ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。

ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。



ゲスト:マツコ
2001年に看護師免許取得後、関西地方の精神科病院で約22年間勤務。在籍中に聖路加看護大学(現:聖路加国際大学)大学院看護学研究科修士課程上級実践コースを修了し、修士号を取得。現在は看護系大学に勤め、看護師のメンタルヘルスや精神障害のある人の権利擁護を専門的に研究している。

インタビュアー:白石弓夏
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。


編集協力:喜多一馬

「その人の物語ができていく様」を体感できる精神科を選んで

白石:
マツコさんとは、3年ほど前に行ったオンラインでの座談会取材以来ですね。今回はじっくりとお話を聞けるので、楽しみにしています。まずは、ご経歴について教えていただきたいです。

マツコ:
私は2001年に看護大学を卒業して、精神科病院へ就職しました。実は、看護実習のなかで病院看護師として働くことに自信がなくなってしまって、「看護師の仕事、やっぱ自分には難しいのかな……」と思っていた時期があったんです。すごく目まぐるしいペースで患者さんが入院をして退院をしていって、その速度のなかで患者さんがどのような気持ちを持っているのか、家族関係がどのようになっているのかなどに焦点を当てている時間がなかったことが理由です。

白石:
その経験が、精神科病院へと就職することにつながるのでしょうか。

マツコ:
そうですね。精神看護学の実習では患者さんとじっくりとお話しする時間があって、患者さんの気持ちや入院している背景を知ることができました。自分が看護師になりたいと思って看護学校を選んだときのイメージとすごく一致したんです。患者さんの人生経験や日常の暮らしのなかでの出来事は症状などに影響してくるので、その人の今までの暮らしとか、これから退院してからどうしていくんだろうとかっていう人生や暮らしに密着しながら、その人を理解していく……その人の物語みたいなものができていく様っていうのを体感できて、精神科に行こうって決めました。

白石:
新卒で精神科は難しい印象を持たれることが多いように思うのですが、当時の学校の先生たちはどのような反応だったのでしょうか。

マツコ:
先生は「新卒で精神科どうやろ……」って言っていましたね。しかも、地方の田舎の山の中にある民間の精神科に行くと言ったので、「そんなところ、やめときなよ」みたいに止められました。でも、やっぱり精神科に行きたいと思う気持ちは変わらなかったです。

白石:
強い想いを持って就職されたのですね。最初に配属されたのは、精神科のなかでもどのような病棟だったのでしょうか。

マツコ:
最初は精神科の開放病棟(療養型)で、入院期間が10年、20年……長い方だと50年という方もおられるような病棟でした。患者さんが退院できないでいる事情や、前に進みたいけれど地域に社会資源が十分にないなど、そういう課題と向き合いながら3年ぐらい勤めました。その後に人事異動があって、急性期病棟に移りました。今度は、ついこの間までは地域におられて、具合が悪くなったから一時的に病院に来て、3カ月以内ぐらいで帰っていかれるような患者さんがいる病棟でした。

「できるようになった」という実感が持ちにくい。その課題を乗り越えるために東京への進学を決意

白石:
同じ精神科ですが、真逆のような環境にある病棟への異動となったのですね。異なるタイプの病棟を経験するなかで、何か新たな気付きはあったのでしょうか。

マツコ:
そこですごく思ったのは、精神科の看護って「できるようになった」という実感がすごく持ちにくいということです。2つの病棟で勤務をして、看護師としてもう5年目なのに、次に入院してくる患者さんに自信を持って対応できなかったんです。同期にも「業務さえできればいいよね」という考えになっている人がいる一方で、「これ、看護なんだろうか」とわだかまりを抱えながら辞めていく人もいました。

でも、あんなに反対されて精神科に進んだのに、そのまま看護師を辞めるのは、自分のなかで負けた気がして。精神科の専門性や技術を「見える化」したいと思うようになりました。「素人でもできるとか、ルーティーン業務だけやっていればいいってものじゃないぞ」と自分に納得させたかったし、後輩指導を担当しはじめた時期だったので精神科看護をもっと語れるようにもなりたくて。

