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染色体異常という病気があります。

最も代表的なのはダウン症候群です。21番染色体のトリソミーが原因です。染色体は通常2つずつしか存在しませんが、3つになってしまうことをトリソミーといいます。ダウン症候群の人は、21番染色体が3つあることによって種々の症状を呈してきます。

ダウン症候群は、およそ800出生に1人の頻度といわれています。出産時の母の年齢が上がるほど増加する傾向にあります。35歳で350人に1人。40歳で110人に1人。45歳では、20歳の母親の60倍以上の頻度といわれています。

Floppy infantといわれる出生時の全身の筋緊張低下があります。特徴的な顔貌、知能障害、種々の奇形を認めます。てんかんを合併することもあります。

また、ダウン症候群では30歳ごろから脳に老人斑などアルツハイマー型認知症と同じ病理所見が出現します。21番染色体に老人斑の原因となるアミロイドタンパクに関係する遺伝子があるので、それが発症に関係しているといわれています。

ダウン症候群以外にも、さまざまな染色体異常があります。

ほとんどの染色体異常は短命で、小児期に合併症で死亡してしまうことが多いのです。小児期の病気なので、小児科にかかっており、小児期に死亡してしまうため、神経内科を受診することはほとんどありません。

成人期まで生きながらえる染色体異常は、神経内科でもみることがあります。ターナー症候群、脆弱X症候群、ウィリアムズ症候群などです。これらの染色体異常を持つ人は、長く生きるほど早い老化が問題となります。ターナー症候群も、ダウン症候群ほどではありませんが比較的多くみられる染色体異常です。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 037
46才女性

初診で来た患者さんの母親が言いました。
「睡眠薬を減らしてほしいのです」

薬を減らしてほしいので当院を受診したとのことでした。長く通院している精神科クリニックでは、睡眠薬を減らしてもらえないのが理由でした。「専門外だから……」と取り合ってもらえなかったというのです。

この人は20歳代のころから睡眠薬だけでなく、精神安定剤、抗精神病薬なども服用しています。

当院は、いうまでもなく高齢者の認知症が専門です。初診の多くが80歳代~90歳代です。高齢者は肝臓や腎臓などの内臓の機能が低下しており、若いころと同じ量の薬を漫然と服用していると、種々の副作用が出てきます。このため必要な薬を見極めることが重要です。量の調節も必要です。

また、睡眠薬、精神安定剤、抗精神病薬などの精神科治療薬は、認知機能が低下するということがわかっていますので、精神症状の治療が必要な場合でも極力薬の量を減らして、最低限の量で治療をする必要があります。

日々、いかに薬を減らすか、苦心しながら診療しています。
そんな私のところに、相談に来ました。

この人はまだ46歳です。精神科クリニックでは薬剤の調節が難しいと言われてしまいました。それには理由があるのです。

これまでの経過

2歳のころに熱性痙攣を来し、16歳まで抗てんかん薬を服用していました。

小中学校を通して普通学級に通っていましたが、成績はいつも学年で最下位でした。11歳のときに生理が来ないので精密検査をしたところ、ターナー症候群であることがわかりました。

ターナー症候群とは性染色体異常です。女性には本来2本なければいけないX染色体が1本しかありません。思春期までは普通の女の子として育ちますが、卵巣がないので第二次性徴がおとずれません。知能は正常なことが多いのですが、軽度に低下していることもあります。

この人の場合は知能低下の程度が軽く、普通学級と特殊学級のボーダーラインだったので普通学級に進学しました。がんばって勉強しましたが成績は常に最下位でした。

ターナー症候群と判明してからはホルモン補充療法を受けるようになりました。

高校進学が難しく、中学校卒業後、洋裁学校に進みました。ここでもがんばりましたが洋裁の技術は身につかず、就労にはつながりませんでした。その後は自宅で家事を手伝いながら暮らしていました。

精神症状で発症

X-23年、20歳代で不安が強くなり、不安神経症と診断されました。精神科クリニックに通院を開始し、睡眠薬や精神安定剤を服用するようになりました。

X-15年、30歳で認知機能が徐々に低下し始めました。ダウン症候群でも同じくらいの年齢でアルツハイマー型認知症と同じような変化が脳に現れます。性格が変わり、それまではおとなしく引っ込み思案だったのに、このことから自己主張が強くなりました。

人格変化です。認知症の初期に見られる症状の一つです。

X-12年、大きな病院で精密検査の結果、「アルツハイマー型認知症を発症している」と診断されました。

父親との衝突

尿失禁が出現し、自分で後始末できなくなりました。両親と暮らしていましたが、父親は認知症の症状に理解がありませんでした。父親と衝突することが多くなり、家族の雰囲気が殺伐としてきました。本人も常時、不機嫌になりました。

