認知症は脳神経細胞が脱落していく神経変性疾患です。神経細胞の欠落した部位に応じた症状が出現します。記憶力の細胞であれば記憶力の低下、空間認識の細胞であれば空間認識能力の低下が起こります。
また、感情をコントロールする部位の神経細胞が脱落すれば、感情のコントロールができなくなり、感情の起伏が激しくなります。感情を抑えられなくなり、衝動性が増してきます。
このような症状を「人格変化」といいます。認知症の種類によってはもの忘れなどの欠落症状よりも、このような精神的な症状が目立つ人がいます。
高齢者になってから、急に人が変わったり、いままでなかった精神的な症状が出てくる疾患を「老年精神病」といいますが、そのなかには認知症も含まれています。
元の性格が先鋭化することも一種の人格変化です。尖鋭化というのは元の性格が極端になるということで、だらしない人はよりだらしなく、怒りっぽい人はより怒りっぽくなる変化です。このような尖鋭化については、元の性格があるので、多くの場合どこから病気なのか判断が困難です。気がついたら以前に比べて度を超していたという具合です。
息子が連絡をしてきました。急ぎのようです。
「まずは介護認定申請して、本人に納得してもらい、徐々に介護サービスを入れて慣れてもらってから、施設に入れようと思っていました。
そのように段階を踏んで進めていこうと思っていましたが、一般社会からの隔離が急務かと考えるくらいになっている印象を受けます。限界が見えてきました」
「一般社会からの隔離が急務」とは穏やかではありません。
いったい何があったのでしょう。
これまでの経過
息子の話では、元来の性格は自己中心的、粗暴で、人の話を聞かない性格でした。また、恩着せがましい、人付き合いが下手、承認欲求が強い、自己顕示欲が強いなど、良い性格ではなかったようです。
具体的には、妻や息子に対して嫌がらせをするのが生きがいのようなところがありました。人が困っているところを見て喜ぶのです。
妻や息子がいるのに部屋の電気を消す、妻や息子が入浴中と知っていてガスを消す、息子が進路相談しようとすると最初に「金はないぞ」と言って話の腰を折り、相談させないなどの出来事があったそうです。
以前は「人格障害」、現在では「パーソナリティ障害」といわれるような性格だったようです。精神障害の分類に使われているDSM-5によれば、パーソナリティ障害には10種類あります。
反社会性パーソナリティ障害
この人は、そのうちの一つ、反社会性パーソナリティ障害だったと考えられます。障害の程度が軽度だと普通に社会生活が営めるので「変わった人、付き合いにくい人」ですむ場合もあります。
この障害の特徴は、自分や他者がどうなるかを考えることなく、また良心の呵責や罪悪感をもつことなく、自分の望むことを追い求めます。
診断は、みずからの行動の結果や他者の権利の軽視、自分が望むことを手に入れるために嘘をついたり、状況を操作したりすることなどの症状に基づいて下されます。
治療は困難ですが、認知行動療法やバルプロ酸ナトリウムなどの向精神薬が攻撃性と衝動的行動を軽減するのに役立つことがあります。
行動パターン
自分の利益や快楽のために法を犯したり、詐欺を働いたり、搾取的に振る舞ったり、無謀な行動をとったりし、良心の呵責を感じないことがあります。
自分の行動を正当化または合理化し、被害者を「相手が馬鹿だった」または「無力だった」と責めます。何でも人のせいにして「他罰的」という特徴があります。
他者の感情に無頓着
自分の行動が他者に及ぼす有害な影響に無頓着です。他者の権利や感情、法律を平気で軽視します。簡単に言えば思いやりがありません。法律についても「バレなければよい」というスタンスです。
推定有病率は、500人に1人から30人に1人といわれています。男性のほうが6倍多く、高齢者層には少ないので、患者が時間の経過とともに自分の行動を変化させることを学べる、ということを示唆しています。つまり、人が人間的に成長するとこのような障害は軽減していくということです。
特徴として、衝動制御障害が起こりやすく、衝動をコントロールすることが難しく、自分の行為によって他者がどうなるかを適切に認識できないため、しばしばすぐに怒り、身体的攻撃性を示します。
この障害の人は自己評価が高い傾向があり、非常に独断的であったり、自信家であったり、傲慢であったりします。望むものを手に入れるために、一見感じがよく、口がうまく、説得力があるように振る舞うことがあります。一度話しただけであれば「頼りになりそう」と思ってしまうかもしれません。この人もそうでした。
高齢になり症状が悪化
X-2年、仕事を引退してからは、さらに粗暴な性格になったということでした。通常高齢になると症状が改善する人が多いにもかかわらず、むしろ自分勝手な症状が目立ってきました。成長せず逆に退化したと言えるでしょう。