白石:
「できるようになった実感がすごく持ちにくい」というのは、以前にお話をしたときにもお聞きして、印象に残っています。実際、当時のマツコさんはどのような気持ちで働かれていたのでしょうか。

マツコ:
入院してこられる患者さんへの対応について「声かけってあれで良かったんかな……」などと、仕事帰りの原付に乗りながら考えていましたね。これは大学院に行ってから理解できるようになったのですが、患者さんのどういうところを見てかかわればいいか、どう考えていけばいいかっていうノウハウがわかりやすくあるものではないんですよね。

いろんな人の見方や考え方を統合して、「あ、やっぱりそれでよかったね」「やっぱりもう少しこういう見方もあるかな」と検討していく“プロセス”に意味があるんです。その積み重ねで、「なんとなく、まあできるようになったかな」「ひょっとしたらこうしたらわかるかもしれない」みたいな糸口がちょっとだけ見つかるようになっていくんだと思います。ただ、当時の私はあきらめが悪いんだと思うんですけど、「わかんないうちは、なんか辞めたくないな」という感覚で頑張っていましたね。

白石:
マツコさんの粘り強さは、あきらめの悪さとリンクしているのかもしれませんね。大学院の話が出たのですが、このころに進学されたのですね。

マツコ:
そうですね。たまたま、いろんな雑誌や文献を読んでいるときに、大学院としての進学先にもなる聖路加看護大学(現:聖路加国際大学)の萱間真美先生の論文に出会いました。「精神科看護の臨床能力の明確化に関する研究(第2報) -参加観察法を用いた新人看護者と熟練看護者の臨床能力の比較-」という論文で、精神科の熟練した看護師の実践や思考をインタビューによって明らかにするテーマのものです。言葉にしてしまえばすごく平易な感じがするのですが、「患者さんがこういう状態のときには場所を選んで話を聞く」とか、私がセンスのように思っていたことをその先生は言葉にされていたんです。

それを読んで、自分のなかにスコーンって腹落ちした感じがして、すぐに萱間先生に「会いたいです」と直接メールをしました。先生は「いいわよ、来なさい」と返事をくださって、次の夜勤明けには飛行機に乗って東京に会いに行きました。そこで、私が臨床で感じていることや疑問を聞いていただき、現場で働いていきたいという想いも汲んでくださって、専門看護師のコースに入ることを提案してくださりました。

白石:
論文との出会いから進学までが猛スピードで進んだのですね。

マツコ:
そうですね。東京で2年間学び、それから元の職場に戻ってあらためて働くようになってからは、東京で学んだ実践がそのまま使えたわけではなく……。自分が思い描いていたような専門看護師にはなれなくて腐りそうになった時期もありました。ただ、そのギャップも結婚や出産などのライフステージの変化を経て、仕事に対する想いや気持ちが少し柔軟になりました。それまで自分が見えてなかったものが見えるようになり、今の病院でもできることがある、せっかく専門看護師になったのだから爪痕をしっかりと残せるまで頑張ろうと決めました。

医療の構造を「外」から変える、そのために教育の道へ

白石:
2023年4月には、臨床を離れて大学教員となったのですよね。22年間勤務した病院を退職するという大きな転換点ですが、どのような変化があったのでしょうか。

マツコ:
コロナ禍がすごく大きな転機でしたね。新型コロナウイルス感染症が流行った精神科病院はすごく悲惨で。患者さんがバタバタと感染していき、当たり前のようにしていた集団プログラムができなくなり、外出や外泊もできなくなりました。クラスターが発生したときには患者さんをそれぞれの部屋に閉じ込めるかのような感じにもなって……。