自宅での生活が難しくなりグループホームに入所しました。入所後は気持ちが明るくなりました。陽気で朗らかになり、歌を歌うのが好きで、おしゃべりもよくするようになりました。

ADLの低下

X-4年、認知症が徐々に進行し、失語、失認が加わり、ADLに介護が必要になりました。食事や着替えに手助けが必要になり、お風呂やトイレは介助が必要です。

X-2年、認知症の診断をしてもらった大きな病院を再受診し、抗認知症薬のリバスタッチパッチ®︎を開始しました。この薬はアセチルコリンエステラーゼ阻害薬の一種です。

アセチルコリンエステラーゼ阻害薬は、アルツハイマー型認知症の進行を遅くする薬です。代表的な薬剤はアリセプト®︎です。このほかにレミニール®︎という薬もあります。

3つとも認知症の進行を遅くするために、脳内の神経伝達物質の一種、アセチルコリンを増やす薬です。

アセチルコリンは神経細胞から分泌されると神経伝達を行い、その後すぐにアセチルコリンエステラーゼという酵素で分解されます。この酵素を阻害することにより、アセチルコリンが分解されるのを防ぎ、脳内のアセチルコリンを増やすことで神経の伝達を改善しようというのです。

ところが、そううまい話ばかりではありません。アセチルコリンは脳内だけでなく、消化管の神経にも存在します。消化管の神経でアセチルコリンが増えると腸管の活動が活発になり、下痢や軟便を来したり、胃酸が増え過ぎて胃潰瘍になったりします。よく見られる副作用です。

このように消化器系の副作用が出やすいので、少量から徐々に増やして様子を見る漸増投与が必要です。徐々に増やすことによって体が慣れて、消化器系の副作用が出にくくなるのです。最終的には、脳内のアセチルコリンがしっかり増える量にまで薬を増量します。

躁状態

この人も最初は4.5mgから開始し、徐々に大きなパッチにしていきました。維持量の18mgまで増量したところ躁状態になりました。消化器系の副作用は出ませんでしたが、アセチルコリンが増えすぎて脳が活性化し過ぎたのです。

躁状態になると夜寝なくても平気になります。夜通し起きて話しかけてきます。うるさいのです。グループホームのスタッフが困りました。夜勤のスタッフは少ないのです。

このためパッチは半分の9mgを維持量として継続することになりました。また、躁状態や夜間不眠に対してはロナセン®︎という抗精神病薬が処方されました。

徐々に精神症状は落ち着きましたが、たまに興奮するのでロナセン®︎の服用は続きました。

その後も、認知症は緩徐に進行しました。

薬剤調整

X年、当院初診しました。おもに薬剤調整を希望されました。

認知症になったので、精神科クリニックに「認知症になったので薬を調整してほしい」と頼んだそうです。しかし、「認知症は専門外なので、専門医に相談してください」と言われたのだそうです。このとき、サイレース®︎、ロナセン®︎、メイラックス®︎、リバスタッチパッチ®︎が処方されていました。

初診時は、失語のため、会話によるコミュニケーションが難しい状態でした。日常生活では身の回りのことは指示しないとできません。着衣失行もみられました。以前は箸で食べていましたが、箸の持ちかたがわからなくなりました。

このような状態ですと、MMSEなどの、本人にテスト形式で行う知能検査はできません。 失語のため、コマンドが入らないのです。そこでABCスケールを行いました。

ABCスケール

ABCスケールは、介護者など本人の普段の生活ぶりを知る人にインタビュー形式で行う評価スケールです。誰がやってもできる簡単な質問で構成されているので、質問者の違いによる評価のばらつきはほとんどありません。認知症の度合いを客観的に評価できます。

「A」はADL、日常生活動作の評価です。
「B」はBPSD、精神症状の評価です。
「C」はCognitive function、認知機能そのものの評価です。
これらを周囲の人が見て評価し点数化します。

点数は101~117点が正常~軽度認知障害などの状態です。
100~86点が軽度の認知症です。
85~71点が中等度の認知症です。
71~13点が重度の認知症です。

MMSEができない人でも、重度のなかでの点数の幅が広いため、治療効果を判定することが可能です。

ABCスケールの結果、初診時40点でした。

薬剤性認知障害

最近の研究で、睡眠薬やベンゾジアゼピン系薬剤、抗不安薬、抗うつ薬の一種などで認知障害が起こり、高齢者で認知症の発症リスクが高まるということがわかっています。

この人の場合、抗不安薬のメイラックス®︎を20歳代のころから長年服用していました。ベンゾジアゼピン系薬剤です。認知症を発症してから性格が変わり、自己主張が強くなりました。また、グループホームに入ってからは陽気になったというのに漫然と投与され続けてきたのです。