数十年来通っている近所のかかりつけ医の診療所には、引退後には何かちょっとしたことがあると休診日でもかまわず電話するなど相手の都合はまったく考えなくなったとのことでした。かかりつけ医は困っていました。
認知機能低下
X-1年、それまでは毎年、息子のところに年賀状を送っていましたが、年賀状を書かなくなりました。社会習慣はきちんと実行する人だったので、息子の妻が不思議に思いました。
本人は自宅でアパート経営をしていましたが、同時期に担当税理士から「確定申告書類が整えられていない」と息子に連絡が入りました。そんなことは初めてでした。
性格の問題があるので、息子は実家と疎遠になっていましたが、確定申告のため税理士に呼び出され、やむを得ず援助するようになりました。
妻への暴力
そんなあるとき、何が気に入らないのか同居の妻に殴る蹴るの暴力を振るい、逃げ出した妻を追いかけて自宅前の路上で足で蹴り大怪我をさせました。
妻は頭部を強打し救急搬送されました。外傷性急性硬膜下血腫でした。そのまま入院しました。
搬送先の病院では「家に帰ればまた暴力を振るわれるかもしれない」ということになりました。医師と行政が連携し、退院後に自宅に帰さずシェルターに措置入所させました。
「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(DV防止法)が2001年に施行されました。配偶者からの暴力の防止と被害者の保護を目的にした法律です。この法律に基づいての措置入所でした。
当院初診
残された本人は一人暮らしになりました。その世話をしていた妻が不在になったことから生活が立ち行かなくなりました。妻の措置入所に関わった保健所から紹介され、息子に付き添われて当院初診しました。
元来妻が家事や身の回りの世話を行なっていました。いまは面倒を見る人がいません。
妻がいなくなってから、本人は複数の親族に頻繁に電話するようになりました。世話をしてくれる人がいなくなり困っているのです。困っている自覚はありますがうまく伝えることはできません。また誰かに「お願いする」という下から目線の行動はできません。
電話に出た相手に向かって一方的に不満を述べ、相手の話は聞きません。話しているうちに興奮して、最後は自分から電話を切ってしまいます。何のための電話かわかりません。
まだ車を運転していました。助けを求めて隣県に住む知人の家を車でたずねて帰って来ましたが、そのあとで車のミラーが破損していることに息子が気づきました。自損事故と思われました。本人の記憶になく、いつどこで起こした事故なのか不明です。
初診時の状態
もの忘れはひどく、関心のないことはまったく覚えていません。日付や曜日がわからなくなっています。
整理整頓できなくなっており、物をあちこちにしまい込み、しまった場所を忘れています。
複雑な話が理解できません。思い込みが強く勘違いが多いため、会話が難しい状態です。会話中怒り出すので相談になりません。行動は行き当たりばったりで、話のつじつまが合わなくても平気です。
間違っていることを指摘されても、取り繕って認めようとしません。郵便物など書類が放置されています。金銭管理もできていません。家のことや手続きをやるように息子が言っても、何かと面倒くさがりやりません。
以前からの延長線上で、我慢ができず衝動的です。やたらと笑ったり、自分のことでも他人事かのように楽観的です。その反面、易怒性が増しており、カッとなると我を忘れて手が出ます。若いころからイライラすると物を投げたり壊したりしていましたが、その頻度が増し激しくなりました。
感情の起伏が激しく、怒ったかと思えば不安が強くなります。人の話は耳に入らず、頑固で強いこだわりや執着がみられます。
息子の希望
そのような性格だったので、息子は盆暮れの挨拶以外は疎遠な状態が何十年も続いていました。息子にはいままでの暮しぶりはまったくわかりません。家の中がどうなっているのかも知りません。
久々に関わるようになって、いざ援助しようとしても暴言や暴力で閉口しました。受診の第一の目的は「援助できるようになるために、まずはカッとなって怒るのを抑える治療をしてほしい」との希望でした。
検査の結果
検査をしました。MMSEは26点でした。30点満点の簡易な認知機能検査です。26点だと軽度認知障害レベルです。できなかった項目は、時間と場所の見当識が各1点、遅延再生という記銘力を調べる検査で2失点でした。
息子が指摘した通り、記銘力と見当識の障害が始まっています。
頭部 MRI では顕著な海馬の萎縮、脳室拡大、大脳皮質のびまん性萎縮を認め、アルツハイマー型認知症と考えられました。反社会性パーソナリティ障害の人がアルツハイマー型認知症になったのです。
息子からの「精神的な症状の治療を優先してもらいたい」という希望に沿って、衝動性を抑えるために、バルプロ酸ナトリウムの投与を開始しました。デパケンR®︎200mg 錠を朝晩1錠ずつ服用してもらうことにしました。この薬はバルプロ酸ナトリウムの徐放剤で、1日2回飲めばよいのです。この薬は、抗てんかん薬ですが、気分調整薬といって感情のアップダウンを抑える作用もあります。