そこで、精神科病院の「中」でどんなに頑張っても、人員配置や法律に関する医療の構造を変えることができなくて、研究や教育のように「外」からの力がないといけないと感じはじめていました。そのタイミングで運命かのように、「新しい大学を作っていて、教員を探している」と電話をいただいたことをきっかけに、転職することになりました。

白石:
コロナ禍は多くの医療従事者に限界を感じさせるきっかけでもありましたよね。教育の現場では、どのような内容を学生さんに伝えたいと思っているのでしょうか。

マツコ:
現場の教育って「こういう状況で仕方がないから、できることをやろうね」というところに収まりがちなんですが、基礎教育では大いに理想を語れる部分もあると思っています。現場と教育が乖離しないように連携したり、基礎教育で倫理的な考え方を深めて現場へとつなげていくことを伝えたりしていくことで、現場は変わっていくのかなという想いもあります。

たとえば、私が尊敬している先輩は、入浴を拒否する患者さんに対して、スタッフが「汚いから入れよう」みたいな雰囲気になっていても、「今、入れなあかんのか?」と、患者さんが「今、どうしたいのか」をちゃんと考える人だったんです。コロナによって患者さんの行動範囲が制限されたり、患者さんによっては連絡を取ることも限定されていたり、そのようなことが当たり前のようになってしまって……。看護師として働いているなかで失いそうなものがあるような気がしていたんです。でも、それはその看護師が悪いとか病院が悪いとかではなくて、もっと大きな構造のなかでそうなりやすい現状があるんですよね。そんななかで、私が尊敬していた先輩はちゃんと立ち止まって考えられる方だったので。

現在進行形で教育を受けている段階の学生さんには、そういう構造になりやすいということはぜひ知っておいてほしいし、先輩の行動に対して「それはどうかと思います」みたいなことを言えなくても、「自分はしない」ようになっていてほしいんです。想いとか意志とか……そういった経験を大事にできるような臨床になっていったらいいなっていう想いがあります。

20年以上経っても頭から離れない、看護師として働き始めて初日に言われた言葉

白石:
では、質問のカードに移りましょう。マツコさん、選んでください。

マツコ:
じゃあ、真ん中で。

白石:
「患者さんから言われた一言で印象に残る言葉はありますか」です。

マツコ:
いっぱいいろんな言葉があるんですけど、病院のロッカーの壁に貼っていた患者さんの言葉で、「今の気持ち忘れたらあかんで」です。

看護師として就職して病棟に配属された初日、「とりあえず患者さんと喋ってきて」と先輩に言われてフロアに行ったんです。そうしたら、車椅子で近づいてこられた60歳ぐらいの患者さんが、「あんた、今の気持ち忘れたらあかんで」とだけ言って、去っていったんです。

「どういうことを言ってるんやろ」とそのときは思ったんですけど、私が勤務した病棟には40年や50年も入院している患者さんがいて、病棟の看護師も管理的に患者さんをみる、言うとおりにしない患者さんに強い口調で叱責する人がいて、「そういうことを言っているのかな?」と考えたんです。

白石:
なかなか重みのある言葉ですね。その患者さんには、なぜそのようなことを言ったのか、お聞きしたのですか。

マツコ:
真意を聞くことはなかったんですけど、「あいつらみたいになったらあかん」みたいなことをその後でおっしゃっていて。でも、実際は、その患者さんが言うような看護師になりそうなときは何度もありました。

療養病棟って日勤はリーダー除いて3人で50人強の患者さんをみて、夜勤は看護師1人と看護補助者さん1人みたいなときもあって、「はい、寝てください」「はい、薬飲んでください」「トイレ? いや、ちょっとこれ回ってからしますから」みたいな感じになりがちだったんですよね。そういうなかで、退勤したらロッカーにその言葉が貼ってあるから、「いかんいかん」となって立ち止まるんです。

