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看護師クリエイティブプロジェクト「fractale」のみなさんが、毎回テーマに沿ってそれぞれの看護の足跡を残していく本企画。

「学びかたを学ぶことで看護師として生きる選択肢をふやしていく」ことをコンセプトに立ち上げたメディア「メディカLIBRARY」のスタッフが、毎回、フラクタルのみなさんにテーマを伝えています。

今回は「もし最初の仕事を続けていたら」を綴っていただきました。

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わたしは大学病院で最初の3年を過ごした。

1年目はただただ怒られ。
2年目は一気に負荷が増え対応できないと怒られ。
3年目はその日の責任者になるか、メンバーとして重すぎる患者さんを受け持ち、気が張りっぱなしの毎日。
自分が責任者のときのメンバーはほぼ後輩。
自分がメンバーのときのリーダーは捻くれたお局様。
同期は能力的に勤務も分散させられる。
信じられるのは自分自身か、同年代の医師だった。

そう、わたしの職場は2~3年での離職が非常に多く、3年目にして立場は上のほうになってしまう。
その洗礼を受けて数日、これが1年続くのか……と悶々と出勤。
まさに前回の記事の冒頭につながる。

そして、3年目の年度末で辞めることを決意した。

大学病院だから、毎年配属される新人さんやローテーションのスタッフは多かった。
だけど、4年目以上が増えることはなかった。
他の大学病院から中途で来た同期の看護師の「ここ、忙しすぎるよ~」という言葉、そして、社会人を経験してから看護師になった人の「看護師こわい……」という言葉は決して忘れない。
何もわからない新人時代でも何かがおかしいことはわかった。
その人たちは2年半と3年で退職した。

残っている先輩方を見てもなりたい自分とは乖離していた。
仕事はできるけど、まさにtheお局ってイメージの人が多かった。
看護師だけでなく、患者さんに対してもどこか偉そう。
口を開けば悪口ばかりだった。

大学病院に勤めてたらよかったなと思うことはある。
症例も課題も多いし、もう少しレベルの高い看護師になっていたと思う。
それに、そこそこ給与は良かったし福利厚生も良かった。
妊娠中も夜勤をなくしたりと、いろいろと配慮してもらえてたと思う。
育休取った友人もそこそこ良い生活をしてた。
今のわたしの状況からしてみたらなかなか羨ましい。

ただ、激務かつ周りの環境で性格はどうなっていたかはわからない。
もしかしたら染まってしまっていたかもしれない。
平気で患者さんにタメ口使ったり後輩を傷付けたりしてたかもしれない。
そうしないと心が保てないほど、疲弊していたかもしれない。


いま、わたしの周りにはクセ強だけど人をいじめるような人や陰口ばかり言うような人はいない。
気持ちは本当に穏やかだ。
早い段階で決断して良かったと本当に思う。

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fractale~satomi~
twitter:さとみ(@minisatominy

三度の飯よりお酒が大好きな飲兵衛看護師。仕事終わった瞬間からが本番だと思っている。仕事は真面目な自信あり。大学病院消化器外科3年、民間病院ICU2年、公立病院脳外科夜勤専従、訪問入浴、デイ、老健など1年の派遣生活を経て、メルボルンへ10ヶ月の看護留学。帰国後から訪問看護師として働き3年目。座右の銘は「笑う門には福来たる」。根からの明るい性格を最大限に利用し、日々楽しく訪問中。マルチポテンシャライトだから特技っていう特技はないけど、強いて言えばラポール形成が無駄に得意。今までクレームや担当変更がないのが密かな自慢。ちゃっかり保健師免許所有。 

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