モンスタークレーマー
1日400mgのデパケンR®︎を服用していましたが、1カ月服薬しても効果が見られませんでした。バルプロ酸ナトリウムは、毎日規則正しく服薬して血中濃度が安定するのに2週間ほどかかります。有効な場合には2週間くらい経つと症状が落ち着いてきます。1カ月経っても効果がない場合にはこの薬剤の量が足りないと考えられます。
診察時に息子が言いました。
「突発的に激高します。近所の人と顔を合わせると難癖を付けたり、意地悪をしたりして、近隣ではモンスタークレーマーになっています。隣に住む親族の家に、近所の人から苦情がきています」とのことでした。
デパケンR®︎を1日800mgに増量しました。
診察時の本人の状態は話に脈絡がなく、自慢話に終始します。医師に向かって笑顔で多弁に自慢話をしますが内容は空疎です。書類仕事などの事務処理はまったくできません。相変わらず自分勝手な行動をして、相手が誤りを指摘するとキレます。
自動車運転
ミラーを壊して覚えていなかったこともあり、自動車運転を続けていることに対して息子は大変不安に思っていました。免許証を返納し、車を手放すように説得しましたが、本人は聞く耳を持ちませんでした。
あるとき息子から私に電話がかかってきました。
「本人に認知症であることを告知して、免許証を返納するように医師から話してください」と依頼されました。
医師から説明したからといって免許を返納するかどうかわかりませんが、少しでも助けになればと思い「次の診察で説得してみましょう」ということにしました。
介護認定申請
近隣苦情や自動車運転の問題があり、このころから息子はどうにかして施設に入れようと考えていました。施設に入れるにしても高齢者には介護認定が必要です。まずは介護認定申請を勧めました。
X年、MMSE21点に低下しました。特に場所的見当識障害が低下し、記銘力を調べる遅延再生は3つとも思い出せず0点でした。3段階の命令実行でも3段階目の行動が思い出せませんでした。
この点数だと軽度認知障害ではなく、認知症です。アルツハイマー型認知症が進行しているのです。
自動車で迷子になる
要介護度が出るのを待っているあいだ、自動車運転中に迷子になりました。場所的見当識障害の進行によるものです。毎日自動車を乗り回していたのですが、ある日夜になっても自宅に帰ってきませんでした。暗くなっても、自宅駐車場に車がないことを隣家に住む親族が不審に思い、警察に捜索願いを出しました。
深夜1時半になり、自宅から20kmほど離れたところで挙動がおかしい自動車が見つかり、警察が自動車ごと本人を保護しました。息子が呼び出されて迎えに行き、深夜3時に自宅に帰り着きました。本人は落ち着きのない様子で、どうしてそのような所にいたのかうまく説明することができず、あることないことを言って取り繕う様子が見られました。
息子が、車のキーをすべて預かりました。デパケンR®︎を800mgに増量してしばらく経っていたせいか、よっぽど疲れていたためか、本人は逆ギレすることなく素直にキーを渡したということでした。
行動パターンは変わりませんが、暴言暴力は減っていました。
経済搾取
訪問販売を行っている電気店が出入りし、パソコンとプリンター、外付ハードディスクなど複数の商品をセットにして高額で売りつけていることがわかりました。新しいことが覚えられなくなっており、本人が使えるようになるとは到底考えられません。
このような訪問販売を行なっているのは悪質な業者と考えてよいでしょう。すぐに解約してもよかったのですが、本人が解約を強く拒否したので息子の判断でその場はそのまま契約することにしました。
次善の策として、息子が相手業者に契約後に解約した場合の違約金の額などを確認して、あとから頃合いを見計らって本人に内緒で解約することにしました。
アパート管理会社とのトラブル
かかりつけ医には、ちょっとしたことで、昼夜なく、休診日にもおかまいなく、電話をかけまくっていたのですが、同じことをアパート管理会社にも行なっていました。
本人からの電話や呼び出しが頻繁になっても、最初のうちは管理会社の担当者はなんとか対応していました。しかし何度も呼び出されて理不尽な要求を突き付けられるうちに担当者が神経症になって体調を崩してしまいました。
上司が出て話し合いを持とうとしましたが話は噛み合わず、あるとき突然に本人が「管理はほかの会社に頼むことにしたから、お宅はアパートの掃除だけやって」と言いました。上司はあきれてしまいました。
上司は、さすがに本人とはまともに話し合えないことに気がついて、息子に連絡してきました。
「もうこのような人と取引はできません。やめさせていただきます」
