが改善したわけではありません。気温が上がって暑い日なのに冬服を何枚も着込むなど、不適切な着衣があります。妻が脱ぐように言うと怒り出します。

厚着しているのに汗をかきません。発汗障害です。自律神経症状の一種で、パーキンソン病やこの人のような変性性パーキンソン症候群などに伴ってみられます。

発汗障害が特に目立つ病気は多系統萎縮症です。昔は多系統萎縮症のうち自律神経障害が目立つタイプを「シャイ・ドレーガー症候群」と呼んでいました。いまでは多系統萎縮症もパーキンソン病やレビー小体型認知症と同じαシヌクレインというタンパク質がたまって起こる病気であることがわかっています。

困りごと

アリセプト®︎で元気にはなりましたが、怒りっぽくもなっており、妻が困っている様子でした。このため相談の上、薬をレミニール®︎に変更しました。

同じコリンエステラーゼ阻害薬でも効き方が違う薬剤です。このため副作用が起こらないことを期待して変更しました。

X-1年、レミニール®︎の効果はあまり見られず、意欲が低下し、アパシーが再燃しました。そして徐々に認知機能が低下しました。言葉の理解力が低下して、妻に何か言われても意味がよくわかりません。会話が通じなくなりました。

アパシー

すぐに眠り込んでしまいます。妻の印象ではレミニール®︎はアリセプト®︎より弱い感じがするということでした。

いままで自発的にやっていたルーチン作業をしなくなりました。ゴミ出しをしなくなり、雨戸も開けなくなりました。

天気が悪くて薄暗いと夜だと思うようになりました。さらに足が遅くなりました。

促さないと入浴しません。MMSE24点です。こちらは前回25点でしたのでさほど変わりありません。相変わらず図形が描けません。

妻が悪化したことを気にして、アリセプト®︎に戻してほしいということでした。そのため元に戻しました。

それでもさほど認知機能の回復は見られず、イライラだけが目立ってきました。話し掛けてもわからないと「知らん」「聞いてない」と怒ってしまいます。

抑肝散

抑肝散を併用開始しました。これにより妻に対するイライラは多少和らぎました。しばらくはアリセプト®︎と抑肝散の併用を継続しました。

食べたことを忘れて過食気味になりました。動作もどんどん緩慢になりました。

内科合併症

歩行時に息苦しさを訴えたので内科を受診したところ慢性心不全でした。高齢者ですから認知症以外の病気にも注意しなければなりません。入院して、こちらの治療を開始したところ息苦しさが解消しました。体調は良くなりました。

体調は良くなりましたが、入院中に認知機能は著しく低下しました。MMSE17点です。1年経たずに7点も低下するのは急激です。通常のアルツハイマー型認知症では年間平均2〜3点低下します。

このように内科の病気をきっかけに認知機能が急激に低下することはよく見られます。特に入院や手術を行うと悪化することが多いです。

息苦しさがなくなったので本人は元気になり、外に出たがるようになりました。外に出ると迷子になります。足が悪いので疲れると転びます。出て行かないように見張っていないといけなせん。目が離せません。

メマリー®︎

活動性が高まってしまったため、メマリー®︎を開始しました。メマリー®︎は、抗認知症薬ですが、興奮を鎮める作用もあり、鎮静効果を期待して処方しました。

ところが、この人の場合にはメマリー®︎服用後からテンションが高くなり、よりいっそう活発になって頻繁に徘徊するようになりました。メマリー®︎で元気になる人もいるのです。このためすぐに中止しました。

妻が疲弊してきたため介護認定申請するように指導しました。介護認定は要介護2になりました。

メマリー®︎を中止してしばらくしたところ少しテンションが下がってきました。自宅から出ようとする行動は減りました。

夜中に着替える

昼夜の区別がつかなくなり、夕食後にうたた寝して起きると朝だと思って行動します。夜中の3時に起きて着替えます。

睡眠リズムが崩れてきたため、リズムを整える必要が生じました。

このような場合、介護保険サービスで通所系サービスを入れます。毎日決まった時間に起きて活動することで睡眠覚醒のリズムを整えようというのです。

週2〜3回のデイサービスを導入してしばらく様子を見ましたが、なかなかリズムが整いませんでした。

薬の力も借りる

睡眠薬のデエビゴ®︎を開始しました。デエビゴ®︎は、オレキシン受容体拮抗薬という種類の睡眠薬です。従来のベンゾジアゼピン系と異なり、睡眠薬の副作用であるふらつきや転倒が少なく、依存性もありません。

デエビゴ®︎が奏効して間もなく、睡眠がとれるようになりました。もちろんデイサービスも続けていました。

失禁

認知機能は徐々に低下し、常時失禁するようになりました。このため紙パンツにするよう勧めましたが、本人に病識がなくどうしても導入できません。パットを付けることも嫌がります。このため下着の替えを持ち歩いてもらうようにしました。

本人は替えの下着をデイサービスの他の利用者やスタッフに見せて「パンツを持ってきた。いいだろう」などと言います。人に見せたいのか自慢したいのか、理由はわかりませんが皆に見せます。

新しいおもちゃを買ってもらった子どものようです。脱抑制と思われます。前頭葉機能の低下による症状です。周囲の人は本人を受け入れ「そうですか。よかったですね」と肯定的な反応を示しました。

薬をやめていく

睡眠リズムが整ったのでデエビゴ®︎を中止しました。デイサービスだけを継続しました。その後も睡眠リズムは保たれていました。デエビゴ®︎は睡眠リズムが整った後に中止できる薬です。習慣性がありません。ベンゾジアゼピン系の睡眠薬を使用していたら、こうはいかなかったでしょう。