精神科クリニックと認知症の診断を受けた大きな病院が連携していなかったためでした。必要な薬の取捨選択が、その時々に応じて行われなかったのです。

ベンゾジアゼピン系薬剤の中止

母親と相談の上、認知症高齢者と同様の薬剤調整をしていくことにしました。

まずはメイラックス®︎をすぐにやめました。これにより少しふらつきが改善しました。日中のはっきり感も出て、印象としては改善した印象でした。

中止したことによる悪いことは何もありませんでした。

認知機能については、時間をおいて後日評価することにしました。

薬剤性パーキンソン症候群

動作が鈍く、食事に時間がかかるようになりました。

歩行は小刻みで、すり足です。つまずきやすく、転倒しやすい状態でした。バランスが悪いため、転倒リスクが高く入浴動作は全介助でした。また、流涎がみられました。これらはロナセン®︎の副作用と思われました。

ロナセン®︎は抗精神病薬の一種です。メジャートランキライザーという薬です。統合失調症の治療薬です。幻覚、妄想、興奮などに使います。脳内でドパミンが過剰に働くことによって幻覚、妄想、興奮が起きているので、そこをブロックしようというお薬です。うまく効けば幻覚、妄想、興奮が治まり、穏やかになります。

しかし、ドパミン神経を抑制し過ぎると副作用が出ます。

ドパミンは、体の動きをスムーズにする働きがあり、これがうまく働かないとパーキンソン症候群になります。パーキンソン病に似た状態です。

パーキンソン病は、脳内のドパミン産生細胞が脱落してしまい、体の動きが悪くなる病気です。それと同じような状態になります。つまり、すり足、小刻み歩行、易転倒性などが出ます。

抗精神病薬の中止

メイラックス®︎の次にロナセン®︎を漸減中止しました。副作用の流涎は改善しました。体の動きも改善しました。

当初は落ち着いていましたが、徐々に易怒性が出現し、気に入らないとマグカップなどを投げるようになりました。

次善の策

物を投げたり、急に怒り出すので、グループホームでの介護に支障を来すようになってしまいました。

ここで、もともと服用していたロナセン®︎を再開するのは簡単ですが、副作用がいろいろ出るとわかっているのにまた服用させるわけにはいきません。

幻覚、妄想、興奮というよりも、カッとなる、衝動的、という症状です。抗精神病薬ではなく、デパケンR®︎を試してみました。この薬はバルプロ酸ナトリウムという成分です。

もともとは抗てんかん薬です。てんかんの治療にもよく使われますが、ほかの病気にも使われるお薬です。躁鬱病の感情の波を抑えたり、片頭痛の発作を抑えたり、認知症の精神症状を抑えるのにも使われます。抗精神病薬のような薬剤性パーキンソン症候群が起こらないので、高齢者に使いやすいです。

デパケンR®︎で易怒性と暴力はピタッと治まりましたが、ふらつくようになりました。用量を減らし、ふらつきは改善しました。

さらに薬を絞り込んでいく

今度はサイレース®︎の減量を試みました。サイレース®︎もメイラックス®︎と同様、ベンゾジアゼピン系薬剤です。

日中の過鎮静のリスクがあり、認知機能障害のリスクも高い薬剤です。また、覚醒度が下がり、せん妄という意識障害を来しやすい薬剤としても知られています。認知症ではない人が服用しても、服用時に健忘や記銘力低下を来すことがあります。

老化に伴い、脳のベンゾジアゼピン系薬剤に対する感受性が亢進するので副作用も多くなります。また、歩行時のふらつきも出現しますので転倒リスクが高まります。

以前に、サイレース®︎を処方された認知症高齢者が夜眠るどころか夜間せん妄を来し、夜中に寝ないで家の中をうろつき、頻繁に転倒し、一夜にして全身打撲傷だらけとなった例を経験しました。

反跳性不眠

サイレース®︎を減量すると反跳性不眠になりました。反跳性不眠とは、しばらく服用していた睡眠薬を中止することによって眠れなくなることをいいます。サイレース®︎のようなベンゾジアゼピン系薬物に多くみられる副作用です。

夜間眠らないことでグループホームでの生活に支障が出たため、サイレース®︎の減量をいったん断念しました。

不随意運動

X+1年、口をモグモグしたり、歯をカチカチならす不随意運動が出現しました。オーラルジスキネジアです。認知症のような脳の変性疾患や抗精神病薬の副作用で出現します。

古いタイプの抗精神病薬、定型抗精神病薬では、長年の服用で「遅発性ジスキネジア」という症状が出てくることがあります。セレネース®︎が代表的な薬です。この場合、セレネース®︎の服用をやめても治らないという特徴があります。

この人の場合、ロナセン®︎は中止していましたので薬剤性ではなさそうでした。ロナセン®︎は、非定型抗精神病薬といい、新しいタイプの抗精神病薬で、遅発性ジスキネジアも起こりにくいと思われました。

