声をとるか命をとるか

2016年7月、救命のために私は手術を受けました。内容は、喉頭全摘出、食道摘出、化膿性脊椎炎病巣掻爬および血管柄付き遊離空腸・皮膚移植など。要は悪いところをすべて取って、いろいろ移植したということです。耳鼻科で喉頭と食道を摘出し、整形外科で脊椎炎掻爬術を行い、消化器外科で遊離空腸を採取し、形成外科で空腸移植血管吻合術を行うというチームプレイで、約14時間に及ぶ大手術でした。

このときの妻の気持ち

手術中、一人で個室で待っているのは不安でした。しかし、担当の看護師さんが絶えずやってきては励ましてくれたおかげで不安が軽減しました。さらに、勤務時間外にもかかわらず夫の手術が終わるまで待ってくださり、ICUに入るのを付き添ってくれました。この気遣いは一生忘れられない“寄り添い”でした。

摘出した標本を見ると、声門と食道は大きく腫れており、空気や食物が通過するのは困難な状態になっていました。さらに食道には大きな孔が(食道穿孔)!明らかに放射線治療の副作用でした。病理組織検査の結果は、摘出した標本と周りのリンパ節にがん細胞は認めず。すなわち、放射線治療は効果があったということです。がんをなくすかわりに食道に穴があき、声を失ってしまったなんて皮肉でしょう。手術から9年経った現在(2023年)もがんの再発はありません。

目覚めその後

手術後3日目に集中治療室で意識が戻りました。「生きている!」そう思いましたが、声が出ない現実を認識し、愕然としました。この絶望感は同じ苦しみを味わった人しかわからないでしょう。高揚していた気持ちから奈落の底に落とされた、ネガティブなターニングポイントでした。

手術で咽頭と食道を摘出したのですから当然声は失いましたが、変化はそれだけではありませんでした!

手術前は空気と食べ物が同じ道を通過しているため、誤って飲食物が気管に入る(誤嚥)可能性がありましたが、喉頭をとることで気管と食道が完全に分離し、食事の際に誤嚥することはなくなりました。しかし、首に大きな孔(永久気管孔)があいているので、そこから水が入ると直接肺に水が流れていき、肺炎や最悪な場合は溺死してしまうという大きな危険が生じます。プールや浴槽に入ったり、シャワーを浴びるのにも注意が必要な状態になってしまったのです。

のどの手術後の機能変化

①声が出なくなる
②食事が摂りにくくなることがある(腸を移植した場合)
③痰が増える
④外の汚れた空気を直接気管に取り込むため、肺の感染症に注意が必要
⑤匂いが感じにくくなる
⑥手術の影響で首が硬くなり、後ろを振り向きにくくなる
⑦いきめなくなるため、便秘がちになる
⑧そばをすすったり、ストローで吸うことができなくなる
⑨熱いものをフーフーして冷ませなくなる
⑩鼻がかめなくなる
⑪ガラガラうがいができなくなる
⑫入浴時は浴槽に肩までしか浸かれない。シャワーも注意が必要

永久気管孔、気管呼吸者について

永久気管孔とは、喉頭をとることによって首の前にあいた直径約1cmの穴のことをいいます。ここで気管を介して外界と肺がつながっています。呼吸はこの穴で行うため、穴がふさがると窒息してしまいます。

永久気管孔をもつ人を気管呼吸者といいます。気管呼吸者は、当然声は出ません。外の汚れた空気が直接肺に入ってくるし、穴から水が入ると溺れます。うがいができないし、鼻もかめない。熱いものをフーフーと息を吹いて冷ますこともできません。空気が鼻を通過しないので匂いもわかりません。大好物のお寿司もワサビがきつくて、食べると涙がボロボロ、など多くの不都合に困っています。これらは多くの気管呼吸者の悩みです。

気管呼吸者の訴え

言語機能廃絶 100%
入浴のトラブル 88%
猫舌 87%
鼻をかみにくい 65%
すすりにくい 56%
嗅覚障害 47%
ワサビなどを食べにくい 38%
便秘傾向 34%



太田利夫
西宮協立リハビリテーション病院

1957年生まれ。大阪医科薬科大学大学院卒業、医学博士。2015年58歳、働き盛りで下咽頭がんに。そして、2016年声帯全摘出し、声を失う。そんな時、電気式人工喉頭と出会い、第二の声を得た。電気式人工喉頭という音声によるコミュニケーションツールの重要性と、機能回復だけでなく社会生活に復帰、さらに講演という社会参加にも前向きに取り組むようになった。また、言語聴覚士養成校での講義を電気式人工喉頭で行うことにより、学生のモチベーションアップにつながっている。
西宮協立リハビリテーション病院名誉院長、日本リハビリテーション医学会専門医・指導医、日本整形外科学会専門医、日本リハビリテーション病院・施設協会理事、回復期リハビリテーション病棟協会理事。