農林大学校に退学届の提出や寮の荷物整理に向かう電車の中でこれまでの学校生活を思い起こしています。仮入部でできた友人は思ったこと感じたことを素直に表現できる人で、すごく羨ましくて、かっこよく見えました。そして言われた側も嬉しいんだということを感じます。そして思い出したのが精神看護実習で行ったロールプレイングでした。それまで「感情」というものを、人を振り回したり傷つけたりするネガティブなものだと思って言葉にしてこなかったけど、そうじゃない感情もあるということを知ったのです。農林大学校ではそれまで当り前と思い込んでいたことが覆るような経験が始まりそうでした……
呼びやすい名前は、仲良くなるきっかけに
Cちゃんは元気で明るいタイプなので、遠くでも私を見つけてると「おじょー!!」と叫びながら駆け寄ってきてくれます。すると周りにいた子は「おじょーって誰?」みたいな話になります。Cちゃんは「部活で知り合ったの!」と酪農肉牛コースの子や農業高校出身の子たちへ紹介してくれました。
おかげで初対面だと“あるある”のぎこちないコミュニケーション「名前なんて言うの? なんて呼べばいい?」という会話もなく、みんなが当たり前に「おじょー」と呼んでくれるようになりました。周知はされていなくても周りより2歳年上の私は、みんなからなんて呼んでもらうのがベストなのか入学前に迷っていました。雰囲気で年上だと思われて“さん”付けとかで呼ばれたら堅苦しいよなと思ったりしていたので、、、
1人とつながったことによって、農林大学校での私が関わるコミュニティは急速に拡大していくことになります。
入学して早々に出会っていなければ、農林大学校での生活は充実したものになっていなかったかもしれません。だからすごく縁と運に感謝しています。
私はここに来るべくしてきたのかもしれないと感じるようになりました。新しい環境に新しい生活、不安を感じてもいい状況だったのに強い不安を感じさせる出来事がなく、適応していくことができました。
たった1年だったけど
入学した当初は2年間在学して卒業すると思っていましたし、就職先も森林組合、林野庁、造園業あたりを検討していました。
ですが予想もしなかった感染症流行により、1年早く農林大学校とお別れをすることに。なんとなく立てていた人生の計画を再度立て直すことになります。
たった1年だったけど、同級生とは踊ったり、ノリで伊香保温泉にいったり、文化祭のポスター作ってみたり、公園で遊んだり、お金がもったいないからという友だちの髪の毛を寮で切ったり、今まで無縁だった音楽をかじってみたり、学校生活の様子をYouTubeで配信したりと本当に色いろんなことをしました。
何か新しいことをすると、聞きたくない痛い言葉が飛んでくるんじゃないかと最初はドキドキしてましたが、何に挑戦しても足を引っ張ってくる人は誰もいませんでした。「いつもすごいね! 応援してるよ」と声をかけてくれ、「もっと見たい」と私を加速させてくれました。
高校3年生のときに同じ看護師を目指す仲間だと思っていた人たちから攻撃され、それから息を潜めるように生きていた私にとって、こんなことしても大丈夫なんだ、がんばってもひがまれないんだ、何なら応援してもらえるんだと勇気になりました。農林大学校の同級生たちが、過去の経験から思考や行動が固定化されていた私をほぐして、溶かしてくれたんです。それまで息苦しかった心が泣いていました。よかったよかったと。
それに、精神的にも時間的にも余裕があると、こんなにいろんなことができるんだと驚きました。いままでやってみたいと思わなかったことも、余白があるからやりたいと思え、1年間でいろいろ挑戦しました。
心の療養期間と考えていたけど、休むというよりも自分の幅を広げる挑戦のほうが多かったと思います。
長い目で見た時とき、次の段階に行くための心の柔軟性を培う時期だったように思います。ガッチガチだった可動域にあそびをつくるような期間でした。
たった1年だけですが、私がずっと憧れていた「学生生活」を送ることができました。
くだらないことで笑って、効率なんて求めてなくて、なんでも楽しくて、そのすべてが私の心の宝箱の中に入っています。それが、ときどき音を立ててきらめいているのがわかるんです。ここで過ごした時間は、私にとって必要なものだったのです。
同級生に本当に恵まれたなと思います。
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。