薬剤性でないとすると認知症による大脳の線条体の機能不全が原因と考えられました。治療は、一般的にはパーキンソン病治療薬を用います。

治療するかどうか母親と相談しました。薬を減らしたい方針です。口をモグモグしていても、直接の支障がないので薬なしで経過を見ることにしました。

ADLの改善

メイラックス®︎、ロナセン®︎を中止して、しばらく経ってからABCスケールを再検しました。するとABCスケールは57点に上がっていました。40点も57点も、どちらも重度ではありますが、そのなかでも何らかの要素が改善したということでした。

内容を見てみると、「A」の項目、ADLが改善していることがわかりました。具体的には、着替え、食事などの動作の改善、トイレや入浴時の介護の手間の軽減でした。

一方、「C」の項目は悪化していました。認知機能そのものの増悪です。以前は歌が好きでしたが、歌えなくなりました。友だちに手紙を書いていましたが書けなくなりました。自分の名前さえ、書けなくなりました。

認知症の進行

認知機能が低下したのでリバスタッチパッチ®︎を13.5mgに増量してみました。すると嘔吐するようになり、元の量に戻さざるを得ませんでした。

口内炎など、口のトラブルが多発するようになったので歯科受診しました。歯科医の見解では、「老化による口腔内の組織の衰えで、歯並びが悪くなっているのが原因」と言われました。

また、内科も定期的に受診していましたが、「肝機能や腎機能が老化で衰えてきており、あと2~3年で肝機能障害、腎機能障害が現れてくいるのではないか」と言われました。

便失禁が出現しました。常時、リハビリパンツになりました。

情緒は不安定で、テンションの上がり下がりが極端になってきました。感染症に罹りやすくなり、中耳炎や副鼻腔炎を繰り返しました。

麻痺の出現

X+2年、右下肢の麻痺が出現し緩徐に進行しました。

認知症で大脳の萎縮が運動野にまで及ぶことにより身体の麻痺も現れます。脳梗塞による片麻痺症状と同じような症状が緩やかに出現し、徐々に進行するのです。

麻痺の影響で右足母趾の巻き爪になりました。訪問看護でフットケアを導入しました。

構音障害が顕著になりました。喃語のような発語になりました。

サイレース®︎も中止

婦人科では、思春期から飲み続けていた女性ホルモン剤を、「そろそろやめましょう」と言われました。

口頭指示がまったく入らなくなり、身振り、手振りで伝える必要が出てきました。

麻痺が悪化し、作業所に行く途中で転倒し顔面を打撲しました。なんとか嚥下はできますが、咀嚼が徐々に難しくなりました。認知症は徐々に末期の様相を呈してきました。

グループホームのスタッフや母親と相談しサイレース®︎を中止しました。今度は反跳性不眠になることはなく、このままやめることができました。

介護テクニック

X+3年、介護しようとすると手を払いのけたり、そばに置いてあるものを投げるなど、乱暴になりました。

歩いていて、段差があるのを見ると怖がって足がすくみます。また、トイレや風呂場などの狭い場所も怖がって入ろうとしなくなりました。

介護者の意図がまったく通じなくなったのです。言葉も通じませんし、ジェスチャーもわかりません。手をかけられると何をされるのかわからず、怖いので払いのけるのです。このような状態になると、「バリデーション」「ユマニチュード」「パーソン・センタード・ケア」などの介護技術が必要になります。

具体的には、手を握ったり、背中をそっとさすったりしながら安心感を与えます。赤ちゃんをあやすようにしての介護が必要なのです。

麻痺やパーキンソン症候群の増悪

左手の麻痺が出現し、手指が丸まって、いつも握ったような形になってきました。徐々にぎゅっと握るようになり、手をひらけなくなりました。

すくみ足はその後も徐々に悪化し、エレベーターに乗れなくなりました。認知症の進行に伴い、パーキンソン症候群が増悪してきたのです。

「ふんふん」という発語のみになりました。

追い越されてしまった母

X+4年、麻痺やパーキンソン症候群はありますが、数メートルならなんとか歩けます。母に付き添われて診察室の椅子に腰掛けます。対面しても、私が話しかけても、何の反応もありません。視線も合いません。

母親だけが話しています。娘の顔を見ながら、ぽつり、ぽつりと、話します。

「母親の私より、ずっと老化が進んでしまって、先へ行ってしまいました」
「ときどき、思い通りにしてくれないので怒ってしまうけど、反省します」
「知らない人は、娘が何を考えているのかわからなくて、会話は難しいです」

グループホームで暮らしていますが、週末は自宅に戻り家族と過ごしているそうです。自宅では、グループホームのヘルパーさんのことなどを話してくれるのだといいます。

私にはどうしても「ふん、ふん」としか聞こえません。母親には、本人が何を言っているのかわかるようです。

母を追い越してしまいましたが、やはり母娘なのです。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。