1.初めての精神科勤務
身体科に長年勤務するなかで、生きにくそうだと感じる人の対応をするたびに、戸惑い、もどかしさを感じていました。定年を意識する年齢になり、最後に精神科領域を学びたいと思い、精神科への異動を希望しました。そして配属された部署が、常岡俊昭先生を中心に依存症治療を行う病棟でした。恥ずかしながら、自助グループってなに?からのスタートでした。
2.自助グループがそんなに大切?
異動して、すぐ驚いたのは、ずっと患者さんが病室にいないことです。ホールで談笑している人もいますが、多くの人が自助グループへ外出しています。それも夜中まで、毎日いろんな会場へ出かけます。当初は、半分遊びなんじゃないか、息抜き外出なんじゃないかと疑うこともありました。しかし自助グループへ参加することで、みずからを振り返り、正直さを取り戻し、次への一歩を踏み出すのに大切な場であることを知りました。
ついつい「回復に向かおう!」と自分の感情が入ってしまい、患者さんに口を出したり指示してしまいました。誤魔化したり、言い訳をして回復へ向かうために動こうとしない患者さんの態度に、また同じことを繰り返すのではないかという不安や焦りを感じたのです。
でもそれは逆効果でした。患者さんは、耳を閉ざし、思いが伝わらず、後退するばかり。先輩方から自主性の導き方などを教えていただきました。日々迷いはありますが、身体科のときと異なり、他職種含めてつねにカンファレンスが行われ、最善を検討できる環境も精神科へ異動して驚いたことのひとつです。
先輩看護師(バックナンバー6.23.36.47)から、看護師は見守ることはできるけれど、回復には患者同士の力が必要と教わりました。医療者の忠告は耳に入らなくても、同じ体験をした仲間には正直に話せ、アドバイスを受け入れることができます。自助グループに参加してその中でホーム(自分が中心にする自助グループ)を見つけてスポンサー(世話役のこと)を決めることで、より回復が進みます。
苦しいときにSOSを出せる相手をつくることで、退院後にスリップ(一時的に依存対象を使ってしまうこと)を防ぐことにつながります。自助グループ、スポンサーがいて、行き詰まったときにいっしょに向き合ってくれる仲間がいることで、孤独感からの偏った選択を避けられていることを知りました。
1人の仲間に頼るのではなく、何人もの仲間のいろんな意見が、回復へ向かうために大切なことと学び、遊びに行っていると疑ったことを反省しました。
3.映画鑑賞をして
映画『アディクトを待ちながら』は、いっしょに見に行った娘が驚くほど、ぼろぼろ泣きました。「性根が腐ってるのよ」「ダメな奴はダメなのよ」というセリフ。現実もそう思う人のほうが多いかもしれません。それでも生きていくために、葛藤しながら、仲間に支えられながら回復に向かって取り組んでいます。患者と医療者の関係だけでなく、家族や周囲の人へのサポートや教育がとても大切であり、烏山病院でも家族会が行われています。
4.ノートの存在
面と向かうと言えないが、書いて思いを伝えられるツールがあります。患者さんが個別に持っていて、思ったことをなんでも書けるノートです。
常岡先生(バックナンバー1.5.9.12)に訴えたくて書く人、書くように指導されしぶしぶ書く人、さまざまです。書くことで気持ちや思考の整理になり、振り返りや回復の評価になります。書けない時期はスリップしやすい現状からも、効果が大きいと思います。
スリップしたという報告に、正直、落胆します。振り返りも苦戦することが多いです。しかし患者さんは、スリップしたときのことを振り返り、次に同じような状況になったらどうしようかと対策を考え、ノートに書きます。揺らいだ気持ちを文字にすることで、患者さんは自分と向き合うことができます。振り返りのほかに、自助グループでの学びから自分の気持ちを記載する人も多いです。患者さんがノートに書いた振り返りの文章を見て、そんなにも自分をさらけ出して正直になれるものかと驚きました。
5.これから先も続いていく
先日聴講した松本俊彦先生の講演は、依存症患者は、薬物等に手を出さなければつらくて生きていけない状況を過ごしてきており、今だけではなく、今までがあっての今であり、これから先も続いていくというお話しでした。
依存症患者の看護は、つらくなった原因はなにかを知り、人生再建の手助けをしていく大きな仕事だと私は思います。まだまだ患者さんから教わることが多く、迷ったときには患者さんに相談することもある勉強の日々です。だからこそおもしろいと思いますし、私も生きにくい誰かの力になれればと、いつの間にか依存症にハマった1年生です。