息子は「本人に呼び出されても、まともに相手をせずにかわしてください。管理に必要な手続きは、今後は息子の私に連絡をお願いします」と返してなんとか収拾しました。
このトラブルで息子は疲れてしまいました。私に連絡をしてきました。
「施設に入れるなどして、一般社会からの隔離をしなければならないように思います」
どんな施設に入れるのか
介護認定の結果は要介護1でした。
要介護1で入れる施設は介護保険の施設ではグループホームになります。しかし、アルツハイマー型認知症であるとはいえ、パーソナリティ障害を伴っており、共同生活には不向きです。グループホームへの入所は勧められません。
有料老人ホームという手もありますが、クレーマーであることを考えると施設スタッフが対応に難渋するのは目に見えています。
認知症専門病院が適切でしょう。
「入院先を探して、医療保護入院にしましょうか」
医療保護入院とは、自傷他害の恐れがある患者を保護するための入院です。本人はすでに妻に暴力を振るっており他害行為がありましたし、家事や身の回りのことができておらずセルフネグレクトの状態です。
まずは提案して息子に検討してもらうことにしました。
ケアマネジャーからの連絡
要介護1になったので入所や入院をするにしても、まずは現在の生活を援助するためにケアマネジャーと契約してもらいました。
ケアマネジャーから私に連絡が入りました。
「本人が介護保険サービスを受け入れていません。このため『区からの派遣』と嘘の口実で週1回のヘルパーを入れることにしました」
ヘルパーを入れてみてわかったことは、内科のかかりつけ医や私が処方した薬を概ねきちんと服薬できているということでした。これは朗報です。デパケンR®︎をきちんと服薬していれば、暴言暴力が収まり援助しやすい状態が続きます。
確かにこのころには近隣苦情やアパート管理会社からの苦情はこなくなっていました。
家事や身の回りのこともそこそこできており、ヘルパーは主に安否確認、服薬確認を行なって様子を見ることになりました。
ヘルパーの介入
ヘルパーが訪問すると玄関横の客間に通され奥に入れてもらえません。訪問すると、まずは本人の自慢話が始まります。アパート経営で自分がいかに一生懸命やっているか、自分がいかにやり手の経営者なのか、あることないこと取り混ぜて作話を語ります。
ひとしきり話し相手をすると本人は機嫌が良くなります。そこで本人に困ったことはないか尋ねて、必要なら買い物を援助したり、ちょっとした家のことを手伝います。薬の袋を持ってきてもらい中身を確認します。
買い物援助に入ってわかったことは、小銭が数えられなくなっており、札を払って釣りをもらう形式になっているということでした。アルツハイマー型認知症の進行度合いから考えれば頷ける状態です。
本人の様子を見て体調不良などがうかがわれたら、ケアマネジャーを通してすぐに私に教えてもらうことになりました。入院も検討していましたが、とりあえずすぐには動かずに経過観察することになりました。
DVの妻
そんなある日、退院してシェルターに入っている妻が当院を訪れました。
当院では「認知症カフェ」を月1回開催しています。そこでは認知症の介護をしている人を何名か集めて、看護師や地域包括支援センターのスタッフを交えて日ごろの悩みを話してもらっています。
ただ話すだけでもよいですし、互いにアドバイスし合うことによって介護の孤独感を解消したり、社会資源の利用方法について教えてもらうこともできます。そのカフェに妻が参加したのです。
妻はいまもシェルターに入っています。酷い暴力を受けてきたにもかかわらず、妻は認知症になった夫の身を案じていました。
カフェの帰りに「カウンセリングに通いたいのです」とのことで、妻は自分が受診する予約をとっていきました。夫との関係の見直しが必要と思われました。
家の奥へ
ヘルパーが介入してしばらく経ち、息子も家の奥へ立ち入れるようになりました。
そこで見たものはゴミ屋敷でした。生ゴミ系です。まず息子の鼻をついたのは強烈な異臭でした。
テーブルクロスは汚れきっており小バエが飛び回っています。本人が、うるさい小バエを手で叩き潰してはその辺になすりつけています。手は洗っていません。
冷蔵庫の中にもウジがわき、小バエの死骸が積もっています。賞味期限切れ、腐ったもの、カビたものが大量に詰まっていました。床には小バエの死骸だけでなくホコリも積もっており歩くと舞い上がります。また、足の裏がべたつきます。
床のあちらこちらにゴミが放置されています。いつからゴミを出していなかったのかわかりませんが、おそらくは妻がいなくなってからずっとそのままだったのでしょう。
ゴミ屋敷の片付け、妻のカウンセリング、本人をしかるべき施設に入れることが必要です。どれもすぐには解決しないでしょう。時間がかかりそうです。
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。