看護師として働き始めて初日の勤務開始のわずか数時間後に言われた言葉であっても、20年経っても頭から離れない言葉ですね。

白石:
その言葉、言われてすぐにロッカーに貼ったのですか。

マツコ:
けっこうすぐに貼りましたね。就職してすぐだったので張り切っていて、「私が病棟を変えてやろう!」くらいに思っていたので。キテレツ大百科の勉三さん(べんぞうさん)って目標を達成するために部屋に標語みたいなのを筆ペンで書いて貼っているんですが、私も筆ペンで書いたんです(笑)。でも、人に見られると恥ずかしいから、白衣で隠れるような場所に貼っていました。

白石:
たしかに勉三さんの部屋には貼っていますね、まさかマツコさんから勉三さんが出てくるとは思いませんでした(笑)。今は病院を退職されましたが、その紙はどうなったんですか。

マツコ:
捨てずに、家の引き出しの中にあります。22年間ずっと貼っていたのでテープは何重にもなっていて、紙も茶色く変色していますけどね。今から入職してくる看護師さんたちが生まれた年ぐらいですもんね。すごいですよね。

白石:
そうか、ずっと持ち続けているんですね。

マツコ:
なんか、それを捨てたら負けるみたいなものもあったので。これだけは貼った手前、剥がしたら自分に何かが起こる…みたいに思っていましたね(笑)。

自分を後回しにせず、心の揺れに関心を向けて

白石:
最後の質問は「あなたが後輩の看護師に伝えたいことはなんですか」です。読者の看護師さんにお願いします。

マツコ:
自分を後回しにせず、心の揺れに関心を向けてほしいです。

というのも、私は精神看護の専門看護師になってから、精神科を専門としていない方と話す機会が増えて、病んでいっている看護師がたくさんいることを知りました。一般の診療科の看護師さんからメンタルヘルスについて相談に乗ってほしいと言われて話を聞いたり、SNSを眺めたりするなかで気付いたんです。

自分のことはさておき、周りの人の迷惑に自分がなっているんじゃないかと感じている人が多いんです。患者さんのことをこう思っているのに、思っているほどできていないと自分を責めて後回しにして、自分の想い、考え、体調などにも配慮する余裕もなく、しんどくなってしまっている人がすごく多いなと思っています。

白石:
私も、さまざまな看護師さんと話すなかで多いと感じています。精神科で働く看護師さんの状況とは違うのでしょうか。

マツコ:
私の感覚ではありますが、精神科では「ゆとり」があるためか、あんまりそういう方は多くないように感じますね。

「ゆとり」って表現すると「暇」というような響きになるかもしれないですけど、たとえば、病棟でカンファレンスをするときに、スタッフが患者さんのことをどう思ってかかわっているんだろうということを考えたりする場面が多いんです。みんながちょっと苦手な不機嫌な患者さんに対しても、「私はああいうとこ好きよ」みたいなことを話すことがあるんです。

そうすると、患者さんに向ける感情が、「ひょっとしたら患者さんにあまり良くない影響を与えているかもしれない」と意識して、「私はあの人のこと、ちょっと苦手に思ってるかもしれない」とカンファレンスのなかで気付けたりして、「そんな気持ちを一旦置いといてなんとかかかわろう」となるんです。

あとは、「相手がなんであんな言い方するんやろうね」ということを考える機会もカンファレンスではやっぱりあって。カルテをパラパラ見ると、幼少期にしんどい思いをされていたり、家族との関係性がずっと悪くて孤独なままでおられるなど、そういうのが見えてきて。「なんかようわからんけど、嫌なこと言ってくる人みたいな感じだった患者さん」が「事情があってそう振る舞っている人」という風に認識が変わっていくんです。

そうなると、直接的なケアや足を運ぶ頻度が変わらなかったとしても、あきらめモードになるんじゃなくて、あの人にできること考えてみようよとスタッフがケアの意欲を持ち続けられるようにチームの雰囲気が変わったりすることがあります。

