1 依存症治療にかかわったきっかけ
私は急性期病院で総合診療をしている医師です。アルコール依存症についての感覚については読者の皆さんと同じような位置にいると思います。
アルコール性急性膵炎に何度なっても酒をやめられない、何度禁酒をうながしても辞められない、なんど「今度こそ死ぬ」って言っても、飲んで運ばれてそのたびに治療を受けて帰っていく人たち。私がお酒あげちゃうのが悪いんですと泣いて謝る妻。
皆さんと同じような経験をしてきました。
どうして辞められないんだろう? 酒さえ辞められればなんとかなりそうなのに。たった一つ酒さえ手放せばよいのにできない。酒を飲めるけどあえて飲まない自分からすれば、疑問ばかりでした。そのため、疑問の解消を兼ねて、とある縁で昭和大学烏山病院にて依存症に限っての短期研修をさせていただきました。
その流れで連載の1回をいただきまして、書く内容にとても悩みました。常岡先生たちといっしょに過ごさせていただいた時間を振り返り、家族の面談、関係各所の会議、家族会に出させていただいて思ったことがあります。
患者さんだけでなく、より家族にも目を向けるようになったのではということです。また当たり前のことですが、周りに心配している人はたくさんいて、関係者会議では内科よりもたくさんの院外の職種とかかわらせていただき、社会資源により目を向けるようになりました。
2 家族は家族であって、犠牲になる必要はない
アルコール依存症家族だけの面談では、家族会に参加した家族がだんだんと病気のことを理解し、本人よりも先に接し方が変わっていき、家族が回復していく様子を目にすることができました。本人は置いていかれているようでキョトンとしていることが多いですが。
とても腑に落ちたのは、以前と同じ形には戻れないという事実です。アルコールさえ抜ければ大丈夫ということはなく、飲まなければ対処できなかった「生きにくさ」を解決しないとなりません。
そのためにしなければならないことは多いです。
必ずしも同じ家族の形に戻ることがよいのかというとそうでもなく、結果的に離婚したほうがよい場合もありました。当事者のことが嫌いになって離婚するというわけではなかったりするのが、家族にとっても悲しいところです。
ギャンブル依存症については田中紀子さんの家族教室に参加させていただき、当事者家族の悲痛な思い、そこから回復していった回復者家族の話に聞き入っていました。
当たり前っちゃ当たり前なのですが、本人よりも家族のほうが先にとっくに底をついてるんですよね。外来のあの人の家族だ!と連想せずにはいられない事例ばかりでした。
ギャンブルでは本人はGA(ギャンブル依存症の自助グループ)と定期的な外来に、家族はギャマノン(ギャンブル依存症の家族友人のための自助グループ)に行き続けなければどちらも治らない。当事者だけでなく、家族も家族が自由になる、相手に依存しない自立するための治療が必要なんだと、肌で感じられました。田中紀子さんの啖呵の切り方は本当に潔く、あんなふうに生きられるってすごいなと本当に思いました。
ひるがえって自分の勤務先では、本人の今後をどうするかだけにフォーカスし、あまり家族の悩みとか、家族も回復しなければならないという点について考える機会が少なかったのではないかと、振り返って思います。家族にどう負担をしてもらうのかについてばかりでした。家族は家族であって、当事者の犠牲にならなきゃいけないわけじゃないんですよね。そういう意味では生活を分離して、当事者には生活保護に入ってもらって、回復施設などで回復に集中してもらうこと、家族には家族の生活をしてもらうことが、そのまま元の形には戻れないですけど、必要な場合もあるのだなと感じました。
3 正直にいられる場所を、どう確保するか
患者さんとかかわって思うのは正直に生きることのむずかしさです。うまく立ち回ろうとすると、先生や看護師さんに隠したくなることがどうしても出てきてしまいます。
確かに自分でも隠したくなることはたくさんあります。打ち明けては危険なこと、安全な場所でないことがたくさんあるのもわかります。安全が確保された場所でしか正直になれないですよね。
でも隠し事を一つつくるたびに、心の棘というか、わだかまりが心の底に溜まって残っていって、表現しがたいストレスになっていきます。それを解消していたというか見えなくしていたのが、依存症の人たちのとってのお酒なんだと思いました。
だから、なるべく患者さんとかかわるときは“ここだけの話“を聞いて、自分に話してくれたことに感謝して、常岡先生には正直に言って大丈夫だよと勇気づけるようにしていました。
早く退院したいけど、実は家庭内でのわだかまりが解決されていないことについて打ち明けられることもあります。
「早く退院したい」。自分が内科で働いていたときにもよく聞きましたが、この言葉は早く退院して酒が飲みたいだけで、本人は気づいていないのですが、アルコールに支配されてるんですね。
正直にいられる場をどう確保するのか? それについては入院か、AAに出るしかないと思います。自分でもAAに参加しましたが、AAのスタイルの言いっぱなし、聞きっぱなしというのは、なかなか今までのなかで得がたい経験でした。塚越さんも書いていましたが、自分を曝け出すことの困難さを抱えていることに気づいた次第です。自分のなかのペルソナの厚さを、AAに参加することで少しずつ薄くできた気がします。
安全な環境で誰にも批判されずに正直な自分を曝け出せる場所があるという事実にとても羨ましくなりました。
4 スリップを体験
常岡先生の外来プログラムに参加しているアルコール依存症の人と、ある約束したことがあります。
「私がアルコールをやめるから先生も何か好きなことをやめてください」。
そう言われたときに、常岡先生といっしょに、ラーメンとつけ麺を諦めることにしました。そうすると、仕事帰りに、つけ麺屋がいつもより余計に目に入ってしまうようになりました。
「約束したから」と、なんとか律儀に自分を律して我慢し続けていたのですが、ある事件が起こります。常岡先生と関係者会議に出かけたときのことです。会議前に外食することとなり、すぐに入れそうなのがつけ麺屋だけでした。
患者さんと約束したけど、常岡先生といっしょだから、断るのもアレだし、しょうがないよね。入るしかないと無理矢理自分を納得させて、つけ麺屋に入る自分がいました。メニューを見てもラーメンつけ麺しかないんですよね。ラーメンをさっと食べたのですが、本来であれば楽しめるはずのラーメンがまったく美味しくない。引け目に感じながら食べる初めてのラーメンでした。
これがスリップか、これがNOって言えないことなんだと実感しました。
それ以来、仕事帰りに何人かでラーメン屋に行っても、キチンと「NO」と言ってなんとか別の食べ物(そのときはカレーでした)を食べるようにし、「今は患者さんと約束してるからラーメンは食べられない」とキチンと伝えられています。執筆時点でもまだラーメンを辞められてます。
今は元の病院に戻って自分でもできることを伝えるようにしています。精神科に受診する前に80%の患者さんは内科などの身体科を受診するといわれています。以前よりも自信を持って、自助会や専門医療機関につなげられるようにがんばります。