デイサービスに通うようになってから、本人は自分の言葉や行動に対して受容的に接してもらえることが増えました。このため情緒が安定してきました。試しに抑肝散を1日2回から1回に減らしました。それでも易怒性が再燃することはありませんでした。

接し方も大事なのだとあらためて思いました。

小康状態となりました。

ときどき怒りますが理由があります。それは妻がもの忘れを指摘したときでした。妻もそのことはよくわかっていましたが「ずっと一緒にいるとどうしても言ってしまうのです」ということでした。

しかしそうやって怒ってもすぐに穏やかになるため、様子を見ていました。

退院後の改善

X年、MMSE19点でした。退院直後よりは少し良い点数でした。

このような現象はときどき見られます。入院中に低下した認知機能が自宅に戻ることにより回復するのです。元通りというわけにはいきませんが、ある程度回復します。それにはいろいろな理由が考えられます。最も大きい理由は入院中のせん妄(意識障害)が改善し、意識がはっきりすることです。意識がはっきりすると集中力や注意力が改善し、セブンシリーズ(100から7を引いていく)でのミスが減るなどします。

それでも認知症自体が改善したわけではありません。自宅の中でトイレの場所がわからなくなり、いちいち妻に聞きます。妻は毎回尋ねられるとイライラしてきて喧嘩になってしまいます。

相談の上、レミニール®︎を増やしてみることにしました。すると今度は以前アリセプト®︎を服用していたときのようにテンションが上がり徘徊をするようになりました。

納得できない妻

進行性の病気であることを再三説明していましたが、妻はどうしても納得ができず「大きな病院に通院したいです」と希望しました。

そもそも大脳皮質基底核変性症ですので、アルツハイマー型認知症ではありません。抗認知症薬を服用していても、あくまでも対症療法であり、進行抑制はできない可能性が高いのです。

抗認知症薬を変えたり増量したりするたびにテンションが上がって対応に困っているので、中止したほうがよいのではないかと提案しました。

妻が優しく接すれば怒ることもありません。しかし、妻はなかなか受け入れることができず、イライラして本人に向かって「違うじゃない」と怒ってしまいます。そして喧嘩になり、互いによくありません。

「どうしても認知症だと思えないのです。いままでできていたことができないのを見るとイライラするのです」

一方、本人は「こんなに馬鹿になっちゃって」と言って泣くこともあると言います。それを見て妻もいっしょになって泣きます。

そんなわけで妻は納得できないのです。このため紹介状を書いて大きな病院を受診してもらうことにしました。

当院の通院は終了ということで予約も取らずに帰りました。

予約外での来院

ところが突然予約外に来院しました。何のための来院でしょう。

「どうされましたか?」と私は聞きました。

すると開口一番、妻は「アリセプト®︎は必要ですか」と言いました。

いままでにも再三説明したように、大脳皮質基底核変性症でも、認知症疾患ガイドラインでは抗認知症薬の使用が推奨されています。

しかし、エビデンスがあるわけではありません。この人の場合は服用によって脳が活性化しましたが、徘徊が増えたり、怒りっぽくなったり、悪いこともありました。良い面も悪い面もあります。だから難しい質問です。

どちらとも言えず「必要ないかもしれません」と私は答えました。

大きい病院に紹介状を書いたのですが、まだ行っていないということでした。

アリセプト®︎をどうするか

私は、飲んだほうがいいとも、飲まないほうがいいとも判断できないことを説明しました。

そして「いったんアリセプト®︎を中止して様子を見て、その後で再開するかどうかはこれから行く大きな病院で別の医師に相談してみてはいかがですか」と話しました。

すると妻は「それではいったんアリセプト®︎はやめます」と言い、「お世話になりました」と帰っていきました。次の医師にバトンタッチです。

再々受診

そして転院したと思ったら、また1週間後に受診しました。

「やはりアリセプト®︎をやめるのが不安なので出してください」ということでした。積極的にやめる理由もないので再開しました。

抗認知症薬が効いていると思える一方、副作用だけが目立つと思える場合もあります。だからその治療が正しいのかどうかいつも悩みます。エビデンスがないからです。

アリセプト®︎を再開すると、やはりテンションが上がりました。興奮状態で一日中歩き回っていて、妻の目を盗んで玄関から出て行こうとします。目が離せなくなりました。

マッチポンプ

「落ち着きがない」と言ってまた診察に来ました。転院はうやむやになっています。

妻は「アリセプト®︎はやめたくないけれども徘徊は困ります。落ち着く薬はありませんか」と言いました。

「マッチポンプ」という言葉をご存じでしょうか。1960年代に流行した言葉で「一方の手でマッチで火をつけながら、もう一方の手でポンプで水をかけてその火を消す」という意味です。認知症の外来診療を行なっていると、ときどきこのような状況に陥ります。

たしかに診察中にも本人は「まだ終わらないの?まだ終わらないの?」と何度も言って席を立って帰ろうとします。落ち着きがありません。

私は言いました。

「アリセプト®︎をやめると落ち着くと思うのですけれども」

妻は言いました。

「アリセプト®︎はこの人には効いていると思うのです。だからやめたくありません」

ということで精神安定剤を処方することになりました。精神安定剤はレキサルティ®︎を処方しました。抗精神病薬ですが、高齢者でも比較的副作用が少ないので、最近よく使っています。

この場合、マッチはアリセプト®︎、ポンプはレキサルティ®︎です。

妻は「お薬が効くかどうか様子を見て、また今度来ます」と言って予約を取り帰っていきました。

いつ転院するのでしょうか。

バックナンバーを読む

西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。