白石:
医療者同士で心のケアをする時間やかかわりがあるんですね。

マツコ:
そうですね。もうひとつは、患者さんからつらい言葉をかけられることもあったり、一方で患者さんからすごく好意的に近づかれたりしたりすることもあって、精神科の看護師は自分の心の揺れみたいなところには常に関心を向けながら仕事をするんです。

でも、他の診療科ではそういうことにあまり関心がないのかなという印象があります。自分の想いや感情、体調などの変化に気付いて、労わることをしてほしいなと思うんです。「今日の自分はこういったことができているんだ」と自分に伝えるだけでもいいかもしれません。もっと多くの看護師がそうできたらいいんじゃないかなって、すごく思っています。

白石:
とても大切だと思うのですが、元々そういう意識がない場合には難しいのではないかなと思うところでもあります。もう少し具体的に、どのように行えばよいのでしょうか。

マツコ:
そうですね。その人によって好みの方法や選びやすい方法は違うと思います。たとえば、自分1人の力で難しい人は、SNSで同じような想いの人とつながって「あ、自分も頑張っているな」と感じるのもいいと思います。ほかにも、褒めてくれる誰かを探して、ここぞというときに連絡をして、「頑張ってるやん」と言ってもらうこともいいですよね。

本当にしんどくなったら視野がすごく狭まるので、休んだほうがいいかもしれないとか、相談に行ったほうがいいかもしれないっていう決断ができなくなっていって、気がついたら休職になってしまうケースも多いと思うんです。

白石:
そうですよね、私もそこに「自分で気付く難しさ」を感じます。

マツコ:
自分の変化で「ここぐらいまでなら大丈夫」という線引きは難しいかもしれないんですけど、こうなったら弱ってきたと黄色信号を感じるような練習を、看護学生の間に身につけていってほしいですね。自分の黄色信号をできるだけ察知する練習をしてもらって、かつ、そのときに自分が使えるようなセルフケアの方法をリスト化しておいて、日常的に取り入れるようにするといいのかなと思います。最近では新人研修のなかでもメンタルヘルスを扱う病院も増えてきたと思うんですが、研修を1回やって終わりでは実行には結びつきにくいかなと思うので。可能であれば、もっと若いうちに、小学校や中学校のうちから、セルフケアの方法を学ぶとよいと思っています。

白石:
この記事は若い看護師さんがたくさん読んでくれているので、マツコさんの考え方が伝わると嬉しく思います。

マツコ:
あと、若い世代の人たちはとくに「最近の若い人は!」と言われ続けてきたんだと思うんです。ですけど、私が若いときも「今時の若い人は!」と言われてきましたし、同じようなことをもっと上の人も言っていたんです。なので、その発言はそんなに気にしなくていい。「今時の若い人は」に続く言葉は、ひょっとしたら、「私たちとは違う」というだけの話なのかなって最近思ってきています。

学生さんにもメッセージを伝えたいです。学生さんは“自分で決めて”看護学部や看護専門学校に入ってしまった手前、「やっぱり看護師にならなきゃ」という気持ちがすごくあると思うんです。でも、自分の可能性を狭めて考えすぎずに、もし「違う」と思うんだったら、バッサリ辞めるという選択もありだと思うんです。もちろんその人の事情にもよりますが、絶対に看護でずっとやらなきゃいけないというわけでもないし、就職後も看護の知識や考え方を活かしてやっていくキャリアもありだと思います。自分の可能性、やりたいことに正直に進んでもらったらいいんじゃないでしょうか。

白石:
なかなかすぐには変えられないかもしれませんが、私たちのような先輩にあたる世代が少しでも変えていくための行動を起こしていきたいですよね。本日はありがとうございました。

インタビュアー・白石弓夏さんの著書



Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~

Letters~今を生きる「看護」の話を聞こう~
私もエールをもらった10人のストーリー


今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。 さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。

目次


◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏

発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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